翌日。
ミクさん達は早めに出社しました。
A社の社員には「業務は通常通り行います」というメールが一斉送信されていたように、
業務はまだまだあるのです。
いや、まぁ通常なんてものはもう無いのでは、と思いますが、それでもクライアントを投げだすわけにもいきません。
上司が居なくてもやれることをするしかなさそうです。
ミクさんたちが会社に来ると、周りはあちこちでひそひそ噂話をしたり、総務が走り回ったりしていました。
「なんか、すごい空気だね」
レン君が小声で言いました。
普段は明るい彼の声も、今日はどこか沈んでいます。
「うん……みんな、落ち着かない感じ」
ミクさんも周囲を見回しながら答えます。
廊下の奥では、普段はほとんど姿を見せない役員たちが、慌ただしく会議室へ出入りしていました。
電話の鳴り止まない音が、いつもより鋭く耳に刺さります。
「ねえ聞いた?」「警察また来るって」「資料押収されるらしいよ」
そんな声が、コピー機のあたりから漏れ聞こえてきます。
レン君は眉をひそめました。
「……上司の席、どうなってるんだろう」
その言葉に、ミクさんは息を呑みました。
確かに、昨日まで怒鳴り声を響かせていたあの席は、どうなっているのだろう。
二人がフロアに入ると――
そこには、ぽっかりと空いた椅子がありました。
机の上には、昨日の書類がそのまま。
飲みかけのコーヒーカップだけが、異様な存在感を放っています。
「……なんか、怖いね」
ミクさんが呟くと、レン君は小さく頷きました。
「企業の“柱”が抜けると、こうなるんだよ。誰も、どう動けばいいかわからないんだ」
その時――
コンコン、とフロアの入り口のドアがノックされました。
振り向くと、制服姿の女性が立っていました。
昨日と同じ、巡音ルカさんです。
「おはようございます。A社の皆さん、少しお時間をいただきます」
フロアが一瞬で静まり返りました。
総務が慌てて駆け寄り、ルカさんと数名の警察官を会議室へ案内します。
レン君は小さく息を呑みました。
「……また、来たんだ」
ミクさんは、その光景を見つめながら、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じました。
――今日も、また何かが動き出す。
そんな予感だけが、静かに広がっていきました。
会議室に通されると、すでに数名の社員が集められていました。
空気は重く、誰も口を開こうとしません。
巡音ルカさんは、机の上に資料を置き、静かに言いました。
「まず、昨日の件について。A社に対する調査は、ひとまず完了しました」
ざわ、と小さな波が広がります。
「結論から申し上げます。
取り引きされていた“ボイスバンク”の中に――初音ミクさん、鏡音レンさん、あなたたちの声が含まれていました」
ミクさんは、思わず息を呑みました。
これまでの捜査でわかっていたこととはいえ、改めて言われると胸がざわつきます。
「つまり、あなたは“初音ミクそのもの”であると判断されました」
ミクさんに意味深に向けられた視線。
レン君が横で小さく頷き、ミクさんの肩にそっと手を置きます。
ルカさんは続けました。
「そして……今回の不正取引の背後には、暴力団関係者の関与が強く疑われています」
会議室が一瞬で凍りつきました。
「暴力団……?」
誰かが小さく呟きます。
ルカさんは淡々と説明を続けます。
「A社の上層部の一部が、外部の反社会的勢力と接触していた形跡があります。
ボイスバンクの横流しは、その資金源のひとつだった可能性が高いです」
ミクさんは、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じました。
自分の声が、そんなことに使われていたなんて。
レン君も顔をしかめています。
「……じゃあ、今までミクのふりをしていたテトさんは、どうなるの?」
ミクさんは思わず口にしていました。
ルカさんは、少しだけ表情を和らげました。
「重音テトさんについては、すでに事情聴取を終えています。
彼女は“ミクさんの代わりを務めていた”という立場ではありますが――」
そこで一度言葉を区切り、静かに続けます。
「今回の不正取引に、直接関与した証拠はまだ見つかっていません。よって、彼女が“初音ミクを名乗って活動していた”ことについては、
本人の意思ではなく、会社側の指示によるものと判断しています」
ルカさんは、黙って聞いている皆の前で、重ねて言います。
「ですから、彼女の処遇については、今のところは刑事責任を問う方向ではありません、が」
ルカさんは、少しだけ厳しい声に戻ります。
「A社の内部で、誰が何を知っていたのか。
どこまでが指示で、どこからが黙認だったのか。その点については、まだ調査が続きます」
会議室の空気が再び重く沈みました。
ミクさんは、レン君の方を見ます。
レン君は、どこか複雑な表情でミクさんを見返しました。
――まだ、終わっていない。
そんな予感が、静かに胸に広がっていきました。
内部告発者の男性社員が証言を終え、会議室は再び静まり返りました。
誰もが息を呑み、次の言葉を待っている。
巡音ルカさんは、机の上の資料を一枚めくり、表情を引き締めました。
「さて……ここからは、少し重い話になります」
その一言で、空気がさらに張りつめます。
「A社が接触していた外部組織についてですが――単なる“反社会的勢力”ではありませんでした」
ミクさんは、思わずレン君の袖をつかみました。
レン君も、緊張した面持ちでルカさんを見つめています。
ルカさんは淡々と続けました。
「A社の上層部は、暴力団のフロント企業と長期間にわたり取引を行っていました。
ボイスバンクの横流しは、その資金源のひとつに過ぎません」
会議室がざわつきます。
「フロント企業……」
「そんな……」
「いつから……?」
ルカさんは、社員たちの動揺を受け止めるように頷きました。
「内部告発者の方の証言と、押収したデータの照合により、
少なくとも発売以前からなんらかの協議があり、関係が続いていたことが判明しています」
ミクさんは、胸がぎゅっと締めつけられるのを感じました。
ルカさんは、さらに深い部分へ踏み込みました。
「そして……重音テトさんが“初音ミクの代役”をさせられていた理由も、ここにあります」
会議室が凍りつきました。
ルカさんは最後に、重い言葉を落としました。
「A社の上層部はすでに逮捕されていますが、
暴力団側の捜査はこれから本格化します。
あなた方にも、追加の事情聴取をお願いする可能性があります」
会議室の空気が、さらに重く沈みました。
ミクさんは、レン君の方を見ます。
レン君は、どこか覚悟を決めたような表情で頷きました。
2026年3月20日16時05分
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