悪食娘コンチータ 第三章 暴食の末路(パート7)

 「お姉さま、グリス先生、お待たせいたしました。」
 そう言ってフレアが再び食堂へと戻ってきたのはそれから一時間程度が経過した頃であった。その手にはプレートに載せたシフォンケーキ、その後ろから続くオルスはどうやら紅茶を手にしているらしい。そのまま、フレアはテーブルの中央にシフォンケーキを置き、オルスからティーカップを預かるとてきぱきとした動きでそれをテーブルの上に置いた。続けて、棒立ちになったオルスからティーポットを奪い取ると、それを一つ一つ、丁寧に注ぎ始め、柔らかな紅茶の香りが漂った。なるほど、これは旨そうな紅茶だ、とグリスは思わずそう考える。
 「どうぞ、お姉さま。」
 一番に紅茶を注ぎ、続けてシフォンケーキの最初の一切れを即座にバニカに差し出しながら、フレアはそう言った。そのシフォンケーキをバニカは楽しそうに頷きながら受け取り、早速とばかりに一口分を口に運ぶ。その動作をフレアは不安そうな瞳で見つめていた。
 「・・うん、悪くないわ。」
 やがて、咀嚼を終えたバニカは一つ間を置いてからそう言った。
 ええ、ここは我慢よ、バニア。
 よかった、と嬉しそうに微笑んだフレアを差し置き、バニカはただ自らに言い聞かせるように内心にそう呟いた。そう、まだ早い。もう少し。もう少しでお肉が食べられるもの。でも、三人も来るのは少し予想外だったわ。フレア一人で来るものと思っていたのに。そうすれば、すぐにでも刺し殺して、今日のお夕食にフレアの肢体を堪能できたのに。
 楽しげな談笑を交わしながら、シフォンケーキを堪能しているフレアたち三人を眺めなて、バニカはひどく残念そうにそう考えた。
 でも、予定が少しずれただけ。今は我慢よ、バニカ。今日の夜、寝静まったら一人ずつ殺害して。
 ああ、明日の朝食は、いいえ朝までなんてとても我慢できない。今日のお夜食はとても素晴らしいものになりそうね。何しろフレアは私の妹、きっと素晴らしい味がするわ。あの知識と知恵が豊富に詰まった脳髄は、きっと他の誰のものよりも甘く芳しいはず。
 ぞくぞくと、興奮を隠しきれないようにバニカはそう考え、その紅く染まった唇をほんの少しだけ歪めた。

 さて、どうするか。
 午後のティータイムを終えてグリスは、私室へと戻ったバニカとも、厨房へと片づけに向かったフレアとオルスとも別れて一人食堂にとどまり、何かを思考するように軽く握りしめた拳をその口元に当てた。そのままもう一度天井を見上げる。拭き掃除でも行ったものか、天井の染みはほとんどが経年劣化による汚れと見分けがつかない程度に変色している。だが、それでも丁度一点に集中するようにその染みは天井にこびりついていた。
 仕方ない。
 やがてグリスはそう判断すると、不躾とは十分に知りながらも立ち上がって靴を脱ぎ、一足ずつそれまで自らが腰をおろしていた椅子の上に乗せた。目視する限り、あの染みは血痕に見える。だが、もう少し確定的な情報が欲しい。グリスはそう判断すると、一切の躊躇いもなく両足をテーブルの上に載せた。そのまま、右腕を伸ばしてその染みを軽く擦る。直後に、ぽろぽろと染みのかけらがグリスに向かって降り注いた。その微量なかけらのいくつかを手にとってグリスは丹念にそれを眺め始める。ふむ、とグリスは得心したように頷くと、両足を床の上へと戻し、もう一度椅子の上に腰かけた。
 間違いない、これは誰かの血痕だ。
 かけらを眺めながらグリスはそう判断すると、もう一度思索するように天井を眺めた。床から天井まで三メートル、いや四メートル程度だろうか。いずれにせよ、誰かがこの場所で殺害されたことは間違いがないだろう。天井まで血痕が残っているということは頸動脈を刺されたか。とすれば誰が殺害された?以前王都へ注進に来たヴァンヌは酒樽に男性の遺体が入っていると言っていた。ならばこの染みはその男の血液なのだろうか。
 グリスがそこまで考えたときである。食堂の扉が開かれ、片づけを終えたらしいフレアとオルスが現れた。
 「ああ、御苦労さま。」
 この後、厨房も調査に行かなければな、とグリスは考える。
 「グリス、ちょっと買い物に行ってくる。」
 オルスがそう言った。
 「買い物?」
 「はい。夕食の食材がどうにもないみたいで。」
 補足するように、フレアがそう言った。その様子を見る限り、どうやらワイン樽には手を触れていないらしい。いや、もう死体が別の場所に移されているという可能性もあるが。
 「わかった、オルス、フレアの護衛を頼むぞ。」
 「ああ。」
 オルスはグリスに対してそう言って頷くと、フレアを伴って仲良く食堂から退出していった。しかしあの二人、随分と仲良くなったものだ。グリスはそう考えて一人にやりと笑みを浮かべる。ともかく、都合良く二人が外出してくれたのはありがたい、この時間に厨房の捜索を行ってしまおうとグリスは考えながら腰を上げた。厨房の位置はどこだろうか。そう考えて廊下に出て捜索すること数分、案外すんなりと目的の場所を発見したグリスは殺風景な厨房を見渡して呆れるような溜息をもらした。成程、生活感がまるでない厨房だ。これではフレアが自ら買い物に出ようと考えるのも頷ける。何しろ食料らしき物は何も見当たらないのだから。この状態で一体バニカ夫人はどうやって生活を続けていたのだろうか。少なくとも、バニカ夫人が飢えている様子はまるでなかったが。
 考えても仕方ないか。
 グリスは呟くようにそう言うと、厨房の端に置いてあるワイン樽へと向かい、その蓋を両手でこじ開けた。力仕事は苦手なんだがな、と一人ぼやきながらグリスは蓋を開け、そして。
 「これは・・。」
 明らかに毛嫌いするように、グリスはその表情を歪めた。ヴァンヌの言った通り、そこにあったのは身元も知らぬ男の死体であった。死後どのくらいが経過しているのか。ヴァンヌの証言と比較するなら、この死体はもう一月以上も前からこの場所にある計算になる。それでも原型を保っているのはアルコールに浸していたために劣化が防がれたからだろうか。そう考えながらグリスは死体に向かって顔を近づけた。気味の悪い臭気がグリスの鼻をつく。思わず鼻を押さえながら、グリスは男の首元を目視した。だが。
 「傷がない、か。」
 流石に死体に手を伸ばす気にはならなかったために、見れる範囲でしか確認できないが、脚を折りたたむような格好でワイン樽に押し込まれているその男には目立った外傷は見当たらない。逆に、その表情が苦しそうに歪んでいる様子を見ると、病死したのか、或いは何か毒物でも食らわされたものか。とにかく、少なくとも二人この館で死亡したことになる。グリスがそう考えてひとつ溜息を漏らしたとき、グリスはもう一つの血痕をその視界の端に確認した。その血痕は厨房から外に向かう勝手口の扉に残されていた。だがこちらはごく微量、気づけたことが僥倖と言わんばかりの量にすぎなかったけれども。
 「さて、もう一人被害者がいるのか、或いは単なる料理の怪我か。」
 大量の血痕を拭きとったとも言えるし、ちょっとした怪我の跡が偶然に残されているだけのような気もする。グリスは勝手口を眺めながらそう考えた。とにかく、確定的なものはこのワイン樽に収まっている男と、そして食堂で頸動脈を切り裂かれた人間、この二人。この二人を誰が、いつ殺したのか。
 そこまで考えてグリスは、あることに気づいて思わず息をのんだ。
 召使い。
 そう、召使い。彼らはどこに消えた?本当に暇を得ただけなのか?
 グリスはそう考えて、もう一度深く思考した。
 ヴァンヌの証言によると、バニカ夫人は毎日のように悪食というにはひど過ぎるゲテモノ料理を堪能していたという。
 そして先ほど、バニカ夫人はこう言った。まるで美食を思い起こすように、舌舐めずりをしながら。
 『いいえ、美味しかったわ、皆とても。』
 まさか。
 そこでグリスは最悪の事態を想像して、ぞくりとその背筋を硬直させた。
 まさか、召使い達はすべて、バニカ夫人に食われたのか・・?

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

悪食娘コンチータ 第三章(パート7)

みのり「ということでパート7です!」
満「ようやく佳境に入ったな。」
みのり「そうね。ではでは次回もよろしくね☆」

閲覧数:388

投稿日:2012/01/08 20:42:50

文字数:3,356文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました