姉貴に『エンダーのゲーム』を渡して、俺は学校へ向かった。学校に着いて教室に入ると、いつものように自分の席で本を読んでいる、巡音さんの姿が目に入った。……どうしたもんかなあ。向こうは本に集中しているので、俺のことには気づいてない。けど、ここで声をかけないのは、それはそれで「昨日のことを気にしてます」って言ってるようなもんだし。
「おはよう、巡音さん」
 結局、俺は声をかけることにした。巡音さんが驚いて硬直し、本を取り落とす。……えーと。
「……何もそんなに驚かなくても」
 俺の目の前で、巡音さんは下を向いた。頬が微かに赤くなっている。参ったな……。何をどう話そう。やっぱり、このまま戻った方がいいんだろうか。
 だが俺が次の行動を決める前に、巡音さんは向きを変えて、身体の方はこちらへ向けてくれた。視線の方は下を向いたままだけど。
「ごめんなさい……それと、おはよう」
 どうやら、話をする意志自体はあるらしい。……良かった。
「あの……巡音さん」
 俺は、そんなにかしこまらなくてもいいと続けようとして、止めた。巡音さんだって、それくらいわかっているはずだ。
「……昨日のことだけど」
 だから、そこで固まらないでくれよ。……俺だって恥ずかしいんだよ、ミラーハウスでのことは。
「例の『好き』と『嫌いじゃない』はイコールで結べるのかって話」
 巡音さんは少し身体の力を抜いたようだった。俺はそのまま話を続けることにする。
「今朝姉貴にその話題振ってみたら、姉貴、それをイコールで結べはしないってさ。姉貴が言うには、『嫌いじゃない』ってのは、逃げるための言葉なんだって。好きということをごまかしたいか、好きではないけど明確に嫌いとは言いづらい時か、無関心に近い感情の時に出てくる言葉なんだって。……俺もまあ、それでなんとなく、納得はしたんだけど」
 そのせいで、俺は自分のユイに対する感情が「その程度」だったことを認識してしまって、一人頭を抱える羽目になったりもしたが……。いや、少しは好きだったと思うんだよ、多分。
 巡音さんの方は、ちょっとこっちが怖くなるくらい真剣な表情で考え込んでしまった。え、えーと……所詮は俺の姉貴の見解に過ぎないんだから、そこまで真剣に受け止めなくてもいいんじゃないか? そういう考え方もあるんだ、ぐらいでさ。
「鏡音君のお姉さんってすごいのね」
 しばらくしてから、巡音さんは感心した口調で、そんなことを言った。確かに姉貴の答えは鋭いところを突いてると思うが……なんだか面白くないぞ。……なんで姉貴のことばっかり。
「……ねえ、鏡音君」
 あ、ようやく顔を上げてくれた。
「何?」
「『好き』って感情が無い人って、イメージできる?」
 こっちを真っ直ぐ見てくれるのは嬉しいんだが……急にどうしたんだろう。とはいえ、こんな真剣な瞳で訊かれると、真面目に答えないといけない気になってくる。「好き」という感情が無い人間か……うーんうーん、イメージしづらい。だって、大抵の人は何かしら好き嫌いあるだろ。食べ物とか、娯楽とか。……それ、人間か? 人間じゃないよな?
「……巡音さん、学祭の舞台見たって言ってたよね。あれの最初の方に出てくるロボットみたいな感じになるんじゃない?」
 あれは労働の為に作られたロボットだから、そういう機能は最初から無い。感情も何もなく、命令に従うだけだ。
 って、巡音さん、青ざめてるけど……大丈夫なんだろうか。
「巡音さん、大丈夫?」
「うん……平気。考えすぎて、ちょっと怖くなっただけ」
 あんまり真剣に考え詰めるのも良くないんじゃないかなあ。というか、何を考えていたんだろう。そう考える俺の前で、巡音さんはやや無理した笑顔になった。
「『好き』って感情が無い人は、『嫌い』って感情も無いのかな?」
 なんだか謎々みたいになってきたな。
「無いんじゃない? ロボット状態なのだとすればね――生きることに執着せず、楽しむことを知らず、雑草以下の存在――」
 俺は台詞を一部引用した。この台詞は、俺のやった役じゃないけどね。台本に手を入れたから、メインの台詞は何となく憶えている。しかし改めてこの台詞見ると、自分たちで作っといて「雑草以下」は無いだろうって気がしてくる。
 巡音さんは、また考え込んでしまった。一体、何をそんなに悩んでいるんだろう?
 俺が巡音さんのことで頭を悩ませていると、初音さんがやってきた。……えーっと、初音さんの邪魔は、しない方がいいよな。俺は巡音さんに「あんまり悩まない方がいいと思う」とだけ言って、自分の席に戻った。
 ……なんだかよくわからないことになったけど、さっきの話題で、巡音さんとは話すことができた。気まずさもそんなに感じなくなったし……。これ、やっぱり、姉貴に感謝しないといけないのかなあ。したくないけど。


 今日は部活の活動日。部室に行ってみると、グミヤとグミが女子のほぼ全員に取り囲まれて「おめでと~」と言われていた。結婚式はいつ? とか訊いてる奴もいるが、幾らなんでも気が早すぎるだろ。俺らまだ高校生だぞ。ちなみにグミヤは真っ赤になっていて、訊かれることにろくに答えられずにいる。
「……心の底からグミヤに同情したくなるな」
 思わずクオに向かってそう言ってしまう。何の罰ゲームだよ、これ。ほとんどさらし者状態じゃないか。
「同感」
 クオは頷いて、グミヤを気の毒半分、面白がってるの半分といった表情で見やった。
「ところで、クオ。お前、他の奴らにグミヤとグミのこと喋ったの?」
「いや、俺じゃない。どうもグミが自分から、昨日デートしたって喋ったらしくて。俺が来た時は、もうこんな感じだった」
 グミのことだから、グミヤがいかに素敵だったとか、延々喋り倒したんだろうなあ……そんな話、されても困りそうな気がするんだが。
 しばらくそんな様子をクオと、一年の男子部員たちとで眺めていたが――ちなみに、演劇部の二年男子は俺とクオとグミヤの三人だけである――やがて、グミヤが我慢の限界を超えた。
「お前らいい加減にしろっ! 活動を始めるぞっ!」
 さすがに女子連中も悪ノリしすぎたと気づいたのか、大人しくなった。そんなわけで、普段通りの部活が始まった。要するに体力づくりやら筋トレやらストレッチやら発声練習やらってことだけど。
「ねえ、鏡音君」
 ストレッチをやっている最中に、二年の女子部員である、蜜音リリが俺に声をかけてきた。
「何だよ」
「グミちゃんから聞いたんだけど、鏡音君が昨日女の子連れで遊園地にいたって……」
 あ~い~つ~は~っ! 何余計なこと喋ってんだよっ!
「言っとくけど、デートじゃないぞ。俺とクオと、クオの従姉の初音さんと、初音さんの友達の巡音さんで遊びに行って、クオと初音さんが絶叫マシン乗らないと我慢できないとか言い出すから、俺と巡音さんが二人でクオたちを待ってたってだけ!」
「……そうムキにならなくてもいいじゃない」
 蜜音は呆れ果てた様子でそう言った。……はっ。俺は何をやってるんだ。
「いや、昨日グミに散々『デートですか』って訊かれたもんだから、つい過剰反応を……ごめん蜜音」
「別にいいけど」
 蜜音はあまり気にしていないようだった。助かった。
「というかグミの奴、そんなことまで喋り倒してんの?」
「ええ」
 うげ……後でグミヤに言っとこう。既に手遅れのような気もするけど。巡音さんの耳に入ったらどうしてくれるんだ。
 その後の部活は滞りなく終わった。終了後、グミヤに話をしようとすると、驚いたことに、グミヤの方から俺に声をかけてきた。
「レン、ちょっといいか?」
「何だよ」
 グミヤの表情を見る限り、グミとのことじゃなさそうだなあ。
「そろそろ、来年の四月の公演の演目を決めようと思うんだ」
 四月……新入生歓迎公演か。まだ先のような気がしてたけど、確かにそろそろ作品を決める時期だ。けど、なんでこんなとこで俺に言うんだ? ミーティングで決める話だろ、それ。
「そういうわけだから、レン、適当な作品探しておいてくれ」
「俺に丸投げかよっ!」
 グミヤの言葉に、俺は思わず叫んでしまった。
「だってこの前の、お前のアイデアだぜ」
「俺のアイデアって……」
 確かにあれをやろうって言い出したのは俺だけど。最終的にはかなりの奴が賛成したじゃないか。
「俺、文学なんて普段読まないんだよ。他の連中にも聞いてみたけど、みんなそんなの読まないって言うしさ」
 頭を抱える俺の前で、グミヤはそんなことを言い始めた。あのなあ。
「……俺だって別に詳しくないぞ。まともに読んだことがあるのは、チャペックとシェイクスピアぐらいで」
 後は何読んだっけ? 幾つか読んだのはあるけど、ぱっと出てきやしない。
「あ、そうだ。顧問がチャペックはやめてくれってさ」
「チェコを代表する偉大な作家に喧嘩売ってんのか顧問は……」
 そもそも顧問が「文学作品をやれ」なんて言い出すから、こんなややこしいことになったんだが。大体、チャペックは禁止。シェイクスピアには無理がある(衣装とかセットとか)のに、どうしろって言うんだ。
「SFは顧問のお気に召さないんだろ。まあとにかく、そういうわけだから任せたぞ」
 チャペックはSFだけの作家じゃないぞ。
「グミヤお前部長だろっ! 俺に丸投げするなよっ!」
「うん、俺は部長だよ。部長として、この役目はお前がベストだと判断したから、頑張ってくれ。ああ、それと、できたら明るい奴にしてくれ。新入生歓迎公演だからな。新入生がこの舞台に参加してみたいって、思えるような奴じゃないと。じゃあな!」
 俺が何か言う前に、グミヤはさっさと背を向けてしまった。そんなグミヤの腕に、グミがしがみついて「一緒に帰りましょう~」とか言っている。……全く、あいつらは。
 ため息つきつつ、俺も帰り支度をする。なんか最近、妙に色々あるな……。それにしても、次回作の決定か……グミヤの奴、何が任せただ。いっそできないような難しいのを「これがお薦めだと思う」とでも言ってやろうか。ゲーテの『ファウスト』とか。
 ……でもそんなことをしたら、新入生歓迎公演がお流れになちまうよなあ。やっぱりちゃんとした奴、選ばないと。うーん……。
 大体顧問が「文学作品をやるように」なんて言い出すから、ややこしくなるんだよ。普通に図書室に置いてある、高校生用の戯曲集使えばいいだろ。何が「格調の高いものを……」だ。格調って言葉の意味、わかってんのか。
 で、どうするか。チャペックは駄目って言われた、シェイクスピアは演出が大変。ゲーテは論外。あんな面倒くさい脚本、やれるかってんだ。
 ……こんなの、俺一人で決めるのは無理だ。誰か相談に乗ってくれる相手、探さないと。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

アナザー:ロミオとシンデレラ 第二十三話【真実はいつも少し苦い】後編

 蜜音リリ=リリィさんです。名字は例によって私の創作です。

閲覧数:952

投稿日:2011/10/24 19:53:21

文字数:4,439文字

カテゴリ:小説

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