基本はチーズカレーの大盛りだ。
 それに七味をたっぷりかける。ガラムマサラなんてシャレたものがあればその方が合うのかもしれないが牛丼屋にそんなものはない。やたらスパイスをきかせたピリピリするカレーに七味の辛さが加わってホットな感じになる。そして微妙にリゾット風味のチーズ。そんなチーズカレーのことが俺は大好きです。
 だが俺とチーズカレーの甘く熱くちょっぴりマイルドな日々は何の前触れもなく試練に襲われることとなる。ナスカレー。それが敵の名だった。俺とチーズカレーの関係に亀裂をもたらす強力な好敵手(新メニュー)出現である。事態は一気に緊迫の様相を呈してきた。嵐の昼休み。十二時すぎのことだった。

 なんといっても三角関係である。昼メロも真っ青だ。俺は内心の動揺を悟られないよう努めて平静を装いながら一旦メニューを閉じ、そしてまた開いた。敵はやはりいた。どうやら夢や幻覚の線は薄そうだ。俺は一息に麦茶をあおった。
 店内はほどよく空調がきいていて、おもての暑気をはらんだ日差しとは一線を画した快適空間を形成している。時節は初夏である。時刻は昼である。俺は空腹だ。だがそうした諸事情はひとまず置いておく。
 そもそも「夏だからナス」という考えがいけない。あまりにもうまそうだ。違う。あまりにも浅はかだ。麦茶のセルフおかわりを注ぎながら俺は考える。
 ナスは夏野菜だ。夏野菜は一般に体温を下げる作用があるといわれる。とても涼しげである。しかしいくら暑くなってきたからといって、人間そう簡単に涼を得ようとするのはいかがなものであろうか?
「ナスカレーひとつ。並で」
 俺の二つ隣に座ったニート風の男はメニューを見るが早いか、そのように注文した。俺は内心で男のことを嘲笑った。この男は牛丼屋のメニュー一つぶんの信念も持ち合わせてはいないのだ。この男は外が暑いか新メニューが珍しいかというその程度の理由でナスカレーを選んだのだ。なんたる浅慮。なんたる軽挙。これだから初心者は困る。
 この初心者はバタフライ効果という言葉を知っているのだろうか。ふと俺はそのようなことを思った。か弱い蝶々の羽ばたきはめぐりめぐって地球の裏側に大嵐を起こすのだ。この初心者が何の気なしに注文したナスカレーは初心者にとっては一皿のナスカレーであるかもしれないが、この牛丼屋チェーンにとってみれば新メニュー・ナスカレー早くも一万皿突破! とか言われてしまう歴史的なナスカレーであるかもしれず、であればそれを見た牛丼屋チェーンの上のほうのオッサンが「貧乏人どもが夏野菜というだけで簡単に騙されおってやっぱり夏はナスじゃのうケケケ」とほくそ笑んでいるやもしれず、それを鑑みるに牛丼屋チェーンの中くらいの人たちが「夏だしナスでも入れときゃいんじゃね」とか適当なこと抜かして決まったような怠慢メニューに俺の昼飯を預けるなどという考えは微塵も起こらないわけである。
 と考えているうちに二つ隣の席にはナスカレーが運ばれてきた。うまそうである。
 俺はぶんぶんした。違う。うまそうだなどと俺は断じて思っていない。この俺が「うまそう」なんて知性のかけらも伴わない言葉を初見で思い浮かべるなどあってはならないことである。というか、そうだ、本当は俺はナスカレーなんて見なかった。二つ隣に運ばれてきたナスカレーなんて見ていない。そうだ、あんなにうまそうなナスカレーは見たことがない、って、違う!
 俺は額の汗をぬぐいながら麦茶をすすった。クールヘッドだ。良き人生は常に冷静な頭脳を求めている。クールヘッド。俺は麦茶をすすった。男が席を立つ。「ごちそうさま」ぶふぉ!
 俺は目をむいて男の皿を見た。無い。あるはずの内容物がそこには無い。早すぎる。そんな思いとともに店内の時計を見る。十二時五十分。男の注文した時間を憶えていなかった。徒労だ。良き人生は千の徒労からなる。麦茶おかわり。その瞬間、俺は重大な事実を思い出す。
 十二時五十分だと? 昼休みあと十分しか無いじゃないか。俺は今まで一体何をしていたんだ? 俺はなんでまだこんな所にいるんだ? ここはどこで俺は誰なんだ?
 なんて冗談を言っている暇はない。俺は今すぐに昼飯(ミッション)を片付けて帰社しなくてはならない。可及的速やかな行動が必要だ。時間は信頼に直結する。午後いっぱいブラブラしていられるニートとはわけが違うのだ。俺はこちら側の人間だ。そう考えて店内を見回すがなぜか会社員は一人もいない。俺は黙って麦茶を飲んだ。良き人生に会社員は必要か。難しい問題だ。
 しかし俺はより重要な案件を思い出す。今日は午後イチで得意先との商談があるのだった。カレーなんて食ったら口臭があまり良くないだろうか。店の選択を誤った。カレーのほかには牛丼くらいしかメニューがない。牛丼ではなんらの改善も期待できない。俺は両手で頭をホールドした。柔軟(フレキシブル)な解決策(ソリューション)が必要だ。ともかく何か注文しなくては始まらない。帰社に要する時間は三分だ。俺は再び時計を見た。十二時五十分。まだ余裕はある。
 だがかすかな違和感に俺はもう一度顔を上げ店の時計を検分する。十二時五十分。店に入ってから三十分以上が経過している。だがそんな些事はどうでもいい。よく見ると秒針が動いていない。それも小さなことだ。自分の腕時計と比べてみる。長針が妙な方向を向いている。これだ。俺はぐったりした。
 店内を見回す。客の姿は無かった。勤勉な日本人は時間と規則にうるさい。
 俺は麦茶をあおった。そしてうつむいたまま言った。
「……ナスカレー、ください」








 

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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【小説】昼休みの計画

2009年7月、某文庫主催のお題企画「夏休みの計画」応募用に作りました。
なぜこうなったし…

純文学要素皆無、珍しく100%エンタメです。
当時そこそこ好評いただいたんですが、個人的には気に入らない部類。
ご感想いただければ幸いです。

閲覧数:161

投稿日:2016/04/17 13:09:39

文字数:2,326文字

カテゴリ:小説

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