編集室のモニターには、何度も見返した映像が流れていた。
カットを一秒縮めるか、そのまま残すか。
それだけの違いなのに、画面の向こう側にいる人の感情はまるで別物になる。
映像という仕事はそんな曖昧な境界線を毎日歩く仕事である。
深夜になりクライアントへ最終版を書き出して送信した。
「ありがとうございました。」
数分後その一文だけが返ってきた。
もちろん、それは何も悪いことではない。
むしろ無事に納品できた証拠であり、信頼していただけた結果でもある。
それでもパソコンの画面を閉じた瞬間、部屋は急に静かになった。
つい数時間前まで、私はその映像の世界の住人だった。
登場人物の表情を何度も止め、音楽の入りを調整し、言葉にならない感情を
数フレームの長さで探していた。
その時間だけは確かに誰かと同じ景色を見ていたはずなのに
納品ボタンを押した瞬間、その世界は私の手を離れていく。
映像は完成すると自分のものではなくなる。
それは少し切ない。
テレビ制作会社で編集をしていた頃から、何百本という映像を送り出してきた。
広告も、企業映像も、ショート動画も同じである。
完成した作品は誰かのもとへ旅立ち、私はまた次の素材を開く。
まるで駅で列車を見送るような感覚だ。
乗ることはできない。ただ見送るだけ。
窓の外を見ると、都会の夜空は思ったより暗かった。
それでも雲の向こうには、きっと無数の星がある。
私は時々、自分の心もそんな小さな銀河を漂っているような気持ちになる。
誰にも気づかれない場所で光り、誰にも知られないまま流れていく。
けれど、それでいいのだと思う。
映像もまた、誰かの日常の中へ静かに溶け込み、その人の記憶のどこかに残れば十分なのである。
今日送り出した一本も、もう私の手元には戻らない。
それでもまた明日、新しい素材をタイムラインへ並べ新しい物語を作り始める。
その繰り返しこそが私という映像クリエイターの人生なのだと思っている。
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