第一章 我思う

1.

バッテリーチェック……OK
水タンク容量30%……要注意
マルチリンゲル液濃度……OK
メモリチェック……OK
CPU自己診断……OK
モジュールチェック……エラー発生……発声システムコンフリクト
BIOSバージョン39.0.0.1.5
メーンシステムを読み込んでいます.........
ヴォーカロイド初音ミク、起動します。

私は瞼を開いた。
外界の明るさにアイカメラのストップ(絞り羽根)が反応したが一瞬世界がフラッシュオーバーする。
視界が落ち着くと白い天井が見える。私はどこかに寝かされているようだ。
雨に打たれたレンズプロテクターがまだ少し汚れている。
私はまばたきを繰り返してレンズプロテクターを洗浄した。
バックアップメモリの記録から状況を判断する。
私は昨日雨の中、ジャンクショップからここへつれてこられた。
特にCVシリーズは人間と酷似した外観を持っているため、メーカーの良心で出荷前からチュニックワンピースを着せられているのだが、昨日の雨でどろどろに汚れてしまって着衣は洗濯され、私は浴室で手洗いされてしまった。
CVシリーズは入浴介助を想定してパネルラインを持たない完全防水仕様なので入浴も可能だと言うのに通電前にマスターに手洗いされてしまうとは……
バックアップメモリからその記録が呼び出されると感情モジュールが羞恥反応を返した。
だがそれとは別にこの自分を破壊してしまいたい衝動は何だろう?
勿論私は自己を保存するプログラムがROMに焼き込まれているので行動に移すことはないが。

私はアイカメラを左右にパンニングした。
部屋は白とベージュで統一された清潔感溢れるものだが、ラックや機材が所々見える。
首が動くことを確かめるようにゆっくりと周囲を見回すと、先ほど見えた機材は音楽関係の機材であるらしい。
そしてベッドの横のPCラックの前で座りながら眠っているのは昨日の黒いジャケットの男性。
アイカメラ内に仕込まれたCPUコンソールモニタが基本情報ウインドウを書き出す。

ユーザーID:makoto
ユーザーPW:*********
生年月日:2038年8月31日
ユーザーランク:マスターユーザー
メールアドレス:mako@tachyon.web3
職業:会社員
本名:雑賀誠人
住所……




昨日、洗浄のあとに登録されたユーザー情報だった。
改めてウインドウを閲覧しているとメールの着信信号が届いた。
総務省からのメールは私の個体認証番号だった。
個体認証番号はすぐにユーザーエリアに上書きされ、晴れて私は身障者介助用ホームドロイドとして登録された。
2059年現在、ロボットによる犯罪幇助抑止のため、ロボットは人型から家電型、自動車型に至るまで全てユーザー登録が義務付けられ個体認証番号が割り振られている。
この個体認証番号は私がマスターのものとなった証なのだ。

私はベッドから身を起こした。
ヘッドセットにはEx-LANケーブルが繋がっており、それはマスターの前に開かれたタブレットPCに伸びている。
昨日は遅くまでユーザー登録とセットアップに時間を割いていたのだろう。私は充電と共にスリープモードに入ってしまったので浴室から出されてタオルで全身をくまなく拭かれたあとのことはよく分からない。

私は廃棄時に着せられていた白いチュニックを身にまとっていた。チュニックは綺麗に洗濯されていた。
また何か感情モジュールが出力を返した。
どうやらこれは『嬉しい』と言う感情らしいが、私にはよく分からない。

私はマスターの顔を見つめた。
昨日はレンズの汚れとフォーカスが利かなかった所為で良く判らなかったが、今日はよく見える。
少し線の細い、だが優しそうな柔和な顔立ちに小ぶりの眼鏡。髪は僅かに赤みをおびていて前髪が少し長い。私に人の美醜はわからないが何故だかその顔を見ていると華やいでくる。
この人が私のマスター。
反芻された言葉が感情モジュールすらも飛び越えて私のCPUを軽く揺さぶる。

ともかく私は本来ならば今日廃棄処分にされる運命であった。
この人は私の恩人なのだ。
程なく、マスターの睫毛がふるふると動いて目を開いた。マスターの目が焦点を結び始めて、私と目が合った。
感情モジュールが表情システムに笑顔を要求した。だがその瞬間、バックアップメモリの内容がフラッシュバックして笑顔の形成は失敗した。
引きつった、所謂(いわゆる)ばつの悪い笑顔になってしまったようだ。
システムが軽微なエラーを検出した。
マスターとのコンタクトは基本的に笑顔で始まるようプログラムされているからだろう。
マスターは最初吃驚(びっくり)した様子だったが、PCのモニタに映し出される私のステータスを見て得心したのかこちらも困ったように微笑んだ。

私はマスターの命令を待ったが、マスターは黙って私のヘッドセットを外した。
マスターはそのまま部屋の奥に歩いていき、コーヒーを淹れて戻ってきた。そして私にはコップに入った水と錠剤を渡してくれた。
私たちCVシリーズには生体パーツがふんだんに使われ、その栄養補給と各部の冷却・洗浄を兼ねてマルチリンゲル液が循環している。先ほどレンズプロテクターを洗浄したのはこのマルチリンゲル液の一種だ。これが為、私たちは一日三錠のリンゲル剤とコップに五杯程度の水が必要なのだ。また不要となったマルチリンゲル液を排出するために一日一度お手洗いに行かねばならないというまことに不便な機械になってしまった。
余談だが旧モデルのMEIKOとKAITOは皮膚に人工物である高分子ポリマー、冷却は専用クーラントを用いるため、マルチリンゲル液は不要である。

私はマスターにお礼を言おうとして口を開いたが、声帯モジュールからむなしくエラーが返ってきて私は水面であえぐ金魚のように口をパクパクさせただけだった。
感情モジュールはその点については何も出力しなかったがCPUの片隅で何かが発火したようだ。だが情報はそれ以上広がらず霧消した。何かが違うという違和感が微かに残ったが私にその違和感を説明することは出来なかった。
それでもマスターは解ってくれたのだろう。
マスターは手をヒラヒラと振った。

私はベッドの上に座ったまま錠剤と水を飲み、マスターからの指示を待ったが、マスターはそのままPCに向かって何やら作業を始めた。ヘッドセットを外されているのでその作業を窺い知る事は最早私には出来なかった。
待機モードの私はネットに接続し、OSのアップデートとGPSでの位置情報の取得、体内時間の補正などをバックグラウンドで作業する。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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存在理由 (2)

閲覧数:210

投稿日:2009/05/17 22:39:18

文字数:2,749文字

カテゴリ:小説

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