2.
聴唖とは耳は聞こえるが発声が出来ないと言う、珍しい障碍(しょうがい)だ。
通常は耳が聞こえないため話せないというプロセスを辿るのだが、声帯奇形、疾病等により声帯を切除したりといった物理的要因や、精神的外傷により自らコミュニケーションをとることを心が拒否してしまうと言った心理的要因により、耳は健常でも話せないということが起こりうるらしい。
マスターは楽器を扱っているし補聴器も装着していないから聴覚に障碍があるようには見えない
きっとマスターは私と同じだ。
マスターがたどたどしい手話で語りかけてくる。
『コレカラキミノ服ヲ買イニ行コウト思ウ』
私は自分の服を見下ろした。白衣にも似た白いチュニックワンピースにブカブカのサンダルは人間のくらしに溶け込むには必要最低限の姿と言えた。それに服だってスペアがなければ洗濯もできない。
感情モジュールは「歓喜」を出力したが、CPUの片隅では何故か罪悪感と言うべき情報が侵蝕して私の笑顔に翳(かげ)を落としたようだった。
マスターはやってきたエレベーターに乗り込み、私も続いた。
きっと――。
それは私が棄てられた不良品だからだろう。正規品だとスペアコスチュームが5セット付属するがジャンク品だった私には正規コスチュームすらない。
軽いショックと共にエレベーターが停止した。音もなくドアが開いてマスターと私はマンションのホールに出た。
ホールには誰もいない。やはり白とベージュを基調とした壁とレンガ、そして随所に配されたガラスがホールを清潔感のあるものにしていた。
ホールから外に出ると輝くような太陽が昼下がりの街を照らし、揺らめく蜃気楼の向こうに存在した。暦の上ではもう秋だが残暑は厳しく、遠くで蝉の声も聞こえる。
なのにマスターは黒いジャケットを着てすいすいと歩いてゆく。私はやや足を速めてついていった。
大通りに出ると新型の路面電車(トラム)が走っていた。自動車は少ない。一部の好事家が未だにガソリン車に乗っているらしいが、今やガソリンは貴重品であり販売している店舗は少ないため、大半は新交通システムを搭載した自動運転の電気自動車だ。
大通りには何人かの歩行者と幾台かのロボットが散見された。ロボットは人型でないものがほとんどだったが、稀にメイドタイプのホームドロイドも歩いている。
近年人型のドロイドは限りなく人に近しい外見を有するようになった。最新の鏡音シリーズなど金髪碧眼の少年少女にしか見えないほどで、もし欧米諸国で私服で歩いていたなら発見は非常に困難だろう。そのため、人間と見分けのつくような外見上の特徴を持たせるべきだと言う議論がなされているが、現在のところは具体的にそう言った規制はない。
不意に一陣の風が逆巻いて私の緑の髪が踊った。
私もこの髪の色さえ黒や茶色なら人間に見えるのだろうか?
私はかぶりを振った。
機械が仮定の話をするなんてどうかしている。
マスターは大通りに設けられたトラムの停留所(ステーション)で足を止めた。
ステーションにはサラリーマンらしい一人の壮年の男性と二人の学校帰りらしい制服を着た女学生、三台のロボット、一体のドロイドが並んでいる。
一台のロボットは無脚型のクラーク(事務員)タイプでサラリーマンのサポートマシンだろう。
二台はペット型で女学生のものだろうか。30cmほどの大きさの愛らしいキャラクター型をしたマスコットロボット達だった。
ドロイドは自律運行中のメイドロイドらしい。古風なメイドドレスを身に纏ったこのモデルはスウェーデンのFXパワー社がクリプトン社と提携してこの夏に発売した新型モデル「Ann」だ。
海外有名デザイナーによる彫りの深い顔立ち、グラマラスなスタイル、舶来品の持つエキゾチックな造形が一部で人気だそうだ。
程なく一両編成のトラムが音もなくやってきた。
この新交通システムは路面に埋め込まれた電磁レールの上を無線受電しながら走るもので、ゴムタイヤがついており概ね運転者のいないバスのようなものだ。
扉が開くとロボットは専用カーゴに搭載され、ドロイドは人と同じキャビンに乗り込む。サラリーマンはクラークから受け取ったPDAを操作しながら、二人の女学生は談笑しながらキャビンに乗り込んだ。「Ann」がそれに続き、最後にマスターと私がトラムに乗る。
カーゴに搭載されるロボットは手荷物扱いになるため無料だが、ドロイドはキャビンに乗る為有料だ。
マスターの料金はマスターの持つカードから引き落とされ、私はゲートで個体認証番号を読み取られてマスターの口座から料金が別途引き落とされる仕組みになっている。
トラム内は比較的空いていた。先のサラリーマンと女学生、Annの他には二人の老人といってよい男性、そして30代くらいの女性が一人座っている。その先客たちの視線がちらちらと私とAnnに集まった。
ヒトそっくりのドロイドが普及して十余年。CVシリーズに依ってドロイドと言う存在がより広く深く認知され人口に膾炙(かいしゃ)したとは言え、人を象(かたど)る人ならざる機械ヒューマンドロイドとは、工業製品たるロボット達と違いまだまだヒト社会にとって好奇の対象であり、異質で奇怪なモノなのだ。
それから15分も走っただろうか。
マスターは降車準備を始め、トラムが停車すると同時にマスターは外に出た。
私もそれに付き従う。
いつの間にか周囲の光景が街区のそれになっている事に私は初めて気が付いた。
通常ならスタンバイモードであっても周囲の様子はモニタされるはずなのだが、よくよく私は落ちこぼれの不良品らしい。
こんなことでマスターのお役に立てるのだろうか?
そも、私は……声の出ない私はマスターの何のお役に立てるというのだろうか?
マスターは音楽を嗜んでいる様だが私は唄えない。
それとも安易に修理が出来ると踏んで購入されたのだろうか?
だとしたらマスターにとっても私にとっても不幸で惨めな話だ。
私にはマスターの意図は読めない。
私は人形。
私はマスターの道具。
たとえマスターの玩具となろうと私は私の務めを果たすだけだ。
それが道具たる物の宿命なのだから。
不意にサイレンを鳴らした幾台かの車両が傍らの車道を走り過ぎた。赤い車両は消防車のようだ。その音と色が私の意識を現実に呼び戻した。
マスターは私の前方で周辺を見回し、目当ての店を見つけたようだった。
そこは公式コスチュームを扱っているPCショップやDTMショップとは無縁の、年頃の少女たちの集まる普通のアパレルショップだった。
マスターは私が追いつくまで待ってから私を先頭に立てて店へと私を押し込んだ。何故かマスターの頬が赤らんでいたが、私にはマスターが私を先頭に立てる理由も頬を赤らめる理由も解らない。
時にニンゲンとは不可思議な行動をとるものだ。
店内は幾人かの客でにぎわっていた。そのいずれも十代から二十代の女性ばかりで、色とりどりの洋服を手に華やいだ笑顔を見せるのだった。
マスターは持っていたPDAに慣れた手つきでテキストを打ち込んで女性店員に見せた。
『この娘に似合いそうな服を数点選んでください。なお、ぼくもその娘も喋る事が出来ません』
店員は一目で私をドロイドと認識していたのだろう。怪訝な面持ちを一瞬見せたが、すぐに営業用スマイルで頷き、私の手を軽く引いた。
私はマスターをちらりと見たがマスターはふいっと横を向いてしまい、出入口付近から動く様子はない。
どうやらマスターはこの女性ばかりの空間が苦手らしい。
そう考えると私は何故か安定したようだった。
この安定感はヒトで言うところの『安堵』に近いものなのかもしれない。
ややあって選ばれた数着の服は美醜を解さない筈の私が見ても可愛らしいものばかりだった。
コサージュのついた浅葱色のドレス、クリーム色のサマーセーターとピンクのスカート、黒を基調にしたミニスカートとサイハイソックスにコーディネイトされたジャケットはマスターとお揃いだ。
秋らしいウォームグレイでまとめられたワンピースも屋内着として棄て難い。
マスターは散々悩んだようだが、結局全部買ってしまった。
私をジャンクショップでいくらで買ったのかは知らされていないが、服だけでもかなりの値段だろうに。
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