「俺は、ルカさんが無理っていうのに納得いかないけど。」
コーヒーと一緒に鳥海はそんな言葉をルカの前に置いた。穏やかな口調はそのままで、だけど、はっきりと不服の意志を明らかにさせているその言葉。常に穏やかな印象の人が放った、強い意志の言葉にルカが顔を上げると、鳥海がもどかしそうな表情でルカのことを見つめていた。
「ルカさんは好きなことを選ぶ人だと思っていた。好きなことを仕事にしても好きなことだけでは収まらないものだけど、それでも、空回りになっても、ルカさんは好きなことの為にまわり続けることを選ぶと思ってた。」
「そんなの、買いかぶりすぎです。」
鳥海の言葉に首を振るルカに、買いかぶるよ。と鳥海は諭すように、ゆっくりと強く言った。
「買いかぶりたくもなるよ。だって、俺は、本当にルカさんの歌声、好きだから。すごい上手いって思ってるから。」
そう言って今までに見たことのない、揺るぎない眼差しを鳥海はまっすぐにルカに向けた。
 強い言葉がまっすぐにルカのなかに入り込んで内側から揺らした。心に風が起こり、吹き荒れる。再び、世界が回りだす。
 だけど、夢など簡単に叶わない。高望みなどしないほうがいい。もっと現実的な未来を組み立てたほうが効率的だし、失敗がない分、幸せだ。
 それでも。
 夢を現実にしたい。夢を夢のままで終わらせたくない。ずっと歌い続けて生きたい。だって、歌うことが好きなのだから。
 だけど。
 どうすればよいか分からなくなり、ルカは視線を新しく差し出されたコーヒーに向けた。まだ湯気の立つそれを手に取り、だけど口はつけずにその白い湯気を見つめる。
 ぺらり、とルカの中で先ほどまで描いていた未来の青写真ははがれかけていた。そのはがれた向こう側は真っ白で、なにもない。
 あまりに真っ白すぎて、今までなんとなく予想していた安定した未来の図をはがすのが怖い。
 やっぱり。だけど。それでも。
 くるくると思考が裏返り、又裏返り、回りだす。まともに考えることができなくなり途方にくれたルカに、鳥海が大丈夫。と言った。
「俺は、ルカさんの歌声が好きだよ。」
優しい鳥海のその言葉が、とん、と軽やかにルカの背中を押した。
 どこか盲目的な感じのする、鳥海の言葉を全て受け入れてはいけない。自分の将来を他人の言葉で決めてはいけない。この優しい人の言葉だけにすがっては駄目。そう戒める気持ちがルカの中で警鐘を鳴らす。けれど。
 それでも鳥海からの言葉はとても嬉しくて。嬉しくて嬉しくて、くすぐったくも温かな気持ちが広がってゆく。
 くるくると、今ならば上手にまわれる気がした。
 ごくごく、とまだ熱いコーヒーを一気に飲み干して、ルカは決然と顔を上げた。
 昔の未来予想図を手を伸ばして強い力ではがした。
「坂本さん。」
あらたまった口調でルカは坂本に向き直り、頭を下げた。
「やっぱり、プロになりたいです。私に曲を書いてください。」
そう丁寧に頭を下げるルカに、坂本は本当に大丈夫?と意地悪く言ってきた。
「途中でやっぱり無理です。っていうのは無しだけど、大丈夫?」
そう茶化すように言う坂本に、思わず言葉に詰まって頬を赤くしたルカに代わって、鳥海が大丈夫だよ。と言った。
「大丈夫。ルカさんは大丈夫だよ。」
そう太鼓判を押す鳥海に坂本は吹き出した。
「お前が大丈夫って言っても仕方がないんだけど。」
そう笑う坂本に、鳥海もばつが悪そうに笑う。つられてルカも笑いながら、大丈夫です。と言った。
「大丈夫です。もう、諦めません。」
そう強く言うと、坂本も満足したようにうん。と頷いた。
 そう、大丈夫。自分の歌声が好きだといってくれる人がいるから、絶対に大丈夫。
 そう思いながら、ルカが、ありがとうございます。とはにかみながら鳥海に礼を言うと、鳥海も嬉しそうに微笑んだ。
 くるくると、少しずつおおきく世界はまわりはじめた。


 そして。
 5日後の昼間、ルカの元に坂本から連絡がきた。曲ができたから渡したい。という坂本の言葉に舞い上がり。その日の夕方にはそのデモテープと歌詞の書かれているプリントを受け取り。その足で、自分のアパートでうたの練習はできないので、カラオケに行って一晩練習して。その翌日一日中とその又翌日の講義をサボって練習して。
 そして水曜の夜にルカは、いつもの場所でそのうたを歌った。
 ちらりと、ルカが灯りのやわらかな光が零れ落ちる二階のテラスを見上げると、そこにはふたつの人影がルカのうたを待っていた。
 ひとつ、深呼吸をしてルカは口を開いた。
 伴奏のギターは、拙い技術では真似て演奏をすることができなかったから、伴奏なしでルカは歌った。
 ご飯を食べたりお風呂に入ったり最低限の休息をとったりとかはしたけれど。ずっと歌い続けていたから、喉が痛い。ずっと同じ音を追いかけて回り続けていたから、頭がくらくらする。
 それでもルカは歌った。これは私の「うた」だ。というキモチが、喜びが強くて、痛みや苦しみなんかどうでも良かった。
 掠れた声を叱咤して、既に体に染み付いてしまった音程を決しておろそかにせず、歌詞にルカの思考や感情を乗せて。
 うたを歌っていたら、くるくるくる、と世界がまわりだしたような気がした。くるくるくるくる。止まることなくまわる世界は、ほんの少しだけ息苦しくて、だけどきらきらとひかる世界だった。
 最後の一音をルカが歌い終えたとき、拍手が天から降ってきた。
 見上げた先のテラスで、ルカのうたを作った坂本が身を乗り出すようにしてルカに声をかけてきた。
「凄いね。予想以上だ。」
そう坂本は興奮した声で言う。
 ありがとうございます。とルカはかすれて小さくなった声で礼を言い、坂本の横に並ぶもう一つの人影に視線をやった。
 もう一つの人影、坂本よりもすこしだけ背の高いひょろりとしたその人影は何も言わず、ただ手を叩いていた。室内の灯りを背にしているため、その表情は読み取れない。だけど、大きくその手を叩いて、まるで光のかけらみたいな拍手をルカの頭上に降らせていた。
 きっと、鳥海さんは子供みたいに無邪気に笑ってくれている。
 そんな事を思ったら、何故だかルカにはくるくる回る世界の中心に彼が立っているような気がした。
 まわる自分が、ほんの少しだけ、中心に立っている鳥海から離れてしまったような気がした。

 そして、ルカのくるくるとまわる世界は、速度が上がっていった。

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はなうた、ひらり・6~ダブルラリアット~

閲覧数:111

投稿日:2010/02/04 22:49:17

文字数:2,664文字

カテゴリ:小説

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