<私的空想パレット・5>


「あいつが部活に来なくなったんだけど」

 そんな相談を受けたのは、昼休みに彼の姿を見かけなくなってから二週間くらいした時の事だった。
 私は鞄に教科書を詰める手を止めて、頭の中でその言葉を解読する。
 あいつ、つまり美術室のレン少年が部活に来ないって事かなあ。
 …え、いやその…私に一体どうしろと?
 「えっと、相談されても…」と抗議したら「ちぇー」なんていう返事が来た。うう、完全に面白がられている。

「いやぁ、ゴメンゴメン、リンからかうの楽しくって。実際のとこはそんなんじゃないみたいだけどさ。…でなくて、あの部活不登校少年の事でなにか気付いた事ある?」
「…ううん、そもそもそんなに一緒にいる訳でもなかったし」

 少し前にも同じような会話をした気がする。その時は「何かあった?」だったけど、結局聞かれている内容は一緒だもんね。
 私の返事に腕を組んで、彼女は渋い顔をして唇を尖らせた。いつも冷静な大人っぽい性格をしているから、年よりも若く見えるような表情をするとなんだか可愛い。

「んー、やっぱりいないと調子が狂うんだよね。今まで皆勤賞どころか時間外勤務までしてたから、変な感じ」
「風邪ちゃうん?」
「なぜエセ方言混ぜるのさ。まあ、多分それかねぇ」

 ふうー、と溜息をついて、そのまま立ち上がり際に「じゃ、また明日」と挨拶を放り投げる。
 またねー、なんて言葉を返して、私達もバラバラに帰途についた。普通は学校を出るくらいまではみんな一緒に帰るんだけど、今日は私が図書室に寄っていかなきゃいけなかったり他にも部活があったり職員室に用があったり、みんなそれぞれ用事があるから教室でお別れ。
 ちょっと寂しいけど、どのくらい時間が掛かるか分からないから待っててとも言えないし、これは仕方ないのかな。
 ―――でも確かに、どうしたんだろう。
 何となく足が美術室の方へ向く。その前で立ち止まったりするような事はなかったけど、つい部屋の明かりやドアの様子を気にしてしまう。
 今日も美術室の中に人気がないのを確認して、私は意味もなく頭を振った。
 彼にしても毎日来ていた訳じゃなかったのかもしれない。今までは偶然私の気が向いた時に彼も来ていた、そういう事なのかもしれない。
 部活だって気が向かなくて行かない日があったとしてもおかしくない。
 でも、やっぱり普通じゃないことなんだよね。それを考えると…やっぱり心配。
 体調でも崩したのかな。用事でも出来たのかな。
 それとも。

 ―――それとも。

 階段に差し掛かったところで、ふと私の足が止まった。

 まさか、私の話のせい?

 ふと頭を掠めた嫌な想像を、頭を振って追い払う。
 …いや…そんな訳ないよね。
 そう思いはするものの、私はいつの間にか手にした鞄を固く握り締めていた。革製の鞄の硬さが掌を通して伝わってくる。
 その強張ったような感触は、私を安心させてはくれなかった。




 私はとぼとぼと歩き慣れた道を辿る。はあ、と勝手に漏れるため息を抑える気にもならない。
うう、対人関係でこんなに悩んだのって凄く久しぶりのような気がする。それこそ幼稚園以来くらいじゃないかなあ、それからずっとなんとか波風立てずにやってきたし。…そこまで深い付き合いをすることがなかった、とも言い換えられちゃうけど。
 あ、いやでも彼とは深い付き合いしてる訳でもないし…?うーん…?
 混乱してきた頭をなんとか回転させていた私は、不幸にも前から近付いてくる人影に気付かなかった。

「リーンちゃんっ」
「ふゃぁっ!?」

 な、何!?何!?何事!?
 いきなり抱え込むような感じに抱き着かれて、一瞬だけ頭がパニックに陥る。
 ただし、それは本当に一瞬だけのこと。視界の隅に揺れている緑の髪で襲撃者の特定は簡単だった。

「…って、ミクちゃんか…凄くびっくりした」
「ごめんね、そんなに驚くとは思ってなかったんだ」
「ううん、私がちゃんと周り見てなかったから・・・ミクちゃん、どうしたの?うちに用事?」

 特に用事はないけど、と笑う笑顔がいつにも増して眩しく見える。
 いいなあ、私も高校生になったらこんな風になれるのかな。・・・そんな訳ないよね。
 落ち込んでいた気分がもっと落ち込む。ミクちゃんには何の非もないのに勝手に落ち込んでいる自分が情けなくって更に落ち込む。そんな自分が情けなくて・・・ううっ、無限ループだ・・・。
 とにかくミクちゃんに心配させるような事をしたくない。私は何とか笑顔を作って、その顔をミクちゃんに向けた。

「で、何をお悩みなの?」
「えっ!?」

 ―――なんで開口一番にポイントを突いてくるの!?
 思わず声が裏返る。ぎょっとして目を見開いた私に、ミクちゃんは余裕たっぷりに人差し指を立ててみせた。
 そんな仕草がさまになるのもさすがミクちゃん。どっちかっていうと高慢なはずのその仕草もミクちゃんがやると急に可愛くて爽やかな感じになるのが不思議だなぁ。

「ふふふ、ミクお姉ちゃんを侮るなかれ!まあさっきのリンちゃんの様子を見たら、何かあったのかって思うよ」
「う」

 そんなに分かりやすい感じだったの…?ちょっとショックかもしれない。
 勿論隠そうとしてなかったわけだけど、それは誰も見てるとは思わなかったからで、うん・・・

「よければ、話してみて?」

 私の様子を見たミクちゃんが優しく促してくれる。やっぱりミクちゃんって聞き上手だなぁ、って思いながらも、私はゆっくりと言葉を選んだ。

「え…と、あの、知り合いにこの間ちょっと悩みを話したの。それから、なんか、その人が部活にも出てないみたいで」
「ほう。…それはまた…」

 流石にミクちゃんも表情を曇らせ、言葉を濁す。
 重荷を口に出すのは、自分の心を楽にするんだっていう言葉が身に染みて分かった。不安な事について一緒に悩んでくれる人がいるのってとても心が軽くなる。
 ただ、忘れちゃいけないのは…最後は私がどうにかしなくちゃいけないって事。だってこれは、私の問題なんだから。

「違うだろうけど、もし私の話したことが原因で何かあったんだったらどうしよう、って」
「何か、って、その話の相手と喧嘩したとか?」

 そんな事を尋ねてくるミクちゃん。私は急いでそれを否定した。

「な、ないない、それはないよ!」

 だって話の内容って、ミクちゃん、きみ自身なんだよ!
 ミクちゃんは私の焦りなんて気付かずにまた考察を始めた。私も気を落ち着けてそれに加わる。

「リンちゃんを嫌って、って考えるにしては部活を休む意味が分からないし。その、リンちゃんとは昼休み位しか会わないような感じだったんだよね?」
「…うん」

 私は頷く。
 実際、彼とは美術室以外ですれ違う事も無かった訳じゃないけど、そんな時も挨拶さえしなかった。
 あの場所以外では、他人。
 私達の間には、そんな無言の了解が存在していたんだと思う。
 うん、それを言わなくても成立させていた私達って多少は似た者同士だったのかも。…だからって相手が何考えているのか分かるとか、そういう事もないんだけどね。
 ミクちゃんはなおも可能性を考えているらしく、ちょっと顎を引き気味にして首を傾げている。

「周りから質問されるのが嫌で、とかかなあ。その人ってそういうの欝陶しがるタイプ?」

 考えてみて、結局頭を横に振る。
 欝陶しがるかもしれないけど、寧ろ彼はそういうのは気にも掛けずに全部無視するような気がする。…分からないけど。

「じゃあそれは保留かなあ。…とりあえずその人が戻ってくるのを待ったほうが良いかもしれないよ。リンちゃんとは関係ない事情のせいって可能性もあるからね」
「うん…」

 やっぱりそうなるかぁ、と私は思わず肩を落とす。確かに推測ならいくらでもできるけど、結局は確かな理由なんて本人に聞かないと分からないものだし。ただし、素直に教えてくれるかは別として。

「ま、今はくよくよ考えないで!今学校の帰りなんでしょ?気分転換に甘いものでも食べに行こうか?」

 ・・・その言葉を聞いて、私は泣きたい気分になった。
 こうして気配りをしてくれるミクちゃん。親身になって考えてくれるミクちゃん。頭が良くて性格も良くて、きらきら眩しい私の従姉。
 やっぱりその白さは目に痛い。
 私じゃ辿り着けない、誰よりも綺麗な・・・

「ミクちゃんってほんとに凄いなぁ・・・」

 ミクちゃんは一瞬きょとんとした顔をして―――すぐにものすごく慌てた顔で激しく首を振った。

「えっ!?そんなことないない、全然ない!凄いってどこが?」
「えっ、・・・全部?」
「それはないよ!もう、リンちゃんってばっ」

 顔を真っ赤にしたミクちゃんは少し俯いてもじもじと指を動かす。
 やっぱり同性の目から見てもとんでもなく可愛いな、なんて事をのんびり考えていた私は、呟かれた言葉に反応するのが遅れた。

「私だって、これが素のままって訳じゃないよ。繕ってるところもあるし。…っていうか、私はリンちゃんみたいになりたいって思うのに」
「え」
「え、あ、ううん!なんでもないよ!・・・でもねリンちゃん、これだけは言っておくね」

 ミクちゃんは、少しだけ笑って私に向き直る。
 長い髪が柔らかく跳ねて、世界を鮮やかに彩った。

「どれだけ見た目には凄く見えたって、本当は全然特別じゃない人って沢山いるよ。逆だってあり得るし、その間をふらふらしてる人だっているんだと思う」
「・・・どういうこと?」
「つまり、可能性なんて無限大なんだよ!ってことさー!いわば、いろんな色の載ったパレットみたいな物だね」

 パレット―――。その言葉に急に心臓が揺れる。
 思い出すのは、あの静かな美術室。搾り出されたセルリアンブルー。
 滑らかな手さばきで表情を変える色彩。

「どれだけ色が混ざったって、油絵とかの場合、いっちばん下の色合いは変わらないんだからさ。その上にどう色を重ねるか、それ次第って事。混ざって変わるんじゃない、積み重なっていく物だと思うよ―――私はね」

 じゃあまた遊びに行くからね、という言葉をぼんやり聞きながら、私の目は遠くなっていく緑の影を見るともなく眺めていた。
 混ざって変わるんじゃない。積み重なっていく物。
 ―――そう、なのかな。
 心の奥のほうで何かが身動きをした。
 見開いたままの目が閉じられない。だって、今までそんなの考えたこともなかった。

 本当に、考えたことなんて―――・・・

 ひや、と首筋を撫でる風の感触に我に返る。私の足はしっかりしたもので、いつの間にか自分の家の前に着いていたのはちょっと驚いた。頭は働いてなかったのに、通学路って体で覚えている物なんだね、意外と。
 そうだ、ここでぼんやりしていたってしょうがない。家の中に入って、まずはそれから。

 とん、とん、とん。
玄関に続く階段を上りながら、私は今後について考える。
 今後・・・って言ったって、ミクちゃんも言っていた通り彼が学校に、じゃなかった、休み時間の美術室に復帰するのを待つしかない。

 …だけど、彼の接触を待つだけなんて、なんだか自分が情けないよ。

 私は、ぎゅっ、と手を握り締める。

 ―――明日、彼のクラスに行ってみよう。
 どう転ぶか分からないけど、それしか思い付かない。

 意を決して家のドアノブに手を掛ける。


 ―――どうか、この決心が明日まで崩れませんように。


 そう念じながら家に入る私の後ろで、暮れ始めた五時の空がパステルカラーに染まっていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

私的空想パレット・5

次で終わりになります!
今回のレンは出番なしでしたが、まあ、ラストに出番があるので勘弁してくれ少年。一応ヒーローさ!(似合わない・・・byレン)

でも個人的には空想パレットのパレットって水彩のような気がするんです。

閲覧数:295

投稿日:2010/11/24 08:45:53

文字数:4,816文字

カテゴリ:小説

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  • 翔破

    翔破

    コメントのお返し

    こんにちは!ゆーささん、いつも読んで下さってありがとうございます!
    おお、好きですか…!結構自分勝手に、というか自分好みに書き綴っているだけなのですが、他の方に良いと言って貰えると励みになります。嬉しいです!

    続きはもう少々お待ち下さい。そんなに日にちは掛からないはずです(^ ^)

    2010/11/27 15:15:14

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