第九章 陰謀 パート5
レンが商人からの略奪を終え、ロックバード伯爵の私室へと戻ったとき、それぞれの仕事を終えたらしいロックバード伯爵とガクポが少し疲れた表情をしてレンを迎え入れてくれた。疲労というより心労だろう、とレンが考えていると、ロックバード伯爵が話すことも億劫だと言う様な口調でレンに向かってこう言った。
「首尾はどうだった、レン。」
それに対して、レンは短く答える。
「上々です。」
これほど嫌味な報告もないだろうな、とレンは考えた。おそらく今頃はアレク隊長も略奪を終え、王宮へと帰還している頃だろう。それまで、暫く待とうという空気を感じて、レンはロックバード伯爵の私室の壁に寄り掛かった。ぞんざいな態度だとは感じたが、それに対してロックバード伯爵が咎める様子も無い。一番疲労したのは僕よりもロックバード伯爵なのだろうな、と考えながらレンはアレクの帰還を待った。しかし、一時間経ってもアレクは帰って来ない。いくらなんでも、遅すぎる。誰もがそう感じ始めていた。時刻を確認すると、二時半を指している。そろそろ、おやつの時間だ、と考えたレンは先にリン女王のおやつの手配を済ませてしまおう、と考えて、執務椅子に黙したままで着席しているロックバード伯爵に向かってこう言った。
「ロックバード伯爵、そろそろおやつの時間です。僕は先に失礼します。」
「分かった。」
ロックバード伯爵はレンに向かって短くそう告げる。その言葉を待ってから、レンはロックバード伯爵の私室から退出していった。レンの姿が私室から消えると、ロックバード伯爵はガクポに向かってこう言った。
「いくらなんでも、遅すぎるな。」
「確かに。」
ロックバード伯爵同様に疲労した表情でガクポはそう答えた。
「済まぬが、様子を見て来てくれないか。」
何かトラブルにあったのかも知れない、とロックバード伯爵は考えたのである。その言葉に一つ頷いたガクポは、長い紫がかった髪を靡かせつつ私室から退出していった。流石のロックバード伯爵であっても、これまで忠勤に励んできたアレクと、赤騎士団五十名が突如逃亡するとは全く計算に入れていなかったのである。
「随分物騒な格好ね。」
レンがリン女王の私室へと訪れた時、リンは一言目にそう告げた。本来なら執事服に着替えなければならないところではあったが、今日に限っては着替える時間が無かった為に軍服のままでリン女王の私室を訪れたのである。
「申し訳ございません。リン女王のご命令を実行しておりましたので。」
今日のおやつであるクッキーを長机の上に置きながら、レンはリン女王に向かってそう言った。その言葉で、リン女王は表情を明るくする。
「略奪?で、どうだった、成果は?」
「上々でございます。」
無邪気に明るく告げるリン女王に向かって、レンは明らかに無理な作り笑いを浮かべながらそう言った。僕の妹、かも知れないリンは、もう前の姿には戻らないのかもしれない。それはレンにとっては絶望以外の何物でもなかった。そもそも、リン自身も僕の妹かもしれないということは認識していないはずだった。ただ、無邪気に、自身の望むままに生きている。それが全てを不幸にしていることに気付くこともなく。
「良かった。これで国庫も潤うわ。」
リン女王はそう言って、満面の笑顔のままで軽く手を叩いた。最近のリンは妙に機嫌がいい。アキテーヌ伯爵が処刑されてからというもの、面と向かってリン女王に反対する人物は黄の国の王宮から姿を消している。それがリン女王の精神状態に良い効果を表しているのだろう、とレンはまるで他人事のように考えると、リン女王のティーカップに出来たての紅茶を注ぎ始めた。その様子を眺めていたリンは、ふと思い出したようにこう言った。
「もうすぐ、冬ね。」
そう言いながら、手にしていた栞を愛おしそうに撫でた。良く見ると、春にレンが作製したハルジオンの押し花である。摘まれたままの姿で保存されているハルジオンの押し花とは異なり、リン女王はすっかり変化してしまった。あの時、少し我儘だっただけの、愛おしい僕のご主人様は一体どこに行ってしまったのだろう。
「風が冷たくなっております。リン女王に置かれましてはご健康にお気をつけください。」
レンがそう述べると、リン女王は笑顔のままでこう答えた。
「そうするわ。その間、この押し花を見て気を紛らわせるから。」
リン女王はそう言うと、栞を長机に置き、そしてクッキーを一つ、手に取った。そのまま、口に運びこむ。おいしい、と嬉しそうな感想を述べたリン女王は、おやつを済ませるとレンに向かってこう言った。
「久しぶりにカイト王宛てに手紙を書いたの。レン、これを青の国に届ける手配をして頂戴。」
カイト王の事を未だに疑っていない。その子犬よりも無垢な表情に一瞬言葉を失ったレンは、それでも気を取り直すとこう言った。
「畏まりました、すぐに手配致します。」
リン女王の私室から退席すると、レンは酷い疲労を感じて廊下の壁にもたれかかった。リン女王は未だにミク女王がカイト王を誑かしたと信じているのだろう。そのカイト王からの連絡は遊覧会以来一切途絶えているが、それも政務が忙しい為だろう、と不思議と前向きにとらえている様子がある。左手で空になったおやつのトレイを支えながら、レンは右腕を額に載せて暫くの間呆然とその場所で留まっていた。その右手には今リン女王から預かったばかりの、カイト王宛ての手紙がある。とにかく、考えなければならないことが多すぎる。そして、後悔することが多すぎる。一体どれから片付ければいいのだろう、と考えたレンは半目に開いた瞳の先に、とある部屋があることに気が付いた。正確に言うと、生まれた時からその部屋の存在は認識している。ただ、最近は使用されていないから脳裏からその情報が抜けていただけなのだが、それでも今のレンにはその部屋はとても貴重な存在であるような気分に陥った。
その部屋は、前国王の私室。前国王が死亡してから使用されなくなった部屋だった。この部屋の奥に、もしかしたら僕の秘密が眠っているのではないだろうか、とレンは考えたのである。幼いころに記憶する前国王の姿の一つに、毎日欠かさず日記を記載する姿があったことを思い出して、もしかしたら、僕の事が書いてあるかもしれない、とレンは考えた。そして、鍵はどこにあるだろうか、と思考を巡らせる。王族の部屋の鍵は確か謁見室の隣の部屋、宝物庫にあったはずだという記憶を探り当てたレンは、このトレイを厨房に持ち帰ったらすぐに前国王の私室へと向かおう、と考え、少し急ぎ足で階下へと降りて行った。
一方、アレクの様子を探る為に南大通を南下したガクポは、結局アレクの姿を発見出来ないままで南正門に到達すると、南正門の衛兵が放った言葉に息を飲んだ。そして、確認するようにこう尋ねる。
「全員がオデッサ街道を南下して行った、と言うのですか?」
衛兵の言葉は簡潔だった。アレク隊長以下、五十名余りの赤騎士団がオデッサ街道を南下して行った、と言うことである。逃亡したのか、とガクポが気付き、彼にしては珍しく愕然とした表情を見せた後、ガクポは馬を反転させると全速力で王宮へと戻ることになった。いつの間にか城下町に増加している乞食が恨めしそうにガクポの表情を眺めていることには気が付いていたが、その視線にいちいち反応している時間はない。内壁南正門を通過した直後にガクポは半ば飛び降りるようにして下馬すると、ロックバード伯爵の私室へと向かって早足で歩きだした。その時、二階から階段を下りてくるレンとすれ違う。リン女王のおやつの時間は終了したのだろう、空になったトレイを手にしたままで、レンは不審そうにガクポに向かって声をかけた。
「どうしたのです、そんなに慌てられて。」
「レン殿。」
一言そう述べた後に、ガクポはその言葉を思わず飲み込んだ。今のレンにアレクが逃亡したと伝えればどう感じるのか。良い結果が出るはずがない、と考えたのである。今はこの少年に負荷がかかり過ぎている。アレク殿の件は我々大人が処理すべき問題だろう、と判断したガクポはレンに向かって僅かに微笑むと、こう告げた。
「何、アレク殿が少し苦戦していたので手助けしたまで。」
「そうですか。」
レンはそう告げると、それでは、と言い残し階下へと降りて行った。まだ疑うことを知らないのか、それとも深く考察するほどの余裕は持たないのか。余計な検索をされなかったことに一つ安心しながら、ガクポは先程よりも歩調を緩めて王宮の第三層に用意されているロックバード伯爵の私室へと向かうことにした。その後すぐにロックバード伯爵の私室に戻ったガクポは強い調子でこう告げる。
「ロックバード伯爵、アレク殿は逃亡した模様です。」
その言葉に、ロックバード伯爵はしかし、意外に落ち着いた表情で一つ頷いた。何かに納得したように、静かに。
「追手を差し向けますか?」
ガクポが更に言葉を続ける。さて、どうしたものか、とロックバード伯爵は考えた。先程の様子からもアレクが略奪命令を良しとしなかったことは分かる。かといって命令を実行しないままでは処刑されると計算したのだろう。残された道は逃亡しかないか、とロックバード伯爵は推測を立てたのである。
「放っておけ。」
ロックバード伯爵は、暫くの沈黙の後にそう言った。
「しかし。」
ガクポが不満そうにそう言った。
「構わん。追っても無駄だろう。」
ロックバード伯爵はそう告げた後に、酷く疲れたな、と考えた。もう赤騎士団を率いるに足りる人物は黄の国には存在しない。ガクポは剣士としては一流だが、軍の統率となるとアレクには及ばぬし、一時的に儂の直属部隊という扱いにするか、とロックバード伯爵は思索を回転させた。自身の行っている行為が全て無駄になってしまうのではないか、という暗澹たる思いがロックバード伯爵の心を覆い始めていることに気付きながらも。
時を同じくして、レンはロックバード伯爵の私室の上方に位置する部屋で、大きく息を吸い込んだ。前国王の私室、壁際に並べられた書架を一つ一つ確認していったレンは、ようやくの思いで前国王の日記を発見したのである。その日記の一つのページに記載された内容は、ある意味でレンの予想通りの内容となっていたのである。
○月×日
余に双子が生まれる。男児と女児である。先に生まれた男児の右手には痣があり、凶兆とのこと。ルカの進言通り、平民として育てることにする。
○月×日
余の子供たちに名を与える。
男児はレン、女児はリン。レンはリンの召使とする。
僕は、リン女王の、兄。
簡潔に記された前国王の日記を絶望感に浸りながら眺めていたレンは思わず床に膝をついた。僕の、妹。リンは、僕の妹なんだ。
直後に、涙が溢れた。どうしようもなく、戸惑ったままでレンは暫くの間、声を殺して泣き続けていた。
ハルジオン49 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】
みのり「第四十九弾です!」
満「一つのターンニングポイントだな。」
みのり「とうとうレンが真実に気が付いたね。」
満「この辺りは前作にないシーンが連続している。実はちょっとずつ軌道修正しているんだ。」
みのり「前作はこの作品だけで終わらせる必要があったらからラストに全部詰め込んだけど、今回はそう言う訳じゃないからね。
満「ということで今後の展開に期待してほしい。」
みのり「では、次回投稿でお会いしましょう!」
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