「古川ぁ。一緒に帰ろー」
軽音部の練習がない日、たいていミクは俺を廊下で捕まえる。
チャリ通の俺は、電車通学のミクの足みたいなものだ。

駅までの道を少しだけ遠回りすると、緑の茂った公園がある。
俺たちはここで他愛もないことを一通り喋ってから帰るのが決まりみたいになっていた。
「お姉ちゃん、ナベに振られたんだってー」
ナベさんは、ミクの姉ちゃんであるルカさんの彼氏だ。
「そっか」
「高校からずっと付き合ってたのに。ナベの影響でギター始めたのに。
 お姉ちゃん、あんなにきょにゅうなのに。」
ルカさんは音楽での海外留学を決めていて、彼氏のナベさんとここの所少しもめていた。
結局、別れてしまったらしい。
っていうか、最後の巨乳は関係ないと思うんですけど。
「ミクは?淋しくないの、もうすぐルカさんいなくなるのに」
「別にー?いなくなるんじゃないし。ちょっと遠くに行くってだけだもん」
こういう所、ミクのすごいところだと思う。
裏切られるとか、居なくなるとか、考えてもいないような、真っ直ぐな所。
ミクはあんなに細くて小さいのに、何か人の優しさや善意に対して、物凄く確信を持っている。
「むしろ巨乳が一人減ってあたしのコンプレックスが減るってえもんよ、古川君」
そうですか。
「…だけどナベと別れてから、仕方なかったって言いながら
 お姉ちゃんが毎晩泣いてるの、分かっちゃうんだよね」
ミクがブランコに乗って前後に振れながら喋るから、声が前後する。
「え、ルカさんて、泣くの?」
「意外でしょ。あたしもびっくりした。あのフリーダムなお姉ちゃんでも泣くんだって。
なんかナベとは半年ぐらい微妙な期間続いたし、今更別れるしかないのも分かってたから、
もっと前向きに別れられるもんなんだと思ってたんだよね」
晩夏の公園に、小さなため息をひとつ。木陰にツクツクボウシが鳴いている。
「辛そうで見てられないのに、何て声掛けたらいいか分かんないよ。
 ナベを一発殴って済む話なら、メイコ姉と今すぐにでもカチ込んでやるのになぁ」
カチ込むって…。
「…でも多分、そういう問題でもないんだと思う。
 あたしも恋をしてたら、お姉ちゃんの気持ち分かったのかな…」
当たり前に誰かを大切に出来るところ。
自分ならこうするじゃなくて、相手の為になるにはどうしたらいいんだろうと考えるところ。
そういう部分が、俺がミクを尊敬してるところだった。
ミクの気持ちを示すように、ブランコは小さく前後に揺れた。
「ねぇ、古川なら、どうする?」
「え、俺?」
今までずーっとほぼ一人で喋ってたのに、そこでいきなり俺に振るのか?
急に矛先を向けられてたじろいだ俺を、ミクがキッと見据えてくる。
いや、話はちゃんと聴いてたけど。
「そうだなぁ…。俺なら、ルカさんが納得するまで泣かせとくかな」
「うわ、サイテー」
即答かよ。
「だから彼女できないんだよ、古川は」
いや、彼女ができない理由はそうじゃないんだけどな。
「だって、泣いて、過去の自分を後悔したり、別れを切り出した彼氏を恨んだり、
 幸せだったなぁって思いだしたりとかしながらしか、そういう悲しみは乗り越えられないよ」
きっといつか、そういう日が俺にも来るんだろう。
「何その分かった風な答え。古川は好きな人いるの?」
「…、いないよ」
ほんの少しだけ、遅れてしまった俺の返事。
お前だって、ほんとは知ってるんだろ?
「…ふぅん」
ミクは気のないような素っ気無い声を返して、ブランコの上に立ち上がった。
「あーあ。あたしも恋がしたいなー」
お前、そんな勢い良く漕いだらぱんつみえるぞ。
見えても今更だけど。でも、見てもいいけど。
「オンナはみんなよくそう言うよな。恋ってするものなのか?」
好きな人に出逢って、それが恋になる。誰かとする恋が前提じゃない。
その人だから恋になるんだと、俺は思うんだけど。
「するもんだよ。そんでキラキラになるんだよ!」
「アホか」
俺の突っ込みは切り捨てて、ミクは勢い良く左足のローファーを投げる。
「あー惜しい!」
ミクは、以前から俺のチャリの前カゴにローファーを入れることに挑戦し続けている。
「お前、左足ばっかり投げるから、左のローファーだけ汚れてくぞ」
「右が利き足だから、左で立ち漕ぎは無理!」
「お前なぁー」
俺が靴を拾いに行くのに合わせて、ミクは振り子運動をやめる。
そして俺が差し出した靴を履いたらまた、揺れ出す。
現金なやつ。
だけどこうやって今、俺の隣で鼻歌を歌いながらのんきにブランコを漕いでいるミクだって、
いつか誰かに恋をするんだろう。
それがいつかは分からないけれど、その時は必ずやってくる。
そしてきっとその“誰か”は、俺じゃない。
「恋がしたいー」
だからその言葉はいつだって、小さいけれど確実な痛みを持っていた。
「あー分かった分かった」
勢いをつけて、ミクはふわりとブランコを飛び降りた。
長い髪が風に翻る。きれいだなぁ。
「古川、アイス食べたい!アイス!ファミマ寄って帰ろ!」
それはミクさん、暗に俺に奢れって事ですか?
「ガリガリ君奢って!」
そうですか。
「…しょうがないぁ」
だってガリガリ君って税込み62円くらいじゃないですか。それならしょうがない。
君のわがままは、いつだって僕を困らせない程小さいか、叶えようもない程大きい。
ホワイトハウスをネギ色ハウスにしてとかね。
そうやって、いつだって、君は優しい。
「俺だっていつまでもお前のお守り、してやれる訳じゃないんだぜー?」
俺の呟きが聞こえたかどうか、濃いツインテールの影が、「早くー」と俺を呼んだ。
チャリに乗れば、肩には当たり前の様にミクのその小さな手が載せられるんだろう。


季節は巡って、あっという間に秋になってしまっていた。
もうすぐ、学園祭。
軽音部のミクは準備に忙しそうだったけど、合間を縫って俺をやっぱり廊下で捕まえる。
「古川、おでん。ばくだん食べたい!ちくわも!」
それはミクさん、やっぱり俺に奢れって事ですか。
「セブン行こ。古川奢って!」
そうですか。
「…しょうがないぁ」
だって、ファミマよりちょっと遠いけど、セブンは今、おでん70円均一セールの最中じゃないですか。
それならしょうがない。70円くらいなら。
「もー公園は寒いねぇ。今度はマックにしよっかー」
制服のカーディガンの袖に隠した手におでんの入ったカップを持って、
ミクは左側のいつもの指定席に。
熱いだの旨いだの言いながら、二膳貰った箸で俺もミクの膝の上のおでんをつつく。
「あのですねー。あたし好きな人が出来ました。へへへ」
ミクは恥ずかしそうに笑った。
「…うん」
知っていた。
いつか本人が言っていた通り、ここの所ミクはどんどんキラキラになっていったから。
「じゃあもう、あんまこうやって遊んだりは出来ないな」
俺は思ったより当たり前にこんな科白を口にしていた。
このポジションに甘んじた時間が長すぎたのか、
いつかのルカさんみたいに身を切るような切なさはまだ感じなかった。
「でも、まだ分かんないよ。相手はすっごいカッコよくて、人気あるし。
 あたしなんか振り向いてもらえないよ、きっと」
「あぁ、確かにミクじゃなぁ」
「そこは嘘でも“大丈夫だよ”って言えよ!」
とたん、蹴りが飛んでくる。
「あ、バカ、おでん零れるぞ」
ミクはひょいとカップを持ち上げて、「大丈夫ですー」と笑って見せた。
そのままカップを地面において、ブランコを漕ぎ出す。
「……古川がこれで最後みたいな、寂しいこと言うからだよ」
少し拗ねて見せるミクは、相変わらず可愛いなぁと思う。
「応援してくれないのー?」
「してるよ。でも、それとこれとは別」
ミクに彼氏がいるかどうかが、問題なんじゃない。
ずっと二人でいたこの関係が、変わってしまうんだから。
「いつまでも一緒にいられる訳じゃないのは分かるだろ。ここからは一人で頑張りなさい」
「えー」
言うと同時にブランコの揺れに合わせてローファーを蹴り投げる。
「えー、じゃなくて」
やっぱり前カゴには入らなかったのを見て、ミクが小さく呟いた。
「届かないなぁ。」
わかってるくせに。
秋に色づいた木々に囲まれた静かな公園に、俺の呟きが他人事のように響く。
「……届いても届かなくても、ミクは好きなんだろ、その人のこと」
おでんで温まった息は、もう白くなり始めていた。
どこかで、5時を告げる鐘が鳴る。もう辺りは暗くなり始めている。

「…でも、あたしが居なくなって、古川は?」
「俺も一人で歩いてくよ。…何となく気づいてたと思うけど、俺は、お前が好きだったんだよ。ずっと」
ミクに訊かれる度、好きな人はいないと答え続けてきた。だけど、それはずっと嘘だった。
ミクは俺を、恋愛の意味では好きじゃなかったから。
かといってミクに他に好きな人がいた訳でもなかったから、俺もそれでよかった。
「……うん」
だけど、以前はどうってことなかった嘘が、ミクに好きな人が出来てから辛くなってきていた。
「お前は俺を選べないんだろ?」
答えはない。ミクは俯いている。公園のブランコに、伸びた影が二つ。
日もいつの間にか随分短くなってしまった。
「…じゃあ、しょうがないよ」
しょうがない。それは、いつだって君の小さなわがままを許してしまう自分への免罪符だった。
俺は拾ってきたローファーをミクの前に置く。
「ミク、帰ろう」
空になったおでんのカップを引き受け、開いたもう片方の手を差し出すと、
ミクは黙ってブランコの鎖を握っていた手を載せた。
柔らかな体温を持ったまま、動かないブランコにわだかまるミクの手を引き上げて、
公園の入り口にとめてあるチャリに向かって歩き出す。


そういえばいつか、あの気丈なルカさんも泣いていたっけ。
その後ルカさんは、ミク一家や元彼氏で現友人となったナベさんに見送られ、
笑顔で日本を発ったと聞いたが、今は海の向こうで一人、必死に歌の勉強をしているんだろう。
「ミクが俺じゃない誰かに恋をするいつか」は想像するだけでも笑えないと思っていたけど、
俺もいつか、ルカさんみたいに笑える日が来るんだろうか。


絡めずに握った指がゆるり解けて、きっとこの肩にミクの手が載るのはこれが最後なんだろう。
「ちゃんと応援してるから」
「…うん」


自転車を漕ぎ出す前にもう一度振り返ると、
何度となく俺たちを乗せて行きつ戻りつしたブランコがふたつ、
黄金色の夕陽を照り返して揺れていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

Alice(古川P)

この話のモチーフとなった古川PのAliceはこちらから⇒ http://www.nicovideo.jp/watch/nm7869327
向日葵さんのAlice(http://www.nicovideo.jp/watch/nm8004964)を
エンドレスリピートで聴いていたら浮かんだんだぜ。

古川Pの名前、勝手に借りて、しかも呼び捨てにして申し訳ないです。

前奏と最後に入ってる高い音はブランコの軋む音、
一貫してる伴奏はゆり動くブランコのように聞こえたのでこんな話が浮かびました。
でも、「黒く煤けて汚れた果実」は、組み込めなかった…。

Aliceというタイトルの意味を汲み取るために、Just Be Friendsも絡ませてみました。
夏には分からなかった事が、秋になったら分かるようになっていたというような。
ルカの彼氏「ナベ」君は、Just Be friends作詞・作曲のDixie氏の「Dixie=<英俗>大きな鉄鍋」より。
きっと本名は渡辺さんです(笑)
JBFの話も書いていたけどもう完全に乗り遅れたんだぜ。

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閲覧数:526

投稿日:2009/10/25 15:06:34

文字数:4,333文字

カテゴリ:小説

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    お久しぶりです、いちこさん。

    Aliceは大好きな曲なので、寝る前のおやすみソングとして聴いていましたが、ストーリーを思い描いてみることはありませんでした。
    そうですよね、歌詞をじっくり読み込むと、切なさとちょっぴりの強がりが見えるんですよね。

    特別な二人の場所とか、触れることの無邪気さとか、垣間見える優しさとか。本当に素敵なストーリーで、大好きです。じわっときました。
    新しいAliceの聴き方を教えてもらった気分です。

    JBFも是非是非載せてください!

    やっぱりいちこさんの大ファンな巫女でした。

    2009/10/24 22:37:31

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