気付けば眠っていたらしい。
リンは頭を上げると客の姿を確認しようとしたが、けれどそれよりも自分の格好に違和感を覚えて見下ろしてみる。
先ず思うのは、何故自分は襖などに体を預けているのだろうかということだ。
寝相が悪過ぎたにしても、布団から出ているでは済まない程度である。
それでもこの体勢で掛け布団は被っているのだから、不自然過ぎる――いや、よく見ればリンが被っているのは布団などではなく黒い洋服のような――軍服か。
「お早う、リン」
昨日の記憶が混乱しているリンに、誰かが声をかけた。
「え、あ…」
リンはその声の主を認めて、やっと昨夜起こった奇妙な出来事を思い出した。
あの後気付けば神威は壁に背を凭せたまま眠ってしまっていて、禿たちが気を利かせて布団の敷いているであろうリンの部屋に連れようとも思ったが、自分の力では廓の中を神威を引き摺って歩くのは不可能に思えて諦めたのだ。
それに、神威が起きた時に布団に入っていたのでは彼が困惑するのではないかと思った。
そして自分は神威の姿でも眺めながら夜を明かそうと思っていた筈が、どうやらリンも寝てしまったらしい。
窓から漏れる光の明るさではまだ出送りの時間ではないと思うが、一体今は何時なのだろうか。
今までも客の方が先に起きることはあったが、ここまで深く寝入ってしまったことなどなく大抵は客の立てる音にリンも目が覚める程度だった。
「朝八ツの鐘が先程聞こえたが、まだ周囲も静かだ…支障ない時間ではないか?」
初めての失態にリンがおろおろとしていると、神威はそんな彼女を見て静かに言う。
支障はなくとも、客に気を遣われるなど遊女失格である。
それを言えばリンが情けなどで彼に買われたこと自体が、既に彼女にとっていけないことなのかも知れないのだが――むしろ姐さん方からは、よくやったと褒められそうでもあるけれど。
「あの…神威さんは、いつから起きていたんですか?」
居畳まれないような気分を払拭しようとリンは話を変えるが、神威は「さあ」と曖昧に濁すだけだった。
――もしかしたら、眠ってなどいなかったのかも知れない。
男はまだ若く、初であるように見える。リンに気を遣わせないように狸寝入りをしていたのではないかと、ふと思った。
「起こして頂いても、構わなかったんですよ」
しかし勿論、それを彼本人に聞くなどと無粋なことは出来ない。
とすれば確かめる術などなく、話を流すしかなかった。
それは実際、遊女としてというよりもリン自身が、他人に寝顔を見られるなど嫌だと思う気持ちもあったのだが。
「いや、あまりに綺麗に眠っているものだから、起こすのも忍びなく…せめて布団までは運ぼうかとも思ったのだがな」
彼に寝顔を見られたのは、嫌だというよりも恥ずかしいのかも知れない。
リンがそんなことを思っていると、神威は苦笑のように笑いながら言った。
それはそうだろう、この部屋には寝具などなく彼にリンの部屋など分かり得る筈もない。
だから中途半端にも自分は彼の軍服を被っていたのかと納得をする反面で、綺麗に眠っていたなどと今まで聞いたこともなかったような言葉を聞いて狼狽える。
いつも悪夢を見ているという訳でもないから、今日に限ってぐっすりと眠ったということではない筈で。
ということは、この男の言葉の選び方が軟派であるということか。
彼の明らかに性質は硬派なのだろうが、どうにも言動が素である故におかしい。
「そんな、この布団は神威さんが掛けて下さったんでしょう?ありがとうございます…それだけで十分です」
しかし、そうそう狼狽えてもいられない。
リンは神威に頭を下げると、笑顔を作った。
――彼に媚びてどうするというのだろう、心の内では自嘲を溢したが。
「いや、このような言い方も好かないのだが…君は身体が資本――財となる元だろう?風邪でもひいてはいけないし」
それなのにこの男は全く懲りもせず、リンの身体などを心配するのである。
確かに廓では女の軆が財本なのだから、もしリンが体を壊した時果たして楼主が彼女をどうするかなど、考えずとも分かる。
「ありがとう、ございます」
それでも客の方が、しかも彼のような一見の客がそんな気遣いをするなどリンには覚えがない。
自身の汚さに辟易しながらも再度礼を述べると、朝七ツ時を告げる鐘の音が聞こえた――見送りの時間である。
昨日の気分を考えると、不思議な程にリンの心内の憂鬱さが違う。
勿論、神威の誠実に自己嫌悪を覚えたことは事実だ。
しかしそれでも、リン自身が彼の存在に癒されていたのだろうとは思い知っていた。
「神威さん」
「ありがとう、リン」
リンが声をかけると、神威は静かにそう言った。
いい加減慣れてきてしまっていたとはいえ、何も手を出さずに一晩自分の歌を聴いていただけで礼を言われては、驚くよりも流石に気が滅入る。
「こちらこそ、リンをお買い頂きありがとうございました」
今まで彼のような人間に出会ったことなどなく、神威はリンの人間に対する失望さえ救ってしまったような。
そんな気さえした。
「もう会うこともないでしょうが。お気を付けて」
「…リンも、息災で」
最後の言葉は、彼へのたった一つの牽制。
そしてリン自身が彼を期待などしないように、自分自身への予防線。
もう会うことはない――そんなこと、あってはならない。
感情と理性と打算は裏腹だ。
分かってはいても、リンには神威を堕とすなど何にもおいて御免だった。
廓を出ると、彼の上司である少佐が立っていた。
「どうだったかな?神威」
男は神威に気付くと、ニヤニヤと下卑た表情になって尋ねる――この男は一体何を期待しているのだろうか、彼にはさっぱり分からない。
「いえ、どうと言われましても…」
大体、付き合いだと割り切ってついて来たつもりだったが、仮にも少佐は国の軍の将校であり妻子もいる身分なのだ。
それを承知でこのような場所に来るとは、と心中では男に軽蔑の眼差しで見ていた。
しかも相手はまだあのように年端もいかない少女である。
文明開化だ西洋化だ、明治の世だと言ったところで、裏側ではこのような制度が未だ続いているものなのか。
「なんだ、あのような少女では不満だったのか?」
悪制に眉根を寄せていると、少佐は彼の言葉をどう勘違いしたのかまるで下世話なことを尋ねてくる。
「いや、そのような意味では…」
あまりの言い様に一瞬頭に血が上ったが、私事でどのような言動を吐こうとも男は神威にとって上司である。
声音を落ちつけて否定だけをすると、まあ噂が本当ならば不満に思うことなどない筈だろうなと今度は真逆のことを言われた。
「噂、ですか」
意味有り気な口調に聞き返せば、男はそんな神威を面白そうに見る。
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