序章 噂話
革命から五年が経過した。最悪の大飢饉に襲われた黄の国は、革命後順調に回復を見せている。
革命半年後、戦後の最難関と言われていた緑の国との和平交渉は、幼き紅蓮の鉄槌首領補佐役によって無事調印を成し遂げた。
更にその一年後、黄の国は再び王国として再建された。紅蓮の鉄槌首領が新生黄の国の初代国王となり、その補佐役と参謀役、そして旧黄の国の軍事統括者が幼い彼を支え、新たな国が始まった。
そして新生されて半年後、今では全盛期以上の力量生産量を誇り、大陸全ての国に農作物を輸出して潤沢な国の運営費を造り出していた。
新生されて首領補佐から時の宰相兼外務大臣となったレン=ハウスウォードにより、教育システムの抜本的改革が行われ、王都の真ん中に巨大国立図書館が造られた。その半年後、一定の学力があれば身分・年齢問わず入学できる、ベセスタ学習院が設立された。
ベセスタ学習院は留学生も受け入れ、特に学力の高い者には奨学金や学費免除制度が作られた。
こんなことがあってから、レン=ハウスウォードは十六歳の若さにして『学問の父』と呼ばれるようになった。が、当人にとって、国民に慕われていようと嫌われていようと知ったことではない。
国一番の頭脳と呼ばれている彼を今悩ませているのは、全く別の事だった。
「おはようございます、レンさん」
「おはよう、サリー」
メイドのサリーが朝食を広間に持って来た時、レンは既に身支度を整えて書類を捲っていた。傍らには普段の書類カバーとは違う、報告書に使うには酷く上質な紙束が置いてある。
「レンさん、もしかしてこれって」
女性なら誰でもときめくであろう可能性に、サリーは目を輝かせた。しかし、レン当人は気分が重くて仕方が無い。
「うん、お見合い候補のプロフィールだよ」
「レンさんも結婚するんですねえ」
そんなレンの態度は一切関知せずに、どこか納得したように頷くサリーだが、残念ながら彼女は大いなる勘違いをしている。
「僕の相手なわけないでしょ。全部イルのだよ」
朝食のトーストを口にひっかけながら、仕事の書類を読む速度を一切落とさずに訂正する。
「ああ、陛下のですか。説得成功したんですね」
「うん、やっと了承したんだけどね、いろいろ問題もあってね」
トースト一枚という質素な朝食を平らげた後、懐から様々な原色に染め上げられている錠剤を取り出し、水と一緒に流し込んだ。
「毎朝のことながら、毒々しい色ですねえ」
その様子を見てサリーが呟くが、レンは軽く肩をすくめただけだった。毒々しいとはよく言ったものだと思う。まさしく、文字通りなのだから。
成人してからというもの、レンは事あるごとにイルに王妃を決めるように要求してきた。しかし、国のためなら大抵の事は従うイルも、どうにもこれだけは頑として首を縦に振らなかったのだ。
いや、それだけではない。レン自身、イルに結婚を強制する気にはならなかったのだ。
理由ははっきりしている。イルの初恋とその末路を知っていて、その初恋の相手は他ならぬレン最愛の妹だったからだ。
できることなら、イルが自発的に次に進む気になるまで待ちたかった。しかしその願いは叶わず、数週間前にとんでもない噂話が国内外に広まっていることを、ヴィンセントから知らされた。
数週間前、イルの部屋にて。
「はあ? 俺が男色家!?」
謂れの無い、全くの事実無根。しかしこれが実しやかに囁かれているとなると、一国の長として無視できないものではあった。
「噂の出所は全くの不明。まあ、王宮内じゃないことは確かだね。ここの人間は、君が定期的に娼婦を呼んでるのは誰もが知ってることだし」
知的雄性生命体なら誰もが持つ、当たり前の性欲処理の相手として、それを職業としている女性を雇うのは当然のことだろう。余談だが、レンも利用している。
「なあんで、そんなことになるんだよ」
イルは不満そうだが、レンにはその理由の見当はついていた。
「君がうんざりするほど来てる求婚を、相手に会いもしないで片っ端から断ってるからでしょ?」
齢十四歳の若さで革命を成功させた英雄で、今や大陸で最も豊かな国の国王陛下。長身で誰もが認める整った顔立ち、更には剣術の天才となれば女性の注目を集めないわけもない。
レンが外務大臣として各国を訪ねる度、やんごとなき身分を持つ貴族令嬢とその家臣だか執事だか召使だかが、どうかよろしくとレンにプロフィールと簡単な似顔絵を渡すのだ。一応全てイルに持って帰っているが、イルはそれらを一瞥すらしない。
『貴方は、どんな女性なら気に入ると言うのですか!?』
断っていたにも関わらず、とある国のとある王女様はわざわざ黄の国にまでやってきて、イルにこう怒鳴った。本来こんなこと許されないのだが、政治的にどうしても無視できない相手だったのだ。だからこそ、相手もあっさり断られたことが余計に勘に触ったのだろう。
『金髪で、賢い女』
涙ながらに縋ってきたその王女様に、全く悪びれもしなかったイルの答えはこれだ。茶褐色の髪を持つ彼女のその時の顔は、般若と鬼を足して割ったかのようだった。
五年前の『悪ノ娘』処刑は、イルを恋愛に関して臆病にするには十分過ぎる出来事だ。そしてそれ以上に、イルはまだリンの事を想っている。
「金髪美女がいいなら、その方向で探そうか?」
その謁見の後でこう訊いたのだが、対するイルは似つかわしくない意地悪い笑みを浮かべた。
「お前と同じくらい賢い奴な」
この時点で、イルにまだ王妃を選ぶ気は無いらしいことは明白だった。ただでさえ黄の国の貴族くらいのものだった金髪の人間は、今や絶滅危惧種と言っても過言ではない。
自惚れるわけでもなく、その中でレンと同等の頭脳を持つ者は、それこそリンくらいだろう。
「で、その噂、消さなきゃ困るのか?」
「王族の威厳って言うのは、有って得することはあっても損はしないね」
もっとも偉大な英雄が、何も知らない国民達に笑われることになるのは、我慢がならなかった。
「消す方法は?」
「言わなくても分かってるでしょ?」
憮然としてしばらく思案していたが、最後に大きなため息をついてイルは頷いた。
「相手の情報、くれ」
唸るほどある求婚相手の中から、より国益になる者を集めた二十人分を手渡した。
「こんなに来てんのか?」
信じられないとでも言うように、イルはその山をぽかんと眺めている。
「一応言っとくけど、実際はこれの十倍。僕が政治的な観点から選抜したんだよ。もしこの中に気に入った人間が居なかったら、他も持って来るよ。じゃあ、決めたら教えてね」
レンはまだまだ多忙な身だ。政治のシステムを作り上げることはできても、その歯車となる人材が黄の国には著しく不足している。ベセスタ学習院の成績優良者を王宮に召し上げてはいるが、彼ら全員が使えるわけでもなく、レンが考案した全過程を理解してくる人間の絶対数がそもそも少ない。
「もう決めた」
さて仕事に戻ろうとした時、イルがプロフィールの山の一番上にあったものを差し出した。
「これ、こいつを呼んでくれ」
「冗談だよね?」
「まさか」
自分でも信じていないことを訊ねると、イルは当然のように否定した。
「読まないの?」
「そんなの読んだところで、人間なんか解りっこねえだろ」
「せめて似顔絵くらい見たら?」
「本人見て確かめる」
言いながら、自分の書類仕事に戻ってしまった彼を見て、もう言っても無駄であることを悟る。とりあえず、見合いをすることを了承してくれただけでも大きな進歩だった。
レンがプロフィールを開く。その人物を記憶して、閉じてイルの机の上に置いた。読むとは思わないが、側に置いておくべきだと思ったのだ。
「じゃあ、呼ぶからね。来た後で会わないなんてのは無しだよ」
プロフィールを閉じて再び退出しようとすると、またイルがとんでもないことを言い出した。
「ああ、でもなんか仰々しい護衛で来させないでくれな。従者とか、五人以下でいいや」
「冗談だよね?」
また同じ言葉が出る。六歳から十一歳までと十四歳から二十歳の今日まで、ずっとイルの非常識な発言に晒されてもう慣れてもいいと思うのに、いつも親友はレンの許容範囲の上を行くのだ。
「冗談じゃねえよ。なんで王族ってのはあーんなに多人数で移動するんだ? 金かかるだろ。こっちだってもてなさなきゃならんのだし」
黄の国の王族(現時点ではイルだけだが)も高級官僚(無論、レン含む)も、同等の経済レベルの国からすれば、とんでもなく質素な生活をしている。それが君主である、イルの一存であることは言うまでもない。
曰く、自分の面倒も見れん奴が、なんで国の面倒見れるんだよ。
人数を減らされて仕事の辛さを訴える使用人たちに、イルはこう言い放った。
「不満ならそこらの農民と代わってもらえ。あっちは喜んで仕事交換してくれるぞ」
いくら仕事量が倍以上になったとしても、農民の畑仕事から比べればどうということもない。それを証明した瞬間だった。
そのイルらしい方針は民心を大きく惹きつけたが、数カ月の後それに悲鳴を上げたのはレンとディーだった。無茶苦茶に多忙で、イルのような超人的な体力も持ち合わせていないため、日常の生活と仕事を両立させることは不可能だった。
過労死も大袈裟ではない。そう懇願した上で、レンとディーは専属のメイドを一人付けてもらっている。そして今ではイルにも一人付いているのだが、これでも旧体制からすれば使用人の数は五分の一以下で、この王宮は成り立っているのだ。以前がどれほど贅沢をしていたのか、レン自身ですら思い知らされた。
「君は剣術の達人だから、そう必要性も感じないのかもしれないけれど、世間一般の貴族はそうは思わないんだよ」
「んなもん関係ねえ。黄の国に入ったら、おっさんに責任を持って連れてきてもらうし、それを信用できないなら嫁になんて来なくていい」
「自国内の移動ってのもあるだろ?」
「自分の国の国民を信用できない奴が、外国に嫁げんのか?」
無理だろ。と言ってイルはけらけら笑う。不覚にも、イルの言葉にレンは反論できなかった。
「なるほど、一理ある、か」
確かに黄の国の王宮に住むなら、それまでの生活が一変することは間違いない。イルの事だ。王妃だからといって、そうそう贅沢を許すとは思えない。むしろ一層厳しく倹約させるかもしれない。
まあ、本当のところを言ってしまえば、イルに節約しているという意識は無いのだ。単純に育った環境から、あれこれ人にさせることを自然と思わないだけのこと。
そのイルの伴侶になるというのだから、少ない護衛で来ることくらい了承できなければ、まず務まるものではないだろう。
「わかった。そう伝えるよ」
納得して、了承した。そして今現在に戻る。
理屈は分かる。が、その交渉に苦労するのはイルじゃなくてレンだ。
「一国の王女にさあ、侍女二人以下。護衛二人以下で来いって、言わなきゃならんとはねえ」
価値のない弱音が漏れる。
「でも、そのお考えも陛下らしいじゃないですか」
サリーがフォローするが、それを理解してないわけじゃないのだ。
「まあ、そうなんだけどね」
今日はその打ち合わせのために、青の国の外交官が来る予定だった。何とか穏便に済むといいが。いや、済ませなければならない。
「さて、行ってきます」
朝食を済ませて、イルが起きるべき時間に合わせて部屋を出た。その時細剣を持つのも忘れない。一応王宮での高級官僚として、私室の前には歩哨が立っているが、目を合わせることもしない。
「おはようございます、宰相閣下」
そんな言葉が聞こえたような気がしたが、特に何も返さなかった。
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