「昨日人を殺したんだ」
雨が地面や屋根を打つ音がうるさいぐらい鳴っているのに、リンのその小さな声はよく響いた。
「レン」
全身ずぶ濡れなのに、涙が流れた跡がよくわかった。
「私、人殺しになっちゃった」
梅雨時で蒸し暑いぐらいだというのに、リンの体はひどく震えていた。
他の人たちより少し暗い人生を送っている以外は何の変哲もない高校生だった僕らは、この日、世界から切り離された。
ひとまずリンを家にあげ、タオルを渡し、体を拭いてもらう。服もびしょ濡れだが、リンに渡せる服は俺の普段着ぐらいしかない。少し戸惑いながらそれで構わないか聞くと、小さな頷きが返ってきたので、なるべくシンプルなものを選んで渡した。
場所を移動し、僕の部屋に置いてある小さなテーブルに向き合って座る。着替えている間に作っておいたホットココアを少しずつ飲みながら、ぽつり、ぽつりとリンは話し始めた。
「殺したのは隣の席の、いつも虐めてくるアイツ」
アイツ、という言葉が誰を指しているのかはすぐにわかった。僕自身は何の接点もないが、フルネームで言える。初音ミクのことだ。よくマンガなんかで見るような、クラスを巻き込んだり、人前でいじめたりするような奴じゃないから、実際にいじめられているところは見たことがないのだが、リンから話はよく聞いていた。
涙こそ止まっているものの、リンの目は虚ろだ。
──目は口ほどに物を言う。
何も映していない目は、今話していることが夢でも比喩表現でもなく、現実であり事実であることを雄弁に語っていた。
「私、図書委員で、昨日は当番だった。途中まで同じく当番だった子と二人で担当してたんだけど、予定があるみたいで、先に帰っちゃって。図書室を閉める時間になって、そしたら、アイツが入ってきて……」
リンはそこで言葉を切って、目を伏せる。俺は何も口に出さず、──否、出せずに、リンの言葉を待つ。
「また理不尽なこと言ってきて。そのとき、何かもう嫌になって、初めて抵抗した。アイツの肩を突き飛ばしたの。そしたら……多分、頭が棚に当たったんだと思う。本が上から落ちてきたんだ。ああ、やっちゃった、ぐらいにしか最初は思ってなかったんだけど、全然動く気配がなくて、おかしいなって」
「……死んでた、の?」
ようやく絞り出した声は酷くかすれていて、まるで自分から発せられたものだとは思えなかった。
リンは俯き気味だった顔をあげ、小さく自嘲した。どうしようもなく胸が痛かった。
「呼びかけても全然反応しなくて……血が、少しだけど、顔を伝って流れてるのが見えた。それを見て、私、何したと思う? ……逃げたんだよ。カバン持って、鍵かけて、何事もなかったかのように職員室に返した」
リンがココアを口に運んだのを見て、僕も自分用に持ってきた麦茶を一口すすった。何を言えばいいんだろう。どうするのが正解なんだろう。わからなくて、ただ黙っていることしかできない。
「……ごめんね。こんな話されても、反応に困るよね」
そんな思考を見透かしたかのような言葉にも、反応することができない。首を横に振るなんて、そんな嘘、きっとリンは望んでいないからだ。
だが、次のリンの言葉を聞いたとき、僕の頭はようやく動き出す。
「もうここには居られないと思うし、どっか遠いところで死んでくるよ」
無意識のうちにそらしていた視線をリンに合わせる。先程とは違って、決意を決めた瞳。一人の友達が、独りの少女が、消える。消えてしまう。
さっきまで絞り出していたのが嘘みたいに、スルリと、何もつっかかることなく、声が出た。
「それじゃ僕も連れてって」
その言葉は、端から見れば、泣いている少女に寄り添う優しい友人のように見えるのだろうか。だとしたら、その認識は間違いであると声を大にして言いたい。
リンと僕は似ている。容姿だとか性格だとか、そんなことではなく、生まれ育った境遇が似ている。だから、出会ってから、互いが互いに共感して、寄り添いあって生きてきた。リンがこの世に生きることを許されないのならば、僕だって許されない。リンが世界に別れを告げるならば、僕だって別れを告げる。
助けるためじゃなくて、一緒に死のうとしている奴のどこが優しいと言うのだろう。でも、僕の大切な友達を見放した世界で僕だけ生き続けるだなんて、想像しただけでも吐きそうなぐらいに気持ち悪い。リンがいなくなった世界を生きていくなんて、できやしないんだ。
あのあと、リンとは一旦別れて、遠くへ行くための準備をしてから、駅で待ち合わせすることにした。別れるまで、リンは何度も連れて行きたくないと言ったが、僕が折れないと悟ったのか、諦めと安堵を混ぜたような顔をして自分の家へと向かった。
父親が休日出勤で家に誰もいないのが幸いした。財布や台所から持ってきたナイフ、携帯ゲームをリュックに詰め込む。あとはタオルと通帳。その他にも役立ちそうなものや細々としたものを入れておいたが、リュックはパンパンにはならず、そこまで重くもなかった。
部屋全体を見渡し、忘れ物──というより、入れ損ねたものがないかを確認すると、机の棚に日記帳を見つけたので、パラパラとめくって読んでみる。毎日書いてるわけではなく、つらいことが重なって耐えられなくなると、はけ口として書き綴っていて、そのせいかなんとなく内容も似通っている。高校一年生から書き始めてるので、一応二年ぐらいは書いてるのだが。
中学生のときにいじめられた劣等感から、何か突出したものがほしい、周りより少しでも何か優れているものがほしい、と願った自分。結局努力すらできなくて、理想の自分になれなくて、やっぱり自分には何もないと無気力になった自分。周りみたいに上手く生きられなくて、どうしたら人並みに生きられるんだろう、と疑問に思った自分。
救いたかった。過去の自分──いじめられていたときの自分より、優れた人間になって、「もうあの頃とは違うんだよ」って。「いじめられるような子じゃなくなったんだよ」って。そうすれば、過去の苦しみから、別れられるって。
「そう、思ってたんだけどな……」
過去の自分を救えるのは、変わることのできた自分であると、今でも思ってるのに。少ししか頑張ることのできない自分が、変われるはずなんてなかった。
いじめという行為自体はいじめ「られていた」と過去のことにできるのに、そのときつけられた傷は「ついていた」と過去のことにすることができない。今でも治らない傷を抱えたままだ。
日記を破り、ゴミ箱に捨てる。
ごめんな、自分。僕は何も変われなかった。
誰もいない家に小さく別れを告げ、駅を目指す。一つの路線しか通っていない駅だが、急行が止まり、周りに店が多いからか人の往来が盛んだ。土曜の昼時、道行く人々は楽しそうである。
「ごめん、待たせた?」
「ううん、私もさっき来たばっかり」
そう言って微笑んだのもつかの間、リンは真面目な顔になり、「本当にいいの?」と問いかける。
「今ならまだ間に合う。私と一緒に来なくていいんだよ」
「リンは、僕を連れて行くのは嫌だ?」
そう返すとリンは困った顔をした。ずるい質問なのは百も象徴だった。リンは優しいから。
「いや、じゃない……。本当はダメなのに、心強いって思ってる自分がいる」
リンは少し逡巡し、覚悟を決めたかのようにこちらを見つめる。強い瞳だった。
「レン、私と一緒に来て」
「うん。連れて行って、リン」
ICカードをタッチし、改札の中に入る。
人殺しとダメ人間の君と僕の旅が、始まった。
あの夏が飽和する。【前編】
「昨日人を殺したんだ」
──これは、そんな一言から始まる、ある夏の日の記憶。
原曲様に加え、こちらのラフも参考にさせていただきました。
→https://soundcloud.com/trbjm0epjjkd/axg09oin2hhp?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=twitter
この作品はピアプロ・キャラクター・ライセンスに基づいてクリプトン・フューチャー・メディア株式会社のキャラクター「鏡音リン・レン」「初音ミク」を描いたものです。
PCLについて→https://piapro.jp/license/pcl/summary
今回は『あの夏が飽和する。』という楽曲の自己解釈小説を書きました。数年前から小説はプロットを書いてから本文に取り掛かるのですが、今回は結構勢いで書き上げた節があります。荒いとは思いますが、読んでいただけたら幸いです。
去年はボーマスに鏡音ととせ!と、初めてVOCALOID系のイベントに一般参加させていただきました。とても楽しかったです。皆様に触発され創作意欲が上がった……はずなのですが、完成までには結局時間がかかってしまいました。
いつかはサークル参加してみたいな……
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ゆるりー
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なぜ?誰に?
それが分からない
ただあの世界(ネバーランド)から無事帰ることができた今、私が感じた「ある違和感」をここに書き記しておく
私に「もしも」のことが起こった時
この手記が誰かの目に届きますように
-----------...ネバーランドから帰ったウェンディが気づいたこと【歌詞】
じょるじん
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