一度目の奇跡は、君が生まれたこと。
二度目の奇跡は、君と過ごせた時間。
三度目は――
* * *
「何だ、あれ? 島……?」
ウォータービークル(主に水上を移動するための、小型の乗り物)の中で、少年はモニターを注視した。ビークルの上部を覆う透明な屋根に荒波が打ちつけるせいで、肉眼では外の様子がよく見えない。現在地を点で示した海図によれば、付近に陸地などないはずだ。だが、外の景色を映し出す画面には、こんもりとした緑の影があった。
「とりあえず、上陸してみるか……」
くしゃりと金の髪を掻いて、少年は小さくひとりごちた。ビークルの制御システムを、慣れた手つきで操作する。自動操縦機能が対物レーダーで島を捉えると、ビークルは、上陸可能地点を探してなめらかに動きだした。
しばらく時計回りに島の周囲を巡ってから、進行方向を変えて陸地に向かう。切り立った崖に囲まれた島だが、小さな浜辺が正面に見えてきた。
船底が、ずず、と地面に当たる。間髪入れずに格納されていた車輪が走りだし、ビークルは二日ぶりに陸に上がった。
完全に車体が自ら上がったところで、ビークルは停止した。少年はロックを解除してシートベルトを外すと、ボタンの一つを押す。操縦席を覆っていた、半球状の覆いが開いた。少年はビークルから降りて、大きく伸びをした。久しぶりにしっかりとした地面を踏んで、足許がふらついた。
午後二時過ぎの空は穏やかに晴れて、砂浜は静かだ。島のすぐまわりはあれほど波が高かったというのに、浜に打ち寄せる波は小さい。周囲には人影も、生活の痕跡もなかった。
「地図に載ってない島なんてものが、本当にあるなんて……無人島なのかな……」
それなら、ずっとここにいてもいいだろうか。不可能だとわかってはいても、ちらりとその思いが胸をかすめた。
「とにかく、ちょっと歩いてみよう」
口に出してから、すっかり独り言の癖がついてしまったことに気づいて苦笑する。少年は座席の後ろからショルダーバッグを取り出すと、ビークルをロックして歩きだした。
砂浜になっているのはごく狭い範囲で、すぐそこまで崖が迫っている。上陸できる場所があったのは幸運だった。白い砂浜の先には、鬱蒼とした森が広がっている。
こんな、いかにも人の手が入っていない自然は初めてだ。少年は緊張した面持ちで足を進める。だが、森の入り口までやってくると、獣道というのだろうか、そこだけ下草のまばらな道が一筋、奥に続いていた。
「どうにでもなれ」
小さく叫んで気合を入れる。少年はその細い道を辿って、森の中へと入っていった。
三十分ほど歩いて、代わり映えのしない緑の景色にうんざりした頃だった。木々の間に、白い壁が見えた。
上陸してから初めて目にする人工物だ。どくりと心臓が脈打つ。少年はなるべく大きな音を立てないよう気をつけながら、足早に先を急いだ。
森の中に佇むそれは、大きな建物だった。否、建物、と表現するのが正しいのかも、定かではない。なにせ窓が見当たらないのだ。ただ、三階建ての建物くらいの高さがある、巨大な建造物だった。四角くて白くて、何の飾り気もない。こんなに無機質なものを建物と呼ぶのは、彼には抵抗があった。
白いそれに沿って歩いていく。車道ほどの幅が更地になっていて、これまでの獣道よりずいぶんと歩きやすかった。
一つ角を曲がったところで、前方に、張り出した庇と入口のようなものがあるのが目に入った。やはり建物だったようだ。念のため辺りを見回すが、やはり人の気配はない。他の場所に続く道や違う建物もないし、車が止めてあるわけでもない。少年は知らず知らずのうちに両手をかたく握りしめて、そろそろと入口に近づいた。
入口も白い不透明な素材で出来ていて、建物の中は窺えない。取っ手のないつるりとした両開きの扉だから、おそらく普通の自動ドアだ。
インターフォンや操作パネルの類は見当たらない。そうっと前に立つと、なんと、するりとドアが開いた。
「うわっ」
思わず大声で叫んで、はっと口を押さえた。その場で硬直する。背中にじっとり冷や汗が滲むが、数秒待ってみても何も起こらなかった。ドアはまだ空いていて、その先に透明な自動ドアが見える。二重扉になっているのだった。どうにでもなれ、ともう一度、今度は心の中で呟いて、少年は建物に足を踏み入れた。
左手の壁に、インターフォンのようなものがくっついている。銀色の四角いパネルの右上に、黄緑の光が灯っていた。近寄ると、パネルの中心に小さなカメラレンズが内蔵されているのがわかった。その下にはぽつぽつと、円状に小さな穴が並んでいる。
もう一枚のドアが開く気配はない。その向こうは薄暗く、反射が邪魔でよく見えなかった。少年は左の壁の、カメラレンズを覗き込んだ。
「虹彩認証……? なら開かな――」
うぃん。駆動音に、少年は言葉の続きを失くした。透明なドアが、するすると開いていた。
暑くも寒くもない快適な空気が流れてくる。導きいれるように部屋の電気が明るさを増し、少年は恐る恐る中に踏み入った。無意識に想像していた受付の類はなく、L字型に幅の広い廊下が伸びていた。
正面にまっすぐ続く廊下の先には、突き当りにドアが見える。その途中には、右側にもドアがあるようだ。少年が立っている場所のすぐの左手にも、ドアが一つ。一方、右に伸びる廊下は、一番奥に階段があるだけだった。少年はとりあえず、前に向かって歩きだした。
なめらかな硬い床で、スニーカーはほとんど足音を立てない。あいかわらず彼のほかに動くものの気配はないが、建物全体に、ぶう……んと低い音が響いていた。高い天井には何本もパイプが走っている。外で見たときは三階建てくらいと見積もったが、このぶんだとせいぜい二階建てのようだった。
「何だろう、ここ……」
少年は首を傾げた。いつの間にか緊張感はどこかへ行ってしまい、代わりに、胸の奥が少しずつ、きりきりと痛くなっていた。
「なんか、知っているような……そんなはずないけど……」
デジャヴ、というやつだろうか。白くそっけないばかりの景色なのに、どうしてか、懐かしさに似た感覚がこみ上げてくる。
廊下の半ば、右手のドアを開けたのは、ほとんど衝動に近い行動だった。
ぱっと部屋に電気が灯る。入って正面の壁は一面、幾つものモニターで埋まっていた。その下にしつらえてある広い机の上には、おそろしく古くさい形のキーボードが幾つか。一脚だけの回転椅子が、ぽつんと寂しげだった。
モニターは、点いていた。
何かの演算結果だろうか、文字の羅列が次々と流れていく。少年はふらふらと部屋に入っていった。回転椅子に腰を下ろして、画面に向かう。
ずいぶん前から、こうやって、この椅子に座っていたような気がした。
流れる画面を見るともなしに瞳に映す。ああ、ずっと、こんなことをしていた気がする。ここが、僕のいるべき場所のような気がする。
だったらもう、帰らなくていいじゃないか。
ふいにその言葉が浮かんできて、少年はぞわりと震えた。ずっと昔の記憶と今の記憶、忘れてしまったことと忘れたいこと、すべてが一時に頭の中で渦を巻く。
帰らなくたっていいじゃないか。だって僕にはもう、帰る場所なんてない。帰りたい場所なんてない。だって僕は、僕は、ぼくは――
僕は、ひとりだ。
「うあ、あ、ああ……あああ……」
整然と並んだ画面が歪む。ぼろぼろと熱いものが頬をすべり落ちていった。ずっと出てこなかったはずの、涙だった。
三度目の奇跡【前編】
――三度目の奇跡はなぜ、数百年の後に起こったのか?
この疑問に対する自分なりの答えはずっと、私の中で、ぼんやりと存在していました。
現在Twitterで、こっそり鏡音V4Xのカウントダウン(#ひとりで鏡音V4Xアドベント)をやっており、せっかくなのでこの妄想も、文章の形にしておくことにしました。
たまたま最初に聴いたボカロ曲の一つが『ココロ』でなかったら、今の私はいないでしょう。
トラボルタPとこの曲に、そしてジュンPのアンサーソングに、心からの感謝を捧げます。
【鏡音リン】 ココロ 【オリジナル曲】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2500648
【鏡音レン】ココロ・キセキ【孤独な科学者】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2844465
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