小説版 コンビニ パート2
「藤田、曲できた?」
翌日の放課後、サークルの部室を訪れた俺は沼田英司先輩にそう声をかけられた。紹介していなかったけれど、俺は一応サークルでバンドを組んでいる。バンドは高校生の時から。作曲を始めたのもその頃だ。その経験を生かして今のバンドでも作曲を担当しているわけだけど。ついでに言っておくと、藤田ってのは俺の名前だ。別に覚えてくれなくてもいいけど。
「すいません、まだっす。」
最近調子が悪く、どうも作曲に手が付かないというのが現状だった。なんとなく、ネタ切れなのである。
「まだかよ。サマーライブには新曲を発表するんだから、急いでくれよ。」
「分かりました。」
サマーライブは毎年七月に開催されているイベントだった。このサークルにとっても大きなイベントで、このサークルだけではなく様々なバンド団体が参加するイベントである。今年は全曲新曲を用意する予定だったから、少なくとも四曲を用意しないといけない。となると結構しんどい。今一曲もできていないのは困るのだ。
「お前の持っている、初音なんとかとかいうやつは作曲してくれないの?」
「初音ミクです。」
憮然として俺はそう言った。未だにミクをただの機械だと思っている人間が多くて困る。あいつは現実世界にいないだけでほとんど人間なのに。
「そうそう、初音ミク。」
俺のそのあたりの感情は一般人である沼田先輩には今一つ理解できない様子で、何事もなかったかのように沼田先輩はそう言った。
「ミクは歌うことはできますけど、作曲はできません。」
「そっか。残念。じゃとりあえず練習するか。」
沼田先輩はそう言うと愛用のベースを片手に立ちあがった。ファンの方、レフティモデルではないのでご安心を。
「じゃあ帰るか。」
練習を終え、大学に付属している音楽練習室の鍵を管理室に戻した沼田先輩は俺に向かってそう言った。他のバンドのメンバーは既に帰宅している。俺と沼田先輩だけ、男二人で寂しく帰宅の道を歩むことにしたのである。あたりはすっかり暗くなっていた。俺達と同じように、活動を終えた学生たちがぽつぽつと駅に向かって歩いてゆく。
「飯でも食うか?」
学校の敷地から出ると、沼田先輩はそう言った。沼田先輩は実家からの通いだが、よく飯に誘ってくる。親の料理が余りお気に召していないらしい。
「いいっすね。」
俺はなんとなくそう言った。どうせ家に帰っても一人だ。ミクは一応いるが、一緒に食事をしてくれるわけではない。
「じゃあラーメンでも食うか。」
沼田先輩がそう言った時、俺達は大学前のコンビニの前を通りかかった。無意識だと思うが、視線がコンビニの店内へと向かう。
いた。
俺は思わずそう思った。昨日のあの娘。お客さんがいないせいか、やや呆然とレジカウンターの前で立っていたのだが、その姿を見た瞬間に俺はどうしようもない気分に陥った。
「先輩、やっぱ、コンビニにしません?」
思わずそう言ったのは本能のなせる技だ。不可抗力だ。
「は?」
沼田先輩はそう言って奇妙な表情をした。そりゃそうだ。コンビニじゃ夕飯を買うことはできても食べることはできない。慌てて、俺はこう言い直した。
「ち、違います、ち、ちょっとジュースでも買おうと思って。」
我ながら下手糞な言い訳だと思いながら、沼田先輩の表情を見る。
「別にいいけど。」
その言葉の裏に変な奴、という要素が含まれていたような気がするが、とにかくも俺と沼田先輩はコンビニの中に入った。沼田先輩は特にコンビニに用がない様子で、すぐに書籍コーナーへと向かうと適当な雑誌を立ち読みし始めた。俺だって用があるわけじゃない。用があるのはあの娘なのだから。
とりあえず、無難にジュースにしようと思って俺はガラス張りの冷蔵庫の前に立った。念のため、財布を確認する。よし、今日は千円札がある。
それを確認すると俺はペットボトルのコーラを手にとってレジに向かって歩き出した。周りを確認する。よし、誰もいないな、と思って俺はあの娘の前にコーラのボトルを置いた。
「いらっしゃいませ。」
彼女はそう言いながら俺を見て、何かを言いたげに一瞬口元を緩めた。もしかして、昨日のことを覚えている?それだとしたら嬉しいやら悲しいやら。だけど、結局彼女は何も言わずに、マニュアル通りにバーコードを読み込むと、こう言った。
「百四十七円です。」
「はい。」
俺はそう言って千円札を彼女に手渡した。それを受け取った彼女が、まだ慣れていない手つきでレジを打ちこみ、お釣りを取り出す。まだ入ったばかりなのかな、と思いながら俺はなんとなく彼女の左胸に掲げられている社員証を眺めた。
藍原玲奈。
彼女のフルネームを確認すると、俺はその名前を三回ほど頭の中で繰り返した。忘れたら大変だとなぜか思ったのである。
「八百五十三円のお釣りになります。」
俺が脳内で彼女の名前を再生していると、藍原さんはそう言ってレシートと一緒にお釣りを差し出してきた。それを受け取る為に右手を差し出した時、彼女の指が掌に触れる。
柔らかい。
とりあえず、俺はそう思った。別に良くあることなのに、どうしようもなく緊張する。マニキュアも塗っていない彼女の指はひどく綺麗だった。
「またお越し下さい。」
お釣りを受け取ると、彼女はそう言って笑顔を見せた。営業スマイルとは分かっていてもどうしようもなく可愛い。もちろん、また来るに決まっている。
「分かりました。」
俺はそう言うと、名残惜しいがレジカウンターから離れることにした。そのまま、コンビニから外にでる。そこにいたのは沼田先輩だった。いつの間にか立ち読みをやめて、外で俺を待っていたらしい。
「すんません、待たせて。」
俺はごく普通にそう言ったつもりだったが、沼田先輩はニヤケ面で俺を見ながら、こう言った。
「あの娘が目的か。」
「な、何を言っているんですか!」
忘れていた。沼田先輩は色恋沙汰にひどく敏感なのだ。俺とは違って女性にモテるのもそのせいなのだろう。だけど、一発で見抜かれるとは思わなかった。
「ばればれなんだよ。あの娘がレジ打っている時、お前表情緩みっぱなしだったぞ。」
追い打ちをかけるように、沼田先輩はそう言った。
「そ、そんなことないですよ!」
「嘘つけ。とりあえずどんな関係なんだ?」
刑事ドラマの犯人役ってこんな気分なのかな、と俺は思わず思った。まるで尋問だ。
「な、何も関係ないです。」
「ほう?」
沼田先輩はそう言って嫌らしく笑うと、続けてこう言った。
「一目惚れか。」
「ち、違います!」
「いいじゃないか、藤田。お前彼女いないんだろ。」
「いません!」
「じゃあどうやったら彼女が口説けるのか考えないとな。」
「べ、別にそんなつもりじゃ・・。」
そりゃ口説きたいさ。でも沼田先輩といえどもそんなこと言える訳がないだろ。だが、沼田先輩では完全にネタにするつもりらしい。
「遠慮するなって!じゃ、飯を食いながら対策を考えるか!」
俺の意見はどうやら通らないらしい。沼田先輩は意気揚々とそう宣言すると、夜の街を元気よく歩き出した。
はあ。
思わず溜息をついた俺は、仕方なく沼田先輩の後ろをついてゆくことにしたのである。
ようやく俺が先輩から解放されたのは深夜も十一時を回った頃だった。夕飯だけの予定だったのにいつの間にか酒が入り始めて、その後沼田先輩は終始ご機嫌に自分の女性に対する戦績を長々と語り始めたのである。人の話を聞くのは疲れるな、と思いながら、自宅に戻った俺は僅かに酔ったままパソコンの電源を入れた。
「マスター、いつまで遊んでいるんですか。」
今日のミクの一言目がこれだ。ご機嫌斜めという表情である。
「飲んでいた。」
「野菜ジュースですか?」
どうやら昨日からミクは野菜ジュースにはまっているらしいな、と思いながら俺はこう答える。
「野菜ジュースじゃない。お酒。」
「お酒ですか?じゃあ楽しかったんですね?」
「楽しい?」
「はい。だってお酒を飲むと楽しくなるってサイトに書いていました。」
「楽しくない時もあるんだよ。」
とりあえず、今日のお酒は疲れたな。
「楽しくなかったのですか?」
「まあね。」
「じゃあ曲を作りましょう!楽しくなりますよ!」
ミクは期待を込めた目で俺を見つめた。その曲ができていないことも俺の憂鬱の原因の一つだ。サマーライブどうしよう、と俺は思ってふと、ミクにこう尋ねてみることにした。
「ミク、お前は何か歌いたい曲はないの?」
練習の時に沼田先輩が言っていたことを思い出したのだ。一応、ミクのプログラムには作曲機能は備わっていないことになっている。でも、ミクはここまで感情豊かに話す人格を持っている。なら、もしかしたら作曲だってできるかも知れない。俺はそう思ったのだが、ミクはきょとんとして俺を見つめた。
「どうした?」
「え・・だって、そんなこと、考えたこともなかったから。」
「考えたことが無い?」
「はい。私はマスターの作成した曲を歌う。それだけの存在です。」
「そんなこと言うなよ。好きな曲があるなら、歌いたい曲があるなら言ってくれ。作詞だけでもいい。曲は俺が作るから。」
「なら・・考えてみます。」
ミクはそう言うと、悩むように腕組をした。パソコンの冷却ファンだけが室内に響く。
「一つ、いいですか?」
しばらく沈黙してから、ミクはこう言った。
「何?」
「私、人間のことはよく分かりません。でも、好きな人がいるってことは素敵なことだと、どこかのサイトで見ました。」
「うん。」
「好きという感情がよく理解できないけれど、その感情を歌にすれば理解できるような・・そんな気がするんです。」
「好きな人、か・・。」
俺はそう言いながら自分の後頭部に両腕の掌を載せて、そのまま身体を後ろに逸らせた。軽く伸びた体に心地よさを感じながら、俺は考える。
藍原さんへの気持ちを曲にしたら、いい曲が書けるのかな?
そう思いながら、しばらく考える。
「マスター?」
沈黙したまま思考し始めた俺に向かって、ミクが不安そうにそう言った。
「大丈夫。少し、考えているから。」
俺はそう言うと、頭の中で歌詞を考え始めた。
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