幼き誓い
長い廊下を進み、上の階へ続く階段を休み無しで上り、リンとレンはついに階段が終わる場所までたどり着いた。
閉じた状態の扉の前で二人揃って息切れし、膝に手を当てて体をかがめて息を整える。
「屋、上……?」
「そう、だよ……」
一足早く息が戻ったレンはリンが落ち着くまで待つ。しばらく経ってリンの息が元に戻ったのを確認し、レンは普通のドアよりも重い扉の片側を押し開けた。
吹き込んだ風で髪がなびく。戻ろうとする扉を全身で押さえながら、レンは何でもないように装ってリンを呼ぶ。
「先、出て」
手伝おうかと言われたが、一人で平気だと意地を張る。精一杯なのを知られたくないので早く通って欲しい。ちょっと辛くなって来た。
ようやくリンが外に出て、レンも屋上に足を踏み入れる。大きな音が出ないよう慎重に扉を閉めた。走り回れるほど開けた場所で、レンは一直線に欄干の傍まで移動する。
「こっち来て!」
入り口近くで立っていたリンを手招きする。リンは初めて屋上に来たはずだから、ここからの景色を見た事もないはずだ。
どうしてそんなに幸せそうな顔をしているのか。リンはそんな疑問を持ちつつもレンの隣まで歩き、背伸びをして欄干の向こうにあるものを見た。
「うわぁ……」
感嘆の声を聞いて、リンと同じ姿勢になったレンが得意気に言う。
「凄いでしょ? ついこないだ見つけたんだ」
王宮から見える王都はいつもと変わらない。だけど、屋上からでは見え方が全然違った。
高い。そして広い。自室の窓からは見えなかった建物や、街を行き交う人々が一望出来て、人々の活気溢れる声が風に乗ってかすかに聞こえて来る。たまに王宮を抜け出して遊びに行く海岸も見えた。
レンは欄干に手をつけて、リンに顔を向けて話しかける。
「綺麗だよね」
「うん。凄く綺麗」
リンの表情は明るく、暗い気持ちはどこかに行ってくれたみたいだった。良かったと思いながら、レンは顔を正面に戻す。
「父上は、ここから見えるたくさんの人達を守っているんだ」
王都だけじゃない。この国に住んでいる人達が幸せに暮らせるように頑張っている。そう語られ、リンは街から視線を離して顔を隣に向けた。レンは真っ直ぐ前を向いたまま告げる。
「……僕は、強くなる」
「うん?」
不思議そうにこちらを向いたリンを一度見て、レンは背伸びを止めて欄干から手を離す。リンもそれに合わせて踵を下ろし、レンと正面から向かい合う。
「父上も、母上も、リンも、メイコ先生も……。この国のみんなを守れるくらい強くなりたい。……父上みたいな立派な王様になるんだ!」
王宮最上階に王子の誓いが響き渡り、リンは呆気にとられて目を丸くする。
レンはこの国の王子。つまりは次の王様になる子だ。先に生まれたのはリンではあるものの、王位継承は男子が優先される。その為、双子の姉であるリンは第二王位継承者と言う立場だった。
不満が全く無かった訳じゃない。しかし、リンは僅かに残っていた悔しさが消えて行くのを自覚した。
レンは誰かに教えられた訳でもなくこの場所に来て、王様が守っているのは何なのかを自力で見つけ出して夢を語っている。
きっとなれるよ。リンが口を開こうとした瞬間に影が差して暗くなり、男性の声が割り込んだ。
「ほーう。レンは父上みたいになりたいのか」
感心と嬉しさが混じった低い声を聞き、リンとレンが一緒に振り向く。背の高い男性がいつの間にか傍に立っていた。
そよ風に金の髪を揺らし黒い瞳で優しく自分達を見下ろしていた男性へ、リンとレンは同時に声を上げる。
「父上!」
お仕事は? と聞くと、今は休憩時間だから問題ないと返された。リンとレンの父親である黄の国の王は、双子の頭に手を乗せて楽しそうに口を開く。
「いい景色だろう? 俺もこの場所が好きだ」
「父上も?」
「ああ」
リンが驚いて聞くと、王は体をかがめて二人に目線を合わせる。
「昔……、子どもだった頃にここからの景色を見て、レンと同じような事を思ったよ。『自分がこの国を守るんだ』ってね」
へぇ、とレンは漏らす。自分が見つけた場所をとっくに知っていたのは悔しいが、父も同じ事を考えたと思うと何だか嬉しい。もっと話を聞きたいと思った時、街の教会から鐘の音が聞こえ始めた。
優しく心地好い音は屋上で聞くとまた違う。しかし、聞こえ方に意識が向いたのは一瞬だけだった。
「おやつの時間だ!」
「おやつの時間だね!」
レンは質問をしようとしていたのを忘れて声を弾ませ、リンも笑顔ではしゃぎ出す。
「父上、早く行こう!」
王の右手をリンが、左手をレンが握る。三人並んで屋上の出入り口へ歩きながら、レンは空いている自分の手を見た。
所々にまめが出来ている掌は、大きくて厚い父の手に比べればずっと小さくて頼りない。軽い木剣を使っているのも、刃の無い模擬剣を持つ事がまだ出来ないからだ。一度だけ訓練場に置いてあった模擬剣を使ってみた事があるが、重さと長さが体に全く合わず、剣に振り回されて終わりだった。
それでも、とレンは左手を拳にする。僕はこの手で大切なものを守れるくらい強くなりたい。今はメイコ先生に歯が立たないけど、いつかは超えてみせる。
「二人とも、おやつを食べるのは手を洗ってからだからな?」
頭上から聞こえた声でレンは我に返る。良く考えてみたら、稽古を終えてから着替えていない上に木剣も腰に挟んだままだ。
「はーい」
レンは素直に返事をして王宮内へと戻り、転ばないように注意しながら階段を下って自分の部屋がある階に到着する。廊下をしばらく歩いて分かれ道に差し掛かり、王は再び体を屈めた。
「じゃあ、父上は仕事頑張って来るからな」
王は双子を抱擁してから執務室へと歩いていく。遠ざかる背中に手を振って見送ったリンとレンは、父と正反対の方角へ足を進める。
「今日のおやつは何だろうね?」
隣にいるリンから聞かれ、レンはそうだなあと呟いてから答える。
「ブリオッシュだと良いな」
他愛ない会話をしながら廊下を歩き、しばらくして自室に到着する。ドアの前には、王宮に仕えるメイドが小さな台車と共に立っていた。
リンとレンはおやつを用意してくれたメイドに礼を言って部屋に入る。洗面台でリンが手を洗っている間、レンは木剣を部屋の隅に置き、着替えながら何気なく部屋を見渡す。
生まれた時からずっと二人で一緒に部屋を使っているが、十歳になったらそれぞれ別の部屋になる事が決まっていた。何年か前にその話が出た時、別々の部屋になるのは嫌だとレンが大泣きし、宥めようとしたリンも釣られて泣き出して大騒ぎになった。
後二年か、とレンは軽く息を吐いた時、早くしてよとリンから声をかけられた。
「レーン。まだー?」
「もうちょっとー!」
とっくに準備を終えて席に着いていたリンに急かされ、着替え終わったレンは大急ぎで手を洗う。リンと向かい合うように座り、テーブルの上に置かれたハンドベルを鳴らしてメイドを呼ぶ。レンは時間に少し遅れてしまった事を一言謝り、テーブルの上におやつと飲み物を準備してくれたメイドに礼を言う。
「いつもありがとう。下がっていいよ」
「はい」
メイドが退室し、リンとレンは目の前に用意されたおやつを見て笑い合う。
「今日のおやつは」
「ブリオッシュだ!」
鼻歌交じりに言ったリンの台詞をレンが引き継ぎ、二人は再び笑顔を見せ合った。
剣の稽古をつけてもらって。母上のお見舞いをして。立派な王様になる為の勉強をして。
二人で悪戯をして怒られて。おやつを食べて笑いあって。たまにこっそり王宮を抜け出して。
この毎日がずっと続くと信じて疑わなかった。
あんな事が起こるまでは。
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