見上げてから、扉に手をかける。予想外に鍵は掛かっていなかった。回り込むように作られた廊下の、左側に見えてきた扉を開けた。
足音で気がついたのか、待ち構えるように立っている人物を見て、目を見開いたまま固まった。
肩口まで伸ばされた髪を後ろで結び、従者服に身を包んだ少年――否、少女が泣き腫らした目でイルを見据えていた。
「……リン、だな?」
喉まで出かかった、つい数時間前に自ら殺した大親友の名を飲み込んで、時計屋で紹介された愛称で彼女を呼んだ。憎くて仕方がなかったはずなのに、目で見た瞬間イルの心に湧いたのは憐憫だった。
レンは言っていた。彼女の正常な判断力を奪い、暴君王女に仕立て上げたのは自分なのだと。
どうせ、イルから妹を守るために嘘だと思っていたが、もしかするとそうでもないのかもしれない。まあ、どちらにしろ親友が命を賭けて守った者だ。イルはそれこそどんな手を使ってでも彼女を守らないわけにはいかなかった。
約束したのだ。そしてこれはレンが最期に望んだことでもあった。
リンを守ってほしい、と。
リンがイルの養父を殺したことを、許してやってほしいと。
懇願された時は途方も無い事だと思ったけれど、リンを目の前にしていると、できないことではないような気がした。
「イル、ね。久しぶり」
掠れた声でリンが返す。その眼に色濃い悲哀はあっても、どこか覚悟を決めた強い光も覗えた。
「今からレンを葬る。ついて来い」
それだけ言い置いて、すぐに踵を返した。彼女の腰には見覚えのある細剣が吊り下がっていることにも気がついていたが、頓着することなく無防備に背中を晒していた。
全く気にかけることなく進むイルに、リンはバタバタと何物かをひっつかんで駆け足で付いて来た。イルの二歩分くらいの距離を保ち、大人しく歩き続ける。
「昼、外に居たのか?」
酷く解りづらかっただろうが、この問いはリンがレンの処刑現場を見たかどうかを尋ねていた。相手も察してくれたらしく、唇をかみしめる音が聞こえた後、細い声で呟いた。
「レンが、絶対来ないで欲しいって言ったの」
「へえ」
興味のないように空虚な反応をしながらも、レンの痛々しいまでの覚悟を改めて見た気がした。
大切に、していたんだな。
言外に呟く。ハウスウォードの家で住んでいた時、レンの口から実の家族の事を聞いた記憶は無く、レンが彼らを憎んでいたことを知ったのも、あの大粛清の夜の事だ。もっとも、その時はそんなこと驚いている余裕は無かったが。
イルにだって、己を物のように捨てたハウスウォードの両親を恨む気持ちは少なからず存在した。ただ単純に、ハウスウォードの人間として、自分があまりにも相応しくないことを自覚していただけで。
平民の生活も、直ぐに実家よりも心地よく馴染んでしまったイルには、それ以上彼らに対する気持ちが思い浮かばなかった。
「あの、首と身体を繋げたいの」
レンの亡骸を見て、そっと首を持ち上げてから、リンはそう切り出した。その手にはひっさげた皮鞄に入れていたであろう、裁縫道具が握られている。出かける時のどたばたしていたのは、これを持ってくるためだったらしい。その周到さはまさしくレンの妹らしい。
「好きにしろ。何ならしばらくどっか行ってた方がいいか?」
イルなりの気遣いだったが、リンは首を横に振った。
「いえ、できればここに居て欲しいわ」
針に糸を通しながら、目から既に涙が流れ始めていた。
「わかった」
リンが嗚咽を零しながらも、丁寧に作業を進めている間、イルはスコップで穴を掘り始めた。
リンの泣き声を聞きながら、イルは何もまともな布製品を所持していないことに気が付き、焦っていた。ハウスウォードで、うんざりするほど繰り返された教えをさっぱり守っていないことを、これほど後悔したことは無い。
代用品を探そうにも、泥だらけの手は論外として、埃まみれの外套も彼女の白い肌を汚すだけであることは、あまりに明らかだった。
俺って、進歩ねえなあ。
十分な深さと広さの穴を掘り終えてしまい、万策尽きて結局成す術なく声をかけるしかない。諦めてリンに視線を向けると、既に縫合を終えた彼女は、レンの身体に衣服を掛けていた。それが見慣れないデザインをしていることに気づき、イルは目を凝らした。
「それって」
「昨日の夜、ヴィンセントが投降する直前に、わたしとレンの肖像画を描いてくれたの。服はずっと前にわたしが取り寄せておいたんだけど、絶対に着てくれなかった。でもその時、その時だけはこの服を着てくれたのよ」
リンの顔が歪み、服に透明な染みができた。
リンがレンの身体に合わせるように置いたのは、普段彼が着ていた従者服ではなく、歴とした王族が着る、上質で凝った作りのものだった。更に、リンは皮鞄から二つの懐中時計を取りだした。
一つは見覚えのある銀時計、もう一つはイルの知らないものだった。
すぐにレンに持たせると思ったが、左右の手に一つずつ持ったそれを交互に眺めて、リンは何かを決めかねているようだった。
「持たせてやるんだろ? それ。なんで二つあんだ?」
「時計屋で、修理に三日かかるって聞いたから、新しい時計を買ったの。わたしのブローチと交換してもらったのよ。レンはできればどちらかを自分に持たせて、もう一つはわたしが使っていいって言ったの。でも、どっちにすればいいかまだわかんないの」
「せっかくなら、お前がやったやつ持たせてやればいいんじゃないのか?」
イルの提案に、リンは意外そうに顔を上げた。
「でも、こっちは貴方との揃いなんでしょう? 貴方は気にしないの?」
言ってることは事実だが、気にするの意味がイルにはよく解らなかった。
「気にするって、何がだよ」
「だから、そんな大切な時計を、わたしが持っててもいいの? わたしは」
「俺の義理の親父を殺した。俺の目の前で、な」
リンが言っていることが分かり、イルは座り込んでいるリンを見降ろして言ってやった。意図したつもりは無いのだが、思った以上に冷たい声になり、びくりとリンの肩が震える。しかし、目を逸らすことも無くイルを見返した。
「ええ、その通りよ」
か細い声から、これ以上ない程の悔恨が伝わってきた。
ここでイルが剣を向けたとしても、リンはそれを受け入れるのだろう。その目を見ていると、そんな確信がイルの中で生まれた。
「俺はお前の兄を殺した。それで相子だ」
これも意識はしていなかったが、穏やかな声が出た。
「レンが、貴方に何か言ったのかしら?」
弱弱しく笑いながら、どこか納得したように言う。兄妹揃って勘のいい奴らだ。
「まあ、そんなところだ」
イルはそれ以上何も言わずに、掘った穴にそっとレンを横たえた。スコップを使う気にはならず、地面に跪いて素手で土を掛けていく。直ぐにリンも手伝い始めた。質素ではあるが清潔に保たれていた服があっという間に汚れていくが、全く気にした風もない。
既に一度思いっきり泣いたせいか、自分でも不思議なほど冷静にリンを観察していた。
完全に土をかけ終わっても、まだリンは泣きやむことができないようだった。当たり前だが、イルはそれを責める気は起きない。が、そろそろいい加減に拠点に戻らないといけなかった。ディーが心配して探し始めないとも限らない。
レン、死んで早々悪いけど、こういう時どうすればいいんだ?
イルの人生において同世代の異性と関わったのは、十一歳から十三歳まで週一回行っていた平民の学校だけであり、その時は性別というもの自体を意識した記憶は無い。パン屋の女性客に、奇妙に親切にされたことは度々あったが、多少の戸惑いはあったものの深く考えたことは無かった。
要約すると、イルは恋愛事とは無縁の生活を送っており、絶望的に異性の扱いが下手だった。
せめて顔を拭う物を渡したいと思うのだが、さっきも言った通りイルは何も持っていない。言葉で慰めようにも、事実彼女の兄を殺した張本人であるイルが、その死を悲しんでいる彼女に何も言えることなどありはしない。
何をして欲しいのだろう? イルがついさっきこうして泣いていた時、もし傍に誰かが居たとしたなら、どうして欲しかっただろう。
『お前が泣いてるときは、俺が肩貸してやったじゃねえか。何で、今お前はいないんだよ』
他ならぬ自分の声が、頭の中で木霊した。思わず自分の手を見て、やっぱり泥まみれであることを認識し、けれど今となっては相手の服ともう大差ないことも確認した。
一つ深呼吸してリンの前に立ち、レンと比べてもやはりまだ細い身体に手を回して抱きしめた。リンは驚いたように一瞬硬直したが、直ぐに自分からもイルにしがみ付き、顔をうずめてまた泣き続ける。
一方、イルの動揺は相手の比ではなかった。抱きしめた瞬間から、そのあまりに予想外で未知の感触に、思考回路が崩壊した。
外見があまりにもレンにそっくりなせいもあっただろう。若干背が低いだけで、他はそう違う生き物に見えなかった。が、実際身体が密着すると、不可不思議な現実がそこにあった。
腕やら腰は細いし、そもそも柔らかいし、肩は薄いし、いろいろ小さいし……。
心臓が爆発したと思うくらい急激に激しく動き出し、頬が紅潮しているのが自分でもわかる。舌がからからに乾いて、上手く声を出せる自信が無い。引き剥がしたくても、力を入れればその瞬間壊れてしまいそうだった。
レン、またまた死んで早々悪いけど、助けてくれ。
天を仰いで祈ったが、仮にレンが生きていたとしても、この状況を面白がりこそすれ助けてはくれない気がしてならない。リンに気が付かれないように、けれどイルからは見える位置で笑い転げている姿が目に浮かび、軽く自殺したくなってくる。
結局、イルは能動的な行動は取らなかった。
しばらくして、リンは自分から身体を離した。ほっとしつつも、どこかで残念がっている自分の心情に首を傾げた。
「もう、大丈夫。ありがとう」
涙を払いながら、弱弱しいながらも見ることができた笑顔に、イルは一瞬前とは比べ物にならないくらいの安堵を覚えた。
「気が済んだら、もう行くぞ。一度実験室に戻った方がいいんだろ?」
レンからの遺言でもある。リンをレン=ハウスウォードの名でイルの参謀役として迎え、新生した黄の国の会外交と農業の建て直しを行うことだ。
イルがレンから頼まれた、最初で最後の仲間を騙す作業だった。
「もう、持ってくるものは無いわ。研究施設は残してくれるんでしょう?」
「ああ、レンが言ってた研究成果ってのは、あそこにあるんだろう? 当分は仲間にも教えられねえな」
「ええ、肖像画もあの場所にあるのよ」
「そっか、時間ができたら見に行きてえな」
二人で紅蓮の鉄槌の拠点に向かって歩きながら、のんびりとした会話が続く。
「言っとくけどな、これから当分はこんないい所に住めないぞ?」
王宮の有り様はレンから聞いていたし、何よりこれからやらなきゃならないことが多すぎて、おちおち寛ぐ時間すらないだろう。
「分かってるわよ。我慢するわ。というか、もう自分の立場は理解しているつもりよ」
可愛らしく頬を膨らませるリンに、多少の悪戯心が湧いた。
「その言葉使いだったら、一瞬でばれるぞ」
からかうように笑いながら言うと、リンはきっとイルを睨み、一つ咳払いして口を開いた。
「ご心配どうも、イル。でもきみはそれより仲間に嘘をつく準備をするべきだと思うけど?」
口調も声音も、全く同じものだった。イルの顔が引き攣ったことはいうまでもない。そしてその内容の至極もっともな指摘に、瞬間的に敗北を宣言した。
「あー、わかった。確かにそうだろうな」
両手まで上げて意思表示する。良く考えなくとも、レンの実の妹であるリンよりも、イルがボロを出す可能性の方が圧倒的に高い。
「まあ、僕ができる限りフォローするけどね」
「頼むから今その話し方止めてくれねえか?」
目を合わせることができない。それほど、彼女はイルの大親友に似過ぎていた。
「それは駄目だよ。これからこうやって君の傍に居るんだから、君には慣れてくれないと困る」
いちいち言うことが正しすぎて、イルはため息しか出ない。
そうこうしている内に、拠点が見えてきた。
「さて、ここから大一番だね。覚悟はいい? イル」
それ、どっちかと言うと俺の科白かと。
少女としては勇ましすぎる言葉に、けれど励ますような笑顔をイルは向けた。
「おう、あいつとの最期の約束だ。絶対、俺はお前を守るから」
平然とした態度をとっていても、その小さな手が震えていることに気が付いたからだ。
レン、お前の妹はお前と一緒で強情っぱりだな。
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一人二人増えました
もっともっと
大きくなり止まらない
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