……綸 五……


 
 「つまり、世の中の不条理さを一番に受けるのは、あたしたち女ばかりって事なの!」

 愛美の声が音楽室に大きく響く。慌てて左右を見回したのは、綸と未来で、当の本人は自分の言葉に酔いしれてまるで何も気に留めてなどいないようだ。
 しかし、この学内で教師以上に大きな声を響かせるなど、下品な事この上無い。しかも、この台詞だ。万が一教師に聞かれた日には、鏡のように廊下を磨く名誉…とどのつまりは罰である…が間違いなく科せられるであろう。
 …幸か不幸か、愛美の声を聞きつける人影な無く、音楽室にはいつもの静寂が戻ってきた。
 「…もうっ、めぐちゃんってば、もうちょっと声を抑えてよね?」
 長い髪を二つに結い分けた未来が、わざとむくれて言った。この場合、大声をあげたのが愛美であれ、連帯責任という美しい友情で自分たちもまた、罰を受けなければならなくなるからだ。
 「だって、絶対おかしいわよ?!流歌お姉様のような素敵な方が、お輿入れを断られるなんて、尋常な事じゃないわ!」
 今日は、朝からその話で学内はもちきりであった。
 『女学校に通う女は、無駄な知識ばかり持ち、男より偉そうに振舞う』…などといった実しやかな噂がある中、流歌は決してそんな少女ではなかった。
 才色兼備を絵に描いたような少女で、尚且つ良妻賢母になるであろう奥ゆかしさと淑やかさを併せ持ち、女学校に通う少女たちの憧れが形になっているよう。そんな彼女には、もう一年以上前から心に決めた殿方がいるともっぱらの噂で、それを彼女自身も否定しないがために、それは周知の事実として皆に浸透していた。
 来年で卒業を迎える最上級生となった流歌は、卒業と同時にその方の元に嫁ぐものとばかり信じられており、この降って湧いたような破談話は、退屈な日々を過ごす少女たちにとって、同情すると共に格好の噂話の種だというわけである。
 同情は禁じ得ない。
 だがしかし、一部において当然とも思われていた。
 それは、流歌の家系にある。
 彼女はごく一般的な家庭に生まれ育った。古くから続く名家ではなく、特に有名な人物を排出したわけでもない。昨今、世間を騒がしている成金という部類でももちろんない。
 つまり、世間的に見れば何不自由無い家に育ってはいるが、この女学校内で言えば少々異質な部分を持っているのだ。
 彼女自身はといえば、そんな問題何の障害にもならないのだが、やはり、世間はそれを許さなかったのだ。
 「…流歌お姉様のお心に決めた方って…とても有名なお家の方とお聞きした事があるわ」
 綸が、ふっと呟く。
 流歌は決して自分の事をひけらかしたりはしなかった。相手の男性の事も、『迷惑になるといけない』と決して喋らなかった。
 つまり、それは相手の身分の高さを表していたのだろう。
 噂好き、詮索好き、そして想像力豊かなな女学校の少女たちにかかれば、流歌と相手の男性との恋物語は、すでに『身分違いの悲恋話』になっているのである。最近流行している小説のような内容に、彼女たちは、おおいに興味をかき立てられているのである。
 「やっぱりね…!そんな事じゃないかと思ったの。どうせ、いざ結婚が間近になって、尻込みしたんだわ。流歌お姉様の人となりもしらず、ただ家だけ見てるっていうのが丸分かりね」
 立腹する愛美に、未来が悪戯っぽく微笑んだ。
 「あら?そうかしら…?もしかしたら、相手の方は流歌お姉様の事を愛してらっしゃって…でも、その方のご両親とか…ご親戚の方とかが反対して…とか」
 「何それ?!そんなの撥ね付けてしまえばよろしくてよ!」
 「あらあら、そうもいかないと思うわ?それに、その方が浪漫を感じるじゃない?」
 人の不幸に浪漫を感じてどうするのか。そして、それを口に出すとは…未来の感性は、時々ずれている。
 「何にしても、お断りされるって事は、新しく良い家柄のお嬢さんを娶られる事になったのでしょうね。本当、ありえないわ」
 さて、先ほどから彼女たちがこれほどざっくばらんに喋っているのは、もちろん教師や先輩が不在だからである。
 彼女たち三人は、この女学校でも有名な合唱部に所属しており、それぞれ独奏なども任される実力を持っている。それゆえ、一緒に練習する事が多く、そこから随分砕けた関係になったというわけだ。もちろん、普段は厳しい教師や先輩たちの眼のある中なので、このように喋ったりはしない。美しい日本語を、ごく美しく使うのもまた、良家の子女の嗜みである。
 ちなみに、未来が一年先輩、綸と愛美が同級生となる。そして、流歌もまた、この合唱部所属の生徒であった。
 今日は合唱部の活動は無い日なのであるが、こうして放課後ゆっくりと集まってお喋りするのもまた楽しみの一つなのである。
 「そういえば、綸のお輿入れ先もすっごい名家って聞いたけど?」
 結婚、という言葉を自ら跳ね返している愛美が、不意に綸に話を振ってきた。
 まさか、自分に話題の矛先が向かってくるとは思ってなかった綸は、思わず身体を硬くした。
 「そうなの!確か、神威家のご長男様よね?」
 確かめる、というよりは、まるで念を押すように未来が身を乗り出してくる。
 頷こうかと一瞬慌てる綸を押しのけて、愛美が顔を突っ込む。
 「神威家?あの?」
 まるで怒られているかのような勢いに、綸は首を縮めて小さく頷く。
 「まぁ…!綸ってば、それって完全に政略結婚よ?どんな綺麗事並べられたかは知らないけれど、向こうは綸の家の名前が欲しいに違いないわ!」
 愛美の言葉は容赦ない。まさに、鳴子に憧れる彼女に相応しく、女性は立場的にも精神的にも自立していなければならないという信条を常に持っているのだ。
 「そうなの?」
 不思議そうにするのは、当の本人ではなく未来の方である。
 「そうよ!神威家といえば、今となってはそれなりに名を馳せているけれど、元々はあの大震災の時に台頭した成金の先駆け。ま、確かに以前から金回りのいい商家ではあったけど、こんなに大きくなるとは誰も思ってなかったわ」
 彼女の知識は計り知れない。金持ちたちの退屈な噂話から、巷を騒がす新聞記事まで、全てがその頭に入っているようだ。彼女が、こっそり隠れて新聞を読んでいるというのは、やはり嘘ではないらしい。
 「へぇ…でも、誠意のある慈善活動にも積極的で、ただお金をばら撒くだけじゃないって…」
 「ま、そうね。基本的には悪人じゃないみたいだから、その辺りは安心して大丈夫だと思うわ」
 「ならいいんじゃない?」
 「良くないわよ!結局、向こうは金も地位も知名度もある。あと欲しいのは名誉…つまり、昔からの流れを汲む『名のある血』ってところね」
 果たして、血液に名前があるかは定かではない。医学的に分類はあるが、世間一般的にはそれよりも大事な『家名』という名があるにだ…と、愛美は言いたいらしい。
 「その点でいえば、綸なんて本当に魅力的よね」
 話題の中心人物である綸は、もちろんこの場にまだいる。しかし、二人に押されてすっかり黙り込んで小さくなっていた。
 「綸のお母様って、確か皇族の血縁だったっけ?」
 「……うっ…うん……」
 血縁、とはいうが、それももう他人も他人であるほどの遠縁である。
 しかし、それでもその威力は凄まじく、綸はこの学内でも屈指の『お嬢様』なのである。つまり、『名のある血』でこれ以上のものはないという事だ。
 「しかも、神威家のご長男って、いくつ年上?綸ってば、そんなに年上好みだった?」
 「えっ……でっ……でも………」
 言いかけて、綸は急に押し黙った。
 以前の彼女ならば、「でもそれはしょうがない事」と言い切っていただろう。
 自分は、そのために生まれたのだ。家系を守り存続させる事が出来る男子と違う自分の存在価値は、より良い家柄の男性と結婚し、その子孫を残す事で、自らの家の血も残すための女子。そこには、『綸』という個人は存在しないのだ。
 でも、それが当然だと思っていた。何の疑問も持たず、『綸』というのは、ただ自分を識別するだけの記号で、中身の自分自身についてはたいした問題ではないと。
 だが、自分をこの女学校に入れるよう両親に進言してくれた鳴子は違った。彼女は、『綸』という個人について実に真剣に考え、彼女自身の将来を案じて、封建的な考えの両親を本当に根気強く説得してくれたのだ。
 そんな鳴子に触れ、そして、昨夜……。
 
 「…………」

 綸は、両手を胸の前で握り締めた。
 何故だか苦しくなるようで、そしてどこかあたたかい気持ちが湧き上がってくる。

 『いえ、少しでもお心が慰められましたのなら……』

 ほんの小一時間であったのに、綸自身を感じてくれた人。
 優しい声と音が、心の奥から蘇ってくる。
 
 何故だろう?

 漣、と名乗った少年の影が、今だ脳裏から離れない。







 「綸様」

 不意に名前を呼ばれて綸は振り返った。
 未来と愛美の二人とは、あの後音楽室で別れた。綸自身、少し予定があったのだ。それも、あの二人には知られたくない予定…。
 しかし、そういう時に限って…である。
 綸の眼の前に現れたのは、美しい長身の少女……。
 「流歌姉様……!!」
 今日、どれだけ彼女の名前を耳にしたかわからないが、本人と言葉を交わすのは初めてである。
 多少身を固くした綸に、流歌は優しく微笑んだ。
 「今、お帰りかしら?」
 「はっ…はい…」
 つられて笑顔になる綸に、流歌は更に微笑む。
 「ご一緒してよろしくて?」
 思わず頷いてしまってから、綸ははっと口許に手を寄せた。そんな彼女の様子に、流歌は少しだけ首を傾げる。
 「…ごめんなさい、何かご予定があって…?」
 そもそも、綸は本心を隠す事が苦手だ。すぐに顔に出てしまう。返事に窮してしまう綸に、流歌は続けた。
 「………じゃぁ、お邪魔してはいけないわね…」
 「いっ、いえっ……!!」
 綸は慌てて頭を振った。
 「あっ、あのっ……少し、お買いものをする予定なんですが、…それでも、よろしければ………」
 綸が言うと、流歌は嬉しそうに微笑んだ。
 「まぁ、嬉しいわ。わたくしも、ちょうど雑貨屋さんに行きたかったの。…実は、一人じゃちょっと恥ずかしくて」
 流歌の頬が柔らかい桜色に染まる。
 確かに家柄を問われると、綸と流歌では差がありすぎる。しかし、本物の『お嬢様』というのは、やはり流歌のような女性の事をいうのだろうと、綸は何となく自分の方が照れてしまった。


 女学校へ続く坂を下り切った十字路を更に進むと、文具店や本屋と並び、小さな雑貨店がある。
 実は、綸もそこに用事があった。
 木製の扉を押し開けると、柔らかい鈴の音がして、奥から店主の声が響いた。
 店主は物静かな女性で、ここには彼女の手作りの品も売っている。どちらかと言えば、小さな衣料品店といった趣で、ハンカチや巾着、飾り紐といった物が綺麗に並べられている。
 「流歌姉様は何を?」
 綸は、流歌を見上げた。彼女は、少しはにかむような笑顔を浮かべる。
 「絹のリボンを…」
 「リボン、ですか?」
 そう話ながら、二人は色とりどりのリボンが並ぶ棚を前にした。
 その中から、流歌は迷いなく濃い藍のリボンを手にした。
 贈り物に結ぶ…というよりは、髪飾りや服の装飾に使う上等なものである。
 「………」
 「……贈り物なの」
 「えっ……」
 綸は驚いて顔を上げた。「何にお使いになるのですか?」と喉の奥まで出て来ていた台詞が、慌てて引っ込んでいくのが自分でもわかった。
 それから、流歌は綸に向き直ると、改めてじっと綸を見つめた。
 「……そうね…綸様には、やっぱり赤かしら…?」
 そういうと、流歌は鮮やかな赤いリボンを手に取る。そして、それをそっと綸の頭の上へ掲げた。
 「えぇ、よく似合うわ」
 「えっ……あのっ……」
 言い淀む綸を余所に、流歌はリボンを二種類購入してしまう。そして、会計を済ませるとそのうちの一つを、綸に差し出した。
 「良ければ、もらって下さる?…ご婚約が決まったお祝い…には、ちょっと貧相かもしれないけれど…」
 「……!!!!」
 綸は、身体中の血液が沸騰して逆流するような酷い眩暈を覚えた。
 それは、今日一日中、この美しい人の噂話に耳を傾け続けていた自分の浅ましさを改めて痛感したのかもしれない。
 きっと、覚えず身体も震えてしまっていたのだろう。そんな綸の手を取ると、流歌はそっとリボンの入った包みを手渡した。
 「…泣かないで?」 
 「っ……ふ……ぇっ………」
 いつの間にか泣いてしまっていたらしい。頬を伝おうとしていた涙が、柔らかい桜色の布で抑えられる。流歌のハンカチだった。

 「おめでとう。どうぞ、お幸せにね?」

 胸が痛い。
 力一杯、絞られるような痛みに、四肢が震える。
 そして、この痛みが嬉しさからくるものではなく、避けられないであろう非情なる現実に突き当たった痛みだと、綸は初めて実感した。



 ――――わたしは、この結婚という現実を、辛く悲しいものだと思っている。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

君戀フル櫻ノ物語 七

とっても大好きな、ひとしずくP様の「夢桜」をイメージして書かせて頂いております。  楽曲の雰囲気をそのままに出せたらいいなぁ…と試行錯誤しながらですので、亀の如き更新はお許し下さいませ。

もっと見る

閲覧数:130

投稿日:2012/05/07 17:19:23

文字数:5,427文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました