4.
ぼくはとびらの外をポカンと見つめる。
すっごく高いところにきてるはずだってことはわかってたけれど、まさかそんなに高いなんて思っていなかった。
「どうした、早く入りたまえ」
「まーまーそんな焦んなって。コイツは初めて来たんだ。ビックリくらいするさ」
「ふむ、そういうものか」
「なんだよ。少年だったときの純真な心も無くしちまったのか?」
「ニードルスピア卿。卿はまたそうやって……いや、私がそういう余地を作ってしまっているのだな」
「ケケケ。分かってきたンじゃねーか」
マスターとおじさんがそんなやりとりをしているけれど、あんまり耳にはいらない。
えれべーたー、というはこの外は、おっきなへやになっていた。
ふかふかしたじゅうたんに、なんだか立派なつくえ。でも、ぼくがポカンとしてしまったのはその向こうがおっきなガラスになっていたからだ。
いつも見上げているひこうせんが、ぼくとおんなじ高さをとんでいた。
「おーい、そろそろ来いよ」
「! す、すみません」
見ると、マスターはいつの間にかおじさんといっしょにへやのまん中にあるソファにすわっていた。
ぼくはあわててマスターのもとへ走る。
けれど、ガラスの向こうが気になってしかたない。
そんなようすがバレちゃってたのか、おじさんがぼくを見てわらう。
「はは、エコー。この子を窓まで案内してくれ。……ニードルスピア卿、構わんだろう?」
「ククッ。良いぜ。ここからはあんたとオレの仕事だ。アイツは……たまには楽させてやるさ」
「ほら、こちらにおいで」
女の人がぼくに手をさしのべてきて、ぼくはマスターを見る。
「行ってこい。オレは市長と仕事の話だ」
「わかりました」
ぼくはこくりとうなずいて女の人の手をとる。
えこー、とよばれていた女の人は、マスターとはなにもかもがちがう人だった。
そのやわらかい手のひらにさそわれて、まどぎわまでやってくる。
「ふわぁ……」
ガラスごしに、このとしのぜんぶがみわたせた。
ここより高いばしょなんて、とおくの雲くらいしかない。
ちかくにたくさんあるビルは、ここからぜんぶ見おろせる。
十かいとか二十かいとかあるビルよりも、こっちのほうがもっと高い。ひこうせんとおなじ高さなんて、めのまえのこうけいがしんじられない。
「市長はここで、毎日この都市を良くするためのお仕事をしているのよ」
「……かみさまみたい」
ポツリと、そんなことを口にしてしまう。このとしのぜんぶを見おろしているこのばしょも、しちょうのしごとも、かみさまみたいだと思って。
「ふふ、そうね。市長は……神様みたいなものなのかもしれないわね」
「……」
そとのけしきに見とれているうしろで、マスターとおじさん……しちょうがはなしをしている。
「そーいや新しいあだ名が付いたみてーじゃねーか。ええと“針降る都市”だったか」
「ふん。……忌々しい名だ」
「そーかねぇ。結構言い得て妙な名前じゃねーか? “工場から出る工業排水や煙が自然環境を破壊している。それはつまり、人が生きるための水や空気を破壊しているという事だ。さながらこの都市の住人は他よりも過酷な環境で――極端な話、針の降っている中で生きているようなものだ”……良く出来た演説だよな。突っ込みどころがあるとはいえ、実際、そんなに間違っちゃいねーと思うぜ。演説してた奴、名前、何っつったっけか――」
「レオナルド・アロンソ。環境活動家などという聞いたこともない肩書きを名乗りおる」
「環境活動家……エコロジスト、ねぇ。そんなので金が稼げんのかね」
「さてな。だが、かなり多くの低所得者層から支持を獲得している。革命などと言い張るテロリズムにも荷担している事を匂わせる程だ。味方が多いのだろう」
「へーえ。で、工場や高層ビルを標的にしてこの都市をメチャクチャにしようとしてるってか。……少々厄介だな」
「この国は今、隣国の安い労働力を前に経済が悪化し始めている。途上国から、経済で戦争を仕掛けられていると言っても過言ではない。工業……第二次産業を発展させ、労働力だけでは及びもつかぬ力をつけねば、国が傾く。実際の所、この都市は発展しているのではなく、生き残りを賭けた戦いに身を投じている状態だというのに」
「ま、エコロジスト風情じゃそんなトコまでは知りゃしねーだろーな。……とはいえ、程度はどうあれ、現状じゃ工場に規制をかける必要はあると思うぜ」
「……ニードルスピア卿。卿までその様な事を言うのかね」
「市長は経営者としか会わねーから知らねーだろーがよ。フェルナンド工業科学技術社もダイン縫製社もオリヴィエアンドバーンズ食品工場も、内情は酷いもんだぜ。どこも労働者は奴隷みたいなもんだ」
「しかし――」
「――場所によっちゃ、子供を拉致して無理矢理働かせている所だってある」
「……」
「……嘘じゃねーよ」
「いや、卿の言葉を疑った訳ではないのだが……その様な事が」
「ああ。スラムじゃ子供は安く売ってる。昼も夜も自由もなく死ぬまでこき使えば、そりゃあ安い労働力だろうよ。だが、そんな労働力で隣国と競争してみろ。短期的には勝てても、長期的には確実に負ける」
「……」
「……」
はなし声がやんで、ぼくはうしろをふりかえる。
マスターとしちょうが、つくえをはさんでむかいあってすわっていた。二人とも、すごくむずかしい顔をしている。
「しかし……規制、か」
「だが、上手くやりゃあ革命という名のテロリズムも抑え込んで減らせるかもしれねぇ」
「……そうだな。やり方次第だ」
「エコロジストとやらの言説の反論文くらいは作ってやるよ。数日かかるけどな」
「それは助かる。どう対抗するか悩んでいたものでな」
しちょうはそう言ってわらうと、まんぞくそうにたち上がる。
「ニードルスピア卿。やはり卿と話をするのは他の者では得られない気付きがあるな」
「へへ。おだてても何も出ねーぞ」
「お世辞ではない。単なる事実だ」
マスターもたち上がって二人がちかづく。
二人はえがおであくしゅをする。
「ではまた。卿の助言が助けになる」
「ハッ。そーゆーなら、今度はオレんとこにも仕事をくれよ」
「いつも報酬は渡しているだろう?」
「そーじゃねーよ。ウチの会社が参入できる公共事業をやってくれって話さ」
「それは……ニードルスピア卿が建築会社か土木会社のような、インフラ企業を立ち上げて貰わなければどうにもならんぞ」
「そーだけどよ。まーそのうちどっかを買収するさ。……よし、帰るぜ。エコー、すまんな」
マスターがこっちをむく。
「さ、行ってらっしゃい」
「ありがとう、えこーさん」
手をはなしておじぎをすると、えこーはほほえんでくれた。
ぼくはマスターのもとにはしる。
「景色、凄かったろ」
「はい。くもの上に……いるみたいでした」
「ハハ。そりゃー良い経験だな」
ぼくとマスターはとびらの前でえれべーたーのはこが来るのをまつ。
やがてとびらがひらいて、ぼくらははこの中に入る。
そうして、ぼくの初めてのそらのたびがおわったのだった。
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