亞北が引き起こした一連の行動、その動機は今もわからない。
それでも俺は、その動機をひねり出さなきゃならなかった。
そうでなくては精神が持ちそうにない。
結局、さんざっぱら悩んで出した解答は《愛情表現》・・・
つまり亞北は俺のことが、たぶん好きなんだと思う。
自分で言ってても釈然としない、酷く歪んだ愛情表現だが・・・。
あいつは俺の位置まで上れないから、俺を自分の位置まで降ろすと言っていた。
そして“同じになった”とも。
俺をどのへんに位置づけしているのは知らないが、
一緒になりたかったって解釈でいいのだろう。
・・・果たして本当にそうか?
更衣室の一件があるまで、少なくとも俺はあいつに好意を持っていた。
だが、今は猜疑心を通り越して恐怖や嫌悪を抱いている。
あいつはこんな関係を望んでたっていうのか?

最近はクラスの連中ともうほとんど口をきいていない。
困惑している間にすっかり俺へのネガティブなイメージは工作されていた。
陰口、謗り、悪い噂。あることないことが一人歩きしている。
あからさまに無視してくる奴も出てきた。
男子も女子も関係ない。黒く濁った無言の空気が俺を罪人に仕立て上げる。
腹に鉛でも詰まっているような重苦しさ。
ストレスを悟られるな。
それこそあいつの思うつぼだ。
あれからも何食わぬ顔で授業を受けている亞北は、
表に出さずとも俺の苦悶を眺めて楽しんでいるのがよくわかる。

どうってことない、こんなもの、どうってことない。

俺は常に平静を装った。
それを見透かすように、亞北は最も嫌なタイミングでプレッシャーをかけてくる。
精神的に休まることはなく、放課後も無言で俺の後をつけ、
頃合いをみて声をかけてくると、そのまま人気のない木材置き場の影に連れ込まれる。
2人きりになれば、亞北は薄い地表を割って出るマグマのように嗜虐性を露わにした。
「レンくん裏でなんて言われてるか知ってる?」
「パンツハンターだろ」
「それは男子の間でね。女子は違うよ。知りたい?」
「どうでもいいよ」
「レンくんはね、“キモチワルイ”って言われてるんだよ」
ズキッと胸の奥に痛みが走る。
こんな戯言、亞北のデマカセだ。俺をなじって遊んでいるだけだ。
でも、確かに傷ついている。悲しさ、悔しさ、惨めさがじわりと込み上げた。
亞北は俺の動揺をつぶさに感じ取って、嬉しそうにはしゃぐ。
「ヒドいよね、気持ち悪いとか、ウザいとか、くさいとか、生理的に無理とか、
 努力で改善できない拒絶って、もうオシマイな感じするよね!」
笑いを堪えるように震え目玉が反り返った彼女の形相に悪寒が走る。
「誤解されるって辛いよね。でも私だけは知ってるよ。本当のレンくんのこと!」
醜悪だ。女という生き物は、こんなにも醜かったか。
俺は眉間にしわをよせ亞北から目をそむけた。
「楽しいかよ亞北」
「二人の時はネルでいいよ」
「おまえ頭オカシイんじゃねーの?」
「ネルって呼んでよ」
初めて人を殴りたいと思ったが、それが無意味なばかりか
俺にとって不利な状況しか生まないことに直ぐ至る。
でも・・・これぐらいならやれる。
俺は亞北の胸ぐらを掴んで乱暴に引き寄せた。
「調子乗ってんじゃねーぞ亞北、
 たかがケータイ画像一枚で俺が言いなりになると思うなよ!」
男の力で脅す。効果は薄いかもしれないが、
こいつの精神的攻撃を少しでも躊躇わせたかった。
ところが、思いの外亞北の反応がいい。
顔は笑ったまま引きつって紅潮し、息は上がって、びくびくと痙攣している。
今にも失禁しそうな危うさだ。
効果はある。俺は確信して続けた。
「亞北、俺はおまえのくだらいないひやかしに付き合うのはもうウンザリなんだよ。
 あの捏造写真をばらまくってんなら好きにしろ。」
声のトーンを低く、精一杯の敵意を持って睨みつける。
「何? ぶつの? 出来もしないのに凄んでんの、おっかし~」
「震えてんじゃねーか。痛い目みせてやろうか、おい!」
「この振るえは嘲笑だよ。可笑しくて震えてんの。
 言ったでしょ? 私はレンくんのこと何でも知ってる。
 レンくんがどうしようもない腰抜けで、
 どんなにムカついたって殴る度胸なんてないってこともね♪」
「何余裕ですみたいなツラしてんだよ、もう脅迫のネタは無効なんだぜ」
頬をゆるませ、どこか恍惚とした瞳が宙を泳ぎながら、
亞北は不安定で淫猥な声をため息のように紡いだ。
「カードは…いくらでもある…わ」
「何だよ、カードって」
「あの証拠写真を使わなくても、初音先輩の自作自演説流布したっていい」
俺は思わず亞北の胸ぐらを両手でつかみあげながら迫った。
「おまえ!」
「あの写真が露見して傷つくのはレンくんの大好きな初音先輩かも!
 ノイローゼになったりして! 登校拒否とかなったりして! レンくん最低!」
俺は血が沸騰するような怒りに捕われた。
歯を食いしばってこの女への殺意を押さえ込む。
「まー、いっか! どうせ初音先輩も清純派気取って裏では援交とかやってるだろうし、
 ぜ~んぶレンくんのせいにして非道いこといっぱいしよっと!」
こいつ、こいつを、俺は…許せない!
「大好きな初音先輩をコケにされても何もやりかえせない腰抜け!
 一発殴れば黙るのに、白雉みたいに指をくわえてただ棒立ち!
 男に生まれたくせに拳の使い方も知らない、使えない無能!
 人目のないこの場所でさえ保身を考える惨めで矮小な奴!
 やっべ! 超楽しー! レンくんがクソすぎて笑い止まんない!」
げらげらと品のない笑い声が頭の中に充満する。
一刻も早く黙らせなければこっちの頭がどうかしそうだ。
俺は不気味な菌類の涌いた木材の壁に亞北を押しつけ拳を握りしめた。
汗で目がしみる。この女は、まさに俺が殴ろうとしている今も、
顔の筋肉を弛緩させ、無抵抗に顔面を曝していた。
バカにしてる。
殴れないと思ってる。
そうタカをくくっていることをすぐに後悔させてやる。
心臓が高鳴る、生まれて始めて殴るのだ、しかも女を。
歯を食いしばって神経を握りこぶしへ集中したその刹那、
もう片方の手に違和感を感じる。
温かいぬめり。
それは亞北の唾液だった。
亞北は悦楽のときに浮かべるそれと同じ表情をたたえて、
本人も気づかずよだれを流し、襟首を押さえ込む俺の手の
親指の付け根あたりにしたたっていた。
全身が総毛立つのようなゾッとする感覚。
こいつは、殴られるのを待っている。
俺の迂闊な一撃を待っている。
落ち着け、ここで殴ってどうなるっていうんだ。
それで脅迫を止める女じゃない。
むしろ顔の痣をこれ見よがしにアピールするだろう。
それは学校に知れ、家族に知れ、先輩に知れる。
“レンくんに殴られました”
そう言われれば否定はできない。
どんな事由があったにせよ、女を殴った瞬間、いかなる正当性も失う。
顔以外を殴るか。
いや、もし亞北が自分自身で顔に傷でもつけたとして、やはり
“レンくんに殴られました”
と言われたら俺は何と弁解する。
“顔は殴っていません。腹を殴りました”とでも言うのか。
もし、殴っていながら殴ってないと答えたら、
俺は1つ《嘘》を抱え込むことになる。
それは、いままで俺に向けられた軽蔑に堪えるための
“俺はやってない”という拠り所を失うことになるかもしれない。
やましい要素は1つでも負うわけにいかないのだ。

俺は、大きく深呼吸して亞北から手をほどいた。
「ほ~ら、言ったでしょう。レンくんは腰抜けだって」
荒々しい呼吸をしながら呷る亞北を無視して、
俺は足早にその場を立ち去った。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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【レンネル小説】少年は嘲笑(わら)われる。#08

レンとネルの歪みまくったラブストーリーも第八話です。Mの人集まれ!

閲覧数:712

投稿日:2011/12/24 12:40:28

文字数:3,139文字

カテゴリ:小説

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