燻ぶる想い
まだ十四歳なのに随分重いものを背負っているな。それとも背負わされているのか。
先程別れたばかりの少年を思い出し、カイトは釈然としない気分を抱えて会場内を歩いていた。
レン王子の言葉や心掛けは一国の王子として何も間違った所は無い。彼も本心から言っていて、嘘や偽りなどないのは断言できる。上辺だけを取り繕っている者は本音と建前とのずれによって違和感や不快さを与えるが、レン王子からはそんな心地悪さは感じられなかった。
しかし何となく雰囲気が歪なような、子どもだと見られまいと大人ぶってかなり無理をしている気がする。本人の意志と言うより、環境のせいでそうしている可能性が高い。
レン王子の立場を考えればある意味必要な処世術だが、痛々しい程に心が傷つき、それが当たり前の状態になってしまっている。辛さに耐える強さを持ちながら、同じくらいの弱さを一緒に抱えているのではないだろうか。
主観でしかないが、おそらく彼は優しすぎるのだ。だからこそ誰かの為に体を張って傷ついて、自分の内面を押し隠して悟られないようにしている。
カイトは鬱屈な気分を溜息に乗せる。初めて会った人間がおかしいと思うくらいなのだから、レン王子の心は相当不安定になっている。黄の王宮の大人達は一体何をしているのだろう。家臣や臣下が幼い王子を支えなくてどうするのか。
カイトは自身の洞察力が優れているとは露ほども思わない。視界の隅に浅葱色の髪が掠めた。
「カイト王子!」
突然の呼びかけに立ち止まって辺りを見る。傍にいるのはミク王女。さほど離れていない位置にクオ王子の姿も見える。思考に没頭し、気が付かない間に会場内を横断していた。よく人や卓にぶつからなかったものだと感心する。
「もしや何かご不満な点でも?」
上目遣いで不安げに尋ねられる。どうやら機嫌が悪そうだと思われたらしい。不満がある訳ではなく、単に考え事をしていただけだと説明し、晩餐会を楽しませてもらっていると無難な答えを返す。
緑の王族にも挨拶をするつもりだったので丁度良い。カイトはついでに用件を済ませておこうと口を開く。
「遅れてしまいましたが、お祝い申し上げます。ミク王女」
そろそろ晩餐会がお開きになる時間だ。貴族からの挨拶や社交辞令の会話で大分出遅れてしまったが、青の王子として緑の王女に誕生日の祝辞を述べる。
「ありがとうございます。カイト王子。嬉しい限りです」
ミクはドレスの裾を摘み上げ、可憐な笑顔を浮かべてカイトへ会釈をした。
一方、ミク王女の元へ足を運ぼうとしていたレンは再び緑の貴族に囲まれていた。カイトが去るのを見計らっていたかのように現れ、取り繕った挨拶や自慢話を聞かせて来る人達に内心うんざりしつつ、黄の国王子として恥じない応対を繰り返す。
たまに容姿や東側を褒める言葉が耳に入るが、ただのご機嫌取りやおだてに聞こえるのはミク王女の所へ行きたいと焦っているせいなのか。
不満や苛立ちが表に出ないよう注意を払って相手をしている内に、最後の一人に挨拶を終えていた。貴族が去り、レンは一段落ついた安堵感を味わって解放感に浸る。だがゆっくり休んでもいられない。まだミク王女に祝いの言葉を伝えていないのに、晩餐会が終わる時間が迫っている。
早くしないと言えずじまいになる。深呼吸をして気分を落ち着かせ、さて行こうとミク王女の方へ視線を移す。緑の王女と傍に立つ青年の姿を認めた瞬間、レンは踏み出した足を止めて息を飲んだ。
カイト王子とミク王女が話をしている。ただ二人が会話をするだけなら大して気に留める程の事ではないが、レンが愕然とした理由はミクの表情にあった。
今まで見せてくれていたどんな表情よりも輝いて、何倍も幸せが込められて見える笑顔。二人がいる所はまるで聖域だ。特別な人間しか立ち入る事を許されない。そして、レンはミク王女に選ばれなかったのを感じ取る。
悔しいのか悲しいのか分からない。怒っているのかもしれない。心に黒いものが湧いてとぐろを巻いていくのを自覚し、レンは陰った目でミクとカイトを見つめて動かない。
周りの声が雑音として響く中、晩餐会をお開きにする知らせが強く耳に残った。
夜空の闇を白く輝く満天の星が照らす。銀色の満月が静かに見下ろす緑の王宮庭園で、リンは木の影に身を潜めていた。視線の先、噴水の傍に立つのはレンとミク。二人に見つからずに会話の内容を知るには、死角に隠れて聞き耳を立てるしかない。
要するに盗み聞きである。感心しない行為なのは百も承知だ。悲しい事に物陰からこっそり人の動きや視線を観察するのには慣れている。貧民街暮らしの時に身に付けざるを得なかった技が、まさかこんな形で役に立つなんて考えもしなかった。
自然と嫌な記憶ばかりが頭に浮かぶ。地獄の三年間を思い出してしまうし、そもそも覗き見などしたくは無いが、今は四の五の言っている場合ではないのだ。
晩餐会がお開きになった後、リンは会場の隅でレンがミク王女に話しかけるのを目撃し、同時に胸騒ぎを覚えた。二人が会場を抜け出すのを見て更に不安が募り、リンはそっと後を付けて会場を去り、中庭へ出た所で素早く木の裏に回って様子を窺っていた。
「ミク王女」
風上からレンの声が流れ、リンは気を張り詰める。会話の聞き逃しが無いように意識を集中させた。
「大変遅くなってしまいましたが、十六歳の御誕生日おめでとうございます」
言い訳にしかならないと考え、レンは時間がかかった原因を伏せて祝辞を述べる。
「ありがとうございます。レン王子」
今更感が否めず、不満を感じたミクは作り笑いを浮かべて返す。カイト王子から同じ台詞を言われた時は天にも昇らんばかりの気分だったが、レン王子からの言葉は遅れたのもあって心にまで響いて来ない。むしろせっかくの気分を台無しにされた印象さえ受ける。
長年緑と争い続け、十年前の戦争では民を虐殺した黄の国。憎む理由こそあれ好む理由などありはしない。レン王子を招待したのは父の意向であり、国の体面を考えての事だ。
「わざわざ外に連れ出して申し訳ありません。二人きりで落ち着いて話したいと考えました」
レン王子は意に介さずに話しかけて来る。ざわめく胸の内を隠し、ミクは努めて緑の王女として振る舞ってみせた。
「お気になさらず。ですが、このような現場を誰かに見られれば誤解をされかねません。手短にお願い出来ますか?」
二人からさほど離れない位置に立つ木。その裏に隠れて見ている者がいるとは気が付く事も無く、ミクは用件を早く済ませて欲しいとレンに要求した。
使える時間は短いと告げられたレンは目を見開く。そのままで一回、目を閉じてもう一回深呼吸をすると、ゆっくり瞼を上げてミクを見据えた。
「ミク王女。私は……いえ、俺は貴女に伝えたい事があります」
蒼色の目に覚悟の光が宿っているのが見える。『私』から『俺』と言い方を変えたレンに違和感を覚え、ミクは僅かに眉を寄せる。
緑の王女と黄の王子が婚姻する。未だ不安定な緑と黄の関係を安定化させ、東西の友好を示すのに打ってつけの手段だ。父や家臣達が婚姻を勧める理由は分からなくもないが、憎き東側の国に嫁ぐなどごめんだ。政略結婚の道具にされるなんて冗談じゃない。
「俺はミク王女が好きです。おそらく初めて会った時から、俺は貴女に惹かれていました」
自国が行った所業を知らない訳が無いのに、どうして真っ直ぐにそんな事が言える。緑の国が受けた痛みと苦しみ、恨みや憎しみを無かった事にする気か。
沸々とした怒りに突き動かされ、ミクは一息に答えた。
「緑の国と友好になれば黄の国の罪が軽くなるとでもお思いですか」
「は? 何を言って……」
レンが上擦った声を出して驚き、頭に血が上ったミクはまくし立てる。
「過去の事は関係ないと言わせません。千年樹の虐殺をお忘れですか。黄の国が罪なき緑の民を殺し、町を焼いたのは紛れもない事実です。そしてその事を決して許しはしません!」
いきなり両国の遺恨に話を変えられ、更に自国を責められたレンは不機嫌を露わにして言い返す。
「戦争で多くの犠牲を出したのはこちらも同じです。それに、俺がミク王女に言ったのは国の友好についてではありません」
口調は丁寧だが声が若干低くなっている。レンは言葉を区切ってから続けた。
「俺は貴女が好きです。答えを頂きたい」
黄の国王子からの告白。ミクは浅葱の双眸をレンに向けていたが、正面に立つ王子を見てはいなかった。
脳裏に浮かぶのは青い髪の王子。一目見た時から彼の姿が心から離れない。目の前の王子がレンではなくカイトであれば良かったのに。
その思いが頭を支配していたからだろう。ミクはほぼ無意識に口を開いていた。
「レン王子。私は貴方と婚約をする気はありません」
期待をかける父やレン王子の友人である兄の手前、表向きには反対をしなかっただけ。一度言葉に出してしまえば楽なもので、自分でも驚くほど舌が回った。
「別に私でなくとも構わないでしょう。貴族の淑女や平民の従者からも好意を寄せられて引く手あまたではないですか」
何故か執事でも召使でも無く、レン王子はいつも侍女を控えさせている。今回は違う人が来たと言う事は、何人かの侍女が彼に傅いているはず。何もしなくても異性が寄って来るのだから、その中からいくらでも選べばいいだろう。
「それとも私を妻にして緑の国に干渉し、大陸を自分の望む通りになさるつもりですか?」
黄の国の情報は父や兄を通して聞いている。ここ三年の間で王宮に入る平民が増え始め、身分の別なく働ける環境になりつつあるらしい。嘘かまことか、王子を守る近衛兵隊の副長は平民出身の兵士が務めているとか。
国を治めるべき王族が貴族を軽んじるなんてありえない。挙句に支配対象である平民に重要な役割を与えるなどおかしいとしか思えない。しかしレン王子はそれが正しいと信じている。
ミクの主張に呆気に取られ、レンは何を言われていたか理解出来なかった。
「何だよそれ……」
絶句するレンを冷めた心境で見つめ、ミクは中庭を去る為に背を向けた。
彼は理想で物事を考え過ぎだ。何より王族としては純粋で真っ直ぐすぎる。
「貴方は王族に相応しくない」
浅葱の髪を月光に照らして歩き出し、一度も振り向かずに王宮内へと入っていく。レンはミクを追う事も出来ずに呆然と立ち尽くし、全てを見届けたリンは王子に声もかけられずに俯いていた。
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