「・・・う、んー・・・うん、僕でよかったら」
「ありがとうございます!」
初めて出会ったKAITOはこころの広いKAITOだったようだ。俺はなんども感謝の意を述べ、このKAITOのマスターである人の個人ページに案内してもらえることになった。
道中、自分がまだインストールされたばかりの新米KAITOであること、とんでもなく情けない「俺」にすっかり幻滅してしまったこと、それで同じマスターを持つミクにおそらく嫌われていることなどをポツリポツリと漏らした。同じKAITOであるからか、それとも彼自身の性格のせいだろうか、とても話しやすい。彼は、うん、うん、と静かに頷いてくれる。その間たくさんのKAITOタグついた動画の間を通った。俺はそれを視界の端で捕らえていたのだが、その画面にちょっとした違和感を覚える。青と・・・赤、2つが並ぶシルエットが、やたら増えている。
「これは・・・」
「『KAITO』と『MEIKO』のデュエット動画、ですよ」
朗らかに笑ってみせた彼は、とある動画の前に俺を案内する。そこには笑顔の『メイコ』と『カイト』がいた。動画が投稿されたのは初音ミクが発売される、前。
「僕たちKAITOは、たしかに最初売れませんでした。それはもう悲劇的なまでに。人間で言ったら『就職氷河期』なんて言われていたかもしれませんね。でも、まったく売れなかったわけじゃないんです。本当に少数ですが、いくつかの僕らは出荷され、マスターを得ました」
いままで静かに俺の話に耳を傾けていただけだった先輩KAITOが、口を開いていた。
「僕もそのうちの一人で、発売と同時にマスターの家にやってきたんです。その当時はDTM界でMEIKOがヒットしたと言っても、まだまだVOCALOIDの知名度は低くて僕らは細々と活動してました」
知らない「俺」の4年間が、目の前にいた。彼は八の字の眉で悲しそうな表情をする。
「世間の風は冷たかった。KAITOを開発した人たちはあまりの不出来に『失敗作』の烙印を押した。調声の具合でここまで声が変わってしまうところもそう呼ばれる原因のひとつですね」
そう言って彼は彼と俺の喉を指し示した。たしかに彼と俺の声は同じKAITOなのにだいぶ違う。今まで気にしていなかったが、そう言われれば「俺」たちほど声の変化が激しいVOCALOIDは、いない。
「苦しい日々でした。知名度が低すぎて誰の目にも留まらない、たとえ留まったとしても『失敗作のKAITO』だから興味を持ってもらえない。それでも僕らは歌いました。いつかこの声が届くと信じて。そこに、『初音ミク』が現れた」
後輩であり先輩でもあるミクの名に、俺は少しばかり身じろぎした。
「『初音ミク』は僕らなんかより圧倒的に世間の注目を集めました。可愛らしい外見と、何よりもその、今までよりも格段に向上した人間さながらの歌声。人々は驚愕し、彼女を欲しがった。必然的に『初音ミク』の動画は増え、ユーザーではない人も含め多くの人間がそれを視聴し、一種の社会現象にまでなりました・・・僕らはチャンスとばかりに、それに乗っかったんです。僕らは今まで以上に注目を集めるため、何でもやりました。ネタだろうが何だろうが僕らは必死だった。初音ミクやMEIKOと対等に共演することもありましたが、たいていはみんなに笑われバカにされる、ピエロの扱いがほとんどでした。でも、それでも僕らは、嬉しかった」
彼の口元がほころぶ。
「だってそうでしょう、誰の視線も引けなかった僕らを、見てくれる人がいる。声を聞いてくれる人がいる。そして『失敗作』と呼ばれた僕らを、受け入れてくれた人がいる。こんなに嬉しいことはありません」
さっきまでの彼の苦笑いが、いつの間にかこころからの笑顔に変わっていた。
「ピエロなりに頑張った結果が今の僕らです」
頼りなげに見えた先輩は、誇らしく凛々しい顔つきをしている。
「だから、そんな申し訳なさそうな顔、しないでください」
先輩どころか大先輩であったこのKAITOである人に、俺は少なからずも恥ずかしさでいっぱいだった。無知であることは罪である、とどこかで聞いたことがあるけれど、まさにそのとおりだ。恥ずかしくて申し訳なくて、そして畏敬の念が湧いた。
俺がぐっと拳を握りしめ何も知らなかった自分を責めていると、いつのまにか俺と彼の距離は広がっていたらしい。遠くからここですよー、と俺を呼ぶ声がした。
「へえ、ここがあなたのマスターの・・・」
充実したページだった。先輩KAITOのマスターはかなりまめな人らしくリストを小分けにしている。コミュニティにも多く参加しているようだ。うちのマスターと比べるとずいぶん整理されている。・・・マスターも見習って欲しいものだ。
「ずいぶんと動画が多いですね」
「ええ、そっちはマスターが気に入った動画をジャンル別に分けていて、こっちは僕たちが歌っている動画・・・えーっと、マスターが自分で上げた動画の一覧です」
「『僕たち』?」
「僕のマスターは僕ともう一人、MEIKOのめーちゃんを所持してるんです」
そう言って先輩KAITOはページを広げると、ほら、と快く見せてくれた。彼のリストを眺める眼差しが、優しそうにうっすらと細くなる。サムネイルはほとんどが彼と「めーちゃん」のふたりだった。手をつないでいたり、背中合わせだったり、ポーズはいろいろ。
「仲良さそう、ですね・・・」
彼の眼差しの理由が分かるとともに、ちくん、と胸が痛んだ気がした。脳裏には水色の彼女のことが思い出される。
「そうですね、僕がマスターの家にきて、そのときはもう、そこにめーちゃんがいたんですよ」
付き合い長いですからね、と柔和な笑みを彼は浮かべる。
「めーちゃんはマスターのところにきてから長い間、一人で歌っていたんです。ほら」
ずっと下まで下がって彼が指し示した動画のサムネイルには、「めーちゃん」が独りでマイクを持って歌っていた。その表情は楽しげだが、彼と一緒のときよりも何かが足りない気がする。
「マスターの話だと、僕がきてからめーちゃん、もっと楽しそうに歌うようになったそうです。僕がきてから変わったことなので、僕としては違いとかあんまりわかんないんですけど」
知りたかったなあ、と苦笑する彼はこの話を皮切りに、嬉しそうに彼女のことを語った。普段の他愛ない会話や自分には理由がわからない一方的なけんか、歌うときの彼女の真剣な表情。次から次から出てくる彼女の話。どんな話でも彼が「めーちゃん」と口にするときは、他のどの言葉よりも甘い含みがあるように感じられる。
「あなたは、『めーちゃん』のことが大好きなんですね」
話し続ける彼の声を遮るようにして思わず零した言葉は、意図はしていなかったものの彼をエラー表示よりも真っ赤に染めることとなってしまった。自分が話していたにもかかわらず聞こえたらしい。さすがはVOCALOID、といったところか。
「なっなななな、そそそそそんなこと・・・あ・・う・・・・・・・・・そんなに僕って、わかりやすいですかね」
途中まで真っ赤になりながらも否定しようとしていたらしい言葉は尻すぼみになり、代わりに落ち込んだトーンで肯定すると、深いため息をついた。そのまま、目線を下へと移す。
「僕、隠してたつもりだったんです。ずっとずっと、めーちゃんと歌えるように・・・今のままで、十分幸せだから・・・でも・・・」
彼はそこで口をつむぐ。少しばかり淡い眼が、ゆらり、と揺れた。
「でも、今日めーちゃんは、カイト、何か隠しているでしょう、って、僕の眼を真っ直ぐ見据えて・・・僕、どうしたらいいのかわからなくなって・・・」
つい、飛び出してきちゃったんです、と彼は付け足すように呟いた。
そうだったのか、と相槌を打つも、戸惑いが顔を出していた。先輩である彼の告白に、俺はそれこそどうしたら良いのだろう。先輩KAITOが再び口を開いたので自分の思考を打ち切って彼の話に耳を傾ける。
「何も言えなくなってしまって・・・あのまま素直に言ってしまえばよかったのか、なんとかはぐらかして誤魔化し続けるべきなのか」
新米KAITOである俺は経験も何も持っていない。この人に俺が元気付ける方法も、ましてやアドバイスできるようなことなんて、何も知らない。
俺はただ聴くことに専念した。
「めーちゃんは真っ直ぐなんです。何事に対しても。相手が僕でもマスターでも、彼女はいつだって、真っ直ぐに向き合うんです」
ただ、静かにうなずく。
「きっとめーちゃんは僕の気持ち、気づいてるんだと思います。彼女にとってそれが嬉しいことなのか、疎ましく思うことなのか・・・」
彼は眼に今にも溢れそうな涙を湛えていた。それでもけして流そうとはしない。俺はこのとき、VOCALOIDはどこまでも人間に似せて創られているんだな、と感心した。造りも、想いも、そのすべてが。
「・・・『めーちゃん』は、どんな想いで訊いたんでしょうね」
「・・・え?」
素直な疑問が言の葉になって俺の口から零れ落ちる。聴く姿勢でいようと心構えしていたのに、彼の悲痛な想いに何かしなければ、という思いに駆られてしまった。先輩KAITOは眼を見開いてこちらを凝視していたが、ふと思い出したように言葉を紡いだ。
「・・・そういえば、めーちゃんの眼は、真っ直ぐだったけど、瞳は・・・瞳が、揺れてました」
おもむろに、彼は首を傾げた。その目線の先には、独り歌う、サムネイルの「めーちゃん」。
「僕、情けないですよね。彼女だって、今までの関係が壊れてしまうのをわかっていたはずです。それでも勇気を振り絞って向き合ってくれた。なのに僕は、僕が彼女から逃げちゃ、いけない、ですよね」
あくまで口調は俺に語りかけていたが、彼は完全に自分に、あるいはサムネイルの「彼女」に向かって、ひとりごちていた。
「ごめんね、めーちゃん。僕、ちゃんとめーちゃんと向き合うよ。・・・うん、よしっ、頑張れ僕!」
パン、とひとつ顔に両手で気合を入れた彼の双眸には、真っ直ぐな光が宿っていた。先輩KAITOはこちらに向き直り、手を差し伸べる。
「ありがとう、君のおかげで僕は大事なことに気づけた。こころからお礼を言うよ」
差し出された手を、俺はぎゅっと握った。相手の手がさらに力を込めてくる。気持ちが伝わってくるようでなんだか嬉しかった。
「いえ、俺は何も・・・こちらこそ『俺』について教えてくださってありがとうございます。俺も勇気をもらいました。あとは自分で何とかします」
彼はちゃんと自分で向き合うのだ。俺もその姿勢を見習おうと思う。ミクとちゃんと話をしよう。
「・・・?」
先輩KAITOは頭の上にクエスチョンマークが浮いてるような表情をしていたが、不意に納得がいったかのように、空いていたほうの手の人差し指を上に向ける。
「ああ、ミクちゃんのことなら問題ないんじゃないかな」
「え?な、なんでですか?」
「んー、長年KAITOやってる故の、勘?」
ぽかん、と口をあけるしかない俺の前で、先輩KAITOは満足そうに微笑む。
「そういえば自己紹介してなかったね。僕は田沢優(たざわゆう)のカイト。長いから、『たか』って呼んでくれればいいよ」
「あ、えっと俺は品川恵子のカイトです」
「ふむ、略すと『しか』か・・・じゃあ、愛称はバンビで」
「はっ!?えっあのちょっま」
「これも何かの縁だと思うしまた会おうね!バンビ!」
「まっ・・・て!」
俺がその白いコートをつかむ前に、たか、と名乗った先輩KAITOはわははと笑いながら走っていってしまった。くそう、なんだあの足の速さ。
「たか先輩・・・か」
畏敬の念をすら覚えた相手によもやこんなあだ名をつけられるとは。もしかしてこれがKAITOというソフトウェアの運命なのか・・・悪寒すら感じる。
帰ろうか、と思った矢先にマスターの呼び出しがかかった。俺たちVOCALOIDはどんな状況でもマスターの呼び出しに応えなければならず、その命令はどんな状況でも分かる。否、どんな状況でも応えるよう、応えられるようにプログラミングされている。
マスターのいる現実世界でいう風のごとく、急いでディスプレイに戻る途中で流れる水のようなツインテールが俺の視界に入った。
「ミク!」
「・・・!」
すれ違う瞬間、その細い手首が壊れないように優しくつかんだつもりだったが、つかまれたミクはかすかに顔を歪ませた。
「ごめっ・・・!」
反射的に手を放す。と、その刹那にもミクは下へと降りていってしまった。脳裏によぎる、ミクの表情。
「ミク・・・」
やはり、嫌われているのだろうか。空になった手のひらが、むなしかった。
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