今から数百年ほど昔――まだ魔物との共存が図れており、カオスシードも出現する以前のこと。この世界には「国」という一つの単位が存在した。「国」はそれぞれ境界という名の縄張りを持ち、そこに住む人々はその「国」の所有物として扱われたと聞いている。そしてこれらを侵害する他の「国」には、対話もしくは戦争で牽制し、その機に乗じて相手の「国」を奪い取ることも往々に行われていたらしい。
また「国」はその単位ごとに独自の自治を行っており、法も言語もまちまちだったという話だ。今を生きる俺からすれば、それでよく意思の疎通が図れたと思うが、図れていないから戦争を起こしたのだと返されれば納得も出来る。言葉が通じていてさえ互いの意図が分からず喧嘩になることもしばしばだというのに、そもそもの言語が理解出来なければ争い合うのは至極当然と言えるだろう。
だがそれも、まだ「国」という単位で囲われた人同士の争いであり、余裕があったからこそ出来たことだ。カオスシードなる異形の生物が現れ出し、保たれていた世界の均衡が崩れ去ってからは、「国」同士の戦いなどしている暇はなくなった。それぞれ己の「国」を守るのに必死で、他の「国」のことになぞかまけている余裕は失われたのだ。
そんな中、ある日唐突に「塔」という組織が歴史の表舞台へと登場する。「塔」はその名の通り、一基の巨大な建造物を大地に打ち立てた。その偉容は今以上に見る者を圧倒し、また畏怖させる象徴のような役割を果たしたことだろう。
そして「塔」は、これまで「国」に飼われる存在だった術士を登用すると各地の“同胞”へ呼びかけたのだ。それまで「国」に仕え「国」のためだけに命を粉にし働いてきた術士たちは、純然たる術士のための組織という名目に惹かれ、次々と「国」を去り「塔」へと鞍替えした。術士を失った「国」はカオスシードへの対抗策がないまま必然的に滅び、それを免れた「国」や術士の残った「国」も、世界の変容により解体を余儀なくされていく。
かくして「国」という単位は消滅し、代わりに「塔」がそこへ居座った。更に「塔」はかつて「国」が存在した各地に大体一基ずつの円塔を建造し、そこに順次術士を配置していったのだ。世界を動かす者は「国」の権力者から「塔」の術士へと変わり、それは今も尚続いている。
エントランスで壁に寄りかかりつつ漫然とそんなことを考えていると、テレポートスポットから待ち人が現れ駆け寄ってくる姿が視界に映った。
「お待たせ。早いじゃない。もしかして楽しみすぎて勝手に足が向いちゃった?」
「早く来ないと烈火の如く怒るだろうが」
壁から背を離し苦笑してみせると、何故だか得意げに腰へ手を当てたMEIKOは胸を張り言い放った。
「それはそうよ。女の子を待たせるなんて、男の風上にも置けない最低野郎だもの」
「やれやれ……」
こういう所は本当に昔から変わらない。これで良いのかと思いつつ、俺は彼女と並んで外に向かい歩き出した。塔を一歩出れば闇の世界。人力で熾した焚き火やランプ以外の照明は存在しない場所が、一足ごとに近付いてくる。それでもかつては今とまるで違う光景が見られたのだろうと、先程までの思考が頭に残っていたためか、そんな想像がふっと脳裏を掠めた。
「国」が解体された後、それまでそこに起居していた人々は困惑した。これまでは「国」が家の如く種々の危険から守ってくれていたが、そこを突然着の身着のまま放り出されたようなものなのだ。ごく稀に訪れる魔物の襲来などの経験により自衛の意識自体は高かったものの、庇護者がいるのといないのとでは気の持ちようが異なる。
また今までは「国」に擁された子飼いの術士が生活に必要な灯りを街々に供給してくれていたのだが、術士が消えた街の夜間は不安を増大させる濃闇にすっぽりと包まれた。ここで改めて術士の恩恵を意識した者も少なからずいたことだろう。しかし時すでに遅い。一度離れた術士が再び舞い戻ることは滅多になく、よしんば帰って来たとしても街を再興させるにはあまりに力不足だった。術士の力は明確な指針と方向性が示され初めて発揮されるものであり、統率者という要を欠いた状態では術士に為せることなど何もなかったのだ。
「塔」が各地域に塔を建設するまでの空白期、人々の暮らしは千々に乱れ混乱の一途を辿ったという。魔物やカオスシードにより蹂躙される街々も多かったし、住んでいた街を追われ別の地域へ移住したり流浪する者も数え切れないほどにいた。
こうして人々はかつて所属していた「国」の垣根を越えて交ざり合い、徐々に言語や文字、文化は統一されていった。それに伴い“民”や“族”という区分がなくなり、世界の皆が一個の“人間”であるという意識が浸透して、人々の団結力は一層強まったようだ。
そんな中、「塔」が各地に支部であり象徴ともなる円塔を建設すると、無秩序に散らばっていた人々は灯りを見つけた蜉蝣の如くその周囲へと寄り集まった。どんなに個人主義が心へ根付いていようとも、遺伝子にまで染み付いた帰属意識というのはなかなか容易に消せるものではない。「塔」が権力を主張したことはなかったが、人々は無意識の内に縋るべき対象を求めていたのだろう。
そして各地に点在する塔を中心に、人々は生活を営み始めた。人が集まればそれまで無法だった場所にも何となくの秩序が生まれる。やがてそこは街と称しても遜色ない規模にまで膨らんでいったのだ。
ただしその程度は、その地域にあった「国」がどういう末路を辿ったかで大きく違ってくる。魔物やカオスシードに蹂躙され、街自体が跡形もなくなってしまった更地では、後に作られた家並みも統一されていると言えず、雰囲気もどこか倦怠感と廃頽感が漂い混沌としていた。加えて「塔」は魔術に関する以外の規則を特に遵守させようとはしておらず、そもそも法というものを重要視していなかったために、万引きなどの軽いものから目を覆いたくなるような惨状に到るまで、亡国では犯罪行為とされてきたあらゆる行為が日常的に行われていた。
しかし段階的に解体していった「国」の跡地では、元々基本的な設備が整っていることもあったが、集う人々もまた尊厳を重視し秩序だった生活を望む者が大半を占めた。そして塔に住む術士たちと意見を交換し、かつて「国」が存在した頃と同じような街を再現する地域が多かった。にわかには信じ難いものの、私物やコネクション等で判断される形式的な身分階級制度が未だに生きている所さえあるのだ。
勿論荒野に住まう者や、独自に集落を築き暮らす人々もいるが、その場合魔物やカオスシードが襲ってきた際の対処は大抵自分たちで全てしなければならない。塔近辺に居を構えれば、少なくともそれらが現れた時は術士が駆けつけてくれるのだ。塔が街の中心となったのにはこうした経緯もある。「塔」の人間以外に魔術の使用が禁じられている以上、塔から離れて生きることは自死も同じ無謀な行いと言えた。どこかには人々に魔術を開放するべきだと主張する秘密組織があるらしいが、何か決定的な出来事が起こらない限りこの魔術一極化が変わることはなさそうだった。
「さっきからどうして黙ってるの?何だか難しい顔してるし」
不意にかけられた言葉に顔を横へ向けると、彼女の訝しげな視線とぶつかった。思いがけず長考してしまっていただろうか。申し訳ないとは思いつつも、ついいつもの癖で言い訳作りの時間稼ぎが口を衝く。
「難しい顔なんてしてたか?」
「ええ、してたわ。考え事?何か……あったの?」
そんな時の彼女は、妙に鋭い眼差しを寄越すため背筋がぞっとする。隠し事は暴いてみせると言わんばかりの眼力で、こちらとしてはただただ途惑うしかなく居心地が良くない。
「別に大したことは考えてない。ただ、外は暗いんだなって改めて思っただけさ」
自分でも何故誤魔化したのか不明瞭だったが、彼女の迫力に圧倒されたのだということで一応の説明はつく気がした。彼女の方も納得したのか諦めたのか、追求はせず普段の調子に戻ってくれる。
「塔の外は夜になると暗いのよね。知っているつもりだったけど、ずっと塔で暮らしていると灯りがある生活に慣れちゃうじゃない。だからこんなに周りが暗いと、少し不安になるわ」
彼女の言葉はそのまま俺の気持ちの代弁でもあった。夜になれば暗い。それが外で暮らす人々の日常なのだ。俺たちだって忘れたわけではない。年数の違いこそあれ、ほとんどの術士は外で寝起きした経験を持っている。それでもおそらく誰もが口を揃えて言うはずだ。あの生活に戻ることは容易でない、と。
魔物やカオスシードの件がなくとも、一日の終わりに必ず訪れる闇にはそれ自体に根源的な恐怖がある。火を熾すことで当座は凌げるかもしれないが、火災の危険性がある以上、そのまま放置して眠ることは出来ない。結局最後には暗闇に身を置かなければならないのだ。そんな日々に俺はとても耐えられる気がしなかった。これは俺だけでなく、塔に住む者皆が抱える問題なのだろう。
しかし例え一時的にせよ、こうして塔を出てしまえばランクもタイプも関係なくなる。根本的な解決にはならずとも、今だけはお仕着せの選別に縛られない一個の人間としていられるのだ。
こんな益体もないことを考えながら、俺は彼女と肩を並べてぶらぶらと通りを歩いた。ここの所お互いに何やかやと忙しく時間が合わなかったため、こうやって二人で出掛けるのも随分久し振りだった。
彼女と付き合い始めて大体三年ほどになるが、これまで大した進展のようなものはない。前にキスをしたのも、いつの頃だったろうか。俺も彼女もそれでいいと思っているからか、もうこの距離感に慣れてしまったのか。取り立てて何かしようなどと考えてはいないものの、時折訳もなく胸が締め付けられるような感覚に襲われるのはどうしてなのだろう。
横目でちらとその姿を盗み見る。瞳と同じ赤銅色の短髪を温い風に靡かせて、彼女は颯爽と歩を進めていた。すらりとした長身のため、彼女と並んで歩いてもそれ程身長差を感じることはない。その割に、腰が随分と高い位置にある。俺もそこまで卑下するほどスタイルが悪いわけではないはずだが、彼女のプロポーションには毎度のことながら恐れ入る。
しかしそうした身体的魅力を、本人は全く気にしていない様子だった。今の彼女は通り沿いに並んだ露店を、足は止めないままに熱心に物色している。此処は「国」が完全に滅びた後出来上がった街のためか、あまり治安が良いとは言えない。それ故に店は移動可能な出店式で、商売を終えたら即座に畳み引き払うのが商人たちの不文律となっていた。そうでもしなければ夜盗などに商品を持っていかれてしまうからで、客引きに余念がない彼らも実は命がけで店を出しているのだ。
そんな彼らにとって術士である俺たちは最上のカモであり、こうして歩いているだけでも制服を目当てにわらわらと商売人たちが集まってくる。
「あ、あのお店。ちょっと覗いてみましょ」
そしてそれらがまるで目に入っていないかのように、彼女は人の群れを掻き分け一つの屋台へと近付いていく。いつものことなので俺も気にせず、のんびりとその後に続いた。どうやら貴金属類を売っている店のようで、濃い赤紫色をした厚ぼったい敷物の上に、ペンダントやらイヤリングやらが恭しく並んでいる。彼女はこういった光り物に目がない。たまには何かプレゼントするのもいいかもしれないと、俺は使う当てのなかった金をポケット内でそっと転がした。
(②へ続く)
夢の痕~siciliano 6-①
ご無沙汰しております。
何と前に投稿してから二年も経ってしまいました。
二年前に書き終わってはいたのですが、見直しに気力を全て持って行かれ、ちまちまと見直しては止めを繰り返している内に、こんなに経っておりました。
もうご覧下さる方はいらっしゃらないかもしれませんが、ともかくこのお話だけは載せきりたいと思います。
前に気力が尽きた時に粗方見直しも終わっていますので、おそらく早めに更新していけるはずです。
また、今回も字数制限で分けました。
見辛いかと思いますけれど、どうかご了承下さいませ。
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