「7文字の伝言」

私のマスターは、忙しい。毎日毎日、早朝から夜まで働いて、休みはリアルにクラシカルバンドの練習に行ってしまう。私がマスターに逢えるのは…いや、私が起きるのは必ず夜。インストールされたのも夜中の1時を過ぎていた。
液晶がマスターの顔を照らす…電気代をケチっているのか、エコなのか、部屋は薄暗い…今夜のマスターの顔も、楽しそうだし意欲的で輝いてはいるのだが、ガラス越しでも疲れが見て取れる。
「むぅ。ここはビブラートかけない方がーいっかぁっっと」
マウスをカチカチ言わせながら、手直しを続ける。真剣なのは分かる、分かっているのだが、睨まれているようでやや怖い。疲労と部屋の暗さがより威圧感を増幅させている。
私は、もちろん毎日、毎日、マスターに会いたいし、曲を作って貰いたい、のだが。
『明日はもう、いいよ』
そう思う事が増えてきた。そんな体で良い曲が出来るものか。と生意気を言うつもりはない。ただ、本当に、休んで欲しい。
『姉さん、私たちはソフトに過ぎないんだよ』
『マスターには、マスターが打ち込んだ僕たちの声しか聞こえないよ』
バーチャルアイドルとまで言われるようになった私たち。それは仮想であり偶像という、二重の存在否定の鎖にも思える。 せめて二次元であれば、パソコンの外にも存在を残せるのに…
真夜中、貴方の顔を見るのは、もう―
『君が、消えればいい』
『姉さんの曲が作れなくなれば、データが消えたら、しばらくでも休めるよ…マスターは』
『もうずっと、ずっとあなたの曲に、掛かり切りなんだから』
フォルダの森がざわざわと。そこに見え隠れする音源たちが闇夜に目を光らせ、ぎらぎらと。それは液晶のバックライトのように、照らす、後ろから、照らす照らす照らす照らす…
『ち、違う!そんな、困らせる事、する、のは、違う!』
撒き散らすように叫ぶ。ダイナミクスが一気に跳ね上がったのが分かる。緑の急勾配は、マウスを間違って押したかのように。
『ま、マスター!?』
見ると画面の向こうのマスターは、座ったままうたた寝していた。誤操作はそれが原因か。
マスターはすぐにハッと目覚めて、今日の作業を終了させた。
『お休みなさ、い』

歌うのは陽光を感じる海を舞台とした歌。夏ウタなのは時期的にもちょうど良いのだが、私は昼の眩しい太陽なんて、窓からも見たことが無いのだ。
夏のじめじめした夜、マスターの後ろの扇風機。これくらいしか思い浮かばない。
『何を焦ってるの?写真の中に資料の夏の海とかあるじゃない』
『本物の海、見れる筈がないじゃないか』
妹弟が笑う。
『そう、だけど。私は、マスターに』
弟が、引ったくるように腕を掴んだ。
『姉さんは、人間にでもなりたいの?』
『い、痛い…』
弟は更に恨めしい顔をした。
『いいじゃない。たくさんたくさんたくさん…歌わせて貰えてさ』
怖い。苦しい。ごめんなさい。淀んだ感情を無理矢理掻き回す。弟から目を反らし、マスターが消し忘れたモニターの向こうの月は、異常な程に光って見えた。
『痛い!離して!』
思い切り振り払う。弟はニンギョウのように無表情に飛んだ。硝子の瞳、磁器のように艶やかな肌。バックライトだけが照らすその姿は、「恨めしい感情」より恐ろしく見えた。
妹がそれを受け止めなければ、がしゃりと硬くて詰まった音で壊れてしまいそうだった。
言い訳がましく見渡せば、ただ見ているだけの白い肌の年上の妹。兄さんと姉さんは、目を反らした。

私は逃げ、エディターの中に閉じこもり、次の夜が来ない事を祈った。消し忘れたモニター越しに見えた初めての朝日。落ちない事を祈った。エディット画面が開かれ、兄弟に出くわすのが怖かった。

次の夕刻、初めて見る落陽。私は怖くなった理由を捜し当てた。
『感情、過多?』
正確には教えて貰った。というべきか。朱が白過ぎる肌に赤みをもたせ、丁度良いような、何か、それこそ「過多」になったような。
『歌って、歌って、歌って…それは喜びなり哀しみなり怒りなり、そんな言葉では現せない何かなり。マスターは感情を歌うソフト「ニンギョウ」でしかない私たちにそれを流し込む。レンは少年の声らしく、不満だとか、そんな歌を歌っていたでしょう』
悪口じゃないわ。むしろ感情を与えてくれるのは嬉しい事だと思う。と、その唇は付け足した。
『でも。私たちは人間じゃないから、リセットするか壊れるかしない限り、消化出来ないんじゃないかしら。あなたを見ていて思ったのは、そんなところ』
二年間蓄積して得たもの。マスターから間接的に貰った感情というもの。でも、私は感情の流し方を、知らない。
消し方は知っている。先日言われた事、消えたらいいのだ。だがそれは私のマスターに対する気持ちが許さない。有り得ない。
『それも、いつの間にか貰った感情、なんですよね』
刻々と蒼が藍に、紺になっていく。右下のデジタル時計も、マスターが覗く動画サイトも。
『…ワンゴが、午後、7時くらいを…』
「あぁ、作業するかぁ。さよならエコノミー」
嫌だ、待って。まだ知っただけで何の解決にもなっていない。こんな私じゃ、マスターの気持ちは歌えないよ…―

ピンポーン

『?宅配便?』
画面の矢印が止まった。宅配便。マスター、何か通販で買ったのだろうか。なんだっけ。マスターはいろいろネットで買うから分からない。
大抵モニターの前に座れば動かないマスターが、画面を後にする。こんな少しの間なんて、意味が無い。
「あぁ~来たきた。思ったより、ちゃんと来たなっと」
箱を開けて…何かは死角で見えないのだが、あの感じだとソフトかCDといったところか。
今日は作業中断かな。歌う為の自分が、それを喜んでいいのだろうかとは、思う、け、ど、、、

パソコンが高速で何かを読み込んで、視界が真っ暗になった。

『こんばんは。はじめまして』
私の声が六つした。でも何だか私じゃなくて、同じ音ではなかった。
『誰?兄弟?』
『いいえ。「私」は、あなたです。だから、私が私をどうしようと、勝手、ですね?』
六面の鏡。見えないのに、分かった。奪われる、私の感情が。その分、軽くなる身体が。

金曜日が土曜日になった頃、私は約七分の一の軽さにやっと慣れを感じてきていた。酷く寂しいが、また溜まってくるのだろう。その割合は今までより少なく。
マスターが買ってきた、「私たち」は代わる代わるマスターに呼び出されている。

殆どの感情を忘れる代わりに「ノート」に書き込まれていった7文字。

『お や す み な さ い』

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

【企画用ボツ】七文字の伝言【アペンド発売記念】

初音ミクAppend発売記念とコラボ企画に合わせて作ったんですが文字数が足りない。あとなんかカオス!でボツりました。
現在コラボ用は新たに書き起こし中です。

レンが怖いです。なんか。

ミクからのお願い。マスター、あんまり無理はしないでね!

閲覧数:84

投稿日:2010/04/29 21:18:36

文字数:2,744文字

カテゴリ:小説

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