30.飛翔
「リント?! ここは……」
驚きのままに言葉を紡ぐルカの前で、リントはやや慌てた様子で首を振った。
「あ、着替えさせたのはオレじゃないよ。ここの島の女の人たちだから」
ちぐはぐな答を返され、ふとルカは自分の体を見た。着ていた軍の制服のズボンと機能性重視のシャツは脱がされ、ゆったりとしたワンピースを着せられている。島の者が好んで着る、夏の気候に合った涼しい生地の服である。
「薬で気を失ったときに、汚しちゃっていたから……悪いな」
ルカはすべてを理解する。船を隠した場所で、自分と二人の上官は何者かに捕らえられたのだ。そして、ここへ運ばれた。
そして、自分が全てを賭して島から逃がしたリントがいる。
ルカはゆっくりと上体を起こす。まだ少々頭がぼんやりしているが、動けないほどではない。
「ここは、どこ」
もう一度同じ問いを発したルカに、今度はリントも応えた。
「ドレスズ島。の、秘密基地」
リントは、ふっと笑った。あ、とルカは思う。
リントらしくない笑い方だ。自分の記憶にある、快活な裏表のない笑顔ではない。それは、ルカも目にしたことのある表情だ。島から出征していく人たちが見せる表情だ。
「このさっぱりとした笑い方。何かに殉じる人の目……!」
ぞっとルカの背に寒気が走った。とっさに手を伸ばし、リントの手を掴んだ。
「え?!」
リントが掴まれた左手を思わず引きかける。しかし、彼はルカの手を振り払うことは出来なかった。
「どうした、ルカ……」
ルカは引かれた手の勢いに乗って立ち上がる。ルカの目は完全に覚めた。
「リント、答えて。ドレスズの秘密基地って何。私と一緒だったほかの二人はどうなったの。そして、リントはここで何をしているの!」
リントは矢継ぎ早の質問に目を丸くし、しばらく考えた後、みっつ指を立てた。そして、数えるように指を折り曲げる。
「ひとつめ。ドレスズは本当の意味で奥の国の味方にはなっていない。地下の遺跡に隠れこんで、反撃の機会を狙っている。
ふたつめ。ルカの仲間はほら、あそこ」
リントが指差した方向を見ると、電灯の下に通信機があった。島の者とともに、ソレスとエスタが地面に座り込んで機材を装着し、何かを電信していた。
「今、大陸の本部に、オレたちの島が襲われた情報を送ったところだ。その後の会議も継続している」
リントの合図に気づいた島の者が、ソレスの肩を叩く。ふたりが振り向き、ルカが起きていることに気がついた。一瞬目を丸くしたふたりが、そろって表情を和ませたことに、うっかりとルカは笑ってしまった。大丈夫です、とうなずいてみせる。
彼らはすぐに作業に戻っていった。
ソレスもエスタも軍服のままであった。ルカはふと自分の下半身に視線を落とす。足をわずかに動かすと、スカートの裾が膝をかすめてたよりなげに翻った。ルカの頬にわずかに朱がさす。
「で、最後のみっつめ。オレが何をしているか」
リントが、先ほど音を立てていた方向を振り返った。広い空間の中に、なんと、飛行機があった。ルカがその不思議な光景に息を飲む。
「黄色の、飛行機……」
「およそ戦争向きじゃないけどな」
リントが、飛行機を見つめながら言った。
「オレは爆弾を落としにいくんじゃない。オレの島に、ある手紙を撒きに行く」
と、今度は飛行機と逆の方向から人が現れた。そこは通路になっていて、別の空間につながっているらしい。
「リントくーん! 原版ができたからね。どんどん刷るよ!」
「インクは間に合わせだから質は少し悪いがな。読めれば用はたりるわね!」
通路の奥から人が現われて、リントの前を紙の束を抱えて通る。
「うわ、1千枚どころじゃないな」
「当たり前!空から撒くなら、枚数稼がないと、あらぬ方向に飛んでいくのも多いでしょ!」
リントが、原稿の下書きの文章を、ほいとルカに手渡した。島と大陸のつながりはけして切れないことを主文にした、降伏勧告となっていた。
ルカも良く知る、『奥の国』の言語で綴られ、最後にドレスズ島の町長のサインが入っていた。
「手紙……」
「ほら! 急いで刷るぞ! 原版よこせ!」
機械の並ぶ工場のほうから男が駆け寄ってくる。基地の岩の扉をみずから開閉し、今回急遽決まった『手紙』のためにインクや紙を地上からかき集めてきた。指の汚れた男は、よく働く男であった。
「この人が、町長だよ」
リントがそうルカに紹介する。町長は険しい表情のままで、じっとルカを見つめた。
「コルトバの、娘か」
「はい。」
荒っぽい連れて来られ方をしたため、ルカの中では挨拶の言葉が止まる。と、町長はルカに向かって手を伸ばした。
「その面は、母親似だな。運がよくて良かったな」
それが握手だと気づいたのはさらに数秒後であった。手を差し出したルカを、町長があっさりと握りこむ。そして、放す。
無言のまま背を向けて仕事に戻ろうとした彼を、ルカがとっさに呼び止めた。
「……あの!」
ルカは叫んだ。
「私の、今の身分と名前は、この降伏勧告に、利用出来ると思いますか!」
それはとっさに口からほとばしった言葉だった。
「私! ……私が出来ることは、全部やりたいんです!」
町長が再び振り向き、周囲の音に負けずに怒鳴り返した。
「下っ端の役職はいらん! が、役に立て!」
「アイサー!」
ルカがとっさに彼に敬礼を送る。
その姿を、リントがあっけにとられて見つめていた。
「……なに。何かおかしい。リント」
敬礼を下ろしたルカが、見つめるリントに気づいて目を細める。白い涼しげなワンピースが薄明かりの洞窟でふわりと翻る。
「いや。……似合わないなと思って」
ルカが思い切り足を振り上げた。だん、とリントのつま先を踏み抜く。
「いっ!」
悶絶するリントの側にかがみ、ルカは降伏勧告もとい『手紙』の下書きの紙に向かい、町長のサインの後ろに、自分の名前を付け加えた。
「コルトバの娘、ルカ」
流暢な筆跡を紙に走らせ、ルカは町長の下へと走る。
「……いいだろう。原版を作る奴があの通路の奥にいるから、この原版に急いで加えてもらって来い!」
紙を携えたルカが引き返してきて、勢いよくリントの側を走りぬける。ふわりと薄紅色の髪がなびいて、潮の香りをリントの鼻腔に残した。
そのまま、通路の奥へと駆け去って行く。
「なんていうか……ルカは、相変わらずだな」
リントの口が、横に引かれた。目を細めて見送ると、なんだか気分がすっきりしていた。
「ああ。オレもやってやるさ」
リントの表情に、彼本来の快活な笑みが、戻っていた。
数台の、手動の印刷機を平行して使用し、原版を何度か作り直し、どうにか1万枚の「手紙」が日の高いうちに刷り上った。やがて、日が傾こうとしたころ、すべての準備が整った。並ぶ飛行機の前に、飛行士たちが揃う。
「行ってきます」
「おっさんたち、しくじんなよ!」
口々に挨拶を残し、飛行士たちが飛行機に乗り込んでいく。
リントも、集まったドレスズの人々を前に口を開いた。
「ありがとうございます。オレの仕事、見ていてください」
目を走らせると、通信機の前から、大陸軍人のソレスとエスタが、ぐっと親指を上げて見せた。
この人たちにこそ、自分の主張と仕事を見て欲しいとリントは思っていただけに、その肯定的な反応にいささか驚いた。
「死ぬ気でやれよ!」
死んだことになっていたリントへ、直球の鋭い言葉が飛んできた。しかし、叫んだエスタの顔が、冗談だと語っている。
リントはうなずき返し、くるりと背を向けた。黄色の飛行機に向かって走り、翼伝いに乗り込む。
と、そこに、ルカが居た。
「お前……!」
「連れて行って」
座席がひとつ、飛行機の荷物の空間に取り付けられ、複座としてしつらえられている。
ルカは、全ての装備を身に着けていた。上空の寒さから身を守る飛行服も、パラシュートのパックも。
「服は、予備を借りた。飛行機に乗る訓練も、パラシュートで飛び降りる訓練も、したことがある。お願い。私は、見ておきたいの。……『島』を」
ルカの目が、リントの瞳とぶつかった。リントの青く澄んだ目が、ルカの瞳に海の色を返す。
「……わかった」
リントがなれた身のこなしで操縦席におさまる。エンジンをかけ、計器を確かめ、外の者に合図をよこした。
とたんに、視界が取り払われた。海に向かって開いていた遺跡の開口部を覆っていたシートの、支えの綱が切られたのだ。
ばさっと植物の葉が舞い散った瞬間、そこには、夏の午後の青い空と海が広がっていた。
今日も、島々は快晴である。
「よし! 文字の読める明るいうちに、島へ到達するぞ!」
回転するプロペラに出力が乗った。短い滑走で一気に飛ばなければならない。合図とともにリントがサインを返した瞬間、ルカの身体にぐっと重力がかかった。飛行機が一気に走り出したのだ。飛行機は、休耕地であった畑のど真ん中を駆け抜け、海へ一直線に走り、そして吸い寄せられるように大空へと舞い上がった。
黄色の翼が、真っ青な空に抱きとめられ、包まれた。
「これが、リントの空……」
ルカは、つかの間目を閉じ、そして目を開けた。旋回した飛行機が、まっすぐにリントたちの『島』へ向いていた。
つづく!
滄海のPygmalion 30.飛翔
……ついに、かれらは手をとり空へ。そして、かれらの『島』へ。
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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