第三章 02
 街からやや離れた荒野で、両陣営がにらみ合っている。
 その様子を、男は戦場から離れた小高い丘の岩陰から眺めていた。
 草木の生えない荒れた平野では、地の利を活かした戦術がありそうには見えなかった。
 男のもとには、伝令兼護衛として近衛兵が四人ついていた。そのうちの一人はアンワルという名の近衛隊長だ。彼は焔姫からの信頼も厚く、ナジームに匹敵する腕の持ち主だった。今回、ナジームは焔姫が戦場へと出る代わりに軍本部に詰めている。
「貴方ほどの方がここにいていいのですか? 戦場で活躍した方が……」
 アンワルの顔は穏和そうで、体格も偉丈夫には見えない。その戦士らしくない細身の体の一体どこにそれほどの強さが隠れているのか、男には知りようもなかった。
「姫が戦場に出ておられれば、私がやるべき事はそんなにありませんよ。他の皆と何ら変わらない一般兵であれば、どうしても私が出なければならない道理はありません。それに――」
 アンワルは男を見て微笑む。
「姫は楽師殿の事をずいぶんと大切に思っておいでのようですから」
 返答に困り、男は頭をかく。
「そんな事……ありませんよ」
「そうでしょうか。姫と楽師殿は、結構お似合いだと思いますよ」
「ですから……私は剣をまともに振る事も出来ないのですよ」
 焔姫が夫として認める条件は、この国の者なら誰でも知っている。剣の才の無い男がそんな間柄になれるわけがなかった。
「姫も……遠からず気づくと思います。強さとは、力だけでは無いのだと」
「……?」
 男はアンワルの言葉の意味が分からなかったが、彼も特段それ以上の説明をしてくれそうな雰囲気ではなかった。
 誤解を解くのは難しそうだ、などと考えながら、男は下方の戦場を眺める。
 相手は近隣の都市国家の一つで、西方の大国の属国でもあった。この国と同じように西方と東方をつなぐ交易ルート上の国ではあるが、その国を経由するのはいささか効率が悪い。交易ルートの要所であり、なおかつ安定した水源を持つ焔姫の国はその国から見ればあまりにも羨ましく、それこそ喉から手が出るほど欲しい場所だった。
 彼らはこれまで幾度も使者を送ってきては、自分たちと同じように大国の庇護を受け入れるべきだ、と提案してきていた。それによるメリットを強弁に主張してきたのだが、無論、その意図の裏には、大国の属国とする事で属国としての序列による影響力を及ぼそうという思惑が透けて見えていた。そしておそらく、最終的には自らの国に取り込んでしまおうとまで考えているのだろう。
 当然、焔姫の父である国王はそこに気づいていたため、毎度の如くやんわりと拒否していたのだが、今回とうとう強硬手段に出てきたというわけだった。この国の属国化について全く進展しない事に、当の敵国だけではなく西方の大国もいらだっているのではないか、というのが国王や宰相たちの見立てだった。男にはそういった政治の駆け引きは分からないが、国王や宰相がそう思うのであれば、やはりその通りなのだろうと思う。
 敵の軍勢は、焔姫たちが想定していたよりも多かった。「おそらく、西方の大国も加勢をしているのでしょう」とは、アンワルの弁だ。焔姫の軍勢が千余に対し、敵のそれは千五百から二千余。実に一.五倍から二倍近い差がある。その圧倒的な差を、焔姫は戦術と兵士の個々の技量で覆さなければならない。
 戦には素人の男から見ても、それが並大抵の所業ではない事くらいは想像がついた。
 敵は横長に伸びた扇状の陣を敷き、対する焔姫はひとかたまりの方陣を敷いていた。
 敵は囲い込み、焔姫は一点突破という戦略のようだ。
 戦略としてはどちらがより優れているのか、男には判断がつかない。単純に数の多い方が勝つのではないかとも思うが、それでは焔姫が負けてしまう。そうしないために、焔姫はこの布陣を敷いているのだろう。
 焔姫がいるのは、戦となればいつでも最前線なのだという。その姿は、戦場から離れた男の元からも、はっきりと判別出来た。
 焔姫の紅蓮の戦装束は、方陣の最前列ではためいている。
 戦において目立つ色を着ているというだけでもかなり危険な事であるはずだが、焔姫はそれだけにとどまらなかった。
 なんと、一人だけ騎馬に乗っており、挙句に騎馬の背中に立っているのだ。
 剣を掲げ、焔姫が何事か叫ぶ。
 それは男の元までは届かないが、直後に角笛が鳴り響き、方陣が前進を始めた。
 どちらの軍勢も、最前列は前方に大きな盾を並べ、その隙間から長槍をつき出している。二列目以降は頭上に大きな盾を掲げていた。それは弓矢を防ぐためなのだろうが、焔姫だけは騎馬の上で盾も持たずに剣を構えている。
「危険過ぎる……」
 思わず、男は小さくつぶやいてしまう。その台詞に、近衛隊長はあろうことか苦笑した。
 それが信じられずにきっとにらみつけてしまうと、近衛隊長は申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ありません。あれについては私たちも進言するのですが、姫はやめようとしないのですよ。事実、兵の士気が高いのは、姫があれをするおかげなのですけれどね」
 確かに、見目麗しい戦乙女があのように叱咤激励するのであれば、兵の士気は確かに高くなるだろう。
「しかし――」
 ――あれではただの的ではないか。
 そんな言葉をかろうじて飲み込むと、近衛隊長が尋ねてくる。
「楽師殿は、以前の決闘の時の事を覚えておいでではありませんか?」
 同時に、互いの軍勢の後方から無数の矢が放たれる。その空を覆いつくさんばかりのおびただしい矢の数に、男は息をのむ。
 が、同時に思い出した。
 四ヶ月半以上前の、西方の大国の軍人との決闘。あの時、焔姫は至近距離で放たれた矢を、その持ち前の反射神経で打ち落としたのだ。
「姫に……矢など当たらないのですよ」
 そんな近衛隊長の言葉は、男の耳には届いていなかった。
 矢の群れは、そのほとんどが盾に防がれる。しかし、盾と盾の隙間を通して射抜かれてしまう者も、皆無ではなかった。
 その光景と同時に、方陣の最前列で銀光がきらめく。
 弓兵が再度弓をつがえ、二度、三度と弓を引く。その都度、第二波、第三波の矢の群れが互いの軍勢に襲いかかる。
 矢の数と比較すれば、決して多くはない。だが、それでも決して少ないとは言えない数の兵士が倒れ、戦列に穴が生まれていく。
 そんな中、焔姫は変わらず騎馬の上で立っていた。
 矢が飛んでくる度、自分と騎馬に殺到する矢を残らず叩き落とし、緋色に銀光をまとって焔姫は進軍する。
 その姿は、英雄と呼ぶにふさわしかった。
 あれだけの矢を受けたにもかかわらず傷一つ無い焔姫の姿に、味方が活気づく。対する敵は、未だ悠然と剣を掲げる焔姫を前に動揺を隠しきれないのだろう。進軍速度が鈍ったように見えた。
 激突。
 盾と盾の隙間に長槍が突きこまれ、盾同士が打ち合う音が男の元まで聞こえてくる。
 勢いがあった分、味方は押し勝ったようだった。しかし、すぐに敵の右翼と左翼が味方を取り囲もうと迫ってくる。
 初撃は優勢だが、数で負けている分、長引けば長引くだけ不利になってしまう。
 そんな男が分かる程度の事は、焔姫は当然のごとく承知しているだろう。迫りくる右翼と左翼の敵軍など相手にする事なく、敵の本隊を叩くためにどんどん前進していく。
「あれほどの大軍であれば、三分の一か、それ以上は傭兵でしょう。この勢いのまま将軍や将校を倒して指揮系統を麻痺させれば、劣勢と判断した傭兵たちは我先にと逃げ出します。そうなるまでに敵の士気を下げられれば、我らの勝利は動かなくなるでしょう」
 数で負けていても、そうすれば勝てるのだと近衛隊長が教えてくれた。
 そう言われても、数で負けている焔姫の軍に男は気が気ではなく、目をそらしそうになるのを必死にこらえて戦場を見つめる。
 焔姫は敵の大将を狙い、敵陣の奥深くを振り返りもせずに進軍していく。周囲の味方も焔姫に遅れを取るまいと同じように奥へと進軍する。その勢いに押される敵ではあるが、右翼と左翼は焔姫たちの側面どころか背後が取れるほどになってしまっていた。
 敵の大将を討ち取るのに手間取れば、あっという間にこちらが負けてしまう。男は自らの命がかかっているような、寿命が縮みそうな気分だったが、隊長を含む近衛兵四人は男とはずいぶん対照的で、あせっている様子など一切見せない。こうなっては自分ではどうする事も出来ないと割り切っているのか、焔姫の勝利を固く信じてまったく疑っていないか、どちらか――男は後者で間違いないだろうと思った――なのだろう。
 思わず神に祈りを捧げていた時間はほんの少しの間だったのだろうが、男にはずいぶんと長く感じられた。
 その祈りも、戦場から響いてきた鬨の声に遮られる。
 次々と味方が剣を掲げる。焔姫が敵の将軍を討ち取ったのだ。
 だが、それでも戦は終わらない。戦列が乱れ、すぐに敵味方が入り乱れての混戦となる。敵兵の戦意を残らず摘み取るまで、戦が終わる事はないのた。
 焔姫は戦場を駆け巡り、次々と将校を討ち取っていく。
 遠く離れた場所からだとよく分かるが、焔姫は戦場を注意深く見極め、敵の勢いが衰えず味方が劣勢になりそうなところへ疾駆すると、またたく間に将校を屠り、失われかけた士気を取り戻していく。
 それを幾度も繰り返し、焔姫は戦い続ける。
 戦場で先陣を切り、数の劣勢さえ跳ね返していく焔姫の苛烈さは、戦乙女、戦女神、果ては戦神と呼ぶに相応しいものがあった。
 西方の大国からさらに西へ、そして北へと向かった先には、そういった神々についての伝説がある。男は吟遊詩人としての旅のさなかにそれ聞いた事があった。
 焔姫の強さは、そんな伝説上の神々にすら匹敵するのではないか、と男は本気で考えてしまっていた。
 そんな焔姫の活躍に、とうとう敵軍が崩壊する。
 敵兵の大半が、戦いを放棄して逃げ出す者と、武器を捨てて降伏する者に二分する。
 敗北をよしとせず最期まで戦おうとする者は、ほんの一握りに過ぎなかった。
 そんな彼らを取り囲み、焔姫は何かを告げる。
 おそらくは降伏勧告だったのだろう。だが、焔姫の勧告にもかかわらず、彼らは剣を構えてがむしゃらに突進する。
 そんな彼らを、焔姫は一人残らず斬り伏せた。
 それを見て、皆が再度鬨の声を上げる。ようやく戦の決着がついたのだ。
「戻りましょう。まずは国王に伝えねばなりません」
 近衛隊長の言葉に男は従う。彼らには伝令としてやらなければならない事がある。戦が終わった今、それを邪魔するわけにはいかなかった。
 最後、一度振り返って男は戦場を見下ろす。
 味方も初めと比べるとかなり減ってしまっている。おそらくは三割から四割は失われてしまっているのだろう。それでも、数の不利を跳ね返し、焔姫は華々しい勝利をつかみ取ったのだった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

焔姫 14 ※2次創作

第十四話

「鬨の声」は「ときのこえ」と読んで下さい。念のため。
ようするに雄叫びを上げたって事なんですが、その表現だとなんか雰囲気出ないので。
ルビがふれないのでこういう知らないと読めなさそうな字や表現はなるべく避けているつもりですが、今回ばかりは漢字にしないと逆に伝わらなくなると思ったのです。
そして戦って書いててすごく難しいですね。アクションもまともに書けないのに集団戦とか……より難易度上がって大変でした。

閲覧数:54

投稿日:2015/02/01 19:32:04

文字数:4,489文字

カテゴリ:小説

オススメ作品

クリップボードにコピーしました