ふと目が覚めると、レンはモーテルの固い寝台で一人寝かされていた。窓の無い部屋だったので金時計で確認して、取り返しのつかない時間になってしまっていることを確認した。
もう急いでも無駄だったが、それでも人目の少ない早朝に戻るに越した事は無かった。
研究所で着替えて髪の染料を落とすついでに身体も洗い、普段着を着直して梯子を上っていく。
「レン、大丈夫か?」
上り切った先には、予想通り『父』が待機していた。が、ディーから事の次第を聴いているのだろう。心配をしているようには見えないし、なぜかそれどころか嬉しそうな気配すらある。
「ごめん。わざわざ時間取らせて」
「ディーが知らせてくれたぞ。が、サリー殿は君が病気で鍵も開けられないのかと心配したようだ」
サリーはこの密会を知らないし、レンの寝室の鍵も持っていない。部屋から出て来ない主の安否を確認する方法は、彼女には無いのだ。
「ま、サリーからすればそうだろうね。後で適当に誤魔化しておくよ」
「アズリ殿も心配していた。彼女にも声をかけに行くんだな」
「昼食の時にちゃんと言うよ。僕とディーさんは王宮内では顔を合わせないようにしてるの、知ってるでしょ?」
そんな事情などなくとも、今は恥ずかしくてとても顔を合わせられたものではない。何処までディーが話したかは分からないが、彼が何を言うまでも無く、レンが自室以外で意識を手放すなどそれだけで完全なる異常事態だ。
「彼は随分と機嫌が悪いようだったが、喧嘩でもしたのか?」
『父』はこの朝の忙しい時に、詳細を聞きたくてうずうずしているらしい。
「どうだろう? 喧嘩なんてした事無いから、昨日の内容がそれかどうかも分からないな」
断る事は簡単だったが、イルを起こしに行く時間までまだ幾分余裕があった。朝食を諦めることにして、レンはディーが話してくれた王宮の内部事情を話した。
同時進行で着替えも始め、ちょうどそれが終わった頃に語り終えた。
「そうか、先王陛下はそんなことを」
優しき武人は、それまで浮かれていた事を恥じているようだった。今度こそ心配そうにレンを見やる『父』を、安心させるように微笑んだ。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。僕はそんな事を今更聞いたからって、あの人達を殺めた事を後悔する程殊勝な人間じゃないから」
人間関係に関してだけ、とことん不器用なのは遺伝だったらしい。言葉通りやはり罪悪感というものはないけれど、けれど愛されていた時期があったという事実は、レンの心をほんのり暖めた。
「この七カ月何度も何度も思っていたが、やはり君は強くなった」
そう言って頭を撫でられる。その幼稚な行為に、言葉だけで抵抗した。
「もう子供じゃないんだけどね」
「月並みな科白だが、親にとっては子供は死ぬまで子供だ」
振り払うことができないわけじゃないのだが、幼少時ほとんどこういった触れ合いをした事がなかったレンにとって、どうにも自分からは拒否できないものだった。
「今までも感謝してたけど、ディーさんにはこれからはもっと頭が上がらないよ。それに、彼について人生の目標ができた」
「ほう?」
いつになく前向きな態度に、『父』は楽しそうに先を促した。
「僕にとってはとっくに彼は『友人』だったけど、彼にも僕の事を友人だと思って欲しい」
困難なことであるのは承知の上だ。どう取り繕っても、彼の叔父をレンがこの手にかけた過去は変わらない。けれど彼から貰ったものはあまりに貴重なもので、それを幾許かでも返したかった。
ディーがレンにもたらしたものは形あるものではないので、同じ形で返すには彼にも最低限信用される必要があった。
「良い目標だ。簡単なことではないだろうから、気長に努力を重ねていけばいい」
「もちろん、ほとんど不可能だからこそ人生を賭ける価値があるんだよ」
ヴィンセントの手が頭からどけられ、レンは彼を伴って寝室を出た。
「レンさん! 大丈夫なんですか?」
途端、アズリが悲鳴に近い声を上げつつ飛びついて来た。
「平気平気、ただ少し寝坊しただけ。ヴィンセントと少し話があったから、丁度いいと思って少し打ち合わせしてたんだよ」
後ろの『父』からは呆れの空気が漂ってくる。まあ、『よくそんな当然のように嘘がつけるな』とでも言いたいのだろう。これは性分と人生経験上、身について当然の技術であり悪癖だ。
「朝食の時間、後十分ですよ!」
ヴィンセントに挨拶をしてから、アズリは人生で一番重要なイベントだとでも言わんばかりに、レンを席に付けようとしている。
「え、君も食べてないの? こういう時は、時間通りに食べないと」
座らされて初めて、黄緑色の少女の朝食(には思えない重さだが)が手付かずであることに気が付いた。
「五分切ったら食べ始めようと思ってたんですけど、やっぱりレンさんと食べなきゃだめなんです」
「分かったよ。僕も今からできる限り食べる」
何がだめなのか良く分からないが、とにかくレンと一緒に食べたいと望んでくれているのだろう。
「レン、じゃあ私は戻るぞ」
「あ、うん。来てくれてありがとう」
実に微笑ましそうなオーラを放ちながら、『父』は去っていった。
「えと、今更ですけど、おとぎ話の『軍人』さんって、ヴィンセント様なんですよね?」
恐ろしい勢いでテーブルに並べられた料理を吸い取るように食べていく恋人は、それと同時進行して会話できるという稀有な能力を持っている。その胸元には大きなルビーのブローチが鎮座しているが、もうこれは毎日の事だ。
その二つを眺めていると、それだけで自然と表情が緩む。
「ああ、そうだよ。もう今となっては僕にとって親みたいなものかな」
トーストを口に引っ掛け、コーヒーで流し込む。昨夜固い寝床で、しかもドレスを着たまま寝たせいか身体のあちこちがだるいが、それと反比例して精神は晴れやかだった。
「ヴィンセント様には、想い人とかいらっしゃらないのでしょうか?」
ふと飛び出したアズリの疑問に、レンは不覚にも一瞬考え込んでしまった。
「どうだろう。書類上は、一度結婚しているからね」
事実上は何の関係も無いし、黄の国が再建された時に解消されているはずだが、あの生真面目と誠実を脳の根本に焼き付けているような武人に、そう言った浮いた話は寡聞にして聞いた事がない。
彼も齢三十五歳。本来なら結婚どころか、子供の一人や二人いても全くおかしくない年齢だ。混乱の渦に巻き込んで、そんな戯けた事をしている暇も無くしてしまった元凶であるレンとしては、そしてそれ以上に『息子』として、ヴィンセントには幸せな家庭を築いて欲しい。
「今度、お見合い相手でも探してこようかな」
イル程ではないにしても彼も整った容姿の持ち主であるし、そしてあの性格ならイル以上に相手を選ばないだろう。一度結婚しているが、そんなことレンが交渉するにあたっていくらでも誤魔化せる。
「素敵ですねえ」
驚くべき事に、残り二分という所でアズリは朝食を全て食べきり、皿は猫も舐めようがない程になっている。
「もう時間だ。じゃあ、僕はイルを起こしに行くよ」
レンはトースト半分を残すことになったが、アズリの意味ありげな視線の意図を酌み、黄緑色の少女の口に放り込んでやった。
「お仕事頑張ってください」
瞬間的に咀嚼して飲み下し、実に明確な発音で送り出された。
「うん、君も頑張って」
ありゃ一種の才能だね。すごいもんだ。
想い人のこの食い意地と、自らの秘密主義に足を掬われることになるとは、この時は思ってもいなかった。
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ゆるりー
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