「塔」の術士には、月初めに微々たる額だが給金が渡される。生活に必要な諸々は全て「塔」が負担してくれているため、この金は純粋に嗜好用だ。「塔」側としても、ずっと閉じ込められ鬱憤が溜まるであろう術士の管理は重大な課題であり、任務で著しい成果を挙げた者には特別ボーナスを支給したりと、意気を鼓舞させる努力は惜しまなかった。
またこれは術士に限らずだが、塔内で起居する者は年に数日、休暇を取り外へ出かけることが許されている。勿論勝手な取得は出来ず、所定の書類に必要事項を記入した上で申請し、受理されなければならない。俺はそんな面倒な手続きをこなしてまで行きたい場所も会いたい人もいないため、一度も利用したことはないが、「庭」の生徒が帰省する際に活用しているのはよく知っていた。
そして術士になると、その時の家族への土産用にも給金を使うことが多かった。もしくは金をそのまま実家へ持ち帰る者もいる。生活に困窮している家庭も少なくなく、子供の元気な姿を見れたばかりか、ある程度の纏まった金が手に入るのは正に天にも昇る心地だろう。勿論そんな温かい家ばかりではないと思うが――。
そこで俺はさっと周囲に視線を走らせた。増え続けもはや野次馬と化している商売人たちの中には、人混みに紛れて窃盗を働こうとする不届き者もいるはずだ。人間相手に出来るだけ魔術は使用したくない。そのまま警戒しつつ隣を見やると、丁度アクセサリーを試着させてもらっていた彼女と目が合った。あまり大きいとは言えない耳たぶに、雫形の小さな石が揺れている。翡翠らしきそれが本物かどうか、鑑定にとんと疎い俺の眼には判断がつかなかった。
「どう?この耳飾り。似合う?」
「似合ってる。そういう色も合うんだな。ただ、塔では付けれないだろ」
任務中は勿論のこと、塔内でも貴金属の類を身に付けることは禁じられている。理由は定かでないが、おそらく風紀が乱れるとかそんな所なのだろう。街の現状を一度(ひとたび)眺めれば風紀どころの騒ぎではとても済まないはずだが、“術士を登用する”と標榜している組織からすれば、術士以外の人間は大して重要でないのかもしれない。
そういえば以前、どこかの塔において術士の才を持たない一般人が魔術の実験台にされている、という噂を耳にしたことがあった。「塔」の上層部にとっては、人々など畜生も同然なのだろうか。胸糞の悪い話だ。そしてそんな組織に大した理念も目的もなく所属し続けている俺は――
「そうね。でもこうして外に出たり、部屋にいる間にこっそり付けることは出来るじゃない。女の子にとってはそれだけでも楽しいのよ」
幸い思考が嫌な方向へ逸れる前に彼女の言葉が遮ってくれた。そうして店主から渡されたらしい角の欠けた手鏡で矯めつ眇めつしていた彼女だったが、不意にぱっと俺の方へ顔を向け口を開いた。
「そうだわ、忘れてた」
「どうした?」
「隣の地域に住んでる従妹がね、この前結婚したって手紙をくれたの。この前って言っても、もう結構時間経っちゃってるとは思うんだけど。あの、ある程度集荷してから一斉に送ってくるシステム、いい加減どうにかして欲しいわよね。同じ「塔」同士なんだし、もっとやりようがあると思わない?」
彼女の言い分は、塔の皆が日頃抱いている不満と同じだった。かつて「国」が栄えていた頃は健在だった“街道”なる路も姿を消して久しい今、郵便を一手に担うのも「塔」の大切な仕事で、各塔に集められた郵便物は月末にそれぞれの地域へ転送される仕組みとなっていた。
それだけでも随分と時間差が出来てしまい不評を買っているのだが、「塔」に所属する術士の場合はまだマシな方だ。塔内の研究地区にある郵便物専門の部署で、送り主の名前と送り先の地域及び名前を述べ、荷物を預ければ事足りる。また受け取りは、わざわざ出向かずとも各々の個室へ届くよう計らわれているために、受領し忘れる心配も皆無だった。
ところが一般の人々はそうはいかない。まず郵便物を出すのも一苦労で、塔の入口付近に立つ歩哨兼仲介役の術士に、事情を説明した上で引き取ってもらわねばならない。各地域により事情は異なるが、大抵塔は街の中心部に位置している。したがって辺境に住む者は何キロも歩き用を済ます必要があった。
引き取りに到ってはより厄介で、「塔」は各人の定住先なぞ全く把握していない。つまり郵便物が届いているかどうか、定期的に各々で確認へ赴く必要があるということだ。一月保管した郵便物は破棄されてしまうことも相俟って、連絡を取り合うような知り合いを持つ者はさぞかし不服を感じているだろう。
しかしそんなことよりも、唐突且つさらっと告げられた情報に俺は内心どきりとした。彼女から親類の話題が出るなど今回が初めてだ。にも関わらず、ごく軽い調子で語られたせいか、あまり現実味を帯びて迫ってこない。此処が店先だというのも一瞬失念するくらいに、ぼんやりと彼女の声が耳を擦り抜けていく。
「まあ、その辺りのことは向こうもよく分かってると思うしね。遅くなっちゃったかもしれないけど、何かお祝いでも贈ろうかなって。だから今日誘ったのよ。何がいいかしら……KAITOはどう思う?」
今日は元気印のあの子といいMEIKOといい、プライベートな話がよく飛び出す。そして例のトレーニング室でのぎこちない会話が蘇りそうになり、我に返った俺は急いで言葉を探した。
「そうだな……。その従妹には、もう子供はいるのか?」
「どうなのかしら。前から結婚したら子供が欲しいって言ってたし、いつかは出来るかもしれないけど」
「なら、少し気が早いかもしれないがベビー用品とかはどうだ?子供が好きなら、貰って嫌がりはしないと思うが」
「そうね……。絵本や玩具だったら、ある程度大きくなってからも使えるしいいかも。見てるだけで和めるし」
「探してみるか?」
「ええ。でもその前に――」
そこで彼女は、俺たちの話が終わるのを辛抱強く待っていた店主に手鏡を返した後、笑顔で右耳を示しつつ告げた。
「これ、下さいな。付けていきたいから、このまま払ってもいいかしら」
そうしてズボンのポケットから財布が取り出される間際に、俺はようやく意を決した。柄でないことなど百も承知だが、ただでさえ男として頼られていない身。やはりここは一つ格好をつけておきたい。そんなある意味不純な動機に後押しされ、彼女の前へと進み出る。
「いや、俺が払うよ」
「どうして?」
「たまにはプレゼントしようかと思ったんだ」
普通恋人からこんな風に言われたら、多少なりとも相好を崩す場面ではないだろうか。しかし彼女は小馬鹿にしたようにすっと目を細めると、嘲笑を隠そうともせずその淡い期待を一蹴した。
「そういうのって、プレゼントとは言わないんじゃない?」
「そうか?」
「だってプレゼントって言ったら、本人に気付かれないよう買っておいて、後で実はって渡して喜んでもらうものでしょう?本人が選んだものを代わりに買うだけって、あまりに安易だわ」
「……でも気に入らないものだったら怒るだろ」
「よっぽど趣味に合わなかったらね。だけど例え自分の好みと違っても嬉しいことは嬉しいのよ。だってそれを買う時にどれがいいかなって悩んでくれた、その時間や気持ちも一緒に貰えるんだもの。ただ欲しいものを買ってもらうより、そっちの方がずっと幸せだし素敵だわ」
「……分かった。じゃあまた今度、MEIKOに合いそうなものを探しておくよ」
「うん。期待してるから」
そしてきびきびした動作で金を払い平然と店を後にするその背中を、俺はうだつが上がらない使用人の如く追いかけた。全く彼女には敵わない。だが数歩進んだ所で急に彼女は立ち止まった。今度は何だと隣に並び顔を見やると、一点に固定された視線は外さぬままにどこか不思議そうな声がぽつりと零れ出る。
「あの人……何してるのかしら」
彼女の言葉にそちらへ意識を向けると、ここから十数メートルほど先、家屋や露店などが無秩序に立ち並び通りすら判然としない一角に、土色の襤褸を纏った一人の人間が佇んでいた。目深に被ったフードのせいで表情や面立ちは分からず、性別もこの距離からでは判然としない。
俺たちが凝視していることに気付いたのか、向こうもまたこちらへ顔を向けた。こうなっては見なかった振りをして踵を返すのも気が引ける。仕方なくゆっくりと近付いていくと、彼の人物は落ち着いた調子で静かに口上を述べた。
「私は予言を伝えることを生業としている者です。お金は頂きません。どうか予見させて下さいませんか?」
その澄んだ声音で若い女なのだと理解した。わずかに上げたフードの下から向けられる瞳は青味を帯びた黒色で、微かに覗く髪は艶やかな濡れ羽色だ。鼻の辺りまで引き上げた布のせいで顔ははっきりと確認出来ないが、おそらく端麗な容姿なのだろうと思われた。しかし女の注ぐ視線には感情が一切なく寒々しさすら覚える。じっと見つめられているとこちらの心まで凍てついてしまいそうだ。
「どうしようか」
然しものMEIKOも途惑いを隠せない様子で、滅多になく俺に伺いを立ててくる。普段なら人が何と言おうと己の思ったよう行動しないと気が済まない性質なのだが、どうやらそれ所ではないらしかった。その気持ちは重々分かる。何だか女と向かい合っているだけで、自分の中の何かがこそぎ取られていくのにも似た不安感が募ってくるのだ。加えて俺は予言などの類に全く興味がない。そんなものへ傾倒するくらいなら、魔物やカオスシードと渡り合っている方が余程有意義にさえ感じる。
こんな俺が返す答えは決まっていた。しかしそれを口に出すより一瞬早く、彼女は竹を割るようにすっぱりと決断を下してしまった。
「まあ面白そうだし、一度見てもらうのもいいかもね」
彼女が乗り気なのなら仕方ない。というより、一度言い出したことは基本的にやり遂げないと機嫌が悪くなるため、選択の余地はないも同然だった。
「ありがとうございます」
そうして予言者を名乗る女は、まずMEIKOを正面からひたと捉えた。傍(はた)で見ているだけでも、発される異様な迫力が波のように伝わってくる。
やがて一つ瞬いた女は、見通したらしい中身を淡々と彼女に伝えた。
「貴女は今、迷いを抱えています。その迷いは近い内に更に大きくなるでしょう。ですが、心しておいて下さい。貴女の迷いに意味はありません。貴女がどれほど悩み結論を引き延ばした所で、結末は決まっているのです。貴女の迷いは貴女のものではなく、もっと大きな別の意思が関わっています。それをきっと忘れないようにしていれば、道は開けることでしょう」
次いで女は俺へと眼差しを寄越した。その澄み切って冷え冷えとした瞳には、未来どころか過去までも見透かされているようで、猛烈に居た堪れなくなる。
「貴方は――」
そこで女は黙った。一拍ほどの間を空け、そしてゆっくり目を閉じた後にやっと言葉を紡ぎ出す。しかし縒り合わされる内容は俺の理解の範疇を軽々と超えていた。
「どうか、貴方の望むままの道を進んで下さい。それがこの世界にとって最良の未来となるでしょう」
女の不思議な予言に、俺とMEIKOは思わず顔を見合わせた。対する女はもう俺たちに興味を失ったらしく、再びフードを目深に被り直し動かなくなる。
「……行きましょ」
そうして彼女に促されその場を後にする刹那。女が顔を上げて俺を見据えたような気がした。
夢の痕~siciliano 6-②
①の続きです。
今回はMEIKOとKAITO以外にも一人ボーカロイドを出していますが、この話の中だけでは物語に関わってきません。
そして次回はKAITOの兄が名前だけ出てきます。
またもう一人名前が出てきたりします。
こちらは結構物語の根幹に関わってきますので、少し意識してもらえたら嬉しいです。
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