●夢の現実へ ~第1話~
果たしてこれは夢か現か。
「んじゃ、とりあえずは音域の調節からいくぞ」
「はい! 今度こそ絶対にこなしてみせます!」
言いながら鍵盤へと向けていた視線を正面に送る。
視界に映るのは綺麗なエメラルド色の髪を左右に結わえて流し、髪と同色の瞳と15歳然とした幼い顔立ち。今日はキーボードをイメージしたのではない、普通のワンピースを着こなす、二次元生まれの少女――VOCALOID・初音ミク。
いや、二次元生まれはおかしい、か? 等と心の中で突っ込んでみるも、現実はなんというか、正直に言って未だに信じがたい。
俺って意外に常識に縛られる人間なんだなーってつくづく思う。
「あ、あのぉ~」
「……あぁ、ごめんごめん。じゃあまずはソの音から」
「はい! お願いします!」
元気良く返事をしたミクに頷き、俺は鍵盤に指を躍らせる。
そう。これは夢ではなく現。現実だ。
VOCALOID・初音ミクとの調整――本来は調教というらしい――と言う名の同棲生活。
本当、どこぞの有名動画サイトでもてはやされ、願望され続けた世界に……俺自身が投じられるとは……
運が良いやら悪いやら……
俺は鍵盤に指を躍らせながら、歌うために生み出された彼女のヘタクソな歌に耳を傾けるのだった。
♪ ♪ ♪
――1週間前。
室内を満たしていたメロディーは、俺が手を止めてから数秒の余韻を残し、空気に溶けていった。
鍵盤から指を外し、一息を吐くと楽譜にとめておいた視線を前へと移す。
俺の視界には電子機器が並んだ部屋にしか見えないが、壁の向こうで自分の演奏を――正確には俺が演奏していた楽器の音色だが――を聞くために集まっているだろう人々に頭を下げ、部屋を後にする。
部屋を出ると、先程まで自分が居た部屋と同様の特殊な壁――防音設備が備わった廊下が続き、途中にはいくつかの扉が設けられている。
勿論、その中は俺が居たような部屋ばかりだ。
覗いてみれば部屋ごとに違う楽器や最高レベルの電子機器が所狭しと並んでいる。
中には演奏者が演奏し、白衣を着た研究者らしき人が電子機器を操作していた。
最高の楽器を作り出すためには日夜努力、費用を惜しまない。さすがは天下のヤ●ハ研究所。
そう。ここは世界に誇る楽器メーカーヤ●ハが主力を投じて日々楽器開発に臨む研究所の1つ。
店先は勿論の事、プロの演奏者などが使っているような楽器は多分にここから生まれたといっても過言ではない。
そんなまぁトップレベルの研究所を、俺みたいのが歩いているってのは、今思えば凄いことである。
俺は別段ここの研究者でもなければ、ヤ●ハの雇飼でもない。
ぶっちゃけてしまえば世にも誇れないフリーランスの売れないピアニストだ。
本来ならばこんなトップレベルの研究所になんか立ち入ることなどできはしないんだけども……
見知った道順を行く事で目の前に現れた扉をゆっくり開けると、これまた見慣れた研究質が眼に入る。
総勢14人のスタッフがパソコンに向かい、小気味良い音をキーボードで奏で続けている。
俺は彼らの邪魔をしないように来客用のソファに座り、
「ほい。お疲れちゃん、創君」
「あぁ、疲れたよ」
突然目の前に出された紙コップを受け取りながら対面に座る白衣の男に頷く。
こいつは、ケイ=J=立花と言う昔からの腐れ縁。よく言えば幼馴染ってやつだ。
そして何を隠そう、こいつは此処ヤ●ハ研究所・第3研究室副所長の肩書きを持って屋がるエリート様だったりする。
つまり、潜りみたいな演奏者である俺が、こんな所で仕事を斡旋してもらっているのはこいつとのコネのおかげだったりもする。
「今日も良い感じだったじゃないか。これなら良いアピールになったぜ」
「何だ、聴いてたのか」
「あぁ。回線からのスピーカーだけどな。だってよぉ! 所長が生に聞けるのに副室長である俺様が聴けないとかオカシクネェ!?」
「別に所長と副所長が出張るような事でもないってことじゃねぇの?」
「ば・か・い・う・な・YO! 今日お前が引いたピアノはそりゃもう力作中の力作だっちゅうの! 開発リーダーこの俺ねこの俺!」
どうやら生視聴に居合わせられなかったのが相当に頭にきているらしい。だがそんな愚痴を俺に言われても詮無いことだろうよ。
思いながらもケイの言葉を流し聞く。本来なら聴いているつもりはないのだが、仕事の終了は俺の雇用者であるここの所長――栗原佳代さんに報告をしなければならないのだ。
だから彼女の帰りを待つ。その間愚痴を聞かされる。そばを通る見知った研究員に「いつも大変ですね」と苦笑される。まぁ、毎度のことだから慣れてるよ、と笑って返す。
そんなこんなをしているうちに研究室の扉が開き、
「あ、所長。お疲れ様です」
「あー、やっときやがったか所長様」
セミショートの黒髪に整った顔立ちに泣き黒子の女性こと栗原所長が研究室に顔を出す。
所長は迷うことなくソファに座る俺達に歩み寄り、「ん。揃っているね」と告げて懐から取り出した煙草に火をつける。ちなみにケイは俺の隣に移動している。
「……ふぅー」
「所長様~? とっとと結果をいっちゃいなYO!」
「五月蝿いねケイ。一服ぐらいさせろ。かまわんだろ? 創」
「はい。構いませんよ」
こっちは仕事を斡旋してもらっている以上強くは言えないのが社会と言うものだ。もっとも、どうせ不許可したところで聞きはしないのがこの人だ。
ぶーぶー文句を言うケイを無視してゆっくりと一服を終えると、栗原所長は鋭い視線を俺に向け、
「まずは今日の演奏はいつもながら上出来だった。私らの商品も認められた。例を言おう」
優しげに微笑んだ。無論結果を聞いたケイも「当然ジャン♪」と笑う。口では当たり前のように言っていても、やっぱり認められるのは嬉しいものなのだろう。かくいう俺も内心凄くホッとしている。
「ありがとうございます。ご期待に添えられて何よりです」
「それでだね、創。やっぱりあんた、ここの専任奏者になってはくれないかね?」
栗原所長は真剣な顔で再び俺へと問いかける。俺にここの雇飼になってくれないか、と。
「毎度言っているが、私はあんたを信用してるし腕もかってる。上層部も認めてるんだ。いい加減、応えてくれないかい?」
そう。これは俺がここからの仕事を受けるようになって直ぐに出てきた話だった。
それは俺の演奏者としての腕を買ってくれている、というまんまの意味であり、奏者としては嬉しいことなのだが――
「……お言葉ですが」
――俺はいつものように首を振る。だから栗原所長も「そうかい」と追及することなく頷き、隣のケイは溜息を吐く。
「お前が内の雇飼になってくれりゃあ、成功率がぐんと上がるんだがなぁ」
「気のせいだから、俺にそんな期待を込めるな」
ケイの言葉を軽く笑って流すも、栗原所長は俺の言葉に首を振る。
「気のせいじゃないさ。だからあんたに続けて仕事を依頼する」
「珍しいですね、こう立て続けに依頼だなんて」
「そうさね。と言っても、今回みたいな演奏じゃなく――」
「お前には機器の調節をお願いしようと思ってるんだ」
栗原所長の言葉を継ぐようにケイが続ける。
「お前は奏者であると同時に調律師でもあるからな。電気機器にも強い。だから、またお願いしちゃおうかと思ってさ」
にっと笑うケイに「まぁそういうことだ」と栗原所長も続く。
「毎回思うんですけど、しっかりと研究員と奏者でのタッグでやるべきじゃないですか?」
「それも毎回答えるが、それはそれで金も掛かるし手間も掛かる。何より試作機の調節だから、お前1人に頼んだ方が、安価で効率良いんだよ」
「とか言いながら俺が調整したままで発表とかしてましたよな?」
「お前の腕が良いからな」
それで良いのか天下のヤ●ハ研究員!
これも毎回のことなので、まぁいいか、と内心で納得させる。
「で、何を調整すればいいですか?」
「それが、こちらとしてもいち早くやってもらいたいところだが、今手元になくてね。明日の朝にはあんたの自宅にこいつが届けるだろうさ」
栗原所長が指でケイを指す。ケイは「任せぃ!」と胸を叩いていた。
「で、どんな――」
「それは着いてからのお楽しみっちゅうことで!」
くつくつと笑いながら俺の言葉を遮るケイ。俺は半眼になって睨むも、まぁこれもいつもの事なので気にしないで置くとしようと強制的に思考をシャットダウンした。こいつが届けるって時点で種明かしは最後ときている。
ふぅ、と一息を吐き、
「それでは明日、届いたら連絡を入れます」
「あぁ、頼んだよ。それと、今日はお疲れさん」
「はい」
「創。お楽しみになぁ~」
用件が済んだ以上長居は無用。何より所長と副所長の時間を取り続けるわけにもいかないので、俺はそそくさと研究室を後にした。
今思えば、ケイのあの笑顔にもう少し不信感を抱いておけば、もう少し心の準備が出来たかもしれない。
……いや、無理か。
♪ ♪ ♪
そうして迎えた翌日の朝。
それはけたたましいほどの呼び鈴の音でたたき起こされた。
時計を見れば午前9時ちょっと過ぎ。
どうやらいつもよりも寝過ごしてしまったらしい。
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
呼び鈴に答えて起き上がろうとするも、体が布団から出ることを拒んでいる。昨夜の疲れが抜けていないのだろうか?
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
「…………」
当然のことながらこのまま二度寝……なんて許されるはずもなく。
「仕事、か」
昨日ケイが仕事を届けると言っていたことを寝ぼけ頭で思い出しながらベッドを出る。
ピンポーン! ピポピポピポピポピポーン!
「はいはい、今出るから」
と言うか、連打と来たか。
あいもかわらずケイは気が長い方ではないらしい。
いっそこのままどれくらいの時間呼び鈴を鳴らし続けるか試してみたい、とか思っちゃったりするわけだが――あいつの場合、これだけ鳴らして出ないならと扉を壊して入ってきかねない。いや、これマジ話。
とりあえず俺はいまだに鳴り続ける呼び鈴に溜息を吐くと、ドアフォンまで歩き、
「わかったから少し待っててくれ」
一言告げ、洗面所で顔を手早く洗う。だがその間も鳴り続ける呼び鈴。いい加減腹が立つ。
何せドアの向こうではニヤニヤしながら呼び鈴を鳴らしているケイがいるはずだからだ。
俺は玄関の鍵を開けると同時に腹に空気をため、
「いい加減にしろよケイ!」
それはもう不機嫌さが嫌でも伝わるように、呼び鈴連打をした奴にぶつける。
すると帰ってきた答えは、
「あ、えと……ごめんなさい!」
予想の外からやってきた。
見ればそこには予想していた人物ではなく、長く綺麗なエメラルド色の髪を左右で結わえた女の子。
「…………」
聴覚情報も予想外なら視覚情報も予想外だ。まさか今どきの女の子がどこぞのバカみたいな幼稚な行動をするとは……
俺は一度頭を掻いて思考をリセット。浮かべているだろう間抜けな顔もリセットし、目の前の女の子に問うことにした。
「えーっと、どちらさま?」
「あ、はい! お、お届けものです! お受け取りのサインをお願いします!」
言いながら女の子は伝票を俺の前に差し出す。
えーっと、差出人……ヤ●ハ音楽技術研究所所長・栗原佳代。
「栗原所長から?」
ってことは、昨日いってた仕事かな?
てっきりケイが運んでくるものと思っていたがために、少し驚くも、たぶんあいつのことだ。面倒になったから宅配にしたのだろう。
うんうんと自分の考えに納得していると、「あのぉー、受け取ってもらえないんでしょうか?」と、おずおずと尋ねてくる配達員の女の子。
「ん? あー、ごめんごめん。今サインするよ」
俺は自分の思考時間で彼女の仕事時間を邪魔してしまった事を詫び、手早くサイン。
「はい! ありがとうございます! では、こちらが控えの伝票になりますね」
女の子から伝票を受け取ると、はてさて今回はどんな代物かと考える。
あれだけもったいぶったんだ。結構な代物じゃないだろうか、と。
伝票を折りたたみ、期待を込めて届け物を受け取ろうと手を差し出す。
俺の手を見た女の子は慌てて俺の手に自分の手を重ね、
「え、えと……ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします」
「はい?」
はたまたこれは予想外。どうやら今日は朝から俺の予想もとい常識などを斜め上と言うか、別次元へと進むらしい。
今、この娘、何て、言った?
不束者ですがよろしくお願いします?
それじゃまるで嫁ぎに来たみたいじゃないか。
女の子はと言うと、フリーズした俺を瞬きして見つめた後、
「ひゃわっ!?」
慌てて俺から手を離し、「ごめんなさい!」と叫ぶと顔を真っ赤にして俯いてしまった。
俺はと言うと、何について謝っているのかすら理解できず呆然と立ち尽くす。
……いや、理解する必要はないか。
荷物さえ受け取れば事は終わるのだから。
思考を何とか現実へと戻し、俺は笑顔で少女に問う。「荷物をもらえるかな?」と。
「は、はい」
俺の言葉に彼女は頷くと、一歩前に踏み出し、
「お、お届け物です」
「……それはわかったから、ほら。荷物を出して」
「で、ですから……その――」
彼女は視線を何度か泳がせた後、俺の眼を正面から見て。自分の胸に手を当てて言った。
「――私がお届け物なんです!」
たぶん、この時目の前に鏡があったなら、それはもう俺は間抜けな顔をしていたに違いない。そしてあの場にケイが居たなら、俺の顔を見てやつは大笑いした事だろう。
だが、これは夢でも幻でもなく。
一週間前の午前9時ちょっと過ぎ。
寝巻きでアホ面を浮かべた俺と、VOCALOIDたる初音ミクとの出会いだった。
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ご意見・ご感想
とうの。
ご意見・ご感想
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これからミクと創がどんな風な仲になっていくのか、所長と副所長のコンビがどう動くのか、楽しみに見守らせて頂きたいと思います^^
2012/06/11 21:51:20
hazre
やっと返答ができるようになりました。
ご覧いただきありがとうございます。投稿ペースはなるべくこの休みで上げるつもりです。
今後も読んでいただけると幸いです。宜しくお願いします。
2012/06/16 08:27:47