第七章 戦争 パート1

盆の間に開催される遊覧会が終わると、ミルドガルド大陸は駆け足で秋が訪れる。平原を流れる風は途端に肌寒いものとなり、実りの時期を迎えた作物は夏の間にふんだんに吸収した養分をその果実に凝縮し始めるのだ。その秋風が吹きすさぶ中を帰還した黄の国の一行はしかし、実りの秋を迎えたと言う喜びとは対極的な心理状況にあった。その理由を説明出来る人間は少なかったが、ただ一つ全員が理解したことはリン女王が遊覧会の最終日辺りから一切の口を利かなくなったことであった。そのまま、まるで葬列のような厳粛さと息詰まる中で帰還を終えた黄の国の一行は、ようやく重苦しい雰囲気から解放されたと安堵の溜息を漏らしたのであった。そのリンは、政務が溜まっているにも関わらず、王宮に戻った瞬間に私室に籠り、そして一両日その姿を見せなかった。
 唯一リンの感情を理解することが出来た人物は召使のレンであり、彼は彼なりに善後策を考えて行動に移そうと考えていた。細かい政治については分からない。しかし、黄の国の内務大臣であるアキテーヌ伯爵であるならばきっと具体的な解決策を提示してくれるだろうと考え、一度騎士団長のメイコに取次を頼もうと考えてメイコの私室に訪れた時、タイミングが悪そうな表情でメイコはレンに向かってこう言った。
 「お父様は今出かけているわ。」
 「外出されているのですか?」
 レンは驚いてそう述べた。王宮の第三層に用意されているメイコの私室の前の廊下で、レンの声が大理石製の床に反響して妙な響き具合をみせた。遊覧会にすら姿を見せなかったアキテーヌ伯爵がこんな時に外出する理由が思い当たらなかったのである。そのレンの様子に異変を感じたのだろう。メイコは心配するような口調でこう尋ねた。
 「何か問題が発生したのか?」
 「・・いえ、何も。それよりも、いつ戻られますか?」
 そのレンの様子を見て、どうやら相当の大事が発生したらしい、とメイコは考えた。私には言えないような何かが遊覧会で発生したのか、と判断したメイコは少し思索してから、こう答えた。
 「後三日もすれば戻られるはずだ。それでも間に合うか?」
 「・・多分、大丈夫、です。」
 余り自信が無いと言う様子でレンはそう告げると、夢遊病者の様に覚束ない足取りでメイコの私室から立ち去って行った。一体何があったのか。不規則に響くレンの足音を耳に残しながら、メイコは僅かに思索し、そしてレンが口を開かない限り分かる訳もないか、と考えて一つ溜息をついた。

 その頃、当のアキテーヌ伯爵は黄の国と青の国との国境の町ザルツブルグを訪れているところであった。ミルドガルド山地の峠部分に作られたザルツブルグの街は温泉が湧くことで観光地としても知られている場所である。但しその移動には相当の労力を有する為、一般的には天嶮ザルツブルグと表現されている。その様な交通の難所へとわざわざアキテーヌ伯爵が、しかも従者も連れずに訪れたのは理由がある。青の国で研究を続けるルカと密談をするためであった。山間の僅かに窪んだ平地にしがみつくように作られた建物の合間をすり抜けるようにしてザルツブルグの町を歩んだアキテーヌ伯爵は、目的としている酒場の看板を見つけて安心したような笑みを漏らした。この様に一人で旅に出るなど一体何年ぶりだろうか。若いころは無茶をしたが、最近はどうも身体が重くて敵わんな、と自身の衰えた身体に対して小さく愚痴を述べながら、アキテーヌ伯爵は木造で出来ている酒場の扉を開けた。その中は薄暗い空間が広がっている。真昼だというのに酒を飲んでいる人間たちがそうそうまともな精神状態を持ち合わせているとも思えなかったが、予想よりも清潔感のあるその酒場は観光客を主な顧客層としてとらえている様子で、所々に高貴そうな身分の人間や金だけは持ち合わせているような商人の姿がちらほらと見えた。さて、ルカ殿はどこにいるのだろう、とアキテーヌ伯爵が酒場を一目眺めまわした時、色香のある声がアキテーヌ伯爵にかかった。
 「アキテーヌ、こっちよ。」
 軽く右手を上げた妙齢の女性の姿は酒場の奥、カウンター席の一番外れに確認することが出来た。まるで逢引現場の様だな、と一人苦笑したアキテーヌ伯爵は、右手を上げたままのルカの元へと歩き出した。そして、ルカの隣の席に腰かける。木製の椅子の固い感触をアキテーヌ伯爵が感じていると、ルカが目元を細めながらこう言った。
 「こうしてアキテーヌと飲むのは何年ぶりかしら。」
 「さて、二十年ぶりになるかな。メイコが生まれてからは自重していたから。」
 「もうそんなになるのね。どうも最近、時の感覚がおかしくて。」
 ルカはそう言いながら優しく微笑み、何を飲む?と訊ねて来た。
 「ハイボールを貰おうか。」
 「お洒落な物を頼むのね。若い時を思い出したのかしら。」
 「まあ、そんなところだ。」
 「じゃあ、私もそれにする。」
 ルカはそう言うと再び手を上げて店員を呼び出し、ハイボールを二つ注文した。気候が平地よりも随分と涼しいザルツブルグでは夏の間でも割合安価に氷が手に入ることが特徴の一つである。氷の入ったグラスに、炭酸水で割ったウィスキーを注ぎ込むハイボールはザルツブルグの名物の一つに数えられていた。ややあって二人の元に届けられたグラスを軽く合わせた二人はハイボールを一口口に含んだ。弾ける炭酸水と、深みのあるウィスキーの味わいが何とも言えない心地よさを舌に感じさせてくれたが、いつまでも昔話に耽っている訳にもいかない。危急の用件は既に決まっており、その問題が解決しない限り黄の国は救われないのである。
 「で、進捗はどうなっている?」
 酒を飲んでも酔えるような心理状況ではないのだろう。冷静な口調でアキテーヌ伯爵はそう言った。
 「全く成果なし。ごめんなさい。」
 「そうか。」
 やはり、彼の呪いを解くなどと不可能なことであるのだろうか。いつまでも得られぬ答えを求めて我々は迷走するだけなのだろうか。アキテーヌ伯爵がそう考えた時、ルカが強い視線で言葉を告げた。
 「国庫の残りは後どれだけあるの?」
 「およそ一万リリル。出来る範囲で相当節約をしているが、このペースで使っても年を越してすぐに国庫が底を尽きる計算になる。」
 溜息交じりにアキテーヌ伯爵はそう言った。燃えるような赤い髪はそのほとんどが白髪に覆われつつある。相当の気苦労をしているのだろう、と考えながら、ルカはもう一度口を開いた。
 「でも、僅かでも今年の税収が期待できるのでしょう?」
 「その税収を計算に入れての一万リリルだ。」
 「そう・・。」
 ならば、本当にもう後が無いということになる。国庫が尽きた場合、果たして来年の税収までどのように黄の国を繋いでゆけばいいのか。簡単に考えうる結論は青の国か緑の国から借金という名の資金調達をするか、増税をするかしかなかったが、どちらも危険な選択肢であった。特に青の国のカイト王はルカに軍事教練を見学させた様に何かを企んでいる。緑の国なら反発は少ないかも知れないが、小国である分調達出来る金銭に限りがある。そしてもし増税などしたら。ただでさえ飢饉の為に王宮への不満を蓄積させている民衆達が立ち上がり、大規模な反乱へと発展するかも知れない。
 「最早彼を殺すしかないのではないか?」
 暫くの沈黙の後に、アキテーヌ伯爵はそう言った。
 「それは本当に最後の手段のはずよ。先代国王の意志に反するわ。なにより、リンが悲しむ。」
 「それでも構わん。ただ、彼を殺すことで黄の国が救われるのならば、儂は反逆者にでもなってみせるよ。」
 アキテーヌ伯爵はそう言って何かを決意したようにさっぱりとした表情で笑顔を見せた。死ぬ気だ、と判断したルカはもう一度思いとどまらせようと考えて、こう言った。
 「事を急いては仕損じると言うわ。私がなんとかする。だから、もう少しだけ抑えて。」
 「ルカ殿は相変わらず、優しいな。」
 アキテーヌ伯爵はそれでも先程と変わらぬ笑顔でそう言った。ハイボールの氷が溶けて、グラスに触れると妙に居心地の悪い音を響かせた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハルジオン24 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】

みのり「第二十四弾です!」
満「久しぶりにルカ登場だ。」
みのり「なんでルカが魔術師の役をやることになったのかしら。」
満「元々のキャラ設定で、ルカは黒い服を着用しているだろ。それが魔術師っぽいなと考えたのが元々の発想だ。」
みのり「ふうん。で、ナビゲート役になったんだ。」
満「ああ。原曲に出てくる人物の中で、クリプトン系なのに唯一表現されていない人物だからな。作者によって自由に使える唯一の人物だから重宝してるんだ。」
みのり「成程。じゃあ次回投稿にも期待しましょう。それでは!」

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投稿日:2010/03/22 12:09:33

文字数:3,359文字

カテゴリ:小説

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