「うん、良い声だ。O.K.だよカイト」
「有難う御座いました」
ヘッドフォンを外してふぅと息を吐く。テンポの速い曲は疲れるのだが、歌っていて楽しいのもまた事実だった。
「そうだ、次の仕事なんだけどね」
「あ、はい」
最近、どうにも忙しい。仕事が立て続けに入って家では常に曲を掛けている状態だ。
忙しい事は嬉しい。色々な曲を自分の声で紡いでみたいと思う。巧く歌えたら気持ち良いし、歌えなかったらもっと頑張らないとと思う。
「次は本気曲だよ。久し振りだよね」
「! 本当ですか」
「嘘言ってどうする。本当だ」
ネタ曲が嫌な訳ではないが(仕事を選り好みする程驕るつもりはない)、聴いてくれるひとの心を掴む本気曲を歌いたいという思いは常にあった。
「少し民謡調の、温かい印象の曲だ。こういう曲、君の声と合うからなぁ。期待しているよ」
「あ・・・はい!」
*-*-*
本気曲。久し振りの本気曲。
伝えたいひとがいる。嬉しい事を分け合いたいひとがいる。
きっとまるで自分の事の様に喜んで、その癖照れて回り諄く叱咤激励してくれるだろう。
君に。
めーちゃんに、伝えたい―――!
*-*-*
「ただいまっ」
「あら、カイト。お帰り」
タイミング良くメイコが出迎えてくれる。カイトは一刻一秒を惜しんで靴を脱ぎながら口を開いた。
「あのさ、めーちゃん。僕―――」
「たっだいまー!」
言葉の途中で明るく高い声が割って入った。開いた扉から碧のツインテイルが覗いている。
「お帰りミク」
「・・・お帰り。って、僕も今帰って来たところだけど」
「ただいま!あのねぇお兄ちゃんお姉ちゃん、聞いてよーぅ」
ミクはきちんと脱いだ靴を端に寄せて框へ上がる。
「今日はジャケットの撮影だったんだけどね、イメージが『自然』で。ストンってしたワンピースとかお花の冠とか着てお写真撮ったの。そしたらさ、その時使ったお花のひとつから蜂さんが出て来て・・・」
形式上というか状況的にカイトに声を掛けただけで、ミクは実際には殆どメイコに向かって喋っている。カイトは苦笑して小さな声で手を洗ってくるよと言ってその場から離れた。
「・・・・・・」
まさか、曲がりなりにも兄という立場を与えられている自分が妹を差し置いて皆の姉であるところのメイコを独占する訳にもいくまい。報告はまた、機会が巡ってきたらで良いだろう。別にメイコは逃げやしない。
ぱしゃん、と冷たい水を顔にぶつける。
向こうからミクとメイコの朗らかで華やかな笑い声が聞こえて来た。一体何の話をしているのだろう。やけに盛り上がっているが。
タオルで顔を濡らす水滴を拭い取りつつ、カイトはぼんやりとマスターの言葉を思い返していた。
“次は本気曲だよ”
本気曲。民謡調の本気曲。
デモテープは今日貰って来た。早く再生してみたい。どんな歌なのだろう、聴いてみたい。
切ない歌?優しい歌?綺麗な歌?それとも・・・。
歌に想いを馳せるだけで心臓の鼓動が微かに速さを増す。これはきっとメイコ他どんなボーカロイドでも同じなのだろうが、この不思議と心地良い胸の高鳴りは己が歌う為に存在しているのだと確信させた。
「歌う為・・・か」
尤も、それだけではないと思っているが。
「カイトお兄ちゃん、代ーわってっ」
「あぁうん、ごめんね」
ミクがひょっこりと現れて手洗いを始めた。泡立てられた石鹸がミクの小さな手を白く染めてゆく。
「カイトお兄ちゃんは今日のお仕事どうだったの?」
立ち去ろうと踵を返すより一瞬早くミクに声を掛けられた。
「そこそこの出来かなー。ネタ曲だったんだけど、テンポが変則的な癖の強い曲だったよ」
「あるよねーそういうの。ノるまでがキツいんだよね」
「一回ノっちゃえば、後は勢いでいけたりするんだけどねぇ」
「そうそう」
うんうんと調子を合わせて頷くミクに笑顔を返してカイトは今度こそ踵を返し、リビングに向かう。
「嗽もしっかりね」
「はぁい」
風邪なんか引いたら、洒落にならないからね。
リビングではメイコがひとり、椅子に腰を落ち着けて爪に鑢を掛けていた。ざりざりと鑢を動かしてはふぅと息を吹きかけ、また鑢を・・・と繰り返している。
暫く眺めていたカイトだがやがて目を逸らして空模様など眺めた。単調な作業だ、飽きないのだろうか。女性の美への探求心というものには本当に目を瞠るものがある。
漸く得心がいったらしく、立ち上がったメイコは屑を集めて屑籠に入れた。今が、チャンスだ。
「・・・めーちゃ―――」
「メイコ姉ぇーっ」
「きゃ・・・」
突然視界の外から黄色い塊が飛び出してメイコに抱きついた。どうやら今までレンと共に部屋に籠っていたらしいリンである。
「聞いてよメイコ姉ぇ、レンったらズルしてゲームに勝とうとするの、酷いでしょ?」
「へぇ?」
メイコが呆れの混じった笑顔になった。
「あたしは真剣に勝負したいだけなのに・・・っ」
「やめろよリン、人聞き悪ぃなぁ!」
後から入って来たレンは、メイコと揃いの―――否、それ以上の呆れ顔だ。
「俺に勝てないからって嘘の報告すんなよな。俺が悪いみたいじゃんか」
「メイコ姉ぇ、悪の手先レンの言う事なんか信じちゃ駄目ーっ。こいつこそ嘘ばっかりなんだから!」
「お前なぁ・・・」
どちらが本当なのか、日頃の行いから察するにレンだろう。狼少女を地で行くリンである。それにしても悪の手先とはまた、レンも哀れなものだ。
「メイコ姉ぇ、お部屋行こうよ!そんでもって打倒レンっ」
「えぇ、私が?」
「俺は別に良いけど・・・」
「はい決定ね!早く、早くぅっ」
瞬く間にリンに連れ去られていくメイコ。レンがはぁと溜息を吐いた。
「・・・あ、若しかしてカイト兄、話し中だった?」
「いや、そういう訳じゃないよ。大丈夫。それより早く行ってあげて、お姫様がご立腹だ」
廊下から「レーンーっ」とリンの呼ぶ声がしている。
「あー・・・はいはい、今行くって!」
レンはちょっと笑ってカイトと目を合わせると、もう一度だけ息を吐いて部屋へと戻って行った。
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