3.夕焼け色の髪の少女・前編

 岬から白い石の道をたどって下り、広がる葡萄畑を通り過ぎ、再び街のある高台へと向っていく。この島の大地と同じ色で作られた石粘土と漆喰の壁が立ち並ぶ街は、訪れたばかりの青い夕闇に抱かれて、にぎやかな喧騒を見せていた。

「しまった! 明日は休日だった!」
「ヒゲさん、まだ仕事場に居るかな?」

 通りに面した店先や庭先には卓と椅子が出され、男達がにぎやかに談笑している。料理を運ぶ女達の表情も明るく楽しげだ。

「おー! リント! また『物言わぬ恋人』のところか?」
「いとしの女神様もいいけど、そろそろ生身の娘も大事にしなよ! リント! 王様みたいになっちまうぞ!」
「そろそろ妹からも卒業しなよー?」
 沿道からリントに、中年の男達の遠慮ない声がかかる。リントとレンカの住むこの島の人口は、五百人程度だ。同じ海域のほかの島に比べて、かなり小さい部類に入る。だからこの島の子供は皆、幼いころから兄弟のように育ち、大人達もすべて顔見知りだ。

「おっさん! 明日は休みだからって飲みすぎんなよ!」
 リントが笑いながら親父共のからかいを跳ね返し、レンカを追いかけて坂道を走っていく。
 博物館は、この街の坂のちょうど真ん中にある。
「よかった。まだヒゲさん居るみたいだ」
 リントは坂の先にある建物を見上げて胸をなでおろした。通りに面した展示室の明りは消えていたが、まだ、事務室の明りが残っている。
「よっしゃ。がんばろ」
そしてリントは、早歩きのレンカに追いつくべく、再び坂道を駆け始める。
「あいつ、歩くの速いな」
 リントが博物館に続く石段を見上げると、レンカの背でナップザックが揺れているのが見えた。ナップザックに衝撃を与えないように、重心に気を遣って歩いているのが解る。
 レンカがついに博物館の建物にたどり着いた。隣は郵便局、向かいは観光案内所である。立派な肩書きとは裏腹に、周囲に立ち並ぶ家や店と、郵便局も観光案内所も、大きさはそう変わらない。
 博物館もしかり。地面と同じ色の白い壁に、色鮮やかな青に塗られた木の扉。そこに『島の博物館』と書かれた看板が掛かっていることが、唯一の識別ポイントだ。そして、この島特産の色ガラスが花の形にはめ込まれている窓が、この建物のチャームポイントである。

 戸を叩いたレンカの声が響き、続いて建物の中から足音がする。

「よかった。ごめんね、遅くなって。ヒゲさん」
「おう、来ないはずはないと思っていたからな。待ってたよ」

 やりとりが坂の上から聞こえるのを、リントは息を切らしながら聞いていた。
「おー! リントくん。おつかれー!」
 ヒゲさんの野太い、しかし呑気でやわらかい声が上から降ってきて、リントは立ち止まり手を振った。
 扉から漏れる光の道を辿りながら、リントは葡萄酒の香りに揺れる街の石段を登りきった。
「ヒゲさん! 悪いねー!」
 リントは、挨拶を叫びながら扉の中に踏み込んだ。と、
「う、わ!」
 暗い展示室に踏み込んだ瞬間、リントの正面にごつんと何かがぶつかった。
「な、何!」
 しりもちをついて見上げると、正面に人影が、リントと同じ格好で転がっていた。
「……ヒト?!」
「どうしたー?」
「リント? 大丈夫?!」

 奥の事務室の扉が開き、床に映る光の筋が太くなる。すうっと太くなった光の中に、女の子がうずくまっていた。リントは思わず悲鳴を飲み込んで飛びのく。
「お、オレは平気!」
 レンカの声に叫び返して、リントはそっと光の中に座り込む少女に手を伸ばす。少女の長い髪の中に、ほそく震える白い肩がのぞく。思わずリントが彼女の伏せた顔をのぞきこむほど、それは幻のように儚く美しい光景に見えた。
「……大丈夫?」
 手を伸ばしたリントはふと気づいた。扉から漏れる光に照らされた、その少女の髪は、薄い紅色だった。まるで幻想のように、光が少女の輪郭を照らし出す。リントが、その光景に誘われるように口を開いた。
「お前……『大陸っ子』か?!」
 その瞬間、少女がはじかれたように立ち上がった。バチッと差し出されたリントの手を払い、
「うぐッ!」
 リントの腹に、少女の踵がめりこんだ。リントが床の上で体を曲げてうずくまる。
「こらルカッ! そこに居たのか!」
 ヒゲさんが飛んできて少女をしかる。
「リントくんに謝りなさい!」
「……」
 ヒゲさんの怒声にも、ルカと呼ばれた少女は、表情を変えなかった。光に照らされた白い頬にも、深く闇を吸った瞳にも、なんの感情も浮かばない。
 と、その桃色の唇が開いた。

「最初が、肝心」
「……はい?」

 リントがそれはあんまりだろうと抗議の声を上げようとしたとき、少女がぐりっと背を曲げたまま顔を上げたリントに向き直った。

「私は、知っている。『大陸っ子』が、島において蔑称であるということ」

 激しい行動と言葉に反して、光の中に浮かび上がったルカの表情は、彫像のように静かにリントを見つめていた。

* *

「そりゃーリントが悪いよ」

 事務所の端の作業台の上に、本日拾い上げてきた石片を並べながらレンカが言った。
「レンカ……さっきは心配してくれたくせに」
「だって、いきなり暗闇でぶつかられて『ヨソ者』って言われたようなもんだよ。そりゃ蹴りたくもなるって。あたしはルカちゃんの味方かなー」
 口を動かしながらも、レンカは順調に手を動かす。紙片をつくり、本日の日付と岬の名を記していった。本日拾った石のラベルである。
 リントはぶすっと来客用の卓にひじをつき、作業に没頭するレンカをにらんだ。そして、正面にちらりと視線を戻し、決まり悪そうにまた目を逸らす。
 リントの正面、卓の真向かいには、作業をするレンカに背を向ける形で、ルカが座っている。背筋をぴんと伸ばして、口を引き結び、じっと卓の上に乗せた自身の手元を見ている。その表情からは何も読み取れない。リントを蹴ったわりには、『よそ者』と言われた怒りも悲しみも、その白い頬には浮かんでこない。
「おいお前……ルカ、だっけか」
 ルカと呼ばれた少女は、じっと姿勢を保ったまま動かない。
「……何とか言えよ。怒ってるんだろ?」
 ルカの口元が一瞬ぴくりと動いたが、彼女はそれきり彫像のように動かなかった。
「……ぶつかったのは、オレのほうが悪かったかもしれないけど……『大陸っ子』って言ったことは、謝るつもりはないかんな」
「ちょっとリント」
 ついにレンカが作業から顔を上げる。リントは気にせず続けた。
「オレたちだって、あんたの大陸じゃあ『島っ子』って言われるんだぜ? お互い様じゃねぇか。よそ者って言われるたびにヒトを蹴ってちゃ、もうその蹴りで世界制覇するっきゃないよなぁ?」
 焦ったのはレンカのほうだ。作業を中断し、卓の向こう側のリントへ駆け寄る。
「リント! やめなさいよ! この上まだ喧嘩売ってどうするの!」
「うっせぇよレンカ! 挨拶だ! お前は気にすんな!」
「どこの野蛮人の挨拶よ?! おびえているのが判んないの?! 知らない土地に来たら、誰だって不安でしょうが!」
 レンカが背後からリントの肩を押さえた。ルカを見、大丈夫だよと微笑みかけようとした時。
「……偽善」
「……っは?」
 ルカが唐突に発したことばに、リントの声が裏返った。

「とにかくなんでも争いはなだめて丸め込もうとする。女は偽善。島国根性。
 とにかくなんでも自分のやり方を試さなければ気がすまない。男は乱暴。島国根性。
 ……偽善と乱暴。ふたり、たしかに典型的な『島の人』ね。覚えたわ。挨拶、終わり」

 ついにリントが椅子を蹴って立ちあがった。

「あんた! いい根性してるじゃねぇか大陸のトロ髪野郎!」
「やめてリント!」
「こらルカ」

 その時、お茶を人数分携えたヒゲさんが部屋に戻ってきて、ルカの発言といきり立つリントを目の当たりにする。
「人に対してそんな当たり方をするんじゃない。レンカちゃんは優しいし、リントくんは気さくなんだ。 それを偽善と乱暴というならルカこそ卵黄だぞ!」
 普段はおだやかだが、怒るとヒゲさんは怖い。リントもレンカもがつんと響いた声に身を硬くした。が……

「卵黄って、言わなかったか……?」
 身を硬くしたままふたつに折って、肩を振るわせ始めたのはレンカだ。
「……ヒゲさん。噛んでるし……」
 思い切り噴出したのはリントで、レンカと共に笑い声がだんだん加速していく。
「ヴァシリス……」
 ルカがじっとヒゲさんを見上げる。笑っているふたりを見、対して無表情のルカを見、ヒゲさんことヴァシリスは苦笑した。
「まぁ、ルカ。お前は、この島で人間の感情を学ぶことだな」
 ヒゲさんが、まだ笑い止まないリントとレンカ、そしてルカの前にことりとお茶を置いた。

「悪いな。リントくん。レンカちゃん。ルカはこういう奴だ。……いや、少し前まではレンカちゃんのような普通の女の子だったんだが、親の都合で島を渡り歩くうちに、どこかで何かあって、こうなっちまったらしい。この島では二週間預かることになった。
 仲良くしてくれれば、ありがたいんだが」
「ちょっと待て、レンカが普通の女の子か?」

 リントが突っ込みきらないうちに、ヒゲさんが言い終わらないうちに、ルカががたりと席を立つ。
「仲良くするかどうかは、私が決めること。ヴァズが頼む必要は無い」
「かっわいくねーな! お前! そういう言い方オレは嫌いだ!」
「リント! ……ねぇルカちゃん。せっかくだから、あたしは仲良くしたいな。よろしくね?」

 乱暴と偽善と言われてもなお、主義を変えないふたりに、つい笑みをこぼしたのはヒゲさんである。
「ルカ。こうなればふたりと根競べだな。お前の顔を立てて、俺は中立でいてやるぞ」
「あっ、ヒゲさんひどいよ! オレたちに振っておいて放り出す気?!」
「根競べって……あたし、そんなつもりじゃなかったのに」
 と、立ち上がっていたルカが、くるりときびすを返した。

「あ、どこへ行く、ルカ! これから皆で夕飯に」
「家に戻る。ヴァズのところはくだらない」
 がたりと椅子を跳ね除けて裏口へと駆け出そうとする。

「こらルカ! 待ちなさい! 家ったって、今のお前の家は……」

「来ないで」

 資料を搬入する裏口に向かおうとしたルカが、思い切り手を払いのけた。その横には、レンカが石片を整理していた作業台があった。

「待て、ルカ!」
「来ないで。」

 ルカの手がいらだたしげに払われ、作業台の石片がバラバラッと床に落ちた。

 あ、とリントの口が固まる。リントはすでに、レンカの表情を見ることが出来ない。
 その空気を意に介さず、ルカは石片のひとつをむんずと掴んで振りかぶった。

「来ないで。来たら投げる」
 その行動に反して落ち着き払ったルカの顔に、リントの背筋がぞっと凍った。

……つづく!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

滄海のPygmalion 3.夕焼け色の髪の少女・前編

近代ギリシャの風景を美しく描写したいなと♪ただし、この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^

曲への愛で始まった物語です。ちゃんとPygmalionらしく仕掛けますから!!

よりによって、連載形式です。終わりは決めていますが細かい中身はリアルタイム書き下ろし中。
リントの声は低音鏡音リン声、レンカの声は柔らかめに調整した高音鏡音レン声で空耳してください☆

空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion  http://piapro.jp/t/beVT

発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp

閲覧数:186

投稿日:2011/05/07 17:55:11

文字数:4,511文字

カテゴリ:小説

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