街の中心を貫く大通りを馬が駆ける。
衛兵達が道の左右に人々を押し込めて、人々はその向こうで常にない事態にざわめいている。
今は丁度、夕刻前の市の経つ時間、最も街が活気付く時間だ。
通常ならばこの時間帯に通りを無理に空けさせるのは極力避けるところだが、今ばかりは彼もそれどころではなかった。
先導を務める衛兵の馬を追って、ひたすらに馬を走らせ先を急ぐ。
大通りを逸れ、狭い道に入り、幾度か折れ曲がった先に、やっと目的の場所を見出した。
何年も使われていないらしい廃屋の入り口に見慣れぬ馬車が一台停められて、見張りをしているはずの衛兵がその傍に所在無く立ち尽くしている。
いぶかしむ間もなく、戸口から男がひとり姿を現した。
その腕に抱かれた人物に、彼――レオンは声をあげた。
「ミクレチア!?」
力なく抱かれた少女には、遠目には外傷らしきものは見えない。
駆け寄ろうとして、鋭い視線がそれを阻んだ。
「彼女は!?無事なのか!?」
レオンを睨みつけたまま、青い髪の公子が押し殺した低い声で答えた。
「・・・気を失っているだけだ。大したことじゃない」
素っ気なく言い、少女を腕に抱いたまま馬車に乗り込もうとする。
慌てて彼は呼び止めた。
「どこへ連れて行く気だ!?」
「決まっている、どこよりも安全な場所にだ」
「待て!そんな勝手を――」
「勝手だと?」
公子が振り返った。
凍えるような蒼い瞳が、レオンを射抜く。
そこにいるのは、両国間の話し合いの最中、終始穏やかな物腰を保っていた人物とはまるで別人だった。
「彼女を連れ戻したいなら、まずは下手人を上げてからにするんだな。いつどこで危険に晒されるかも知れない国に、ミクを渡すつもりはない」
吐き捨てる声は、絶対零度の怒りを孕んでいた。
「レン!どこに行ってたの!?」
扉を開けた途端に飛んできた不機嫌な声に、レンは何とか笑みを浮かべた。
「買い物だよ。ごめん、おやつの時間だね。すぐ準備をするよ」
足早に部屋を横切り、腕に抱えた荷物を下ろす。いつもと何も変わらないように。
「裏道にバウムクーヘンを作ってるお店を見つけたんだ。あれはオーブンが特殊だから流石に作れないし、焼き立てなら今日のおやつに丁度良いと思って。遅くなってごめん。焼き上がるのを待ってたら時間が掛かっちゃって――」
「レン」
「ん?」
何気なく振り返り、レンはリンの険しい表情に驚いた。
「リン?・・・どうし――」
「誰にいじめられたの?外で何かあったんでしょう」
思わず息が止まる。
氷を押し当てられたように、背筋が冷えた。
「誰に何を言われたの。言いなさい、そいつの首をはねてやるわ!」
烈しい怒りの篭もるリンの瞳をかわし、レンは視線を逸らした。
引き攣りそうになる唇をこらえて、密かに息を吸う。
「何も無いよ。誰とも会わなかった」
リンは顔をしかめ、確認するようにレンの全身を見つめた。
「・・・どこも怪我はないのね?」
「大げさだな、買い物に行ってただけだよ。怪我なんかしないさ」
誤魔化すようにレンが笑う。視線は流石に合わせられなかった。
「・・・そう」
追求を諦めるように、リンが目を閉じた。
「何もないなら、レンが無事なら別にいいのよ。ずっと、私の傍にいてくれるなら良いの」
「リン・・・?」
「だって、私が信じられるのはレンだけよ。私に本当に笑ってくれるのは、レンだけだもの」
頑なな声音が、苦しげに揺らいだ。
「・・・判ってるの。あの人だって、あんなに優しそうに笑ったのは、私に微笑んだんじゃない。私を透かして、別の誰かに微笑んだんだわ。ちゃんと私を見て、私に笑ってくれるのは、世界にレンしかいないもの」
リンが腕を伸ばして、少年の目元をぬぐう。小さな指先が濡れて、初めてレンはそれに気付いた。
「レンが痛かったり、辛かったりするのは嫌なの」
切実な思いの篭もる声に、レンはリンを抱きしめた。
「僕こそ。僕こそ、そう思ってるよ。君にいつも笑っていて欲しいんだ。僕が望むのはそれだけだ。それ以外のことなんて、みんな些細なことだ」
自分に言い聞かせるように呟く。
リンの怒りは、痛みの裏返しだ。傷口を庇って牙を向く、その裏にある脆くて傷つきやすい心を、レンだけが知っている。
今更、後悔が湧き上がった。翠色の少女へ対してのそれではない、リンに対して。
こんなのは、レンが自分勝手に行動して、自分勝手に傷ついただけだ。そのためにリンまで傷つく必要なんて何一つないのに。
「ずっと傍にいるよ。君の望みなら何だって叶えてあげる。君の望みを叶えることが、僕の望みの全てなんだから」
リンの頭が小さく頷いた。
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http://piapro.jp/content/136rjm40eoanqnbk
今ひとつ出遅れて、レオンさん登場。とうとう名前出しちゃった・・・。お兄様、初っ端から敵意むき出しですw
レンリンサイド、暗くてすみません・・・。
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