活気付く大通りで、レンはひとり重い溜息をついた。
気に掛かるのは勿論リンのことだ。
あれから一晩の時間をおいて一先ず怒りは収まったものの、朝からずっと沈んだ様子で部屋に篭もったままなのだ。
朝も昼も、今ひとつ食の進まなかったリンのために、レンはあてもなく市場を歩いている。
「参ったな。あんまり長く時間を掛けてもいられないし・・・」
出来れば何か気を紛らわすようなものでも見つけたいところだが、あんな状態のリンを一人で放っておくのも心配だった。
塞ぎ込むリンは、恐らく自分の気持ちに気付いていない。何がそんなに心に掛かっているのか。
気付かないままの方がいいとレンは思う。
だって、彼女を見つめていた、あの男の視線。あれはまるで・・・
考えに沈んでいたレンは、突然に視界を過ぎった翡翠色に、はっとして顔を上げた。
「あの!」
呼び止める声の先に、ひとりの少女が振り返る。
目立たない地味な色合いの服を着ていても、一際、目を引くその髪も瞳も見間違いようもない。
「あなた、どこかで・・・」
翠の色彩を纏った少女が、不思議そうに首をかしげた。
咄嗟に声を掛けてしまった自分に焦り、レンは慌てて続ける言葉を捜した。
「あの、この間は、林檎をありがとう」
「ああ・・・、あの時の」
すぐに思い当たったらしく、彼女はふわりと微笑んだ。
優しげな笑みに見蕩れそうになって、レンは頭を振る。
馬鹿馬鹿しい。つい先日に人の妻となった、それも一国の王妃となった人だというのに。
「喜んでくれた?」
「ええ、とても・・・」
頷く脳裏に浮かんだリンのはしゃいだ笑顔が、怒りのそれと入れ替わり、そして沈み込む横顔になった。
――死んでしまえば良いのよ!
頭の奥で響く声に、レンはつばを飲み込んだ。
「・・・どうしてもお礼がしたくて。ちょっとだけ、良いですか?」
「残念だわ」
暗い場所で光を求めるように、少女は頭上を仰いだ。
崩れかけた屋根の間から見える、教会の尖塔。そのすぐ真下にこんな薄暗い、打ち捨てられたような廃屋があるなんて皮肉なことだ。
「本当に残念・・・。あなた、あの時はとても幸せそうな顔をしていたのに」
視線を戻し、彼女は目の前に立つ少年を見つめた。
「あなたの大切な人が悲しむのではないの?」
少年からの答えはない。
その手には鋭いナイフが握られている。
強張った表情には暗い決意だけが見えた。
「ねぇ、もし、あなたが・・・」
「あなたが」
言い諭すような声に、少年の硬い声がぶつかった。
「あなたが何をしたわけじゃない。だけど、あなたの存在に傷つく人がいるんです」
「・・・退いてくれる気はなさそうね」
震える切っ先を見つめ、彼女は覚悟を決めるように目を閉じた。ひとつ息を吸う。
「誰に雇われたのかは知らないけれど、小さな暗殺者さん」
静かな声に、少年の肩が怯えたように揺れた。
「あなたに私は殺せないの。私は誇り高いボカロジア家の女よ。暗殺者の手にかかって息絶えるような死に方はしない。私を終わらせることが出来るのは私の意志だけよ」
きっぱりと言い放ち、少女の白い指先が口元を覆った。細い喉が仰け反り、何かを嚥下するように動く。
その体が痙攣のように大きく震えたかと思うと、次の瞬間、一気に力を失って崩れ落ちた。
全ては一瞬で何一つ成すすべもなかった。
目を見張ったまま、レンは足元に倒れた身体を見下ろした。
何が起きたのか、理解できない。
強張る指を伸ばして、恐る恐る細い首に触れる。
体温はまだ暖かかったが、その薄い皮膚の下の脈は感じられなかった。呼吸も。
力なく投げ出された少女の指先に指輪があった。
本来、そこに嵌めてあるだろう石はなく、台座には小さな空洞があった。毒だ。理屈でなく直感する。
呆然と、レンはただ視線を彷徨わせた。
眠るように閉じた瞼。薄く開いた唇。血の気の失せた白い頬。美しい翠の髪が乱れて床に散っている。
レンが握り締めたナイフには一滴の血すらもついていない。
ナイフが床に落ちて転がった。
まさしく、この誇り高い人は自分などが手の届く人ではなかったのだ。害することも出来なかった。指が触れることが叶ったのでさえ、その命の尽きた後。
「は、はは・・・」
引き攣るような笑いが漏れた。
リンのためだなんて、それは言い訳だ。
触れたかったのだ。その瞳に映りたかった。彼女がとっくに他人のものでも、ほんの一瞬でも良いから奪い取りたかった。
過ぎた願いは、他ならぬ彼女自身に拒まれた。完全に。
よろめいた踵に硬い感触が触れた。取り落としたナイフが靴底に当たっている。
拾って、これを彼女の胸に突き立てれば良い。物取りか暴漢のように、衣服を乱して金目のものを奪ってやれば、誰も彼女の死を怪しまない。自分は何食わぬ顔で戻れば良い、リンが自分の帰りを待っている。
レンは後ずさった。
倒れ伏した彼女の抜け殻は、なおも美しかった。こんな醜い思いには決して汚されない。もう指一本触れられるはずがなかった。
だしぬけに、ぼうん、と大きな音が響いた。
廃屋の真上に響く、教会の鐘だ。
ぼうん、ごうん。
まるで罪を責めるような低い音に弾かれて、堪らず彼は一目散にその場を逃げだした。
「カンタレラ」&「悪ノ娘・悪ノ召使」MIX小説 【第5話】
ちょっとした幕間(飛ばしても、ストーリー上問題なし)
http://piapro.jp/content/quu3dxe80ov5x7jj
めんどいので第6話の前編へ直行
http://piapro.jp/content/kkegbbaqhh349ss0
シーンのイメージは召使の方のPVのひとつから。
かわいそうな初恋でごめん、レン君・・・。
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「やられたよ。まったく役者だな、君は!」
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