Last night , good night /3

「ありがと、ミク」
「いえ」
 ふぅ、と彼は息を吐いて、抱き締めていた彼女の身体を放した。彼女の中に流れ込んでいた彼の生の証が途切れる。彼女はそれを、寂しいと感じていた。
 彼は彼女の横に腰かける。そして、少しためらいがちに様子をうかがった後、彼女に寄り掛かった。彼女の側面に彼の重みがかかる。触れ合う個所から、彼の鼓動が、温もりが流れ込んでいく。
「くっついてるの、駄目かな」
「いいえ、そんなことはありません」
 よかった、と彼は微笑む。
「ミクとこうしていると、安心するよ」
 彼女はそれに応えようとして……しかし、上手くその気持ちを伝える言葉を、持ち得なかった。
「ねぇ、ミク」
 黙り込む彼女を気にした素振りもなく、彼は彼女の名を呼んだ。
「なんでしょう、マスター」
 目を閉じて、彼は小さく笑う。
「今度さ、また、いつもみたいな朝を迎えたら。その時は、一緒に朝ご飯を食べない?」
「朝ご飯、ですか?」
 うん、と頷き。
「いつも未来が作ってばかりだったから、たまには僕が作るよ。未来には寝坊させてあげる」
「残念ですが、私には寝坊という概念がありません。そもそも、マスターとは睡眠という概念すら異なりますし」
 彼女の言葉の途中で、彼は笑いだした。小さい肩の震えが、触れ合う部分を通して彼女に伝わる。
「マスター? 私は、何か面白いことを言いましたでしょうか」
「え、いや、ミクは面白いなぁって。まぁまぁ、いいから。ミクは何がいい? ミクの希望通りのものを作ってあげるよ」
 彼女は困ったように眉根を寄せた。
「そう言われましても、私は食事というものを必要としませんし……」
「じゃあ、食べてみたいものでもいいよ」
 間髪をいれずに彼は攻め手を変えてくる。食べてみたいもの。そのようなもの、考えたこともなかった。
「でしたら、マスターと同じものを」
「え? それって、いつもミクが作ってくれてる奴?」
「えぇ。トーストと、コーヒーと、ベーコンエッグはいかがでしょう」
 しばし、彼は何も言わず、ただ目を閉じていた。やがて、その表情をゆっくりと笑顔に変える。
「あぁ――それは、とてもいいかも」
 そう呟いた彼の表情は、まるで、遠い――叶わない、儚い夢を見るようで。
 センサーから流れ込む生体データは、彼のヴァイタルサインが弱まってきていることを示していた。
 しかし、彼女にはどうすることも出来ない。
 それに。夢見るような彼に、何を言えばいいのだろうか。
 ただ、思う。出来ることなら……その朝を、迎えることが出来ればよいのに、と。
 それがあり得ないことなど、改めて考えるまでもないことだ。この世界は、もう終わっている。
 例えそうだとしても。願わずには、いられなかった。祈らずには、いられなかった。そうであってほしいと、思わずにはいられなかった。
 奇跡というものが、あるのであれば。
 ほんの二百十八日前の、あの日が。何でもない、ただの一日であればよかったのに。
「……ねぇ、ミク」
「なんでしょうか、マスター」
 んー、と、彼は小さく唸った。ややあって、浅く呼吸を繰り返しながら、彼は言う。
「僕さ、ミクにまだ言ってないことがあることに気付いちゃったんだよね」
「言っていないこと、ですか?」
 わずかな間。うん、という頷きは、何かを決めたような響きを秘めていた。
「僕さ、ミクのことが好きだ」
 ――"好き"
 その言葉が、彼女の中をリフレインする。
 その意味を、上手く表現することは出来ない。初めて、彼女はそれがもどかしいと思った。
「言えて良かった」
 どこか満足したような表情で、彼はゆっくりと身体を横たえる。呼吸は浅く、短い。
「マスター」
 彼女は彼の名を呼ぶ。視界がぼやけ、彼の輪郭があやふやになっていく。
「私も、マスターが好きです」
「……ありがと、ミク」
 何故礼を言うのか、彼女には、それが理解できなかったけれど。
「……はい」
 短く答えて、アイセンサーを拭った。彼に、心配をかけてしまうから。
「ごめん。僕……疲れちゃったみたいだ。少し、休もうかと思う」
 彼のデータから、その言葉がどういう意味か、なんてことは、十分わかっていた。恐らくは彼もそれを知っているだろう。だが、あえてそういう言い方をしたのだと、彼女は思った。
「そう、ですか。ゆっくり休んでください、マスター。そうだ、子守唄でも歌いましょうか?」
「へぇ、歌えるんだ。お願い、ミク」
 彼女は目を閉じて、静かに歌い出す。何の音もない世界に、ハイトーンの彼女の声が響いていく。
 彼はゆっくりと手を伸ばして、彼女の手に触れた。弱々しく握られたそれを、彼女は握り返す。離さない、離したくないとでも言うかのように。
 歌声は、天に昇っていくかのよう。
「ミク……」
 小さく、彼は呟く。彼女は答えない。その代わりに歌い続ける。
「もしも、いつか。君に終わりが来たときは。
 ――その時は、君が、笑顔でいられるといいな」
 ――それは、マスターもです。
 歌を途切れさせないようにしながら、彼女は言葉にせず、ただ胸の中で呟いた。
 彼女は歌う。その声に、願いを乗せて。
 彼が……彼女の、ただ一人のマスターが、出来ることならば、ときわに笑顔でいられることを。
「そろそろ、寝るね」
 彼は大きく息を吐いて、呟いた。その表情は穏やかで、口元には柔らかな笑みが浮かんでいる。

「おやすみ」

 朗々と歌は響く。
 数多の生命が照らす、死んだ大地に。

 やがて、しばらくの時間が経ち、その歌が止んで
「――おやすみなさい、マスター」
 後には、彼女だけが残された。

/fin

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

Last night, good night /3

この小説は、kzさんによる楽曲、Last night, good nightをモチーフとした小説です。
その歌詞に影響を受けてはいますが、あくまで一解釈としてお楽しみくださいますようお願いいたします。

やたら長かったです。
素晴らしい楽曲を提供してくださったkzさんに感謝を。
また、この場を提供していただいたピアプロの中の人にも感謝を申し上げます。

閲覧数:489

投稿日:2009/03/06 05:58:03

文字数:2,452文字

カテゴリ:小説

  • コメント4

  • 関連動画0

  • 笹木

    笹木

    その他

    >>時給310円さん
    コメントありがとうございます。
    お読みいただきありがとうございました。GODOです。

    Last night, good nightは不思議な歌で、優しい綺麗な子守唄のようにも、切ない別れの歌のようにも聞こえるように思います。その二つの要素をミックスしてみたらこんな風になりました。お楽しみいただけたら幸いです。

    次はかなり有名な、リン主役の歌で行こうと思っています。お心当たりがありましたらお読みくださると嬉しいです。
    重ねてになりますが、コメントありがとうございました。

    2009/03/10 10:49:25

  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    初めまして、読ませて頂きました。
    素晴らしい文章力ですね。静寂と、温もりと、優しさが、とても綺麗に描かれていたと思います。
    僕も久々に Last night , good night を聞きに行きました。あの頃は綺麗な子守歌くらいにしか思わなかったのに、こんな解釈があったとは……。
    大いに読みごたえのある小説でした。
    次回は何の歌で書かれるのでしょう? 楽しみです。

    2009/03/09 22:57:04

  • 笹木

    笹木

    その他

    >>漆烏さん
    コメントありがとうございます。
    お読みくださいましてありがとうございました。GODOです。

    そういっていただけるととてもうれしいです。
    ほぼ丸二日ぶっ通しで書き上げて良かったと思いますw

    これからもこんな感じで投下して行こうかと思いますので、もしよろしかったらご覧くださいませ
    重ねてになりますが、コメントありがとうございました。

    2009/03/07 22:13:37

  • 漆烏

    漆烏

    ご意見・ご感想

    全部読んだ後、last night good night 聴きながらもう一回読みました。

    泣けるぅおあああああああああああああああああああ!

    失礼。おちけつ自分。
    えと、素直に感動しました。

    『その後』のミクを考えると、胸が締め付けられます。
    でも、それは決して語ってほしくない物語の続きでもあります・・・。

    素敵な物語をありがとうございました!

    2009/03/06 23:39:32

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