第十一章 リグレットメッセージ パート3
修道院の一角、修道院で暮らす女性達の為にある宿舎の扉を叩く荒々しいノックの音が響いたのは、ハクがそろそろ就寝しようとした時であった。その音に反応して、就寝前の会話を楽しんでいた、ハクと同じように身寄りのない女性達が一体何事だろうと顔を見合わせる。礼拝堂ではなく、礼拝堂の南側に併設されている宿舎に直接に向かってきたらしい。この時間に来客とは非常に珍しかったが、修道院の立場として無下に断る訳にもいかなかった。酔った海の男でなければいいけれど、と考えながらハクは玄関口の脇に用意されている、食堂を兼ねている広間から立ち上がると、玄関口へと向かって歩き出した。ノックの音はまだ続いている。相当焦っているのか、遠慮のない叩き方だわ、と考えながらハクは扉を閉めたまま、そのノックの相手に向かってこう声をかけた。
「どなた?」
ハクがそう訊ねると、途端にノックの音が止み、代わりに色香漂う女性の声が返って来た。
「夜分に申し訳ございません。実は連れの者が発熱し、行く当てもなくこちらを訊ねました。」
こんな夜更けに、女性が。その事実にまず驚愕したハクは、一体何があったのだろうかと考えながら宿舎の扉を開くことにした。玄関を開いた途端に雪が玄関ロビーへと吹きこんでくる。いつの間にか吹雪になっていたのだろう。温めていた玄関ロビーが外気に晒されたことで急速に冷えて行った。遠くに見えるルータオの街の繁華街の明かりが霞むほどの白い粉に覆われた世界の中、眼前に現れた桃色の髪を持つ女性はハクの姿を見ると安堵したようにこう言った。
「私の名はルカと申します。実は私の妹が熱を出してしまいました。一晩、屋根をお借りできませんでしょうか。」
その妹とやらは、しかしその女性とは異なる黄金の髪を持っていた。ルカと名乗る女性に抱きかかえられるようにして荒い吐息を零している少女をハクはどこかで見たことがある様な気分に陥ったが、取り立て思い当たる人物もいない。だが、気だるそうなその表情から発熱しているという事実は間違いがないだろう、とだけ考えて、ハクはルカに向かってこう言った。
「それはいけません、すぐにお入りください。」
その言葉に安心したように頷いたルカは、金髪の少女を半ばかかえる様にして玄関へと上がり込んだ。そして、ルカはハクに向かって言葉を紡ぐ。
「実は、馬が一頭おります。厩舎もお借りできませんでしょうか。」
「構いませんわ。宿舎の隣に用意しております。では、この子は私が寝室へと運びましょう。」
「恐れ入ります。」
ルカはハクに向かってそう告げると、金髪の少女の身柄をハクに預けた。思いのほか、身体が軽いわ、と考えながらハクは金髪の少女の身体を抱きとめた。相当の熱があるのか、その少女が放つ熱がハクの身体にまで伝わって来る。そのまま、ハクはその少女を抱きかかえて宿舎の奥にある空き部屋へと連れて行くことにした。その様子を確認した後、ルカが再び吹き荒れる雪の中へと飛び出してゆく。不満そうに嘶く馬の声を耳にした後に玄関がルカの手によって閉められ、宿舎に再び穏やかな温かさが戻ったことを実感したハクは、興味本位で顔を出した同僚の女性にこう声をかけた。
「ミレア、少し手伝って。奥の部屋までこの子を運ぶわ。奥の部屋を開けておいて頂けないかしら。」
その言葉にミレアは力強く頷くと、半ば駆けるようにして玄関口から見て左側奥にある部屋に向けて歩き出した。その後を追うように、ハクはその少女と共に廊下を歩もうと一歩踏み出した。その時、少女のポケットから一つの栞が床に落ちる。一体何の栞だろう、と考えたハクがその栞を床から掴み取った時、ハクは一度言葉を失った。
それは、ハルジオンの栞だった。相当の職人が作製したのだろう、まるでまだ生きているかのような瑞々しさを残したままの栞を見つめながら、この子も、あたしと同じでハルジオンが好きなのだろうか、とハクは考えた。初めて出会ったはずなのに、妙な共通点を見つけたことで僅かに微笑んだハクは、気を取り直すとその少女を連れて奥の部屋へと歩むことにした。その時である。
「ありがとう。」
弱々しい声で突然そう声をかけられたハクは、驚いた表情でその少女の顔を眺めた。サファイアの様な蒼い瞳が力なく瞬いていたが、まだ意識を失っていた訳ではないらしい。そう考えながら、ハクはその少女に向かってこう言った。
「いいえ。具合が悪いのでしょう?だから、気にすることはないわ。」
その言葉に対して、その少女は小さく首を振るとこう言った。
「いいえ、栞を取ってくれて。大切な人から貰ったものだから。」
「そう・・。」
その言葉を耳にした時、ハクは思わず自身がミク女王から預かっている王家のクリスタルとナイフのことを思い出した。この子も誰か大切な人を失ったのだろうか、とハクは考えたが、そのことは触れずに、逆にこう尋ねた。
「あなた、お名前は?」
その言葉に、僅かに言葉を詰まらせたその少女は、暫くしてから同じようなか細い声でこう言った。
「・・マリー。」
「マリー、ね。いい名前だわ。あたしはハク。宜しくね。」
そのハクの言葉に、マリーは一つ頷いた。そう言えば、いつかこんなやりとりをしたことがある。あの時はあたしがマリーの立場だったけれど。ミクさまと初めて出会った千年樹の木の下で、あたしは初めて他人から名前を褒められた。だから、マリーも名前を褒めれば喜ぶと考えたのである。もしかしたら、この子はミクさまがあたしに与えた使命なのかもしれない。この子を助けろという、ミクさまの意志なのかも知れない。ハクがその様なことを考えている内に、目的としている奥の空き部屋へと到達する。既にミレアは寝台のシーツを整え終えており、部屋に用意されている暖炉に火をくべているところであった。ほんのりとした温かさを感じながら、ハクはマリーに向かってこう言った。
「マリー、この部屋で休んでね。」
その言葉に頷いたマリーを、ハクは洗いたてのシーツの上に横たえた。素直に寝台に横になったマリーの身体に毛布をかけると、ハクはミレアに向かってこう言った。
「ミレア、ありがとう。あと、お水とタオルをお願い出来るかしら。」
「分かったわ。」
ミレアは暖炉をいじる手を止めるとそう答えて、部屋の外へと歩いて行った。やがて、静かな寝息がハクの耳に届く。ちゃんとしたベッドに入って安心したのか、横になった途端に眠りについたらしい。その寝顔を眺めながら、ハクはもう少し部屋を暖かくしようと考えて自らの手で暖をくべ始めた。
ルカが馬を厩舎に繋ぎとめてから修道院へと再び戻ると、玄関口で水の入ったタライと複数枚のタオルを抱えた女性に出合った。先程ハクに水を求められたミレアである。ミレアはルカの姿を見つけると、ルカに向かってこの様に声をかけた。
「あ、先程の子・・マリーさんでしたか?は奥の部屋で休んでいます。」
その言葉に、ルカは安堵の吐息を漏らした。リンはちゃんと偽名を名乗ったらしい。とにかく、すぐにリンの元に行こうと考えて、ルカはミレアに向かってこう言った。
「ありがとうございます。では私も向かいますので、案内して頂けますでしょうか。」
「ええ、勿論です。こちらです。」
ミレアはそう言うと、ルカを先導して歩き出した。そのまま、薄暗い廊下の一番奥へと進んでゆく。どうやらこの奥にある部屋がリンにあてがわれているらしい、と考えたルカは、ミレアに続いてその部屋に入室した。中にいるのは先程対応してくれた白髪の少女と、既に寝台で寝息を立てているリンの姿だった。
「ルカさん、マリーさんはもうお休みになったわ。」
暖炉の前から立ち上がった白髪の少女はそう言って笑顔を見せた。綺麗な笑顔をしているな、と考えながら、ルカは白髪の少女に向かってこう答える。
「ありがとうございます。そう言えば、貴女のお名前をお伺いしていませんでしたわ。」
その言葉に、白髪の少女は失念していたように苦笑すると、ルカに向かってこう言った。
「あたしはハクといいます。」
「ハク殿。この度は本当にありがとうございます。何とお礼を言ったらいいのか・・。」
その言葉に、ハクは僅かに瞳を細めた。殿、なんて言われるのは久しぶりだ。ルータオにやって来てからと言うものウェッジも殿を付けて呼ばなくなったから、もう数ヶ月振りか。或いはこの人達はあたしと同じようにどこかの王家に仕えていたのだろうか、と考えながらハクは返答を述べた。
「お礼なら必要ありませんわ。ここは修道院です。困っている方に手を差し伸べることが役目ですわ。それよりも、ルカさんもお疲れでしょう。隣の部屋が空いていますから、ご自由にお使いください。」
その心遣いに感謝しながら、それでもルカはこう答えた。いくらなんでも、病状にあるリンを放置する訳には行かないと考えたのである。
「お心遣い感謝致します。ですが、マリーの看病をしなければ。私はこの部屋で大丈夫ですわ。」
その言葉に対して、ハクは優しい笑顔を見せるとこう述べたのである。
「マリーさんの看病ならあたしがします。今日はゆっくりとお休みください。」
「しかし、初対面の方にそこまでお世話になる訳には・・。」
「構いません。これも、何かのご縁でしょうから。」
優しい瞳の奥に潜む意志の強い光。ハクが持つその光を確認したルカは、ハクに看病を任せても大丈夫か、と考えた。強気を口に出してはいるが、正直に言うとルカも酷い疲労感を感じていたのである。冷え切っていた身体が暖炉で急速に暖められたせいか、強い眠気も感じる。一晩、何も気にすることなく眠ることが出来るということはルカにとってもこれ以上に無い程の魅力的な条件だった。結局、自らの身体の欲望に負けた格好で、ルカはハクに向かってこう言ったのである。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。ハク殿、マリーを宜しくお願いします。」
ルカはそう言うと、リンが寝かされている私室から退出することにした。その姿を見送ってから、ハクはミレアが用意したタライの水の中にタオルを浸し、それを強く絞ると、丁寧に長方形に折り畳んでからマリーの額にタオルを載せた。そのタオルが僅かにマリーの身体を冷やしてくれたのか、マリーの寝息が少し落ち着いたことを確認したハクは、部屋の中で待機していたミレアに向かってこう言った。
「ミレアも休んで。この子はあたしが看病するわ。」
「いいの?」
「ええ。」
ハクがそう頷くと、ミレアはそれでも遠慮がちに部屋から退出していった。そして再び二人きりになると、ハクは部屋の隅にあった丸椅子を掴み、それをマリーのベッドの脇に置いてからその上に腰かけた。そして、先程廊下でマリーのポケットから落ちたハルジオンの栞をもう一度まじまじと眺める。目覚めたら、ハルジオンの話をしよう。ハクはそう考えて、その栞を丁寧にマリーの枕元に置いた。
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ご意見・ご感想
tio
ご意見・ご感想
昨日なんでかいろんなページが開けなくてハルジオンも読めなかった…(泣
てなわけでようやく読みました!
何かもう…レェェーンッ!って感じで泣けてしまいました↓リンが涙を堪えてるとこもグッときました
完結まであとどれくらいなんだろ…終わって欲しくない気もしますが、今後も楽しみです!
2010/05/10 20:34:07
レイジ
昨日なんか酷かったですよね!
投稿に時間がかかり過ぎて、もう一本書く時間と気力が無くなったなんて言えません・・。
処刑のシーンは皆様衝撃だった様子で・・。
僕自身が描きながら泣いていてしまいました。。。(何やってんだ^^;)
完結までどのくらいでしょう(笑)
もうストーリーは決まっていますが、それがどのくらいの文量になるのか想像つきません^^;
今後も頑張って執筆します!宜しくお願いします!
2010/05/10 23:46:55
lilum
その他
はじめまして。『コンビニ』でファンになってからレイジ様の書かれる小説をこっそりストーカーしていたlilumと申します。
チキンな私なのでコメントは今の今までできなかったのですが、向日葵様と紗央様が私と全く同じ気持ちでいらしたので畏れ多くも初めてコメントさせて頂きます。
物語が佳境に入り二人が出会った今、いよいよあのシーンが近づいているんですね…。レイジ様が書かれるラストがどうなるか気になって「早く読みたい!」とワクワクする一方で、本当に毎週末の更新が楽しみだったので「とうとう終ってしまう…。」と寂しく感じてもいます。
でも、だからこそラストまでしっかりと噛みしめながら読むつもりです。
長文失礼いたしました。次も楽しみにしています。頑張って下さい!
ps.実はレイジ様と向日葵様のやりとりも毎回楽しみにしてます☆
仲のいい兄妹のようで、こっちも笑顔になります(^^)
2010/05/10 20:31:17
レイジ
はじめまして!
なんと、『コンビニ』からお読み頂いていたのですね!
ありがとうございます!
もう、ほんとコメント頂けると嬉しいです!
この長い文章を諦めずに書き続けられたのもお読み頂いている皆様のおかげだと心から思っています。仰る通り『ハルジオン』はもうすぐ完結を迎えますが、期待されている分、しっかりと執筆して行きたいと思います!
この後ラストへと向かうリンとハクの応援をお願いします!
向日葵は・・そうですね、実際会ったことはないですが、本当に妹みたいな存在だと思ってます。
なんせ一番初めに僕にコメントをくれた人なので・・。もう半年以上やり取りしている計算になりますか。
こういう、本来なら出会うはずの無かった人たちが繋がって行く。
それだけでも、ピアプロに参加した意義があると思っています。
ピアプロ万歳!
2010/05/10 23:26:48
紗央
ご意見・ご感想
マリーは
マリー・アントワネットさんから
とったものですか??
第一声がこれですいません・・><
気になったものですから・・;;
前にも言った気がするけど
ラストが早く見たいけど
終わって欲しくないっっ(*_*;
どうすればいいんでしょう・・?
2010/05/10 19:58:35
レイジ
そうです!
マリーアントワネットから取っています☆
フランス革命で処刑されたルイ十六世のお妃さまですね。
国民の蜂起と言う点ではリン女王(つまりレン)と同じ運命を辿っているなあ、と思い、今回お遊び程度にリンの偽名にしました。
なんか、紗央さまだけではなく、皆さまから「終わって欲しくない」というコメント頂いて、本当に恐縮です・・。
最後までしっかり書くので応援お願いします!
2010/05/10 23:20:00