海が見たい。
そうレンが云ったから、ふたりでバイクを走らせて家を出た。
午前2時半。
「――なに?」
タンデムシートに乗るレンの声は、風とともに後ろに流れてしまい聞こえなかった。聞き返す兄の耳元に口を寄せ、レンがエンジン音に負けじと声を張り上げる。
「喉! 乾いた!」
届いた訴えに、カイトは苦笑する。左折のための、ウインカーを出す。止まれないことは、ないけれど。
「もう少し、待って」
車の途絶えた、交差点を曲る。点滅を繰り返す信号が、黒いアスファルトに鈍く反射する。真夏の夜中の、重くまとわりつく熱。引かれた白線の向こうに垣間見えた東の空は、うっすらと白んできていた。
地表にわだかまる熱を引き離すように、首都高に上がる。空が、近くなる。薄明るい空の縁を見て、レンは未だ濃紺の頭上を見上げた。高速道路を照らす灯りが、次々に通り過ぎていく。その向こうに見える星の光は、既にいくらか弱まり天に開いた小さな穴のようだ。ぼんやりと滲む、豆電球のよう。
明け方の高速道路は、もっと空いているかと思っていたけれど、大型のトラックばかりだ。周りを囲む、壁のような輸送物資たち。それでも途切れる、大型車の波。流れるテールランプを追い越す。加速。レンはぎゅっと、カイトのベルトを掴む手を強くする。
夜が後ろへ、飛んでいく。流れゆく空気の中にふわりと、潮風が香った。
海浜公園に着いた頃には、既に空はうす青く明るんでいた。海側に張り出した柵にもたれ掛かるレンに、自販機から戻ってきたカイトがペットボトルを放った。
「・・・炭酸投げて寄越すとか、どういう神経してんだよ」
顔をしかめ、レンがそれを受け取る。ふふ、と兄が、煙草に火を点けながら微笑う。
「しばらく待ってれば、吹き出すってことはないよ」
レンの隣にもたれ掛かり、カイトは煙を吐く。兄の手の内で、缶コーヒーが開く音かした。プルタブの奏でる、肌を切るような音に、レンはちらとうす寒さを覚える。
「寒い?」
二の腕を撫ぜた弟に、カイトが訊く。真夏でも、明け方は一瞬だけ冷える。薄手のジャケットを羽織っている兄の隣で、別に、とタンクトップ一枚のレンはペットボトルのふたを開けた。
日が昇る前の、一瞬。朝日が顔を出すその直前だけは、ぐっと気温が低くなる。その一瞬だけは、こんな汚れた都会の空気でも、清々しく透明な色になる。その空気が吸いたかったから、兄にバイクを走らせてもらった。午前4時45分。
「なぁ、煙草っておいしいの?」
「ん? うーん、おいしいっていうのとは、またちょっと違うかなぁ」
兄のくちびるから、海風に運ばれ煙が長く伸びていく。じゃあなんで吸うんだよ、と片眉を跳ね上げるレンにそうだなぁ、とカイトは灰を落とした。
「習慣?」
首を傾げるカイトに、訳わかんねぇの、と弟は返す。煽る炭酸は、喉の奥で小さく弾ける。
不意に足元の影が、濃くなった。あ、とレンは振り返り、暁光に目を眇める。隣で兄が、咥え煙草で同じように目を眇めているのを見て、思わず笑い声が洩れた。
「なに、いきなり笑ったりして」
訝る兄に、なんでもないと返す。目を眇める仕草などは、本当によく似ている。それこそ、自分でも笑ってしまうくらいに。
朝日が差し込みだすと、急に気温が高くなったような気がする。駐車場脇の階段を駆け、レンは人口浜辺に降り立つ。砂はまだ、熱くはない。
脱いだ靴を手に、寄せる波を蹴る。穏やかな浜辺に、レンの爪先から跳ねた水しぶきがきらめく。午前5時15分。
「転ぶなよ」
「転ばねーよ」
波打ち際で遊ぶ弟にそう声をかけ、カイトは煙草の火を消す。朝食を、どこで食べて帰ろうかと考えながら。
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