ベルゼニア帝国アスモディン地方の街道。少し前まではヴェノマニア公が治めていた領内に、一つの箱馬車が止まっていた。馬車の脇には人間が一人立っており、深々と体を折り曲げる。
「申し訳ありません。これ以上あそこに近づくのは……」
 乗客の頼みを叶えられない事が心苦しく、御者は頭を下げて謝罪する。馬車が壊れる。馬が動けなくなるなどの問題が起きない限り、乗客を目的地まで送り届けるのが自分達の仕事である。私的な理由で馬車を止める事はしてはならない。
 ましてや、馬も馬車も無事であり、かつ道も問題ない状態であるのに、この先に行くのなら馬車から下りて歩いて進むよう乗客に促すなど。
 沽券に関わる行為であるのは御者も重々理解していたが、この先に行けない、行きたくない心境の方が勝っていた。
「気になさらないで下さい」
 馬車の中に座っていた乗客の女性が返す。その口調は柔らかく、途中で下ろされる事の咎めや不満はなかった。
「ここまで乗せて貰えれば充分です」
 行きたくないのは分かる。無理を言ったのはこちらだと女性は詫びる。
 御者としての矜持と個人的な感情で揺れていた男性は、最敬礼の姿勢で再び謝罪する。
「お気遣い、感謝します。……申し訳ありません」
 乗客の女性が馬車から外に出たのを確認し、御者は頭だけを上げ、ここで待機していると伝える。
 小さな花束を持った女性は礼を言い、帰りもよろしくお願いしますと頼むと、馬車と御者を残して街道を歩き出す。
 行き先は、国内を揺るがせた女性誘拐事件の現場。事件が解決した今では、悪魔が住んでいた場所と言う理由で大半の人が避けるようになった場所。
ヴェノマニア公が住んでいた屋敷へ、グミナは足を向けていた。

 幼馴染が住んでいた家は事件が解決した後に処理される事もなく、鎮火したままの状態で放置されていた。
 雨風を防ぐ屋根と壁は完全に焼け落ち、燃え残った柱は炭となり、ひび割れた土台の隙間からは雑草が生えている。
廃墟となった屋敷の玄関に花を置き、グミナは手を合わせて黙祷する。
 国に恐怖と混乱を招いた張本人。情欲に狂った男。ベルゼニア帝国史上最低の貴族。アスモディンの悪魔。事件が解決して約一カ月。多くの人からそんな風に呼ばれるようになってしまった幼馴染。
 彼がやった事は当然許される事ではなく、咎められなければいけない事だ。糾弾されても仕方がない事をしてしまったのも分かる。
 グミナは祈りを終え立ち上がり、跡形もなくなった屋敷を見渡す。吹き抜ける風に物悲しさを感じるのは、目に映る景色のせいだけではないはずだ。
 子どもの頃一緒に遊んだ部屋、走り回って大人に怒られた廊下、こっそり忍び込んだ屋根裏。彼との思い出がある場所は全部焼けてしまった。
 焼け落ちた屋敷からは遺体の一つも見つからず、ヴェノマニア公は炎に消えたとされた。彼には墓を作る事すら許されず、灰は区別なくまとめて埋められたらしい。
「そこまでやる必要はあったのかな……」
 悪魔だからという理由だけで、事件とは全く無関係ない人々からも責められ、必要以上の悪意を向けられる。
 仕出かしてしまった事を追及して、後ろ指を差すのは簡単だ。だけど、どうして彼が事件を起こす程追い詰められてしまったのか、どうしてそんな環境になってしまったのかを考えようともせず、彼を糾弾するだけで済ませて良いのだろうか。
 被害にあった他の人に、彼を許して欲しいなんて言うつもりは毛頭ない。そんなのは自分の考えを押し付けて、彼女達の心に余計に傷つけるだけだ。
グミナが苛立って仕方がないのは、何も知ろうともしない人達がさも当たり前のようにヴェノマニアを軽蔑し、その事に疑問を持とうともしない事と、彼の苦しみに気付く事が出来なかった自分自身に対してだった。
 彼を助けるにはどうすれば良かったのか。事件が解決してから、その疑問がずっと離れない。
 角など気にせず普通に接していれば。いや、もっと前に彼と会って苦しみを分け合う事をしていれば。少しでも心の負担を軽くする事が出来ていれば。彼が自信を持てるような言葉をかけていれば。
 彼を殺した相手が英雄扱いされているのも後悔に拍車をかけている。確かにあの青髪の貴族、縁談話が持ち上がっていた青年には助けて貰った形なので感謝はしているが、恩人としての気持ちより、一人の人間として腹立たしい気持ちの方が強いのだ。
 事件が解決してから数日後、身の周りが落ち着き始めた頃。グラスレッド家として正式グミナが礼を述べに行った時、彼は感謝の言葉を伝えに来た相手であり、仮にも縁談話が持ち上がっていたグミナに対し、開口一番に言い放った。
「ベルゼニア帝国第三王女を助けた功績により、王室に迎え入れられる事になった。寄って、縁談話は破談とする」
 相手を気遣う素振りなど微塵もなく、そうするのが普通であるかのような口調で言い切られた。横柄な態度は最後まで変わらず、縁談話を断る謝罪もなかった。
何でこんな男に彼が殺されなくてはいけなかったのか。あまりの高慢さに怒りが湧き、反射的に罵倒してしまいそうだった。
 荒れ狂う感情を抑え込み、社交辞令の礼を言えただけ良かったと考えなくてはいけない。ついでに言えば、あんな男なんてこちらから願い下げだ。
 あれは身に余る名誉に舞いがっているのではなく、与えられる権力を自分の物と勘違いして酔っている者の顔だ。あんな男を迎え入れる王室は一体何を見ているのだろう。
 体裁を高められるのなら、利用できるものはとにかく利用する。国としては必要な事であるのは頭では理解しているが、やはり胸が悪くなる。
「何にも変わってない……!」
吐き捨てるように呟く。帝国の体質は数百年前から変化していない。真実をねじ曲げ、都合の悪い事は弱い立場の者に押し付け、自分は正義であるように宣伝する。
 国の暗部を知らなければ悩まなくて済んだかもしれない。公にされている情報に疑問を持たず、何も考えずに受け取ればいいのだから。
 けれど、自分は知っていた。この国の伝説が嘘で固められたものである事を。
 悪魔を退けた真の勇者は誰だったのか。その血を受け継いでいるのは誰なのかを教えられていた。
 一年前、グミナが二十歳になった時に祖母から伝えられた話。それはグラスレッド家が代々受け継いで来た、ベルゼニア帝国の伝説の真実だった。
 紫の髪と目は膨大な魔力を持つ証。幼馴染の彼が揶揄される原因となっていた二つの特徴は、生まれつき備わった魔力が強すぎたからだったのだ。
 彼と同じ髪と目を持つ人間は、ベルゼニアの歴史を紐解いても一人だけ。

 大昔悪魔を退けて世界を救った英雄。ヴェノマニア。

 悪魔を討伐しようとした一団は手も足も出ず、一団を率いていたベルゼニア家の者は真っ先に逃げ出し、もう一人の仲間も姿を消した。四人の内残ったのは、ヴェノマニア家とグラスレッド家の人間二人。逃げた二人が敵を攻撃する役目を受け持っていた為、残された二人には攻撃手段を失くした状態になってしまった。
 四人の内半分が攻めに回り、半分がそれを最大限に発揮出来るよう援護する。得意な事が違ったからこそ弱点を補い合う戦いが可能だった。見捨てられた二人は攻撃に関する能力が低く、空いた穴を埋める程の力は無い。
 捨て身で挑んでも玉砕にすらならない。悪魔の力は人間が到底敵うものではなく、力の差があり過ぎて戦うのが馬鹿らしくなる程の強さである。
 自分達が悪魔を倒してみせる。だから全て任せておけば良い。ベルゼニア家の者が行く先々で大きく吹聴したお陰で逃げる訳にもいかず、ヴェノマニアとグラスレッドは途方に暮れた。
 進めば確実に敗北する。期待を背負わされているせいで後戻りも不可能。新しい仲間を探していたら悪魔を取り逃がして被害が広がる。八方塞がりの状況に追い込まれ、グラスレッドは絶望と不安に苛まれて自決を考えたと言う。
 一団で最も地味な存在だったヴェノマニアは、自暴自棄になりつつあったグラスレッドを精神面で支えていた。仲間以外の人々からは低い評価をされてはいたが、ヴェノマニアは仲間の戦い方や敵の動きを把握して的確な援護を行う役割を果たしていた。弱い攻撃を当てて敵の気を逸らし、その隙に仲間が攻撃する。仲間に隙が出来れば、無防備になった所を補填してその場を凌ぐ。
 攻撃役として目立つベルゼニアと四人目の仲間に比べれば、ヴェノマニアの役割は決して目立つものではなかった為、周りの人々からは一団のお荷物扱いをされる事も多かったらしい。
 本人が身に秘めた魔力に気付いていたのかは不明だが、強い力を攻めではなく守りに注ぐ事により、一団の強さを底上げしていた。
 二人が取り残されてから数日後。ヴェノマニアはグラスレッドに何も言わずに姿を消した。誰よりも自分の弱さを熟知し、一人では戦えない事を分かっていたはずのヴェノマニアが悪魔の元へ向かったのを知り、グラスレッドは当然追いかけた。
 仲間に捨てられ、友にも置いていかれ、一人取り残される。グラスレッドが最悪の結末を覚悟して走り、ヴェノマニアに追いついて見たものは、悪魔と会話をしている親友の姿だった。
 グラスレッドが到着した頃にはヴェノマニアと悪魔の話はほぼ終わっていたらしく、この世界を脅かしていた悪魔は間も無く魔界へと去っていったとか。
 悪魔と戦おうとしなかったグラスレッドの疑問に対し、ヴェノマニアはこう答えたと言う。

 戦っても絶対に負ける。だったら、敵を倒す事を諦めればいい。自分達の目的は『悪魔をどうにかして世界を守る』なのだから、無理して戦って勝利を奪う必要は無い。
 悪魔が魔界に帰ってもらえればこれ以上お互い面倒にならずに済むし、世界に平和が来るのだから別に問題はないだろう。

 諦める。一見すると後ろ向きで否定しがちな思考は、別の手段を考えるのに必要な発想。戦って勝つ事だけにこだわり、悪魔を倒す事をいつまでも諦めずにいたら、暗黒時代はしばらく続いていたかもしれない。
呆気にとられる程盛り上がらない形ではあるが、世界を救った事には変わりはなく、二人がベルゼニア帝国帝都へと帰還した時には、悪魔がいなくなった事は世間に知られていた。

 凶暴な悪魔を滅ぼしたのは、一団を率いていたベルゼニア帝国家の者だとして。

 民衆の期待を無意味に煽って一団に余計な重圧をかけておきながら、誰よりも早く仲間を捨てて逃げたベルゼニアは、事もあろうに自分が悪魔を倒した勇者なのだと吹聴し、ヴェノマニアの手柄を掠め採ったのだ。
 ベルゼニアの行動に堪忍袋の緒が切れたグラスレッドを、ヴェノマニアは落ち着き払って宥めたと言う。

 これでいい。疲弊した世界と民に必要なのは悪を打ち倒した英雄であり、それは臆病者で目立たない自分では駄目なのだ。
 帝国家に力があれば、荒廃した国民の心に希望を与える事が出来る。そうすれば、迅速に世界を立ち直らせる事だって出来る。
 自分は世界が平和になるきっかけを作れた。それで充分だ。
 だから、これでいい。

 ヴェノマニアの心境がどんなものだったのかは不明である。グラスレッドに告げた通りだったのか、度が過ぎたベルゼニアの行動に腹を立てるのすら馬鹿らしいと考えたのか、今後この件について口出しする事などは一切なかった。
 一方グラスレッドは、真相を明らかにするべきだとヴェノマニアを説得していた。誰よりも仲間を大切に思い、平和を願い、戦わずして悪魔を退けた勇者である親友が、これ以上不当な扱いを受けるのは納得できない。
 何度言い聞かせても、ヴェノマニアは頑として意見を受け入れなかった。固い意志の前に最終的にはグラスレッドが折れ、代わりに一つの提案をした。

 この世界を救った真の勇者が誰だったのか。自分は将来生まれる子どもや孫に伝えよう。
 何十年、何百年先かは分からないが、いつかきっと全てが明らかになる時が来る。
 ベルゼニアが勇者である事が当たり前になり、疑う者がいなくなったとしても。ヴェノマニア家が事実を忘れてしまったとしても。勇者と悪魔との戦いはお伽話だと扱われるようになったとしても。
 グラスレッド家は真実を守り、未来へと繋げていく。

 本当の英雄は誰だったのかを伝える語り部になりたい。グラスレッドが告げた願いをヴェノマニアは受け入れ、二人はそれぞれの帰路についたのだった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

二人の悪魔 10

 一個前の投稿で「次で終わり(予定)」と言いましたが、撤回。文が長くなって今回だけでは収まりませんでした。

 回復と補助が全く無い状態で勝てるほど、ラスボス戦は甘いもんじゃありません(笑)
 たまに激弱なのもいますけどね……。特別やり込んでもいないのにあっさり倒れるラスボスが。 

閲覧数:304

投稿日:2011/12/03 22:01:35

文字数:5,106文字

カテゴリ:小説

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