8 現在:2日目
「あれ、おねーさん一人? こんなところで美人に会えるなんて思ってなかったなぁ」
「はいはい。あんたみたいなのに興味ないから、ほっといてくれる?」
未来と深夜まで家族風呂に入った翌日。朝食後にロビーでくつろいでいたら、知らない男に声をかけられた。
コーヒー片手にソファに座ってぼんやりしていたのがいけなかったんだろう。
「まーまーそんなこと言わずにさ」
容赦のないあたしの言葉にもめげることなく、そいつは図々しくもあたしの向かいのソファに座ると、こっちをなめ回すように見てくる。
どうせ朝食だけだからって、キャミソールだけで出てきたせいなのもあるかもしれない。普段から、胸元には男性の視線しか感じない。
「……」
ロビーの向こうの日本庭園が遮られ、そいつが視界に入る。
イケメンかと言われると……そうでもなさそうな顔だ。無理に染めた金髪に、軽薄な表情。格好良いとでも思っているのか、ピアスや指輪なんかのシルバーアクセサリーをたくさんつけている。
率直なあたしの感想を言わせてもらえれば、ヤンキー性分が抜けきらない、まだ自分が若いと思ってるダサいヤツって感じ。
不良が格好良い、みたいなのは高校生が限界だと思うんだけど。
そんな評価を五秒で下し、あたしは座り心地のいいソファから立ち上がる。部屋に帰ろう。
「おねーさん、部屋どこ? 俺と一緒に――」
「――ほっといてって言ってるでしょ」
ついてこようとしてるそいつを見もせずに言い放つ。が、それでも諦めようとしなかった。
周囲の……朝食を終えた人たちや、大浴場へと向かおうとしている人たち。それから従業員の皆さんの視線が集まる。
「ちょっとだけだって――」
「お客様。そういった行為は当旅館ではご遠慮いただいております」
急に旅館の男性従業員にさえぎられ、そいつは憤慨する。
「んだよ。そんなの――」
「他のお客様のご迷惑になっておりますし、こちらのお客様も快くは思っておられないご様子。どうかご遠慮ください」
その人の毅然とした態度に、そいつは周囲を見回して自らの不利を悟り……なんだよ、とか文句を言いながら立ち去っていった。
……あぁ、助かった。
せっかくリフレッシュしに来たのに、朝イチからうんざりするところだった。
「ありがとうございます、海斗さん」
「いえ、礼には及び……って、え?」
いなくなったのを見届けてから感謝を告げると、その人は驚いて、眼鏡の位置を直しながらまじまじとあたしの顔をのぞき込んできた。
「えって……え?」
わからないの……?
そんなに変わったかしら、あたし。
「まさか……愛ちゃん?」
……なんて思ったけれど、すぐに誰かわかってくれたらしい。
……うん。さっきのとは違って、こっちは変わらずイケメンだわ。
『男なんてキョーミないけどねー』
「……」
激太りもしてないみたいでスマートなままだし、そんなに歳をとった感じもない。変わったのは……眼鏡をかけてるってことくらいか。
「未来から聞いてないんですか? あたしが来てるって」
「ええと、それは……最近はちょっと」
そう言って気まずそうに頭をかく海斗さんに、あたしも昨夜未来から聞いたことを思い出した。
「ああ、FXで失敗して、未来を怒らせたんでしたっけ」
「ぐっ……。本当、未来は愛ちゃんには隠しごとをしないね……」
「あはは。まあまあ、お金には疎いかもしれないけれど、あいかわらず女の子を助けるのがお上手で助かりました」
「……。それ、馬鹿にされてるのかな」
「そんなことないですよー。褒めてますし、感謝してますって」
そう言って、興味本位で海斗さんの腕に抱きついてみる。
「ちょっと、こら。マズいってそういうのは」
「そーゆーのって……こーゆーの?」
むぎゅ。
海斗さんの二の腕に、胸をしっかりと押しつけてみる。と、面白いくらいにうろたえだした。
「だからほんと、洒落にならないって!」
「なんでですか?」
「みんな見てるからだよ! 言うまでもないだろ」
「まあまあ、未来じゃ味わえないところを味わう大チャンスじゃないですか」
「そんなチャンスいらないから!」
「そんなこと言ってー。あたしが唯一、未来に勝ってるところなんですから。そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」
「こんなところ未来に見られたら――」
「なーにーをー私に見られたら困るのかしら?」
「あら、未来」
「げっ」
振り返ると、昨日とは違う着物を袖に通した、和装美人が立っていた。その整った顔は、一応笑みの形になっているが、かなり引きつっていて、こめかみには血管が浮き出ている。
「メグったら――」
「やっぱ抱きつくなら海斗さんなんかより未来よねー」
あたしは海斗さんをさっさと離し、未来の腕に抱きつく。
「いや、その……。未来、これは……」
「……。はぁー」
うろたえまくる海斗さんに、未来は深い深いため息をついた。
「メグ」
「なあにー。まいはにー」
「……。あたしの海斗さんで遊ばないでくれる?」
せっかく「まいはにー」って呼んだのに、完全に無視されてしまった。
「いやあ、まさかこんなに面白いとは思ってなくて」
「海斗さんをいじめていいのは私とお義母様だけです!」
「けちー」
「ダメなものはダメです!」
顔を真っ赤にして嫉妬する未来も、可愛い。
「でもー。確かに海斗さんはかなりヤバい部類のミスをしたかもしれないけどさ。そんなに長々とお預けさせてたら、誰に誘惑されてホイホイついていくかわかんないわよ?」
「むー……。メグみたいに一人で来る女性客、確かに多いもんね……」
「いやいやいや。そんなことしないって」
真剣に悩みだした未来に、海斗さんは反論する。でも、聞いてくれないことを見越しているのか、ちょっと小声だった。
「海斗さんはそう言うけど、男って馬鹿だからねぇ……」
「……わかる。カップルで来てるくせに私な熱い視線送って怒られてる男の人、本当に多いもん」
「……それは、未来が美人なのが悪い」
「ええっ?」
「未来はいつまで自分の美貌に無自覚なのかしらねー」
「ええと……メグはメグで、その美貌を無邪気に振り回しすぎだと思うんだけど」
「え。そお?」
「うん。それで海斗さんが振り回されてて、私も困ってるんだけど」
未来はちょっと困った顔で、そう告げてくる。
そう言われてみると……そうなんだろうか。あたしは普通にしてるつもりなんだけど、相手が「好意を持たれてる」って勘違いして来ることはよくある気がする。
――そうだ。この旅館に泊まろうって決めた時も、そんなことがあった。
あたし、男になんか……興味ないのに。
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