友人につられてその空き教室に足を踏み入れたとき、浮かび上がった光景があった。
出席番号が一つ違う彼女は、いつも前の席で笑顔で話しかけてきたんだ。
……その空き教室に入ったのは初めてなのに、なぜか茶髪の女の子の笑う姿が頭から離れない。
立ち止まるオレの意思なんてお構いなしに、フラッシュバックは続いてゆく。
手紙のやりとりをした。
隣同士の病室で、文字で心を通わせた。
だけど、僕が先に死んだ。
そして死にゆく彼女の夢の中で、約束を交わした。
“じゃあ僕は、君に会うために生まれ変わろう“
……ああ、なんて誓いを立てたんだ。
十五年間、この教室に足を踏み入れるその瞬間まで忘れていたというのに。
”だから君を何年、何十年だって待ち続けよう。それくらいの覚悟があれば、今度は無気力になんかならないだろう?“
そうだ。君を探さないと。
同じ時代、同じ場所で巡り会える確率は限りなくゼロに近いだろう。
それでも、会わなければいけない。
彼女が今度こそ、心から人生を謳歌していることを確認しなければいけない。
そのためだけに、自分は生まれてきたのだから。
そして、時が流れて、教師としてこの場所に戻ってきたとき。
教壇から見渡す景色の中、記憶に焼きついた少女の姿を見つけた。
……ああ、ようやく会えた。
彼女は、何も覚えていなかった。
話しかけずとも、それが理解できた。できてしまった。
だけど、学生生活を心から楽しんでいるように笑う彼女は、記憶はなくともオレのことを意識しているようだった。
以前のオレの面影を追い求めているだけだ。
オレの存在に縛られず、幸せに生きてくれるならそれでよかった。
だから彼女がどれだけ近くで話しかけようと、オレの気持ちを伝えることは一切しなかった。
以前の記憶の残滓に引っ張られて、オレを「好きでいようと」しているだけだ。
身近な大人に憧れるのと何も変わらない。
だから一線を引いて、彼女がありのままの人生を生きていてくれればそれでよかった。
「そういえば咲音は、進路はどうするんだっけ?」
「そうですねえ、色々考えたんですけど、医者になりたくて」
昔から憧れていて。人を救うのってかっこいいじゃないですか。
そう無邪気に笑う彼女は、かつての人生でその医者に命を奪われたことを覚えていない。
……彼女は何も覚えていない。だけど、心のどこかに引っかかる何かに、人生を掻き回されている。
それを哀れに思うべきか、止めるべきか。
因果を振り払って前に進めることを喜ぶべきか、わからなかった。
卒業の日が近づいてきた。
オレの親友と、彼女の親友は、無事に仲直りできたらしい。いいことだ。
「なに他人事みたいな顔してんだよ」
「他人事だよ。そりゃ、親友の幸せは嬉しいことだけど」
「……お前、何も伝えずに咲音さんを見送る気だろう」
「それがオレの仕事だからね」
無事に最後の授業が終わって、あとは式当日に見送るだけだ。
彼女の人生の門出に、オレの存在は必要ないから。
「仕事、仕事って言うけどな。始音、咲音さんに何か伝えなくちゃいけないこと、あるんだろ?」
「オレが関わることで、彼女の未来を歪めちゃいけないんだよ。オレだけが覚えていたって意味のないことなんだから」
「……もう十分関わってるだろう。散々俺のことを色々言っておいて、自分だけ逃げようったってそうは行かないぜ?」
昔からの親友である神威は、あの子と改めてこれからのことを話すらしい。
それはこれまでじっくり話していたからできることであって、ずっと距離をとっていたオレの場合はこれからもずっと関わらないほうが自然のはずだろう。
「これはただの勘だけどな。咲音さんは、お前のことを待っていると思う」
「……だけど、何から話せばいいのか、わからない」
「ウジウジしてる始音はなんか鬱陶しいな」
「酷くない? 事実だとして、はっきり言葉にされるとオレだって多少は傷つくんですけど」
「お前に放ったらかしにされる咲音さんの方が可哀想だろ」
じゃあな、あとはなんとか頑張りたまえ、と謎の上から目線の台詞を残して神威は去っていった。
好き放題言うだけ言って、全く昔から何も変わらない奴だ。
まあ、確かに、彼女のことを避けようと意識し続けていた節はある。
だけど決定的な話をしなかった。
直接会ったとして、いきなりスムーズに話ができるとは思えない。
……だけど、事前に用意した言葉なら。
遥か遠い過去でそうしていたように。
ノートのページを破り取り、彼女にしたい話を思いつくままに書き記す。
ぐちゃぐちゃでも、話が前後しても、何度でも読み返せる手紙ならば、素直に話ができる。
あまり長すぎても疲れるだろう、と三、四枚の紙片を三つ折りにして、懐にしまって彼女の姿を探した。
ほとんどの生徒はもう帰ってしまっているけれど、なんとなく彼女はまだ残っているような気がした。
空き教室は多分先約がいる。それに、彼女はその場所には思い入れはない。
ならばと自然に足が向いたのは、まだ春を迎えていない寒い風が吹く屋上だった。
「あれ。始音先生?」
「咲音こそ、どうしてここに?」
「さっきルカと神威先生の姿が見えた気がして。私が来た時には誰もいなかったんですけど」
それにしてもここの眺めって良かったんですね、と彼女は物珍しそうに見渡している。
「……あのさ、咲音。オレは、君に話がしたくてここに来た」
「あら、嬉しい。いつもはぐらかされていたから、なんだか照れますね」
そう言いながら、ちっとも照れてなんていない君の笑みが、不敵なものに変わる。
こんな笑い方をするなんて、初めて知ったな。
「伝えたいことがたくさんあったけど、オレは話すのが得意じゃない。だから、手紙を書いてきた」
「てがみ?」
「そう、手紙。さっき用意したから、あまりしっかりしたものじゃないんだけど」
そうして懐から紙片を取り出して彼女に差し出すと、彼女の頬に一筋光るものが溢れていった。
「ま、え、どうした!? 何かまずいことを言ったかな!?」
「ちがうんです。なんだか、なぜだかわからないけど……先生から手紙をもらうことを、ずっとずっと待ち望んでいたような気がするんです」
以前の彼女でさえ、手紙のやり取りをしている時は直接の反応は見ることはなかった。
こうして直接向き合った状態で、手紙の返事をもらう機会なんて、一度もなかった。
そして、オレもまた、手紙の感想を彼女の口から伝えられる瞬間を、望んでいたのかもしれない。
「泣いてる場合じゃないですね。せっかくいただいたので、すぐに読みますね」
「なんか、目の前で読まれるのはかえって恥ずかしいな。何書いたっけな……」
「今この瞬間手紙を取り返そうとしたら私、一生恨みますからね」
「それはちょっと勘弁してほしいかな……」
ふふ、涙を指で拭い取り、手紙というには急ごしらえの紙片を広げ、彼女はその文字を読み上げる。
「拝啓、咲音メイコ様。オレは、君のことをずっと――」
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