『夢みることり』を使ってファンタジー小説を書いてみた [1]
大きな湖に、豊かな土地。
この国が、ルディと呼ばれる怪物に悩まされ始めてから随分経つ。
四十年だった。
この国は、真ん中に大きな湖を抱えており、国境を接する外縁は、はるかな山々に囲まれていた。春になると雪解け水が豊かな水を湖に供給する。
豊富な水資源と、温暖な気候で、農作物を作り、水運を発達させ、山の向こうの国々がうらやむような賑わいをみせていた。
しかし、四十年前の冬の初めの日、湖に浮かぶ島のひとつから、人の背丈の倍はあろうかという巨大化した鷲が出現した。やがて、鷲だけにとどまらず、狼が街に現れ、大トカゲが農村の作物を襲った。
それらはいつしか『ルディ』と呼ばれ、その呼び名は誰からともなく湖全土に広まった。
原因不明の怪物の出現に、湖の周りにすむ人々は戸惑い、怖がり、やがて果敢にも追い払おうとして命を落とすものが出た。
そして、怪物退治をする『ゼル』という職業制度が出来、それを支援する仕組みが村や町の役場に整った。
巨大な怪物に、剣と魔法で挑む『ゼル』は危険な職業であったが、多くの若者がその使命感や冒険心を刺激され、『ゼル』を目指した。
命を張って、正体不明の怪物から人々を守る『ゼル』。そして、そのゼルたちに、大鷲か狼かトカゲか、といった種類と、強さと、住み着いた年数といった怪物の情報を与える公務員、『ルディ対策課』。
人々は、いつか怪物のいなくなる日を夢見て、夢をそれらの職に託した。
そして、ゼルやルディ対策課員は、その生命を賭けて人々を守った。
この物語は、そんな、ルディ対策課員の物語。
時代に愛された男、アークトゥルス・イーゴリ。そして、時代を動かした少女、リリス・フリージャの物語である。
* *
抜けるような青空の下、空気は冷たく湿っていた。しかし、雲ひとつない空から届く光は暖かい。
そんな早春の森の広場に、『唄』が響く。
この春、『ルディ対策課』に配属された、アークトゥルス・イーゴリとリリス・フリージャは、先輩の課員から、唄の訓練を受けている。
通常、ルディ退治は、魔法で行われる。
魔法とは、特定の言葉や旋律を『唄う』ことによって光や風圧、炎などが発生する現象だ。
『魔法』を『唄う』ことによって自然現象を操る力は、複雑な発音が可能な喉を持つ人間に与えられた、自然の恩恵であった。
本来ならば、魔法は、とっくに滅びた技術だった。文化として保存されてはいたが、生き物を倒したければ、そんな才能頼みの技でなくても、練習すれば誰でも出来る、矢じりがある。他にも強力な武器はあった。
ところが、それらはルディの強靭な肉体を前にしては何の意味もなかった。
人間の生活する街や村で暴れるルディを倒すためには、まず、魔法の『唄』の攻撃で弱らせて止めを刺す。これが定石であり、とくに後方支援や情報収集を担当するルディ対策課の公務員は、高水準の魔法の腕前、つまり『唄』の上手さが求められるのだった。
「風よ、集いて力を示せ! 」
少女の声が響く。金の長い髪が、ふわりと逆立ち、その身のまわりの空気が密度を増した。少女の背に、一対の鳥の翼があった。その翼が、少女の緊張を反映してふわりと開く。
「いいですよ。リリスさん。そのまま、発動させてください」
教育係となった先輩課員は、マルディン・ローウィス。 やわらかな薄緑の髪に、同色の尾をもつ、トカゲ族の男である。
この国に住む人間は、その外見から、三つの種族に分かれていた。
第一に、森林性の生命が進化したと言われる、狼族だ。通常の狼族はその名のとおり、人の外見に加え、狼の尻尾、もしくは耳を持つ。
第二に、鷲族だ。人の外見の、肩甲骨あたりに、黒もしくは褐色の羽毛が生える。まれに耳の裏辺りに羽毛がふわふわと生える者もいる。これは家族ごとに遺伝することが多い。
第三に、トカゲ族だ。人の外見に加え、トカゲの尻尾をもつ。緑や褐色など、人それぞれに、さまざまな色合いを持つ。髪に明るい色を持つ者も多い。
少し前までは、人は、神が創ったとされていた。その神は、湖の中心の小さな島に残された神殿に祭られている。結局のところ、二本の足で立ち上がって歩き、器用に手先を使い、大脳と知恵を発達させたものが、湖の周囲の森や、その外に広がる草原や海に生育するのに有利だったのだろう、爬虫類から、哺乳類から、そして鳥類から、それぞれの特徴を体に残したまま、二足歩行の生き物が進化した。それが、この国に生きる人間ということらしい。
さて、すらりとした体つきに眼鏡をかけたマルディンは、としの頃は四十を過ぎたあたりだが、その唄の技術には定評があった。
リリスが息を吸う。そして、効果を乗せる旋律を強く発声した。
『気高く走り、その業をなせ』
空気がうなり、少女の頭のてっぺんにまとめた髪をざっとあおり上げた。するどく細い風圧が、リリスの前方の、人の背丈ほどの土の山に向かう。
この土の山を、怪物ルディに見立てて、魔法の攻撃訓練を行っているのだ。
リリスの背の、白地に茶のまだらの翼が震える。耳の横のちいさな羽毛が緊張に逆立ち、髪を持ち上げふわりと顔を出した。リリス・フリージャは鷲族である。
「アーク! 防いで! 」
マルディンの命令が飛ぶ。
「よしきた! 」
意気込む少年はアークトゥルス・イーゴリ。茶の髪に茶の羽を持つ少年だ。
年の頃は十六歳を迎えたばかり。リリスよりもひとつばかり年下である。
「万物の調停者たる水よ……えぇっと、えぇい、粘れ! 」
対するアークは、土の山を、守るべき人間に見立てて、ルディの攻撃への防御の訓練を行う。
「ねばれって……! ちょっと、アーク、よく考えて」
マルディンが言い切る前にアークの魔法が発動した。
雪解けに湿った土が。攻撃者のリリスと、その側にいたマルディンの足元の土が、水をふくんでグァッと立ち上がった。
「ええぇ?! 」
リリスとマルディンを泥の塊が襲う。
「あっ! 」
思わずリリスが唄の響きを中断してしまう。目に入った泥をとっさにぬぐおうとしたリリスの風が制御を失った。
制御を失った風は目標を大きく逸れ、まだ葉の揃わない高いこずえの先をいくつか切り飛ばした。
「……アーク」
教育係のマルディンの低い声に、アークが引きつる。唄う興奮で開きかけていた鷲族の証である、背中の羽根が、恐る恐るちいさく畳まれてゆく。
「だ、ダメだった……? ちゃんと、土の山は守ったけど……」
その瞬間、マルディンのトカゲの尻尾がうなりを上げた。
「でっ!」
アークが、地面のぬかるみにたたき伏せられた。
「痛ってぇ! 」
びしゃっと、足音も荒く、マルディンが倒れたアークの前に立つ。
アークの放った魔法の泥を、その頬からぬぐい、厳しく言い放った。
「アーク! これで何度目ですか。 魔法は狙い通り発動させること! あなた、土の塊に魔法をかけるはずでしたよね?
……結果オーライは、ルディ退治の世界では通用しませんよ! 言葉は選んで使いなさい! 」
* *
リリスとアークは、マルディン・ローウィスのもと、『ルディ対策課』に配属されるための特別研修を受けている。
研修所は、人気のない森の中にある。大きな攻撃魔法も使うので、街や村に迷惑が掛からないようにするためだ。そうして半年近い期間を魔法の唄の訓練に明け暮れて過ごし、腕前が水準以上だと認められて初めて、『ルディ対策課』に本配属となるのだ。
早春から始まった『ルディ対策課の公務員』として働くための、魔法の訓練。それは、初等学校で習う程度だったアークはもちろん、元『ゼル』であり、ルディという化け物と戦って生計を立ててきたリリスにとってさえも、『公務員』として戦う訓練は連日へたばるほどの厳しさだった。
二人の教育係であるマルディンは、二人の歳を足し合わせたくらいは軽く生きているが、世間一般のその年代とは違い、強靭な体力と頭の切れを見せつけ、若い二人を圧倒する。
「おまけに、見た目に反して意外と体当たり教育なんだよなぁ」
アークのぼやくとおり、マルディンは、やわらかい色の髪、知的な顔立ちに眼鏡、すらりとした長身という優しげないでたちに反して、他人を叱る時、手も足も時折トカゲ族の特徴である強靭な尻尾も使う。舌鋒も鋭く、食らえばしばらく立ち直れない。
……ほとんどそれらが使われるのは、アークに対してのみだが。
「これが国からお金をもらえるレベル、という奴なのね」
リリスは瞳を輝かせるが、アークは事務職志望だったので、連日の実務訓練に、正直嫌気がさしていた。
「俺は魔法で斬ったり戦ったりするの、苦手なんだよ」
「あら。地方に配属されたら、事務職だって戦いの場に『ゼル』たちを案内しなきゃいけないのよ。
実務で事務であれ、魔法の戦う技術は必要だから、本職のマルディンさんがわざわざ時間を割いて新人研修しているんじゃない」
アークより一つ年上の十七歳なのに、リリスは大人だ。
「それに、あたし、ゼルだったからさ……地方に退治に行くときは、事務の方に案内していただくことも多かったの。案内の道中は、私たち退治の専門職の『ゼル』がいるからいいわよ?
でも、案内の帰り道や待っている間に、私たちが戦っているものと別のルディに襲われたりして怪我したりすることも多いのよ。亡くなった方もいるわ」
実際の経験が紡がせるリリスの言葉に、ルディ退治の世界では初心者のアークは気おされてうなずく。
「わかったってば!」
なげやりに返事をするアークを見るリリスのほうは複雑な心境だ。
アークは、いまでこそ声変わり直後の少年のレベルだが、彼は男で、体も未だ成長期である。これから体も大きくなり、いずれ身長もリリスをはるかに追い越すに違いない。声に大きさも深みも出て、女性のリリスなど敵ではなくなるだろう。
力を望まないアークが、本当に力を欲している自分よりも、いずれ確実に強くなる。
そのことが、リリスを、激しい訓練に没頭させた。音を上げそうになる口をつぐませた。そうして全力で感情を殺し、すべてを忘れていないと、その悔しい事実も思い出されて、やりきれなくなってしまうのだ。
残酷なことに、魔法の旋律を編むセンスも、アークのほうが圧倒的に高いことに、訓練中、リリスは気づいてしまった。
魔法を発動させるための唄。
それは、旋律のつくりかた、詩の美しさもさることながら、生まれ持った声の質、つまり才能が、その人間の『魔法』の発動率を大きく左右する。
同じ唄を唄っても、効果はいつもアークのほうが高い。リリスは、同じ効果を発動させるために、知識と技術でなんとかその差を埋めている。
この訓練が進み、アークが知識も技術も手に入れたとしたら、どんなに彼は輝かしい成果を手にするのだろう。ある日、自分の心情をこっそりマルディンに打ち明けると、マルディンは、そっと微笑んだ。
「わかります。その焦りは、私も、おなじです」
マルディンの予想外の答えにリリスは思わずその言葉を反芻してしまう。その様子を、マルディンは眺めて、しばしのためらいののち、ぽん、とリリスの背、鷲族の証の羽根の間を叩いた。
「こればっかりは、女声も男声も関係ありません。ただ、生まれ持った声の質、つまり才能です。私も、詩の内容で魔法を従わせています。純粋に声だけで唄ったら、彼にはかなわないでしょうね」
教育係であり、本職であるマルディンに、そう言わしめるだけのものを、アークは持っているのだ。
「あの。あたし、がんばります。マルディンさん」
アークの才能を見越して、ルディ課の上層部はアークとリリスの二人だけの特別研修を組み、本来なら一刻を惜しんで実務に携わって欲しいはずの現職のマルディンを教育係につけたはずだ。
「なら、アークとともに訓練を受ける自分も、きっとなんらかの価値があると、期待されているはず」
その思いが、リリスの悔しさを少しばかり鎮めた。
リリスの周りで、時が過ぎてゆく。
はるか高みにある、目標。マルディン・ローウィス。
そして迫り来る才能、アークトゥルス・イーゴリ。
春は深まってゆき、幾種もの花が咲いては散っていった。
そんな日々を重ねたある日、マルディン・ローウィスが倒れた。
……[2]へつづく
夢みることりを挿入歌に使ってファンタジー小説を書いてみた [1]
はややP様の「夢みることり」が好きになってしまい・・・
挿入歌にしながらファンタジー小説を書いてしまいました。
世界、和風ではありません・・・が、
全5パートのうち、3パート目から「夢みることり」風味になっていきます。
あの冬の空気感、蛍のはかなさと光とハーモニーを現在の全力で描写したつもりです。ご意見・ご批判お待ちしております。
はややP様の「夢みることり」
http://piapro.jp/content/0cfvvfofy04x5isc
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