第十章 03
「……剣を抜け。戦じゃ」
焔姫の声に、皆が剣を抜く。
階下ではすでに怒号や悲鳴、剣戟の音が響いていた。こうなった以上、もはや奇襲という方法には意味がない。
「標的はハリド・アル=アサドただ一人じゃ。この混乱に乗じて仕留める。邪魔する者には容赦をするな」
「はっ」
皆の声が小さく唱和する。
「……ゆくぞ」
覚悟を決めた皆の顔を見回し、焔姫が国王の居室から出ていく。その後を、皆も追った。
居室のすぐ外の廊下には、二人の血に濡れた近衛兵が倒れていた。元貴族側の者に殺されたのだろう。そのまま大広間へと降りる階段を駆け下りると、そこにも近衛兵が倒れている。無断で上がればそこの衛兵に斬り伏せられる――男が王宮へとやってきた初日に、焔姫からそう忠告を受けた事を思い出す。逆に斬り伏せられてしまっている彼らを横目に、あの時はまさかこんな事になるとは思っていなかったな、などと男は思った。
広間にたどり着き、焔姫が立ち止まる。そこでは、近衛兵たちがそこかしこで剣を打ち合わせていた。
玉座は倒れ足蹴にされている。朝夕の祭事に使われていた祭壇もまた、無残に傷だらけになっており、以前の荘厳さのかけらもない。
王宮の広間は変わり果てていた。
「何だあいつらは!」
「知らねぇよ。味方じゃねぇ。味方じゃねぇなら、敵だ! 殺せ!」
一番近くにいた近衛兵たちが、それだけの会話で焔姫たちに斬りかかってくる。
「……清々しいほどの馬鹿じゃな」
近衛の鎧を着てはいるが、その隠す気すらない粗暴さに焔姫があきれる。斬りかかってくる近衛兵を前に、ため息すらつきそうな様子だった。
「死ね!」
近衛兵の技術も何もない振り下ろしを、焔姫は避けずに剣ではじき、受け流す。
「その程度で、よく殺せるなどと思ったものじゃ。思い上がりもはなはだしい」
「んだとぉ!」
焔姫の挑発に、近衛兵は簡単に激昂する。だが、怒りに任せた斬撃はことごとく受け流され、焔姫の身体には届かない。
「これでは死ぬ方が難しいわ」
そう言うと、焔姫は近衛兵の剣を払い、鎧のすき間からのどを突き刺す。
「他愛ない」
焔姫は剣を引き抜くと、軽く振って血を払う。その仕草は、男には何かを確認しているように見えた。
「てめぇ、よくも!」
「いいからさっさと殺せ!」
仲間の死に、近衛兵たちは口々に叫ぶと焔姫たちへと斬りかかってくる。
各々が剣を打合わせ、またたく間に混戦となった。
焔姫は、変わらず強い。
その剣で、次々と敵を倒してゆく。
だが、男には以前との決定的な違いが分かる。太刀筋は読めても、怪我が治りきっていないせいで、俊敏さまでは取り戻せていない。
かつてなら、この程度の斬撃ならその身のこなしで避けていただろう。しかし、今では剣で受ける事を余儀なくされているのだ。
それだけではない。
その剣をにぎる左手も、焔姫の利き手ではない。そしてその剣も、焔姫のために作られた細身の長剣ではなく、皆と同じ幅広で肉厚の長剣だ。その重さは、二倍以上になっているはずだ。
先ほど剣を振っていたのは、おそらく自らの左腕の感覚と剣の重さを確かめていたのだろう。
その今までとの違いは、今の焔姫にとっては大きなハンデを背負った戦いだ。なれない左手で、以前よりも重い剣をふるう。それは、本来出せるはずだった力と比較すれば、おそらく致命的なまでの差があるだろう。
焔姫自身にとってみれば、それはもしかすると、絶望を感じるほどのものかもしれない。
それでも、焔姫はそんな内心など微塵も見せずに近衛兵たちを圧倒していく。
「こいつ……まさか、例の焔姫とかってやつか?」
「間違いねぇ。それならなおさら……ここで殺せば名が上がるってもんだぜ!」
味方が殺され、逆にそうはやし立てるかのように盛り上がる近衛兵たち。その山賊か何かのような低俗さに、焔姫もうんざりする。
「……おろかな」
「俺が殺してやる。そしたらその死体は俺のもんだぜ。たっぷりかわいがってやる」
近衛の兜の内側で、彼らは下卑た笑みを隠そうともしない。
心底うんざりした様子で侮蔑の表情を浮かべる焔姫の脇から、元近衛隊長が進みでた。
「……私も、参ります。姫にだけ戦わせるわけにはいきません。お前たちも続け! 姫をお守りしろ!」
「応!」
元近衛兵としての誇りがあるのだろう。元近衛隊長も、他の者たちも、その瞳は誇りを傷つけられた怒りに燃えていた。
味方が倒されてなおあざける近衛兵へと、元近衛隊長が剣を突きだす。
元近衛隊長の剣を受ける技量もなく、近衛兵の剣は簡単にはじかれた。
「ぐ……げぇっ」
その後の続けざまの連撃に対応出来るはずもなく、腕が浮き上がった所で脇腹を刺された敵がうめく。
「近衛の何たるかも知らぬ貴様たちに、簡単にやられる我々ではない」
それは、普段のおだやかな雰囲気しか知らない男が初めて見る、戦士としての元近衛隊長の顔だった。
「ふっ……ざけやがって」
「俺たちも続け!」
「……皆殺しだ!」
敵味方の怒号が入り混じり、次々と剣が打ち合わされた。
焔姫たちには、戦っている近衛兵が元宰相側の者なのか、それとも元貴族側の者なのかは判断がつかない。だが、仮にどちらか分かっていたとしても、どちらも同様に敵である事は間違いなかった。
剣を打ちすえ、斬り払い、焔姫たちはひとかたまりになって広間をじりじりと進む。その中で男も必死に剣を振るうが、男には身を守るのが精一杯で、自分が攻撃に転じるなど考える余裕すらなかった。
焔姫たちがようやく広間の中央まで差しかかったころ、すでに二人が敵の刃に倒れていた。
広間では未だ、近衛兵同士の戦いも行われている。だが、彼らが焔姫を共通の敵として見ている事も間違いなかった。
彼らは焔姫たちを挟んで広間の左右に分かれてにらみ合っている。先に焔姫たちを殺してしまおう、という意図がすけて見えた。
「これではらちがあかん。突破するぞ」
広間で時間を食えば、それだけ元貴族に存在を知られる確率は上がり、同時に逃げられる可能性も増す。時間をかけるべきではないのは確かだった。
「余に続け」
「応!」
皆の声に、男は少しだけ身がすくむ。
無理矢理突破するという事は、味方の犠牲もいとわないという事に他ならない。
それが必要だから、焔姫がそうしようとしているという事も、男は理解しているつもりだ。だが、だからといって恐ろしさが無くなるわけではない。
焔姫が活路を作ろうと剣を振るう。それは、敵対する近衛兵同士のすき間だった。
「はッ!」
烈迫の気合とともに銀光がきらめくと、近衛兵たちが気圧されて一歩下がる。そこに、焔姫は臆する事なく突っ込んでいった。
「続け! 遅れるな!」
「行かせんじゃねぇ、馬鹿ども!」
「突破しろ!」
「先頭の女を殺せ!」
敵味方の怒号が響く中、ともすれば敵味方が入り乱れてしまいそうな所を、焔姫たちはひとかたまりになって進む。
階下への道を焔姫が切りひらき、元近衛たちが押し広げて進む。
殺到する鋼の群れを、皆の剣が受け、はじき、受け流す。だが、皆が焔姫や元近衛隊長のようにやれるわけがなかった。
「ぐあっ……!」
「うぐっ」
剣をさばききれなかった者が、最後尾にいた者が、近衛兵の刃に倒れる。
「……くそっ」
ちらりと背後を見て、焔姫が舌打ちする。だが、その歩みは決して止めない。刃を受けて膝をついた味方が、背後で複数の刃を受けて絶叫を上げる。焔姫はすぐに前を向き、振り返らなかった。
焔姫は歯を食いしばり、必死の形相で前を向く。背後の味方を助けたいという気持ちを、なんとか抑えているのだ。
彼を助けるだけなら、それは確かに簡単な事かもしれない。だが、そこで彼を助けるために歩みを止めた事で元貴族に逃げられてしまったら? 敵が増えてこの広間から見動きがとれなくなってしまったら? そうなってしまったら、ここにやってきた目的までもが失われてしまう。
そのリスクをおかせないから、焔姫は前へと進む。
そのすぐ後ろをついてゆく男はと言えば、焔姫の背中を追いかけるだけで精一杯という有様だった。
焔姫の看病をしながら街中を逃げ続ける間に、危険察知能力や体力は少しくらいついたと思っていた。だが、この戦闘における狂気にも等しい空気に、男はただただ圧倒されていた。
かろうじて攻撃を自らの持つ剣で防いでいるおかげで、まだ傷を受けてはいないが、それだけでも奇跡なのかもしれないと男は思った。
ほどなくして、階段へとたどり着く。
焔姫が先陣をきって駆け下りていくと、最後尾の三人が階段の手前で立ち止まる。
「何をして――」
言いかける焔姫に、彼らは口々に告げる。
「おゆき下さい!」
「……我らは、ここで姫さまの背後をお守りします!」
「じゃが――」
焔姫が反論する間もなく、三人のうちの一人が背後から刺し貫かれる。残った二人はすぐさま振り向き、近衛兵たちを階段から遠ざける。刺された彼も、血を吐きながらも剣を振るい、ほんの少しでもと抵抗を見せた。その姿に、焔姫は唇をかみしめる。
「……姫」
元近衛隊長の、控えめながら力強い言葉に、焔姫は悔しそうにうなずく。
「分かっておる。……頼んだぞ」
階段上で近衛兵たちと剣を打ち合わせる彼らへそう告げると、焔姫は返事も聞かぬまま階段を駆け下りてゆく。
その後を、男たちも追いかけていく。
人数はすでに、焔姫を含めて、たった五人にまで減っていた。
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