小説版 コンビニ パート5
それから、一カ月があっという間に過ぎ去った。相変わらず、俺のコンビニ通いは続いている。最近はレジの前で藍原さんと一言二言会話をすることが日課にはなっていたものの、俺は懸案を抱えている為にどうにも気分が晴れなかったのである。
理由は簡単だ。曲が完成しないのである。サマーコンサートで演奏する予定の曲の内、三曲までは完成している。後一曲。これがどうしても完成しないのだ。サマーコンサートまでの期間は二週間を切っており、流石の沼田先輩も過去作品からの転用を本気で考え始めていた。
早く作らないと、皆に迷惑をかける。
俺はそう考えて、今日もまた練習後に自宅に戻ると、急いでパソコンの電源を入れることにしたのである。
「マスター、大丈夫ですか?」
相当疲労した表情をしていたのだろう。ミクのプログラムを展開した直後に、不安そうな表情でミクはそう言った。
「大丈夫だよ。」
「だって、すごく疲れています。」
確かに疲れている。サマーコンサートが近付いてきたから練習は毎日あったし、時間も普段よりも一時間以上長い。
「今日は早くお休みになられた方が・・。」
続けて、ミクはそう言った。ミクがこんなことを言うなんて珍しい。普段ならいつも早く曲を作れとせがんでくるのに。
「駄目だよ、ミク。後一曲、どうしても作らなきゃ。」
「そうですけど・・。」
「大丈夫、たったの一曲だけだぜ。」
俺は強がるようにミクにそう言うと、椅子の上で思いっきり背伸びをした。凝り固まっている肩に血流が届くような気分を感じる。ぷはぁ、と思いっきり吐息を漏らすと、俺は首を左右に振った。よし、大分気分が変わって来たぞ。
とはいえ、どうしようか。
不安そうに俺を見つめるミクの表情を眺めながら、俺はそう考えた。歌詞が全く思い浮かばない。何か題材があれば、と思い、俺はミクにこう尋ねた。
「ミク、何か歌いたい曲は出来た?」
ひと月前にミクに訊ねた質問。このひと月、三曲の歌を歌わせ続けてきて何か心境の変化があっただろうか、と思ったのである。
「歌いたい曲ですか?なら、一つだけ。」
「あるの?」
俺は驚いて身を乗り出した。まさか、ミクが自発的に曲を歌いたいと言い出すとは思わなかったのである。
「この曲です。」
ミクはそう言うとインターネットのサイトを展開し始めた。日本で一番有名な動画サイトに侵入すると、とあるページで立ち止まる。
「これは・・。」
俺は思わず唸った。まだミクが人格を持たなかった過去の時代、VOCALIDという言葉が初めて世界に登場した頃、『初音ミク』がただの音楽ソフトの一ジャンルに過ぎなかった時代に、人の手によって歌わせられた歌。
『メルト』
投稿日を見る。二〇〇七年十二月七日。もう、三十年以上も前の投稿作品だった。再生回数は軽く五千万回を超えている。
「これが伝説の曲か。」
俺はそう言って、動画の再生ボタンを押した。恥ずかしながら、今まで聞いたことが無かったのである。
朝 目が覚めて
真っ先に思い浮かぶ
君のこと
スタートのワンフレーズで、俺は息を飲み込んだ。三十年前の作品とはとても思えない。たった四分程度の曲に、俺は一瞬でのめりこんだ。
「いい曲ですよね?」
曲が終わり、動画が止まると、ミクは俺に向かってそう訊ねてきた。
「ああ。凄くいい曲だよ。」
溜息交じりに俺はそう言った。完敗だった。これに比べたら、俺の作曲した曲なんて子供みたいな存在だと思ったのである。
「これ、私という存在がまだ人格を持たされていなかった頃の曲ですよね?ただのDVDロムだった時代の・・。」
「そうだね。」
「でも、私は確かにこれを歌った。」
「ああ。」
「だから、私もこんな歌を歌いたくなりました。聞いていると、ドキドキして、切なくなりました。好きという感情が、なんだか分かったような気がしたんです。」
人を好きになる時のドキドキする気持ち。これって、三十年前も今も、そして将来も変わらないものだよな。
ミクの言葉を聞いて、俺はそう思った。そして、ミクにこう尋ねる。
「ミク、君は好きな人はいる?」
「私、ですか?」
ミクは戸惑ったようにそう言った。しばらく悩んだ後、ミクは俺に向かってこう言った。
「私、マスターのことは大好きです。それが私に設定されたプログラムかどうか分からないけれど、でも、これが好きだという気持ちだと思います。」
「ありがとう。」
そう言って俺は思わず苦笑した。考えてみれば、俺以外の人間をミクは知らない。変な質問だったな、と思いながら、俺はふと思い浮かんだフレーズを口ずさんだ。
君のことだけ考えてる
どうしたら振り向いてくれるのかな
どなたか教えてくれませんか?
「マスター、それ・・。」
俺がアカペラで歌った曲に対して、ミクは期待するような瞳で俺を見た。ミクの瞳を見ながら、俺はこう言った。
「ミク、きっといい曲が書けるよ。」
翌日起床したのは午後になってからだった。あの後一気に曲を仕上げ、ようやく就寝したのは日が昇り始める頃だったのである。一時間目の講義が確か必修だったような気がするが、そんなことを考える余裕も今の俺にはなかった。そもそも就寝というより、曲を書き上げた瞬間に机の上に伏せこんだのだ。おかげでパソコンの電源は入れっぱなし。パソコン本体は相当過熱しており、掌を載せるとまるで湯たんぽの様な熱を持っていた。
「おはようございます、マスター。」
俺が顔を上げると、ミクは呆れたようにそう言った。そう言えばミクも展開しっぱなしだったな。
「おはよう、ミク。」
「もうお昼ですよ。」
「そうだね。」
「学校、大丈夫ですか?」
「ま、なんとかなるさ。」
「ならいいですけど。」
「それより、昨日の曲、歌ってくれ。」
「分かりました。」
ミクはそう言うと、一つ深呼吸するような動作を見せてから朗々と歌いだした。もう伴奏も付けている。昨日思いついたばかりの、即席の歌詞と曲の割には良くできていた。
「どうですか?」
歌い終わったミクは、俺に向かってそう言った。
「いいよ、ミク。最高だ!」
俺はそう言って笑顔を見せた。つられるように、ミクも笑顔を見せた。
時計を見るとサークルの練習が始まる時間に迫ってきていたものだから、俺は大慌てで簡単なシャワーを済ませ、大急ぎで着替えを済ませて自宅を飛び出すことにした。どうやらかなり寝坊したらしい、と考えながら早足で立英大学へと向かう。もちろん、その途中にあるコンビニに行くことは忘れない。とりあえず練習の前に何か食べておかないと持たないな、と冷静に考えた結果でもあるのだが、とりあえず一日一回は藍原さんに会いたいという下心の方が優先されていた。ともかく、俺は弁当とペットボトルのジュースを掴むと藍原さんのレジへと向かうことにした。その藍原さんが、俺の姿を見た瞬間に僅かに頬を染めた。
フラグ?
俺は思わずそう思った。今まで頬を染めるなんてなかったからだ。もしかして、とうとう惚れさせちゃいましたか?俺は都合よくそう思いながら、藍原さんの目の前に弁当とペットボトルを置いた。藍原さんは何故だか俺から目を逸らすようにレジ打ちを始め、そして会計を済ませる。
あれ、これだけ?
普段と同じような会計に、なんだか拍子抜けしたような気分を味わいながら、俺はコンビニから出ようと思い、入口に向かって歩き出した。その時、藍原さんが何かを決心したように俺に近付いてきた。
え、もしかしてお誘いのお言葉ですか?
俺はその時本気でそう思った。頬を赤らめながら、会計が終わった客に話す言葉など普通はないだろう。しかし、俺という人間が本当に都合のいい人間だと思ったのはこの直後である。藍原さんは俺の近くに来ると、小声でこう言ったのである。
「あの・・チャック・・空いていますよ・・?」
「え?」
俺は反射的にズボンを見た。そして愕然とする。
ズボンの窓が全開だよ!
「す、す、すみませんでしたっ!」
天地がひっくり返ったような衝撃を味わいながら俺はズボンのチャックを人間が出せる最高速度で押し上げると、そのままコンビニから飛び出した。恥ずかし過ぎて藍原さんの顔を見ることができない。誰もいなければ無意味な言葉を叫んでいたはずだ。流石にこれ以上の恥をかきたくなかったからしなかったが。
教訓。
どんなに急いでいる時でも、身なりはきちんとしよう。
小説版 コンビニ ⑤
ryo様、勝手にメルト借りました。
申し訳ございませんっ!
しかも神曲『メルト』が三十年前の投稿ってなんなのよ、という突っ込みを受けることを覚悟で弁解させていただきます。
まず、ミクに人格を持たせることは作品を盛り上げるためにどうしても必要でした。(なにしろピアプロに投稿しているのに、VOCALOIDがミクしか出てこない^^;)
現在の科学技術ではプログラムに人格を持たせることは不可能だと思うので、単純に未来なら大丈夫だろう、と浅はかに考えた訳でございます。
ということでいまさらですがこの作品の時代自体が約三十年後の未来の話になっています。三十年後といえば俺も還暦間近ですねぇ。その時人格を持ったミクが発売されたら俺は買うのだろうか・・?
なお、私は高校、大学と吹奏楽を経験しているので音楽については多少分かっているつもりですが、バンド経験はありません。なので現実のバンドとは多少異なっていることを書いているかも知れません。
ついでに、作詞する才能はないと自負しているので、主人公の藤田君が口ずさんだ歌詞が変だよ!という突っ込みはしないでください・・。(いや、別に突っ込まれても構わないですけど・・。)
色々と申し訳ないですm(__)m
次の投稿は今週末になると思います。
このお話はまだまだ続きます☆
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