その子に出会えたのはきっと、俺の人生で一番の奇跡だった。
そんな大袈裟なことを臆面もなく考えたのは中学一年生の時。
その女の子は、クラスで間違いなく一番可愛い女の子だった。きっと、クラスにいる時は男子の誰もが彼女のことを意識していたはずだ。
彼女がクラスのどこに座るのか席替えの度に意識したはずだ。
時には嫌らしい報道記者のように露骨に、時には断崖の上に咲く一輪の花のようにそっと、彼女のことを意識していたはずだ。
更に悪いことか良いことか、その時のクラスで、客観的に見て男子的に当たり(他の女子には大変失礼な話だが)と呼べるルックスを所有しているのは、その女の子だけだった。
勿論、クラスの男子の全員が全員その子に惚れていたわけではなかった。よそのクラスの女子に惚れていた男子だって普通にいたし、多分彼女に惚れていたのはクラスの男子の三分の一ぐらいだったはずだ。
そして、俺と、俺の友達は当然のようにその三分の一に属していた。
お互い、口に出して確認したわけではない。でも、お互いを見ていると、そんなことぐらい1×1の答えのように明白に分かる。
でも、お互いに臆病者と書いてチキンだった俺達は、どちらも彼女に対して全くアクションを起こせぬまま中学生活を終えようとしていた。
「よ、オカ。いよいよ今日で卒業だな」
「そだね、レン。高校に行ったらやっぱり会える回数は減るよね」
「まあ、そりゃ仕方ないだろ」
「だよねえ」
そう言って藤岡ーー…オカはため息をついた。
勿論、お互いに会える回数が減ることを嘆いているわけではない。
いや、表面上はそうであるかのように俺もオカも取り繕っているがーー…まあ、それももしかしたら一割、いやもしかしたらそれ以上ぐらいの割合で事実かも知れないが…ーー実際は、ただ、彼女と会える回数が極端に減ることを、もしかしたら、金輪際会えなくなるかもしれないことを、心配しているだけだ。
彼女は、俺やオカが行くような二流高校や三流高校には行かない。成績が飛び抜けて優秀な彼女は、少し離れた私立の高校に入るらしいことにしたらしい。しかも、そこの女子寮に入るようだ。
これは、受験という話題なら自然に話し掛けられると踏んだ俺が、ドキドキしながら彼女と話した末に得られた情報である。
周りを見渡してみると、教室全体がいかにも卒業式直前のような、それらしい空気を醸し出している。
既に涙ぐんでいる女子もいるし、どうやら皆センチメンタルになっているようだ。
彼女の姿を目で探すと、すぐに見付かった。中学生活で一番養われたスキルは彼女を発見するスキルかもしれない。
隣のオカを見ると、こいつも俺と同じように彼女のことを見ているのが分かった。
「………なあ、最後だし、お前の好きな人教えてくれよ」
隣で机に突っ伏したまま、だらけたポーズでオカが聞いてきた。
知ってるくせに、と思いながら俺も言い返す。
「お前が先に言ったら、俺も言う」
あっちも、知ってるくせに、と思ったに違いない。
「それじゃ平行線になっちまう。レンから教えてよ」
「………いいよ」
しばらくの瞬巡の末に、俺は頷いた。
それは、中学一年からのこいつとの友情があったからかもしれないし、中学一年からずっと暖めてきたこの恋心を誰かに告白したかったからかもしれない。
「鏡音リン。リンだよ」
ストレートにそう告白すると、やはり、オカは特に驚いた様子もなく、「そうか」とだけ言った。
そして次の瞬間ーー…次の瞬間を、俺はきっと、一生忘れない。
絶対に、忘れることが出来ない。
オカは突然立ち上がり、口元に両手をメガホン状に当て、学校中に聞こえるくらいの声で、叫んだ。
「鏡音、レンのぉっ、好っきな人はぁっ、鏡音ぇ、リンんんんんんんんんん!!!!!!!!!!!」
卒業式直前のセンチメンタルに包まれたクラスに、愛の告白が響き渡った。
ただし問題だったのは、その愛が俺の愛だったということで。
告白をしたのが俺では無かったということだ。
「ばっ、ばっ、ばっ、ばっばっ」
俺はばっばっ言うロボットと化していた。もう驚愕が脳内のスペースの全てを占めていて、思考が追い付く暇などまるでない。
「ばっか!!!何っ、言ってんだお前はっ!!!」
次に頭に湧いてきたのは突発的な怒りだった。その俺の怒りは、まるで火山が噴火するようで、頭がカッと燃えたぎったような錯覚さえ受けた。視界は一瞬で白く染まり、俺はその怒りに体を任せるまま、オカの顔面を殴り付けた。滅茶苦茶、本気で殴った。俺の全体重を拳に込めて殴った。
ガシャアン、と派手な音を立ててオカは傍にあった机を巻き込みながら倒れた。
そして数秒痛みに顔をしかめるようにしていた後、すっくと立ち上がり、「スマン、口が滑った」と言った。
今度頭に出てきたのはもはや殴りたいとかそういう感情を越えたものだった。俺はその時、初めて人を心底殺してやりたいと渇望した。
心の底から、殺意を覚えた。
俺が、三年間も、ずっと大切にしてきた恋心を、気持ちを、こいつはーー…!!!!
俺は何か良く分からない言葉を叫びながらオカに特攻した。殴るだけじゃ足りない。何を、何をしよう。蹴ろうか?首に手刀を叩き込もうか?金的を捻り潰そうか?目玉を穿りだそうか?
でも、俺の特攻を止めたのは、近くで茫然と突っ立っていた男子達でもなく、ましてやオカでもなくーー…彼女、鏡音リンだった。
「やめてっ!鏡音!あの、わわ、私も、鏡音のことが、鏡音レンのことが、す、すすす、好きだからっ!」
俺、の下から上への斜めの直線を描いていた蹴りが、オカのちょうど目の前でピタリ、と止まった。
「い、一年生の時から、ずっと、好きだったの。あの……だからっ、付き合って下さいっ」
彼女は真っ赤な顔でモジモジしながら、そう言い切った。
足を下ろしてオカを見ると、オカは呆れたように、疲れた表情で、笑っていた。
「……………こちらこそ、お願いします」
やや間を置いてから、俺はそう答えた。
すると、今まで反応に困っていたらしい、茫然としていた顔だったクラスメイト達が、口々に「ひゅーひゅー」などの喝采や、「おめでと~」などの祝福の言葉を掛けてくれた。
「よし、じゃあお前ら体育館行くぞ~」
そこで、ようやく担任の先生が教室に入ってきて、皆の声も止んだ。
どうやら、卒業式が始まるらしい。でも俺の頭の中は、もう何か色々とぐちゃぐちゃした考え事で一杯になっていた。
不思議とその時に浮かんだ感情は、リンと付き合えることになった喜びなんかよりもずっと大きな、オカに対する身の焼けるような罪悪感と、申し訳なさと、後悔と、切なさと、悲しさだった。
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