【レン】


「カイトさんは、もし手に入るならどの宝が欲しいかしら?」
 普段よりは1オクターブは高い声で、リンが言う。その人と話をするのが心底嬉しくて堪らない、というような表情で。
 相手の人は優しげな笑みを浮かべながら答える。
「私は、余りそういったものは欲しいとは思いませんね」
 それはそうだろう、と思う。
 今まで見た限り、この人には物欲や金銭欲といったものがあるようには思えない。いや、それだけではなく、ありとあらゆる欲に興味が無いように思えた。リンの周りに居る強欲な奴らと比べるだけでも失礼かも知れないが、それにしたって、彼は無欲すぎる。そんな所にもリンは惹かれたのかも知れないけれど。
 カイトさんは青の国の豪商の息子。僕がこの城で召使として働く前、五年ぐらい前から度々訪問していたらしい。綺麗な青い髪と青い瞳、優しい声がまるで温かくその場を包むようで、人に無条件に信頼と幸福を与える人だと思う。カイトさんのリンを見つめる眼差しはいつも優しげで、それで居てどこか物憂げだった。
 その気持ちは、僕にも解からない訳じゃない。
 無邪気に自分の意思を押し通そうとするリンは、年頃の少女として見れば魅力的だけれど、彼女は一国の王女で、それだけではいけないのだ。けれど、その事に意見を言える者はこの国には居ない。僕もこの国の現状では駄目だと思うのに、それでもリンが幸せならと優先させてしまう。
 いや、きっと一番駄目なのは僕なんだろう。
 きっと僕が言えば彼女も耳を傾けてくれるだろう。そう思うのに、無邪気なリンの笑顔が曇るのが嫌で、結局言えないでいる。僕は、なんて卑怯なんだろう。
 少しでもリンの事を想って、嗜めようとするのはこの人だけだろう。それでも、他国の人間だという遠慮があって、控えめだけれど。
 リンが僕に視線を向ければ、カイトさんもこちらに視線を向けた。何を話していたのだろう。余りちゃんと聞いていなかった。でも、話はすぐに違う所へと向かう。
 緑の国。
 豊かな国だと聞く。けれど、大臣たちは下賤の国とリンに吹き込む。
 そして外を知らない彼女はそれを信じる。
「王女、私は常に父について三国を巡っていますが、決してそのようなことはありませんよ。緑の国は、活気に満ち溢れた、素晴らしい国です。何より、王女が好まれて買う品々の中にも緑の国のものは沢山あるのですから」
「……まあ、カイトさんがそう言うなら、それでも構わないわ。どちらにしろ、それほど宝が欲しい訳でもないし」
 渋々という様子で、カイトさんの言葉に納得した様子でリンが頷くのに、ほっとしたような笑顔を見せる。
 けれど、彼はすぐに沈んだ表情を見せる。リンが心配して声を掛けると、ぼそりと彼は呟いた。
「……その気遣いを、国民にも向けてくださればいいのに」
「何を言っているの?何処にそんな必要があるの?」
 全く悪気なく、そう返したリンに、カイトさんははっとしたような顔をして口元を押さえた。失言だと思ったのだろう。曖昧な笑みを浮かべて、彼が退室を告げる。
 部屋を出る時に一度僕に微笑みかけて。年を経るにつれて、彼の表情は沈んだものになっていく気がする。
 彼を見送って、リンに視線を戻した。
「カイトさん、大丈夫かしら」
「疲れが出たんだって言ってたし、休めばきっと大丈夫だよ」
「そうね。何だか元気もないようだったし。そうだ、レン、カイトさんに薬湯でも持っていってあげて。そうすればきっと元気になるわ」
「うん、解かったよ。持って行く」
 無邪気にそう告げるリンに微笑みかける。双子の僕のお姉さん、僕の半分。僕の命よりも大事な人。僕が何よりも守らなければいけない女の子。
 彼女が望むことなら、僕は何だって叶えるだろう。
「お願いね、レン!」
 僕にだけ見せる笑顔で、リンが笑う。
「それにしても、カイトさんは鈍いのかしら、それとも気づかない振りをしているのかしら?」
「何のこと?」
「わたしとレンが双子だってことよ。いつもそれとなく洩らしているのに、気づいているのかいないのか、さっぱり判らないわ」
「どうだろうね」
 僕としては、きっと気づいていると思うけれど、無闇に口にすることではないし、カイトさんはそれが解かっているから何も言わないだけだろう。あの人は、鈍くは無いと思う。
 むしろ、解かっているから口にしないのだろう。
「じゃあ、僕はカイトさんに薬湯を届けてくるよ」
「うん、お願い」
 そんなリンの笑顔に見送られて、僕は部屋を出た。


 薬湯を用意してカイトさんが泊まっている部屋のドアをノックする。
「はい?」
「失礼します、リン王女の使いで…」
「…ああ、いいよ、入って」
 穏やかな声に促されるままに僕は部屋の中へと入る。
「薬湯をお持ちしました。気分も落ち着くでしょうし、どうぞ」
「ありがとう」
 微笑んでお礼を言われて、慌てて首を振る。僕はあくまでも召使なのだから。
「いいえ、僕はなにも。リン王女のご指示ですから!」
「うん、リン王女にも後でお礼を言うよ。でも君にもお礼を言ったらおかしい?」
「僕は、召使ですから」
「召使だと、お礼を言ったら駄目なのかい?」
「召使にそんな必要は無いと言っているんです。僕らは使われるだけの存在、家畜と同じです」
 そう言ったらあからさまに眉を顰められた。カイトさんがこういう顔をするのはすごく珍しい。いつでも穏やかな微笑と、控えめな憂いを浮かべている人だから。
「どうして君はそんな風に言うんだい?君は人間で、家畜じゃない。リン王女だって、君をそんな風には思ってないだろう?」
「それは…」
「それに、俺は助けられれば家畜にだって礼を言うよ。それはおかしいことかい?」
「…いえ」
 カイトさんは薬湯を受け取り、僕と視線を合わせる。穏やかで優しい瞳が真っ直ぐに僕を見つめてくる。
「ありがとう、レンくん。俺は、お礼の言葉は素直に受け取ってくれた方が嬉しい」
「はい。どういたしまして」
 お礼を言うと、ふわりと優しく微笑んだ。それに思わず僕も笑い返す。
 この人は本当に、誰にでも優しいのだから。きっと本当にこの人なら家畜にだってお礼を言うのだろう。そんな人だから、今のこの国の現状に心を痛めていることも解かっていた。
「リン王女は……」
「…はい」
「いや、なんでもない。ごめんね」
 慌てて首を振って笑みを浮かべるけれど、その表情は矢張り憂いを帯びたもので。さっき僕に笑いかけたものとは全く違う。
 カイトさんは誰にでも優しい。けれど、僕に対する態度とリンに対する態度はやっぱり違う。立場が邪魔をしてしまうのだろうというのは聞かなくても解かる。それがカイトさんにはもどかしいのだろう。カイトさんにとって、リンは妹のような存在だろうから。
 そう、カイトさんは、リンに対して好意を持ってくれている。けれどそれは、決してリンが望むものではない。リンの望みを叶えられないことも、この人の憂いの一つなのかも知れない。
 僕はカイトさんの部屋を後にして、いつも持ち歩いている懐中時計を取り出した。
 今日、リンとカイトさんが話していた六つの宝の一つ。
 父上から貰った、僕がこの国の王子だと示す、たった一つの証。


 父上が亡くなったのは、二年前の事だ。
 僕とリンが引き離されたのは更に前、僕らが五歳の時だった。
 その時は理由が全く解からなかったけれど、跡継ぎの問題とかで色々あったのだろう、という事は次第に解かるようになった。
 最初は僕らを引き離した両親を恨んだりもしたけれど、母上もとうに亡くなって、父上も病床から動けなくなった時にはそんな恨みさえ消し飛んだ。何より、両親は二人とも、僕らを引き離したことをずっと気に病んでいたようだから。
 二年前、ずっと引き離されて育てられていた僕が随分久しぶりに城に入れられ、病床の父の元に連れて来られた。そこでリンと再会した。お互いに、お互いのことを片時も忘れたことなんてなかった。僕たちは、二人で一つ。
 だから、再会出来た時は本当に嬉しかった。
 その時、病床の父上が言った。
「勝手なことだとは解かっている。だが、レン、私はもう先が長くない。だから、お前に召使としてリンの傍に居て、支えてやって欲しい」
 その言葉に、僕は一も二もなく頷いた。リンの傍に居られるなら、立場なんて何だって構わない。王子と名乗る事がもう出来ないのは解かっていたから。
「それからレン、お前にこれをやろう」
 そう言って渡されたのが、黄の国の宝である薔薇の印を刻んだ懐中時計だった。
「これはこの国の宝の片割れ。二つある宝の一つ。これがお前がこの国の王子だという証になる。名乗ることは出来ない、それでも、お前は確かに私の息子なのだという証拠だ」
「もう一つは、お父様が持ってるの?」
「いいや」
「じゃあ、誰が?わたしもレンと同じのが欲しい!」
「もう一つは、お前たちのもう一人のきょうだいが持っている」
「きょうだい?」
 思わずリンと顔を見合わせた。僕たちは二人だけの姉弟だと思っていたのに、違ったのだろうか。そろって首を傾げる。
「そうだ。お前たちにはもう一人きょうだいが居る。その子が、もう一つの宝を持っている。きっと、いつか、お前たちを支えてくれるだろう」
 そこまで言って、父上は咳き込む。そこで医者からもう離れなさいと引き離された。苦しそうな父上が見ていられなくて、思わず目を逸らし、リンと抱き合った。


 その後間もなく、息を引き取り、僕は召使としてリンの傍に居る事になった。その事自体は良いけれど。
「もう一人のきょうだい、か」
 父上は、それが兄だとも姉だとも、弟か妹かすら言わなかった。でも、もし本当にもう一人きょうだいが居るのなら、今こそ助けて欲しかった。
 僕には出来ないことをしてくれる人が、欲しかった。



 カイトさんが城を去った翌日、リンは僕を呼び出して言った。
「レン、緑の国へ行ってきて」
「緑の国へ?」
 思わず問い返す。リンは出来るだけ僕の傍を離れたがらない。街へ出ることさえ心配そうにするぐらいだ。もう、戻ってこないんじゃないかと心配になるんだと泣きながら言われたこともある。それが、緑の国へ?
 一日二日では戻ってこられない場所なのに、どうして。
「カイトさんが、緑の国は素晴らしい所だって言ってたでしょ。でも、わたしは行けないから、レンに代わりに見てきて貰おうと思って。それで、レンに緑の国がどんな様子だったか教えて欲しいの」
「うん、解かった」
 そういうことなら、全然構わない。僕の見たこと、聞いたことがリンに伝わるなら。
 そうして改めて知ろうとしてくれるのなら。カイトさんがリンに言ったことは無駄じゃなくなるし、僕も僕の居る意味を改めて実感出来るから。
 そして翌日、僕は黄の国を出て緑の国へ向かった。


 緑の国の城下町までは、急ぎの馬車で三日ほどかかる。一日で見て回って戻っても一週間かかるから、出来るだけ早く戻りたい、という気持ちがあった。
 だけど、緑の国について、その様子を見れば、一瞬でそんな気持ちは吹き飛んだ。
 街の市場は活気に溢れていて、人々は笑顔を絶やさず、あちこちから威勢のいい声が聞こえる。黄の国とは全く違う。カイトさんが言っていた、「活気に満ち溢れた、素晴らしい国」だという言葉も納得するしかない。
 人の数にも圧倒されて、僕は歩いているうちに人にぶつかって尻餅をついてしまった。
「君、大丈夫?」
 声をかけられて、そちらを見れば、長く綺麗な緑の髪をツインテールにした女の子がそこに居た。人目見ただけで、誰もが可愛い、と言いたくなるような子だ。
「こんな人の多い所でふらふらしてたら危ないよ?」
「あ、はい。すみません。緑の国に来たのは初めてだから、驚いて」
「そうなの?君、ひょっとして黄の国の人?」
「あ、はい。そうですけど」
 何で解かったんだろう。首を傾げていると、その子は笑って答える。
「だって、人に聞いた話だけど青の国の城下町は此処よりもっと凄いって話だもの。ここを見て驚くのなんて、黄の国の人だと思って」
「…青の国ってそんなに凄いんですか?」
「うん、新しい国王のガクポ陛下って凄く立派な方なんですって。まだ若いのに。まあ、あたしも噂で聞いただけなんだけど」
 そういえば、カイトさんは余り青の国の話はしないな、と思い返す。というよりも、自分の国の自慢めいた事は言わない、と言った方がいいかも知れない。褒める所は褒めるけれど、どこの国がより良い、という話はしない。
 何かを引き比べることが苦手なのかも知れないけど。
「そういえば、まだ名前を言って無かったね。あたしはミク。君は?」
「僕は、レン」
「レンくんか。よろしくね」
 ふわりと、ミクさんが笑う。その表情に、思わずどきりと心臓が高鳴る。どこか、カイトさんと似た笑顔だと思った。見る人を安心させる笑顔。
「あたしはこの街で歌を歌って暮らしてるの。今から広場で歌うから、少しだけでも聞いていって」
「…うん」
 促されるままに、一緒に広場に行く。そこでも人がたくさん歩いていた。
 その広場の中心、噴水の前にミクさんは行って、「あー、あー」と声を出した後、歌い始めた。

   私はカナリア 空の鳥
   歌が大好き 幸せな鳥

 綺麗な声が、歌を紡ぐ。
 その歌声に思わず引き込まれる。
 道行く人たちも、彼女の歌声に足を止める。

   高い音 低い音 遠くまで
   春の風を感じて 夏の日差しに向かって

 澄んだ歌声が広場に響き渡っていく。
 その歌声に、そして何より、本当に楽しそうに歌う姿に、僕は見蕩れる。
 どきどきと胸が高鳴って収まらない。僕は、彼女が歌い終わるまでその姿を呆然としたまま見入っていた。
 そして気づいた。

 僕は彼女に、恋をしたんだと。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

【悪ノ派生小説】比翼ノ鳥 第二話【カイミクメイン】

レン視点です。
このレンくんは結構カイトのことが好きです。
というか、基本的に人に好かれるカイト。鬱々してますけど。

これで全キャラ出たね!がくぽは名前だけだけど!


ちょっと修正加えるつもりが間違って前のバージョン残してしまいました。ていうか新着に上げるつもりも無かったんですが!
すみません。

閲覧数:688

投稿日:2009/03/19 08:51:21

文字数:5,717文字

カテゴリ:小説

  • コメント4

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  • 甘音

    甘音

    その他

    出遅れたって…(笑)

    こんばんは。
    もう一人のきょうだい、敢えて想像の余地を残してみました。その方が楽しいかな、と。
    これに関してはそこまで思い切り謎を引っ張るつもりはない…です。うん、多分。
    カイトとミクの出会いはもうちょい待ってください。
    予定では…五話ぐらいかな、と。
    今回も感想有難うございました。

    2009/03/13 22:51:05

  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    不覚、出遅れた。

    こんにちは、また来ました。
    もう1人のきょうだい……ひらがなで書かれている所がポイントですね。兄弟も、兄妹も、姉弟も、みんな「きょうだい」ですもんね。今後の展開の大きなポイントになりそうです。
    カイトとミクが出会うのは、まだ先ですか。うぬ、良い焦らしだw
    次回もがんばってください。

    2009/03/12 22:09:13

  • 甘音

    甘音

    その他

    はじめまして。
    読んでいただいて有難うございます!
    やさしいカイトいいですか?そう言っていただけると安心します。鬱々しっぱなしなので。
    ミクとカイトが出会うのはもう少し後ですが、会ったら二人とも出ずっぱりです、きっと。

    今回はレンです。多重視点が結構あるので、飽きられないように書けたらな、と思います。
    もう一人のきょうだいは…想像して楽しんでください。

    これからも頑張ります!有難うございました。

    2009/03/11 22:26:57

  • エメル

    エメル

    ご意見・ご感想

    はじめましてです~
    1話が出た時から読ませてもらってます。
    やさしいカイトいいですね~ミクと出会ったらどうなるか、今からたのしみです~

    今回はレン視点ですね。多重視点だと物語もわかりやすいですよね。
    もうひとりのきょうだいが誰なのか気になります。

    かなりの長編になりそうですが、がんばってください

    2009/03/10 23:31:28

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