【悪ノ派生小説】比翼ノ鳥 第二十七話【カイミクメイン】
【リン】
「リン王女、青の商人の一行が黄の国の港を出たとの報告が入りました」
「そう」
私室の窓から城下を眺め下ろしながら、大臣の報告を聞いて目を細める。
ああ、やっと。
もうすぐ。
もうすぐ、きっと元通りになる。
「出兵の準備はとうに出来てるんでしょうね?」
「はい、勿論。明日にでも出発するようにと伝えてあります」
「そう、なら良いわ」
緑の国など早くなくなってしまえば良い。
そうすればきっと、カイトさんだってそれが一時の気の迷いだったと気づくはず。
全て終わればまた今まで通りに笑って一緒にお茶を飲んでくれる。
だからあともう少し。
「ところで、王女に面会したいという申し出が来ているのですが」
「面会?こんな時に一体誰?」
明日出兵という時に面会なんて、面倒なことこの上ない。
このまま追い払わせようか、とも思ったが、大臣の言葉を聞いて気が変わった。
「南の方にある村の村長ですね。青の商人が取引している村です」
「ふうん…いいわ、謁見の間に向かうから、其処に通しなさい」
「承知致しました」
何の話かは知らないけれど、カイトさんと親しいのかも知れない。それならそれで、顔ぐらいは見てやっても良い。
そう思って会ってはみたけれど。
玉座に腰掛けて、目の前に跪くみすぼらしい身形の男を見下ろす。
何の話しかと思えば、税金を下げてくれ、なんて。
くだらない。
そんな事はどうでもいい。
「そんなくだらないことを言いに来たの?そんな事する暇があったら、もうちょっと仕立ての良い服でも着たらどうなの?まったく、汚らしい」
「リン王女、私の着ている服がみすぼらしいと思われるのなら、それはあなたが、高い税金で民の生活を困窮させているからなのです。税金を下げていただけるのなら、もう少し仕立ての良い服を着ることも出来るでしょうが、今のままでは、これが精一杯なのです。いえ、この程度の服さえ着れない者も大勢居るのです!」
男の、切々とした訴えに、眉を顰める。
この男がどれだけ生活に困ろうが、知った事ではない。しかし、わたしを叱り付けるかのような発言は腹立たしい。カイトさんと知り合いでなければ、今すぐにでも首を切り落としているところだ。
どうしたら良いだろう。
追い払っても、すぐに諦めたりしないような雰囲気があって、尚更邪魔だ。
今は、大事な時だというのに、どうしたらいいだろう。
少し考えて、思いつく。
ひっそりと、笑みを浮かべて、言った。
「解かったわ、税金を下げてあげる」
「本当ですか!」
「ただし、明日緑の国へと出兵する者たちと共に緑の王城へ行って、宝を奪ってこれたらね。百合の髪飾りを」
「出兵…緑の国と?……リン王女…貴女は…」
「あら、嫌なら別に良いのよ、税金がこのままになるだけだもの」
みすぼらしい男は、ぐっと何かを堪えるように唇を噛み締めて、俯く。
「……………解かりました、本当に宝を奪ってこれたなら、税金を下げていただけるのですね」
「ええ、約束するわ」
笑みを浮かべてそう言えば、思いつめたような顔で頷き、男が下がる。
それを見送って溜息を吐くと、大臣に声を掛けられた。
「本当に、あの男が宝を持ってきたら税金を下げるおつもりですか?」
「まさか。そんなことしないわ。戦争の只中に行くんだもの、そもそも無事に戻ってこれる訳が無いでしょう?そこで殺されたって、誰もおかしいだなんて思わないわ」
「…では、そのように取り計らいましょう。兵士にも男が一人同行すると話しておきます」
「ええ、そうして頂戴」
あまり好きな男ではないけれど、確かに有能なのだろう。
話が早くて助かる。
兵士でもない男が、戦争の只中に行って無事に済む筈もないし、こちらが手を下したとしても、戦に巻き込まれたのだとでも言えばそれで終わり。何よりも其処に行くと言ったのはあの男自身なのだから、わたしの責任ではない。
勝手に行って、勝手に死ぬだけ。
ただ、それだけのこと。
私室に戻って、ベッドの上に寝転ぶ。
くるりと寝返りをうっても、広いベッドから落ちることはない。
そして更に広い部屋。
カーテンを開けたままだから、月の光が窓から差し込んできて、明かりをつけなくても部屋の中が見渡せる。
目は冴えていて、眠れそうにない。
ベッドから起き上がって、窓際に向かう。
青白い光が照らす外の景色は、昼間とは全く違うものに見える。
太陽のように強くはないけれど、柔らかで、人の安らぎを見守る温かい光。
まるでカイトさんみたい。
綺麗で、優しくて、穏やかで、そっと見守っていてくれる。
「もう少し…」
もう少しで、元通りになるの。
そうすれば、わたしと、レンと、カイトさんで、また三人で。
この部屋で。
お茶をして、おやつを食べて。
カイトさんの恋人になったという、その女さえ居なくなれば、きっとまたそうして話すことが出来るから。
そこで、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「誰?」
「僕だよ。リン、まだ起きてる?」
「うん」
頷くと、ドアを開けてレンが入ってくる。
「良かった、もう寝てるのかと思ったから」
「平気よ。何だか今日は眠れないの」
「とうとう、明日だからね」
そう、明日。
明日出発しても、勿論すぐに緑の国に着く訳ではないし、王城まで目指すのなら尚更時間がかかる。それでも、明日、何もかも動き出す。
「僕も、明日出発するよ」
「兵士たちと一緒に?」
「ううん、一人で先回りするよ。向こうが混乱して、相手を見つけられなくなってからじゃ、遅いからね」
確かに、それもそうだ。
兵士たちが王城に着く頃には、国民も大半が避難してしまっているだろう。そうなれば、いくら顔を知っているレンでも、簡単に見つけることは出来ないに違いない。
だから、その前に、ということだろう。
「怪我をしないように、気をつけてね」
「うん」
「早く、帰ってきてね」
「解かってる」
行って来てと言ったのはわたしだけれど。
怪我はしないで欲しい。
早く帰ってきて欲しい。
そう思うのも本当。
レンも、それは解かっているから、ただ頷いてくれる。
そっと、レンの手がわたしの手を握る。両手でしっかりとわたしの手を握り込んでくる。
背だってほとんど同じで、声だってまだあんまり変わらない。顔も良く似ている、わたしの半分、わたしの双子の弟。
それでも、わたしの手を握るレンの手は、わたしの手よりも、少し大きい。
当たり前だ、レンは男の子なんだから。
生まれたときに分かたれた、私の半分。
わたしに無い物をレンが持っていて、レンに無い物をわたしが持っている。それはずっと子どもの頃から。
「すぐに、帰って来るよ、リンのところへ」
「うん」
待ってるから。
優しく笑う、レンが帰ってくるのを、待っているから。
嘘をついていたことも、今はいい。
わたしの言う事を聞いて、その女を殺しに行ってくれるって言ったその言葉を、わたしは信じるから。
だからわたしは、ただ無事に帰ってくることだけを望む。
「リン、帰ってきたら、またいつもみたいに笑って」
「うん」
「君が望むのなら、僕は何だってするから」
「うん」
知ってる。
レンは、本当にわたしが望む事なら、何でもしてくれる。どんな我が侭だって、聞いてくれる。
それを知っているから。
「一緒に、おやつを食べよう」
「カイトさんと、三人がいいわ」
「うん、三人で」
頷いて、そして手を離す。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
部屋から出て行くレンを見送って、扉が閉まるのを確認してから、窓に視線を移す。
綺麗な満月が、窓から見える。
どうか、レンが無事に戻ってきますように。
そして早く、元通りになりますように。
月に願いをかけて、眼を閉じた。
出兵から一週間。戦況は逐一大臣が報告してくる。
それを聞く限りでは、明らかに黄の国が優勢で、緑の国が滅ぶのも時間の問題、というところだった。
勿論簡単にとはいかないけれど、暢気な緑の国に黄の国の兵士が負ける訳も無い。
ただ、諦めが悪いのか、どうにも最後の最後で、随分粘っているようではある。何があっても王城には進軍させまいと、篭城しているらしい。
「往生際が悪いわね」
どうせ勝てる訳が無いんだから、さっさと負けを認めてしまえば良いのに。
それでも、そう長くはかからないだろう。
ゴーン…ゴーン…ゴーン…
教会の鐘の音が三回鳴る。
「あら、おやつの時間だわ」
いつもなら、レンが居たなら、鐘の音と同時におやつを持ってきてくれる。
だけど今はレンは居ないから、代わりの召使が鐘の音から少し遅れてお茶とおやつを持ってくる。
少しおどおどとした様子で、目を伏せたまま。
手際も悪ければ、選んでくるおやつだってあまり良くない。
作るのは王宮直属のシェフだけれど、何にするかを決めるのは召使の役目。そう、おやつはレンがいつも何にするか決めていて、いつもわたしの食べたい物を選んできてくれた。
今日のおやつはどうやらシフォンケーキらしいけれど、どうにも食べる気がしない。
紅茶を入れるのにも手間取って、あまり美味しくない。
レンが居ない間だけだと思って今は我慢しているけれど、そろそろこの召使はクビにしようかしら、と思う。
早くレンが帰ってくればいいのに。
「……シフォンケーキなんて食べたくないわ。もっと違うものを持ってきて」
「ち、違うものって…」
「それくらい、自分で考えなさいよ!」
伏し目がちにこちらの様子を伺って、声も篭ってよく聞き取れない。
全くイライラするったらない。
「あ、あの、でも…」
「何?わたくしに逆らうつもり?」
「い、いえ、とんでもありません!すぐに別のを用意してきます!」
慌てて頭を下げて、部屋から出て行く。
本当に使えない。
今度また見当違いのものを持ってきたら、紅茶のカップを投げつけてやろうかしら。
大臣のようにふてぶてしいのも腹立たしいが、ああもおどおどとはっきりしないのも腹立たしい、見ていてイライラする。
レンなら、わたしを待たせることなくすぐにおやつを持ってきてくれる。
レンなら、わたしが食べたいおやつなんて聞かなくても解かる。
レンなら、紅茶を入れるのだってもっと上手。
レンなら、紅茶の種類だっておやつに合わせてわたしが飲みたい物を選んでくれる。
レンなら、何も言わなくたって、わたしのことを解かってくれる。
勿論、今までレンに緑の国へお使いに行って貰った時だってこうして代わりの召使が傍に居て、代わりにおやつを運んできたけれど。
その時もいつも思っていた。
レンなら、こんな役立たずとは全然違うのに。
早く帰ってきて欲しい。
傍に居て欲しい。
レンが帰ってくるのが待ち遠しくて。
早く、早く帰ってきて。
他の誰かじゃ、レンの代わりなんて、出来ないんだから。
わたしの半分、わたしのたった一人の双子の弟なんだから。