【リン】


 初めてカイトさんに会ったのは十歳の時だった。
 まだお父様もお母様も生きていて、けれどレンとは引き離されていた。
 五年経ってもわたしはレンと引き離されたことに納得がいかなくて、癇癪を起こしてはお父様やお母様を困らせてばかりいた。
 いつも一緒に居たのに、傍に居たのに、どうして引き離されなきゃいけないのか、理解出来なかった。そんなわたしの前に、カイトさんは現れた。


 レンが戻ってくるまで、絶対出て行かない。
 そう心に決めて、城の庭にある木の繁みに隠れていた。城の中ではわたしを探す声があちこちで聞こえてきていて、だからこそ尚更出て行ってやるものかと改めて心に誓った。
 繁みに身を縮めて、わたしを探しに来る人に見つからないように息を殺して。
 実際、わたしを見つける人は居なかった。
 探す声も遠くに行ってしまい、夕暮れ時になってくると使用人たちも自分の仕事に追われてか、わたしを探すのが後回しになってきた。もしかしたらお父様やお母様がわたしを探すのなんて後でいい、なんて言ったのかも知れない。
 わたしの我が侭はいつものことだから。
 そう思えば段々不安になってくる。もし誰も見つけてくれなかったらどうなるんだろう。
 そんな不安。
 自分で隠れておいて馬鹿みたいだ。
 けれど、日が落ちるにつれて心細さはどんどんと大きくなっていく。誰も見つけてくれなかったらどうしよう。お腹も空いてきたし、このままこんなところで死んじゃったらどうしよう。
 そんな想いが頭の中を駆け巡る。
 レンだったら、絶対何があっても、すぐにわたしを見つけてくれたのに。
 レンが居たら、こんなに心細い気持ちになったりなんかしないのに。
 そうして心細く思うのならば、出て行けば良い。
 そんな簡単なことだけれど、子供の意地というのは厄介なもので、それでも出て行くもんか、心細くなって出てきたなんて知られたら格好悪い。そう思って自分から出て行く事なんて出来ない。
 誰も見つけてくれないのが悪いんだ。
 そんな滅茶苦茶な論法。
 隠れたのはわたしなのに。
 だけど、その時のわたしは自分は悪くない、レンをどこかへやってしまったお父様やお母様が悪いんだ、と責任を転嫁して、自分を正当化する。
 そうだ、わたしは悪くない。
 でもやっぱり心細い。
 嫌なこと、悪いことばかりが頭の中を駆け巡って。それでもそこから一歩も動けない。
 もうすぐ日も完全に落ちて真っ暗になってしまうだろう。
 そんな時に。

「見つけた」

 その言葉に、はっと顔を上げる。
 見上げた先に居たのは見覚えの無い男の人だった。少年と青年の境に居るような、どこか不思議なアンバランスさと、同じくらいの安定感を持つ綺麗な男の人だった。
 一瞬のうちに見蕩れてしまってから、見知らぬ人なのだということに気づき、警戒心を露に問いかける。
「誰…?」
「私は国王陛下にお招き頂いた、青の国の商人の息子でカイトと申します。リン王女、みんな探しておいでですよ。出てきてください」
「嫌」
 見つけてもらえた安心感が強気に転化して、隠れた当初の目的を思い出す。レンを連れて来てくれるまで、絶対此処から動かない。
 繁みの奥で身を縮こまらせ、威嚇するように彼を睨み付けた。
「……困りましたね」
 本当に困ったように眉を下げてわたしの視線に合わせるように膝を付く。
「どうしてお隠れになるのですか?何か理由がおありなのでしょう」
 優しい声、優しい眼差しでその綺麗な人はわたしとしっかりと視線を合わせて問いかけてくる。
「どうしてそう思うの」
 わたしが隠れても、みんなただの悪戯だと思って理由なんて聞きもしないのに。お父様もお母様も、困った子だと苦笑いを浮かべるだけで、わたしの訴えなんて聞き入れてもくれない。
 わたしはただ、レンと一緒に居たいだけなのに。
「リン王女は、とても賢そうな目をしていますから。何の理由もなしにそんなことをする方ではない、と思います」
 どうして、そんな風に思ってくれるのだろう。
 十歳のわたしは、結局大人たちにとっては困った子供でしかないのに。
「理由を聞かせてくれませんか?」
「……………会いたいだけなの。……ただ、会いたいだけなの」
「……はい」
「どうして一緒に居ちゃいけないの?どうして会わせてくれないの?ずっとずっと、一緒だったのに!」
 叫ぶ。
 一度口から零れ落ちればとまらなかった。
 レンの名前を出さなかったのは、本能的にいけないと思っていたからかも知れない。けれど事情を知る人にとっては、誰のことか明らかで、知らない人にとっても、推測するには容易い。
 そんなわたしの叫びに、ただ彼はぽつりと呟いた。
「…寂しいんですね」
 その言葉が、すとんとわたしの胸に落ちてきた。
 寂しい。
 そう、寂しいんだ。
 だって、ずっと一緒にいたんだもの、生まれた時からずっと一緒だったのに、一緒だった年月と同じだけの日が過ぎてしまった。
 だけど消えない、だって同じだから。
 いつも隣に居るから。
 それが当たり前の人だから。
「うん、寂しい、寂しいの、会いたいの……うっ、わああああああああああああん!」
 寂しい、という言葉を自覚した途端に、涙が溢れて止まらなくなる。
 泣きじゃくりながらその人の腕の中に飛び込む。
 彼は余計なことを言うこともなく、ただわたしを優しく抱きしめていてくれた。
 わたしを見つけて、わたしの言葉に出来なかった気持ちを見つけてくれた。
 泣き疲れて眠ってしまったわたしを連れて、お父様とお母様のところに連れて行ってくれて、目が覚めたら、お父様もお母様も、全然怒ったりしないで、優しくて、寂しそうな声で「ごめんね」と繰り返し謝っていた。
 きっとあの人が、お父様やお母様に話してくれたのだろう。
 ごめんね、さびしいね、わたしたちもさびしいよ。
 その言葉は、嘘じゃないんだと思った。
 二人も寂しくて、そうしなくちゃいけない理由があるんだって、わたしもそこで、ようやくお父様とお母様の気持ちを考えることに気づいた。
 三人で寂しいね、と言ったあの日のことを、わたしはきっと一生忘れないだろう。


 それが、わたしとカイトさんとの出会い。
 大事な思い出。
 カイトさんに恋をした理由。
 思い返しても彼の胸で泣きじゃくってしまった記憶は恥ずかしいけれど、カイトさんの優しさに触れたあの時を、忘れたいとは思わない。
 あれから四年経っても、色褪せることなく、あの人を好きだと思う気持ちがある。
 両親は二人とも亡くなってしまったけれど、レンがまた傍に居てくれて、年に何回かだけれど、カイトさんが会いに来てくれる。
 それだけが、わたしにとって大切なことだった。




 日常に不満なんて無い。
 だけど時折ものすごく退屈だと思う。
 この城から出ることが出来ない、わたし。
 レンが代わりに外に出て、色々なことを教えてくれるけれど、わたしも外に出たい、という気持ちは強くなるばかりで。でも少しでもわたしが行方を眩ませれば大騒ぎになるのは目に見えていて。
 あの頃より強い責任。重い立場。
 窮屈で退屈。
 そんな中でもレンの傍に居られる時間は大切だけれど、近頃そのレンの様子がおかしい気がする。
「…何か最近、おかしいわよ、レン?」
 流石に気になって問いかけてみれば、レンが笑みを浮かべて問い返してくる。
「何が?」
「何か、ずーっと傍に居るし。部屋を出るときは殆どぴったり一緒だし」
「僕が傍に居るのは嫌?」
「そんなことはないけど…」
 勿論、傍に居てくれるのは嬉しい。ずっとずっと、一緒に居たい。離れていた間、そればかりを願っていたのだから。
「僕がリンの傍に居たいだけだよ」
「そりゃあ、わたしだってレンが傍に居てくれる方が嬉しいわ」
 ほんの少し恥ずかしいけれど、レンには素直にそう言う。
 傍に居たい、一緒に居たい想いは同じなのだと。
 そう思えることが嬉しいから。
 けれど、そんな風に思える時間は長くは続かなかった。



 それを聞いたのは大臣の口からだった。
「……今、なんて言ったの?」
 ちょうど、レンが居ない時を狙ってきたかのようにやってきて、不吉な言葉を悪魔のように告げる。
「市井ではもう随分噂になっておりますよ。青の商人のご子息が緑の国の娘と恋仲になったという話です」
「う、嘘…」
 嘘だ、そんなことない。
 だって、今までだってカイトさんは、誰にも、どんな人相手でも、そんなこと無かった。どんな貴族の娘相手でも、わたし相手でも。
 だから、きっとそんなことにはならないと、思ってた。
 思い込んでいた。
「嘘だと思うのなら、あなたのお気に入りの召使に聞いてみるといいでしょう、よく知っているはずですよ」
「……レンが?嘘よ!知ってたらすぐにわたくしに言うはずだもの!」
 レンが、わたしに隠し事なんてするはず無い。
 そんなのは、嘘だ。
「知っていたのですよ、知っていて隠していたのです。あの召使が、緑の国に行った時にはすでに知っていたと考えるのが自然でしょうねえ」
 ねちっこい話し方が不快だ。
 元々、この男のことは好きじゃなかった。ただ、お父様が信頼していた部下だから、そのままにしているだけ。
 けれど、それを聞けば思い当たる事が無い訳ではない。
 緑の国から帰ってきた時、レンはどこか元気が無かった。それに最近様子がおかしかった。やたらと傍に居るな、と思った。いつもよりも。
 それは…わたしが噂を耳にするのを防ぐため?
 嘘、嘘だ!
 大臣が部屋から去った後も、大きなベッドの上で蹲りながら頭を巡らせる。
 もし本当だったら。
 カイトさんはその緑の娘のものになってしまった。
 レンは、わたしに隠し事をしていた。
 嘘だ、そんなことない。
 そんなことないと思っているのに、涙が溢れてくる。
 混乱し、自分の考えさえもよく解からないまま、わたしはベッドの上で泣きじゃくっていた。


 どれぐらいそうしていたのだろう。
 ドアをノックする音が聞こえた。
「リン…?」
 レンの声。でも、応える気にはなれない。
「入るよ」
 そう声を掛けられて、でも、なかなか顔を上げることが出来なかった。凄く億劫だ。
 足音でレンが歩み寄ってくるのが解かる。
「リン、一体どうしたの?」
 問いかけられて、ようやくのろのろと顔を上げた。きっと、涙でぐちゃぐちゃだろうな、と何処か遠いところで考える。
 そして昨夜の大臣の言葉を思い出し、レンに問いかける。ただ、嘘だと笑って否定して欲しくて。
「ねえ、レン、嘘よね?」
「何が?」
「カイトさんに、恋人が出来たなんて嘘よね…?」
 そう問いかけた瞬間、優しい眼差しを浮かべていたレンの表情が一瞬固まった気がした。そして、表情は穏やかを装っているけれど、真剣な眼差しで問いかけてくる。
「誰からそんなこと聞いたの?」
「…ねえ、嘘だって言ってよ!」
 そんな問い返しは聞きたくない。わたしはただ答えが知りたい。誰から聞いたなんてことは、どうでも良いこと。
 腕に縋りつき、問い詰める。
 レンは答えを返すことは無かった。けれど、それが何よりもはっきりとした答え。レンがわたしを見ずに顔を背ける。
「本当、なの…?」
 嘘だって、こんなの嘘だって、未だに心の中で思っていたのに。
 レンのその態度が何よりも、真実を突きつけてくる。
「レンは知ってたの?知ってて黙ってたの?」
「…リン」
「緑の国へ行ったときから…?」
「…」
 答えが無いのが何よりの答え。
 カイトさんは、誰かのものになってしまった!
 誰のものにもならない人だと思っていたのに。
 レンはわたしに隠し事していた!
 レンだけは、絶対にわたしに隠し事なんてしないと思っていたのに。
 その二つの事実のどちらがよりショックなのかなんて解からない、どちらもショックでどちらも悲しい。嫌だ、そんなの嫌だ。
 レンから手を離して、ベッドの上を後退る。
「どうして!?」
「リン、僕は…」
 何か言い募ろうと手を伸ばしてくるレンを避ける。
「やだ、来ないで、出てって!」
「僕はただ、リンのことを…」
「出てって!隠し事するレンなんて大嫌い!」
 言い訳も聞きたくない。
 事実が解かればもうそれで十分だった。理由なんてどうでもいい。
 手近にあった枕をレンに投げつける。
 来ないで、見ないで、向こうへ行って!!
 知らない、知らない、知らない!
 レンなんて大嫌いだ!
 ひっそりとレンが部屋から出て行ったのを確認してから、わたしは声を上げて泣いた。
 もう何も、信じられない。
 みんなみんな、大嫌いだ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【悪ノ派生小説】比翼ノ鳥 第二十話【カイミクメイン】

大体この辺で折り返し地点。
ついにリン視点登場。
書いててすごく楽しかったです。特に過去回想。

リンは基本的に頭の良い子。
ただ感情的になると、相手の思考を考えるということが出来ない、思いやれない。だから、レンが何で隠したかということは、全く考えてない。
隠し事をしたという事実のみが、リンにとっては大きいのです。

閲覧数:530

投稿日:2009/08/20 13:34:10

文字数:5,247文字

カテゴリ:小説

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  • 甘音

    甘音

    その他

    いつも感想有難う御座います。
    そんなに慌てないで、自分のペースで読んでください。

    ある意味で典型的な悪ノ娘だとは思いますが。実際国民に対する気遣いは無いですし。自分にとって大切なもの以外はどうでもいい、と割と思っている感じ。
    でもだからこそ、普通の女の子だとも思います。

    確かに大臣はパターンですねw
    歌に出てくるキャラクターでもあるので、出すのは間違いないですし。だからと言ってうちのリンは悪くない訳じゃないのです。リンも悪い。大臣も悪いけど。
    絶対悪や絶対善は確かにないですね、それぞれいい所も悪い所もあって当然なので。最終的に大臣の印象がどうなるかは…わかりませんが。

    2009/09/05 09:29:45

  • エメル

    エメル

    ご意見・ご感想

    こんばんわです~おそくなってすみません><
    もう次のが上がってるし~ゆっくり読ませてください^^;

    今回は初のリン視点ですね。
    ここのリンに対してははじめ典型的な悪の娘だなぁと思っていたんですよね。なんていうかマリー・アントワネット的なw最初の頃、国民に対して気づかいの無い発言をしてましたから。
    でもやっぱり普通の女の子だったんですね。その方がリンらしいとは思います。

    あ、パターン入った(オイ
    悪の娘を小説化する人たちって大概大臣を悪役にしてますよね。でもカイトの養父にいいとこが見えたように大臣も甘音さんなりの人物になりそうです。甘音さんの書く人物には絶対悪も絶対善もいないから好きなんですよね。いいところも悪いところもうまくあって人間らしいから凄いと思います!

    ではでは~またです^^

    2009/09/03 20:41:09

  • 甘音

    甘音

    その他

    はい、リン視点です。

    リンは普通の女の子です。
    我が侭で、意地っ張りで、素直じゃなくて、でも大事な人のことは本当に大事にしてて、ちょっと極端なところがあるけど、それも含めて普通の女の子です。
    そんなリンを、ちゃんと書けて嬉しいです。嫌われ者だけでは、居て欲しくないので。
    大臣は、はい。まあ、大臣にも大臣の考えがあるかと(ぇ)
    私もこいつ好きじゃないので、そのうち相応の報いがあるのではないかと思います、きっと。
    ある意味核弾頭ではあるのですが、スイッチを押すのはリンではなくて、他の人なのです、そういうものです。

    今回は私も書きやすかったです。
    本当に普通の女の子で、良い子とか悪い子とかじゃなくて、当たり前みたいに誰もが持ってる我が侭なところとか、そういうのをちゃんと書けていたら嬉しいです。
    私の妄想の中に居るリンを、ちゃんと書けてたらいいのですが。

    どんどん展開は進んでいきますが、気長にお付き合いください。

    2009/08/24 11:20:59

  • 時給310円

    時給310円

    ご意見・ご感想

    リン視点キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!

    ……とか、騒げないよねコレ…… orz

    こんにちは甘音さん、読ませて頂きましたー。
    こうして見てみるとアレですね。リンって極めて普通の女の子ですね。
    好きとか嫌いとか、嘘とかホントとか、未熟さゆえに自分の感情に振り回される、本当に普通の女の子。時代と環境が違えば、周囲から苦笑と共に温かく見守られるような子だったんでしょうけど。でもこの時代、この環境に生まれてしまった事が、リンの悲劇なんでしょうね。悪ノ娘も好きでそうなったわけじゃないって事か、と。
    しかし大臣。何なんですかコイツは。レンの必死の努力を台無しにして、リンを怒らせて、カイトとミクに危害が及ぶような事を……って、ひょっとしてコイツがみんな悪いんじゃないですか!? 許せん、誰かグーでぶっとばせ。 
    そう考えると、リン、可哀相に。核弾頭あつかいはやりすぎだった。今は反省している orz

    それにしても、今回はいつにも増して感情移入しやすい回だったように思います。リンの心理描写が実に巧みで、でも技術的にどうという事ではなくて……何て言うんですかね、前にも言ったかも知れませんが、ハートで書いてるって感じがして良かったです。

    そろそろ書く方もしんどい展開になってくると思いますが、頑張って下さいね。次回も楽しみにしています。

    2009/08/22 11:52:32

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