【リン】
カイトさんが黄の国に入ったというのは、大臣の口から聞いた。
あの人は嫌いだけど、今はレンにも会いたくなかったから、情報の殆どは大臣の口から聞くものばかりだ。
レンと、もうどれくらい口をきいてないだろう。
それでも、会いたくなかった。
会ったらきっと、また酷い言葉を浴びせてしまうから。
言った後には後悔ばかりで、でもレンを前にすればきっと、我が侭な自分が溢れてくる。冷静に考えれば、レンが黙っていたのはわたしのためだっていうのは解かるのに。
それでも、悲しかった。
それでも、悔しかった。
だから会えなかった。何も聞きたくないし、何も信じられなかった。
食欲も全然出ない。
外にも出たくない。
何も考えたくない。
だけど、カイトさんが黄の国に来たと聞いて、嫌でも心は動く。
今まで何人もの貴族の娘の相手をしてきた。その相手の全てに、カイトさんは謝罪に行っているという。もう、今までのようには出来ないと。心に決めた人が出来たからと。
そして、此処にも来るんだろう。
わたしのところに。
嫌だ、聞きたくない、そんなことは聞きたくない。
耳を塞ぐ。目を塞ぐ。
知りたくない、聞きたくない。
突きつけられ、実感させられるなんて、絶対に嫌だ。
だからわたしは、カイトさんに会わないことにした。何も聞きたくない、見たくない。
だったらそうする。
カイトさんには会わない。
会いたくない。
会うのが怖い。
そして、カイトさんが城下町にやってきて。
何日も、何日も。
カイトさんが城の前に来て、わたしに会いたいと言う。こんな状況でなければ喜んでカイトさんに会っただろう。そう思うけれど。
伝えられる言葉を知っているから、会いたくない。
でも会いたいと、毎日来てくれる。
直接その声を聞いている訳じゃない。それでも、大臣が「今日も来ましたよ」とわたしに伝えてくる。
それを聞くたびに心が揺れる。
もしかしたら、あんな噂は全部嘘だって言ってくれるかも知れない。
そんな微かな望みが頭をもたげる。
そんなこと無いって知っているのに。
それでも、毎日毎日、わたしに会いたいと言いに来てくれることが、嬉しくないはずが無い。あの綺麗な優しい笑顔で、もう一度わたしを見てくれるならと、考えずには居られない。
でも、それでも、会うのは怖かった。
真実を告げられるのが怖い。
カーテンを閉め切って、電気もつけないまま閉じこもって、何も見たくない、聞きたくないと耳を塞ぐ。
暗い部屋で、時間が経つのをひたすらに待つ。
時間が過ぎて、カイトさんが来なくなるのを。
それが、嬉しいのか悲しいのか、よく解からないまま。
それなのに、大臣はやって来て、今日カイトさんがどうしたと語りかけてくる。わたしは聞かずに追い返せばいいのに、聞いてしまう。
馬鹿だ。
聞かなきゃいいのに。
なのに、聞いてしまう。
コンコン、とドアがノックする音が聞こえた。
ベッドの上で枕に顔を伏せて一日の殆どを過ごす、そのせいか、頭が重くて余り頭が働かない。微かに頭痛がする。
ぼうっとした頭で、さっき本当にノックがあったんだろうか、と首を傾げる。
「リン、聞いてる?」
レンの声だった。
その声に、今すぐ扉を開けて会って、抱きつきたいと思う。
抱きついて、泣いて、「大丈夫だよ」と言って抱きしめて欲しいと思う。
でも、きっとわたしは、それだけじゃすまない。八つ当たりして、喚き散らしてしまう。
レンが隠していたのが悪いんだと、きっとそうして責めてしまう。だから会うのが怖くて仕方ない。レンを傷つけたく無いから。
「カイトさんに会ったよ」
カイトさん。
名前を聞くだけで、心が震える。
会った、って。会って、どうしたというの。
聞きたい、聞きたくない。
相反する気持ちが膨れ上がる。
「伝言を預かったんだ。『申し訳ありません』と、『私を憎んでくれて構いません』って」
「………」
憎む?カイトさんを?
そんなの無理だ。
出来る訳ない。
幼いわたしの、行き場のない感情を救ってくれた人を、憎むなんて出来る訳がない。
だって、いつだって優しくて。
ほんの少し寂しそうな、哀しそうな笑顔を見るたびに愛しくて、悲しくて。
好きだと思う。
あの青い髪と、青い瞳と、綺麗な笑顔と。優しげな声と。
その全てを。
こんなに、誰かを好きになったことなんて無くて。
そんな人を憎むなんて、そんなこと。
無理だ。
憎むのなら、そう。
そう、誰かを憎むなんて、落ち込むばかりで考えられなかったけれど。
憎むのなら、その相手は。
――カイトさんを奪った女だ。
考えた瞬間に、その考えに身震いした。
わたしは、何を考えているんだろう、と。
けれど、その考えはわたしの頭の中から消えてくれない。
むしろそれはどんどん魅力的な考えのように思えてくる。
――憎むのなら、カイトさんの心を独り占めにした女だ。
――そして、カイトさんを奪った女のいる、下賎でどうしようもない緑の国だ。
何度も頭の中に木霊する。
そう、その女さえ居なくなれば、緑の国さえなくなれば。
こんなに苦しいことはもう無いんだ。悲しいことは、もう。
それ以外、考えられなくなる。
――そうだ、本当に、その女が居なくなれば。
そう考えたら、頭がすっとした。
ずっとかかっていた靄が晴れたような、そんな気分。
そうだ、初めからそうすれば良かった。
カイトさんを奪った女が、居なくなればそれでいいんだ。
そうすれば、カイトさんは戻ってくる、いつものようにわたしに笑いかけてくれる。
ベッドから起き上がり、ドアへ向かう。
不思議と心が落ち着いた。
ドアを開ければ、レンが立っていた。
心配そうな顔。そう、知っていた。ずっとレンが、わたしの心配をしていてくれたこと。知っているのに、会いたくなかった。
だって、隠し事をしたから。
それを許せなかったから。
「それだけ?」
聞くと、レンは驚いた顔でわたしを見つめる。何をそんなに驚いてるんだろう。
「え?」
「カイトさんが、言ってたのはそれだけ?」
「伝言は、それだけ。でも、ちゃんと直接話がしたいって、そう言ってた」
「……話すことなんて、何も無いわ」
そう、何も無い。
その女さえ殺してしまえば、みんな元に戻るんだから。
別に話す必要なんて無い。
「レン、大臣を呼んできて」
「…大臣を?どうして」
「いいから呼んできて!」
声を荒げれば、びくりと身を震わせ、レンは踵を返した。
一体何をあんなに怯えてるんだろう。
そりゃ、怒鳴ったのは悪かったけど。
いつもわたしが怒ったぐらいであんな風に怯えないのに。
変なの。
暫くして大臣がやってくる。
この男は好きではないけれど、命じるならこの男以外には居ない。
「緑の国を滅ぼしなさい」
「リン王女!」
レンが叱責するような声を出す。咎められる覚えなんてない。
元々、緑の国なんてカイトさんが褒めていたから気にかけていただけ。
そのカイトさんを奪ってしまうようなら、必要ない。
「黙りなさい!」
叱るのはわたしの方。だって、レンはわたしに隠し事をしていたんだもの。
でも、とりあえずその事はいい。大臣に視線を戻す。
「そうね、カイトさんがこの国を出たらすぐに攻められるように、準備しなさい」
「はい、承知致しました」
カイトさんには気づかれないようにしなくちゃ。万が一にでも巻き込んでしまう訳にはいかないもの。カイトさんが青の国に発ってから、行動に移さないと。
大臣は特に反論することもなく頷く。
「じゃあ、すぐに準備に取り掛かりなさい」
「はっ」
立ち上がり、部屋を出て行く。
それを見送ってから、レンに視線を移した。
信じられないというような目でわたしを見ている。
どうしてそんな顔をするんだろう。
「リン、本気で緑の国を滅ぼすつもりなの?」
「本気よ。だって、あんな国要らないもの」
笑う。
そう、あんな国、要らない、必要ない。
そして、もう一つ。
「ねえ、レン?レンはわたしのために何が出来る?」
「何が、って…」
「わたしね、レンのことが好きよ。だってたった二人の姉弟だもの。でも、やっぱりわたしに隠し事をしたのは許せないの」
そう、それは許せない。
わたしたちの間で、隠し事なんて。
勿論、わたしのためを思ってしてくれたんだって、冷静になって考えれば解かる。解かるけど、やっぱり嫌なものは嫌。
「…うん」
「許して欲しい?」
目を合わせて問いかける。たじろいだような様子で、それでもレンは頷いた。
「うん」
そう、わたしだってずっとレンとこのままなのは嫌だもの。でも切欠は必要だから。
レンに近づいて抱きつく。
大好きな、大切な、わたしの双子の弟。
片割れ。
「だったら、緑の国に出兵した時に、レンも行って。そして確実に、カイトさんを奪ったその女を殺してきて。そうしたら、レンのこと許してあげる」
緑の国を滅ぼすだけでは、万が一にもその女が生き残ってしまうかも知れない。だから、その女を知っているらしいレンに殺してもらう。
そうすればわたしはレンを許せるし、その女も居なくなる。
こんなに良いことは無い。
「……」
「出来ない?」
「……そうしたらリンは、また今までみたいに笑ってくれる?」
「うん、また、一緒におやつを食べましょう?」
もう一度、笑って一緒に。
わたしと、レンと、カイトさんと、三人で。
「うん、解かった」
レンもまた決心したように笑顔を見せた。
そうすればまた元通りになるんだから。
わたしと、レンと、カイトさんと。
三人で。
一緒にお茶を飲んで、話しをして、笑い合う。
あの国が無くなれば、みんな元通りになるから。
出兵の準備は、密かに、確実に。
国民にも、カイトさんにも知られないように。
そうと決まれば、閉じこもってなんか居られない。
カイトさんは城下町を出てしまったようで、もうこの近辺には居ない。尋ねてくることも無い。
それは少し残念だけれど仕方ない。
むしろ、今は早く出て行ってくれた方がいいかも知れない。
カーテンを開けて窓の外を見る。
ベランダの向こうは町。
青い空が眩しい位で、思わず目を細めた。
コンコン
ドアをノックする音。
誰何すれば低い声が返ってくる。
大臣だ。
「入りなさい」
ドアを開けて中に入ってきた大臣の姿を目に留める。
相変わらず好きではないけれど、大臣と話しをしない訳にもいかない。
今は大切な時だから。
「失礼致します。リン王女につきましては、本日もご機嫌麗しゅう…」
「そんなことはどうでもいいわ。それで、準備は進んでいるの?」
「ええ、勿論ですとも、ですが…」
一度頷いた後、卑しい笑みを浮かべる。その様子に眉を顰めながらも問いかける。
「ですが、何?」
「ええ、他国に出兵するには当然準備に相当な資金がかかりまして。しかし、現在の状況ではどうも不足しがちでして…」
「そんなもの、税を上げるでも何でも好きにしなさい。あなたに任せるわ」
もし、此処にレンが居たら止めようとしかも知れない、と頭の片隅で思うが、そんなことはどうでもいい。この国の人々がどうなろうと、それはわたしの知ったことじゃない。わたしは、わたしの大好きな人さえ居ればそれでいい。
「解りました、では、そのように」
「…カイトさんは、まだこの国に居るのね?」
「はい、そのように報告が上がっております。現在は仕入れのために郊外の農村に滞在中のようです」
「そう。まあいいわ。カイトさんが出国したらすぐに攻められるように、準備なさい」
「は、では、失礼致します」
頭を下げて出て行く大臣を見送って、息を吐いた。
本当に、あの男と話すのは好きじゃない。それでも、緑の国を滅ぼすためには嫌とも言っていられないだろう。仕方の無いことだ。
お父様も、どうしてあんな男を重用していたのだろう。
ああでも、役に立つことは立つ、のだろう。言うことは確かに聞いてくれる、便利な男ではある。
もう一度窓の外、空を見上げる。
早く、何もかも元通りになればいいのに。
それだけが、わたしの願い。
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ゆるりー
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ご意見・ご感想
甘音
その他
>時給310円さん
はい、本当にご無沙汰です。
書く意思はあるんですが、なかなか進まなくて遅くなって申し訳ありません。
というか、別のところで別の物を書いていたもので(汗)
そして暗い内容ですみません。
でもリンの心理描写は割りとノリノリで書いていましt(ry
悪ノ娘も特別なことは何も無い、普通の女の子なんだってことです。というよりも、人の上に立つ人は、普通ではいけないのですけども。
盲目的に思い込んだら一直線な性格なので、間違いに気づかない。
色々と辛い展開になっていくと思いますが、今しばらくお付き合いください。
2009/12/08 11:20:06
時給310円
ご意見・ご感想
おー、甘音さん!
ご無沙汰です、しばらく更新なかったから「もう書かれないのかなぁ……」とションボリしてましたよ! まあ遅筆の僕が言えたことじゃないんですけどね (´;ω;`)
……と、喜び勇んで読み始めたものの。
リン視点ですか。ううむ、悪の娘の内面描写とは、苦労なさったことと思います。狂気の命令を下すまでの心の動きが丁寧に描かれていて、「ああ、なるほど」とごく自然に理解できてしまいました。この辺はさすがに甘音さんだなぁと。
こうして見ると普通の娘ですよね。初恋に破れた、本当に普通の娘。王女という権力があったばかりに、悲劇へと突き進んで行くわけなんですね。やるせない話です。
元通りになんか、ならないんだよぉ、リン……。
本当、今回も読みごたえのあるお話でした。これからますますしんどい展開の様ですが、甘音さんも頑張って下さいね。続きを楽しみにしています。
2009/12/06 22:26:03