【レン】
カイトさんが黄の国に来たという話は、すぐに伝わってきた。
何しろ最近の市井での噂は殊更カイトさんとミクさんの話が多い。その噂の当人がやって来たのから当然と言えば当然だろう。
そして、この城下町に来れば、真っ先にこの城にやってくるのも、予想出来ていたこと。
これまでのリンなら、それこそ瞳を輝かせてカイトさんの来訪を心待ちにし、挨拶もそこそこにカイトさんを自室へ呼んで会えなかった分を埋めるように色々な話をしては笑顔を振りまいただろう。
けれど、今回はそういう訳にはいかない。
カイトさんに恋人が出来たという噂を聞いたリンは、頑なに目を閉ざし、耳を閉ざし、僕の言葉さえも聞こうとしない。そしてそれと同じことを、カイトさんに対しても行った。
つまりは、門前払いだ。
会うことを拒否して、決定的なことが伝えられるのを、閉じこもって拒絶した。
当然のようにカイトさんは、リンに会うことを望んで何度も城にまで足を運んだ。カイトさんは城下町の人々とは違い、リンのことを決して嫌っている訳ではない、むしろ妹のように好意を持っていたはずだ。だからこそ尚更、ちゃんと話がしたいというカイトさんの気持ちも解かる。
それでも、会ったところでリンはまた泣くのだろう。
今度は決定的なことを聞いて、絶望するのだろう。
そう思えば、僕も動くことが出来ないまま、ただ門の前で立ち尽くすカイトさんを城の窓から覗き見るだけだった。
灰色の雲が町全体を覆い隠す。
昼間なのに、随分薄暗い。
そんな中を、僕は傘を持って町に買い物に出かけた。少しでも、リンの気分が晴れるものが見つかれば、そんな馬鹿みたいな希望に縋って。
けれど、そうして出かけた町は、この曇天のためか、活気も薄く、色彩もくすんで見えた。
こんな状態で面白いものが見つけられる筈もなく、じきに振り出した雨に溜息を吐いて城に戻ることにした。
次第に雨脚は強くなり、靴が泥を跳ね上げてズボンの裾を汚した。
夏が訪れる前の雨はしとしと、じめじめと不快感ばかりを募らせてくれる。濡れても風邪はひかないだろうが、気分の良いものでは決して無い。
早く城の中に入ろうと、急いで城門の前を通りかかれば、傘も差さずに立っている人影が見えた。
強い雨脚に視線を遮られながらも、青い髪が目に留まる。
「カイト……さん?」
溜息を吐くような仕草をする人に声を掛ける。顔は見えなくても、あの青い髪は間違いなくカイトさんのものだろう。
ずぶ濡れの姿で僕の方を振り返る。
「久しぶりだね、レンくん」
そう言って微笑む顔も、何処か元気が無い。それも当然か。もう何日も門前払いを食らっている。
「はい……それにしても、ずぶ濡れですね」
「ああ、うん。傘を持ってなくてね」
「毎日のように、リンに会いたいと懇願に来ているのは知っています」
知っていても、何も出来ないけれど。
今のリンは、僕にだって心を許してはくれない。
「会わせて、貰うことは出来ないかな」
「……とりあえず、裏門の方に来てください。拭くものぐらいでしたらお貸ししますから」
会わせてあげよう、なんて軽く言うことは出来ない。
それでもこんなずぶ濡れのままのカイトさんを放っておくことも出来ない。
先導して歩けば、カイトさんもその後ろについてくる。
裏門の兵士に声を掛ければ、少し驚いたような顔をしたものの、拭くものを貸すだけだ、と言って二人で中に入った。
正門と違い、ひっそりとした裏門から入ってすぐは、使用人たちの部屋になっている。
カイトさんは物珍しいのか視線をあちこちにさ迷わせた。
僕の部屋に案内し、箪笥の中からタオルを取り出して、カイトさんに渡す。それを受け取ったカイトさんが髪を拭く。青い髪から雫がぽたぽたと零れ落ちる。そんな姿さえ様になるのは、この人がどこまでも綺麗だからだろう。
「すみません、僕の服ではカイトさんには小さいだろうから、お貸しすることが出来なくて」
「いや、これだけでも十分だよ。有難う」
優しく笑みを浮かべるカイトさんに、それでも僕は笑みを返すことが出来ない。此処に入れてしまったけれど、でも此処から先へ行かせる訳にはいかないから。
「……リン王女には、どうしても会えないのかな」
「駄目です、最近は本当に閉じこもってしまっていて…」
殆ど部屋から出ることもなく、食事も余りとらなくなった。
大好きなおやつでさえ、半分も手をつけない。
「ほんの少しでも良い。ちゃんと話しがしたいんだ。君なら、彼女を説得出来るんじゃないのかい?」
そう、言って貰えるのは嬉しいと思う。リンにとって僕が特別な存在だと認めてもらっているということだ。
けれど、それでも僕は首を横に振るしかない。
「最近は、僕とも会ってくれません」
「……どうして」
「僕が……リンにカイトさんとミクさんのことを、隠していたから」
「……そう」
カイトさんと今の僕は、きっとそっくりな表情を浮かべているのだろう。
自分の至らなさに落ち込み、リンを傷つけてしまった。その事を悔やんで、それでも何も出来ずに項垂れることしか出来なくて。
「せめて、部屋の前まで連れて行ってくれるだけでもいい。それ以上何もしなくても。だから、少しでも、リン王女と話すことは出来ないかな」
カイトさんの言葉に、少し顔を上げ、すぐにリンの泣き顔が脳裏に浮かぶ。
駄目だ。
「そうして……」
「レンくん?」
「そうして、もっとリンを泣かせるんですか?傷つけるんですか?」
「違う。ちゃんと話さなきゃいけないんだ。このままじゃ、駄目だということは君だって解かってるだろう。話がしたい、話さなければいけないことがあるんだ、リン王女にも、君にも」
「違わない!結局あなたが帰った後にリンは泣くんだ!僕はもう、リンの泣き顔は見たくない!!」
自分でも感情的になっているのは解かっていた。それでも、駄目だ、やっぱりリンが泣くのは見たくない。傷つくのはもう沢山だ。
カイトさんに会ったって、傷を深くするだけじゃないか。
怒鳴りつける僕に、それでもカイトさんは辛抱強く語りかけてくる。
「俺の口から、ちゃんと伝えなくちゃいけない。ちゃんと謝りたいんだ」
「帰って、帰ってください!」
「レンくん」
「僕だって、あなたに伝えて欲しかった!あなたの口から伝えて欲しかった!でも、リンは知ってしまったんです、噂で、最悪の形で!これ以上あなたが何を言ったって、リンの傷が浅くなる訳じゃない、帰ってください!!」
カイトさんの、冷静な口調が余計に腹立たしかった。
僕は、僕たちはこんなに苦しいのに。
早く、早く帰って欲しい。カイトさんを部屋から押し出す。体格差があるから、踏みとどまることも出来ただろうけれど、カイトさんはそのまま部屋の外に出た。
「レンくん」
語りかけてくるカイトさんの言葉に、押し出す手を止めた。
「ごめん」
「……謝らないでください」
解かってる、カイトさんが悪い訳じゃない、どうにも出来ないことだった。どうしようもないことだった。
それが解かっているのに、カイトさんのせいにしたい僕が、一番汚いんだ。
視界が涙で滲んでいる。それでも、大声で泣き喚く権利なんて、僕にはない。そうして堪える僕の肩に、カイトさんが優しく手を置いた。
「……せめて、これだけは伝えてくれないかな」
「何でしょう」
落ち着いたその声につられて、顔を上げる。
ちゃんと伝えられるかは解からない、それでも聞くぐらいは、きちんとしなければ。
「『申し訳ありません』と、それから『私を憎んでくれて構いません』と」
カイトさんを憎む?
それが、リンに出来るだろうか。
誰よりも、恋しいと思っていた人を、リンが憎むことが出来るだろうか。
憎めと言われて、憎むことなど出来るだろうか。
それでも。
「お願いできるかな」
「……はい」
頷くしかない。それしか出来ない。
せめて、それぐらいはちゃんと伝えよう。リンが何を思うかは解からない。
それでも。
「有難う」
「いえ、こちらこそ、すみません」
「じゃあ、俺は戻るよ」
「はい」
深々と、頭を下げる。
何も出来ないことが申し訳なくて。
それでも、カイトさんは笑みを浮かべて首を振る。僕のせいじゃない、と。
貸したタオルを受け取り、カイトさんが裏門から出て行くのを見送った。
外の雨は、もう止んでいるようだった。
カイトさんが帰っていったのを確認して、僕は暫く部屋のベッドに座り込む。
ギシッ、と硬い引きつったような音が鳴る。
一つ深呼吸をして、顔を上げる。
しっかりしなくては。
カイトさんに頼まれたことを伝えなくてはいけない。
自分の部屋から出て、リンの部屋に向かう。
そこに向かう途中ですれ違う使用人たちの顔も、何処か憂鬱そうな気がした。
リンの部屋の前で立ち止まり、ドアをノックする。
中からは何の返答も無い。
周囲に人が居ないことを確認して、声を掛ける。
「リン、聞いてる?」
矢張り返事は無い。それでも、中に居るはずだ。
「カイトさんに会ったよ」
扉に向かってただ、声を掛ける。
「伝言を預かったんだ。『申し訳ありません』と、『私を憎んでくれて構いません』って」
「………」
沈黙。
聞いてはいる筈だけれど、寝ているのかも知れない。
もう一度、ドアをノックしようか、と思ったところで丁度開かれ、リンが顔を出した。
カーテンを閉め切ったままの薄暗い部屋が覗き見える。
リンの顔を見るのは、随分久しぶりのような気がする。瞬間、何と声を掛けていいか解からず躊躇した。何を言っても、傷つけてしまいそうで。
ようやく顔を出したリンの表情には、何も浮かんでいなかった。悲しみも、憎しみも。ただ、ぎらぎらと瞳だけがやたらと強く瞬いている。
ぞくりと背筋に悪寒が走った。
「それだけ?」
「え?」
「カイトさんが、言ってたのはそれだけ?」
「伝言は、それだけ。でも、ちゃんと直接話がしたいって、そう言ってた」
「……話すことなんて、何も無いわ」
搾り出すような声で、リンが言う。その声がヒステリックに泣き叫ぶものとは違う、今まで聞いたこともないような、声で。
嫌な予感が、体中を満たしていく。
「レン、大臣を呼んできて」
「…大臣を?どうして」
「いいから呼んできて!」
ぴしゃりと言いつけられ、僕は頷くことしか出来なかった。
言われた通りに大臣を呼んで来ると、本当に久しぶりに、リンの部屋の中に入った。
その表情にそれまでの激情は何処にも見ることは出来ない。ただ静かな表情で、静かな声で大臣を前にしてリンは言った。
「緑の国を滅ぼしなさい」
「リン王女!」
余りの言葉に声を上げれば、リンはレンを睨み付ける。
「黙りなさい!」
鋭い声に言葉が詰まる。リンは再び大臣に視線を移す。
「そうね、カイトさんがこの国を出たらすぐに攻められるように、準備しなさい」
「はい、承知致しました」
跪いた大臣が承服する。
何を馬鹿な、そんな、そんなことを。簡単に言うリンも、受け入れる大臣も、おかしい。どうして、簡単に受け入れるんだ。
「じゃあ、すぐに準備に取り掛かりなさい」
「はっ」
大臣は頷き、部屋を出る。
一瞬視線が合い、その瞳が笑ったような気がした。
気のせい、かも知れないが、嫌な感じのする目だった。
大臣が出て行ったのを確認してから、リンに詰め寄る。
「リン、本気で緑の国を滅ぼすつもりなの?」
「本気よ。だって、あんな国要らないもの」
そう言って、リンは笑う。僕の前では決して見せたことのないような、毒々しいまでの笑みを。
「ねえ、レン?レンはわたしのために何が出来る?」
「何が、って…」
「わたしね、レンのことが好きよ。だってたった二人の姉弟だもの。でも、やっぱりわたしに隠し事をしたのは許せないの」
「…うん」
「許して欲しい?」
笑みを浮かべながら問いかけてくるリンに、それが危険だと知りつつ、それでも僕は頷いた。
「うん」
リンは僕に歩み寄り、抱きついてきた。耳元で、囁く。
「だったら、緑の国に出兵した時に、レンも行って。そして確実に、カイトさんを奪ったその女を殺してきて。そうしたら、レンのこと許してあげる」
「……」
「出来ない?」
「……そうしたらリンは、また今までみたいに笑ってくれる?」
「うん、また、一緒におやつを食べましょう?」
リンの言葉は、つまりミクさんを殺せということ。
それでも、またリンの笑顔が見られるなら。いつもの、あの笑顔が見られるなら。この毒々しいまでの笑みではなく、今までと同じ、無邪気な笑顔が見られるなら。
それで、君の笑顔が守れるのなら。
「うん、解かった」
僕は悪にだってなれるよ。
リンのあの、無邪気な笑顔を、再び見るためならば。
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ご意見・ご感想
甘音
その他
追いつかれましたw
私も早く続きが書きたいです。
確かに、リンの狂気で見え難くはなっていますが、レンも相当ですね。双子はお互いに影響されてしまいます、一番近い存在であるが故に。
リンの変化は、そうですね、突き抜けちゃったんですよね。
余り多くを語るのもどうかと思うのでこれ以上言いませんが。もう少し噛み合わせが違っていれば、こんなことにはならなかっただろう、と思います。
レンの未熟さも、何もかもが、結末への決定事項なので、その辺は申し訳ないなあと思います。
少しずつ歪んで、狂っていって表面化したお話しです。
頑張って続きも書きますので、今しばらくお待ちください。
2009/09/30 11:07:30
エメル
ご意見・ご感想
こんにちわ~です。
ようやく追いついたw
リンの狂気が際立って見えますけど、レンも十分病んでますね。あれだけ他の人を思いやっていたのに今やリンと自分のことしか見えてない。そこに薄ら寒いものを感じました。
リンの変化もまた怖いものがありました。たぶん悩んで悩んで悩んで突き抜けちゃったんでしょうね。レンも他の家臣たちもリンの言うことに従って彼女を一人にしてしまったから。一人で悩むのはほんと恐ろしいものですよね。どんなに拒まれてもレンはリンのそばにいるべきだった。でもレンはリンの泣き顔を見たくないという「自己都合」で一人にしてしまった。未熟なせいなんだろうけど痛々しくて;;
今回はほんと「狂う」という言葉が似合う話でしたね。それもゾッとするような。表現が上手いからもうゾクゾクしながら読んでいました。もっと早く読めばよかったなぁ。
続きがすごく気になりますよ~ではでは^^
2009/09/27 11:49:21
甘音
その他
>>時給310円さん
まあ、勿論そんなわけはないです。
が、追い詰められた人間はその点で冷静な判断は出来ず、微かな希望に縋りたくなるものです。
それでもリンの、無邪気な笑顔が見たいと願ってしまった時点で、レンはもう後戻りできないのですね。
「毒々しい笑み」という表現はそれほど特別なものでも無いと思うのですが…あれ、違うのかな。まあ、いつものごとく余り意識して書いている訳ではないもので。
これからの展開は、本当に辛いものになっていくと思います。悪い方向に噛み合ってしまった運命の歯車は、そのまま突き進んでいきます。
まあ、カイトとミクがいちゃいちゃしていた時間は本当に短かった気がしますね、今思うと。
二人の幸せを望まれる感想を見るたびに、正直「ごめんなさい」と謝らずにはいられませんが。結末は初めから決めているので。
出来るだけ、ペースを保って書いていきたいです。ここからは急降下です。
2009/09/20 11:17:33
時給310円
ご意見・ご感想
そんなわけがないだろ……
と、思わず呟いてしまうわけですよ。「この毒々しいまでの笑みではなく、今までと同じ、無邪気な笑顔が見られるなら。それで、君の笑顔が守れるのなら」の辺りで。
そんなわけないだろ。本当は分かってるんだろレン。人を殺した時点で、無邪気な日々とは永遠にサヨナラなんだって事くらい、お前が分からないはずは無いだろうと。
改めまして、こんばんはです甘音さん。更新お待ちしてました。
まず同業者トークで申し訳ないのですが……「毒々しい笑み」って、すごい表現ですね。いろんな負の感情に、さらに狂気が融け合った、見るからに禍々しいこの言葉。すいません、この言葉を見た時、話の内容そっちのけで「スゲぇ」って甘音さんをうらやましく思ってしまいました。
そして今回の内容ですけど。
いやはや、とうとう来てしまったって感じです。部屋から顔を出したリンが無表情で、目だけがギラギラしているというシーンだけで、ああもうヤバい、と思いました。大臣もなんか明らかに曲者ですし、レンは隠し事をしていた罪悪感からか、明らかに間違っているリンの要求を呑んでしまうし、まさしく「悪い方向へ歯車が噛み合ってしまった」という説明がピッタリです。
徐々に物語を覆っていく狂気に、早くもカイトとミクがイチャコラしていた日々を懐かしんでしまう自分は、どうしたらいいでしょうか?(苦笑) いよいよこれからだってのに、大丈夫か自分。
僕は悪にだってなれる―――― ついに名台詞も登場して、目が離せなくなってきましたね。次回の更新を楽しみに……楽しみにはできませんが(w 、心待ちにしています。しんどい展開になりそうですが、がんばって下さいね!
2009/09/18 23:12:19